情報屋
——バタンッ!!
「親父ぃぃッ!! スヨンがいねぇ!!」
テグがドアを蹴破る勢いで飛び込んできた。
カウンター奥で作業していたリュー老人は、手を止め、頭にかけていた拡大レンズを押し上げる。
「……なんじゃ、テグか……?」
「だから! スヨンが、スヨンがいねぇんだっ!! 待ってろって言ったのに!」
「……いきなり飛び込んできて何を言っとる。わかるように説明せい」
「スヨンは病気なんだ! このままじゃ——」
「おい、落ち着かんか」
その時、店の入口から長い金髪をたなびかせ、足音ひとつ立てずに影がすべり込む。
テグが振り返る間もなく、その影——サラが後頭部を“パシン”と軽く叩いた。
「うっ……!」
「ちゃんと順番に話しなさい」
リューはサラを見た瞬間、しわだらけの口元に笑みを浮かべる。
「……ほぉ、こりゃまた珍しい……。ヴァンガードセクトの看板娘が、こんなスラムのジャンク屋になんの用じゃ?」
「まぁ、成り行きでね。」
テグはぐっと唇を噛み、順番に言葉を絞り出す。
「……スヨン、病気なんだ。そんな遠くに行けるはずねぇのに、近くを探してもどこにもいねぇ……きっと、誰かに攫われたんだ!」
声が震え、今にも泣き出しそうな目でリューを見上げる。
「親父ぃ!! どうすればいい!?」
リューは顎をさすり、しばし考え込む。
「……そうじゃな。あそこの飲み屋に入り浸っとる情報屋なら、何か知っとるかもしれん」
「どこの?」
「デトリタス・ヤードじゃ」
その言葉を聞いた瞬間、テグの顔が一気に引きつる。
「……お、おい親父、それ本気で言ってんのか? あそこは……」
「わしが冗談を言う顔に見えるか?」
「デトリタス・ヤードって……セクター9の中でも一番ヤバいとこだぞ!?」
リューは机の上の部品を指で転がしながら淡々と続ける。
「拳闘士やギャングの溜まり場じゃ。拳闘士どもが試合の後に行く娼館や飲み屋もひしめいとる。……あの情報屋は、そこにしか顔を出さん」
「確かあの辺は、セクター9のギャング——エクリプス・コングロマリットの縄張りよね」
「うむ。『デトリタス・ヤード』は拳闘士や構成員どもが日常を送る根城よ」
テグはゴクリ、と乾いた唾を無理やり飲み下す。
リューから情報屋の特徴と居場所を聞いたサラとテグは、路地裏に停めてあったバイクへ向かった。
テグが後部シートに飛び乗ると、サラはエンジンをかけながらリューの言葉を思い返す。
——エクリプス・コングロマリット。
(確か、和樹もエクリプス・コングロマリットの拠点にエコーを迎えに行ったはず……でも、とっくにノクターナルに戻ってるだろうな)
サラは本来、ノクターナルで和樹に会うために企業ハビタットへ来た。
もしかしたら、ノクターナルで私のことを待っているかもしれない——
そんな淡い期待が胸をかすめ、苦笑がこぼれる。
(……行けないなら、せめて声だけでも…)
(ノア、聞こえる?)
サラは頭の中でノアへ呼びかける。
(…やっぱり、ダメか……)
『インディペンデントA I』の適合率が足りない自分では、こちらからは交信できない——ノアからリンクしてもらう必要があることを改めて思い知る。
そんな時——
——キィィッ!
路地の先から軽快なエンジン音が近づき、二人乗りのバイクが横滑りするように停まった。
ヘッドライトの光の中から、ホアンとカレンが姿を現す。
「遅くなってすいません!」
「……どうしたの、その恰好……?」
サラが思わず眉をひそめる。
ホアンは新品のパルスジャミング・ジャケットに身を包み、ベルトには光学迷彩シールド。太腿には、まだ値札タグがぶら下がったままのゴツいスコープ付き『ハートシーカー Mk-II』が固定されていた。
サラの驚いた声に、カレンがすかさず突っ込む。
「ほら! だから言ったよね、私!」
ちなみにカレンの腰には、旧式のプラズマガンが一本だけ——それが、ホアンの過剰装備をさらに際立たせている。
ホアンは胸を張って親指を立てた。
「いやー、備えあれば憂いなしってやつです。……ビビったわけじゃないですよ…」
カレンは半眼でジトリとホアンを睨む。
「夜のセクター9はヤバいからって言ってたよね…」
「ちなみに、そのスコープ……向きが逆だから…」
サラが指摘すると、ホアンは慌てて『ハートシーカー』を手に取り、ぐるりと確認。
「あっ……ははは……」
乾いた笑いとともに、タグをちぎり捨てる。
「まぁいいわ。これから、ここよりもっと治安の悪い場所に行くことになるしね」
ホアンはにやりと笑い、胸を張った。
「ほら、やっぱりこの装備で正解だっただろ?」
「人探しだってば! 何と戦うつもり!?」
「いやいや、こういう時に備えておくのが——」
「——備えすぎなんだって!」
ホアンとカレンの軽口の応酬を、サラはバイクのミラー越しに静かに見ていた。
(……まさかホアンとカレンと一緒に行動することになるとはね……和樹に言ったら、どんな顔をするかな?)
ナノリンク・データーフィードで受け取った和樹の行動を思い出す。
この時代に来て最初に観察した現地人——それがホアンとカレン、そしてサラだった。
サラはスロットルを捻ると、バイクのエンジンが唸りを上げた。
***
薄暗い高架下を抜け、廃ビルの影をかすめ、サラのバイクは、騒めくスラムの奥へと滑り込んでいった。
そこはセクター9のスラム——『デトリタス・ヤード』の中でも特に騒がしい通りだった。
拳闘士事務局と酒場が肩を並べる建物で、入口の前では、屈強な男たちが笑い声と怒声を交わしながら、酒場と事務局を行き来している。
頭上には色褪せたネオン看板——“拳闘士事務局”の文字は半分消えかけ、チカチカと頼りなく明滅していた
酒場の分厚い扉が、きぃ……と軋む音を立てて開いた。
「……お、おい、あれって……」
「ヴァンガードセクトの……サラじゃねえか?」
「本物か……?! なんでこんな場所に……?」
薄暗い店内に、黒い隊服の女が足を踏み入れると、客の何人かは、立ち上がりかける者までいる。
映像でしか見たことのなかった美貌が、煤けた酒場の空気の中でひときわ場違いに映った。
サラたちは薄暗い店内をざっと見渡した。
——いた。
カウンターの奥、壁際の席に、リューの言っていた特徴そのままの男が突っ伏していた。
黒髪の長髪は束になり、汚れと擦れ跡だらけの緑色の革ジャン。片手にはまだ酒の入ったグラスを握ったまま、鼻からは呑気な寝息が漏れている。
サラは迷わず近寄り、テーブルの上に手をつく。
「……ねぇ、あなたがマロー? 教えてもらいたいことがあるの」
長髪の男——マローは、半開きの目でゆっくりと顔を上げ、サラの姿を見据えた。
「……な、なんだ……夢か? ヴァンガードセクトのエースが飲みに来てるなんて……飲みすぎたか……」
呂律の回らない声でつぶやき、再び頭をテーブルに沈めた。
「ちょ、ちょっと! 寝ないでよ?! あなたがマローでいいのよね?」
揺さぶるサラに、マローはまだ夢の中にいるように片腕を回して抱きついてきた。
「……夢なら、いいよなぁ……?」
サラはいなして男の腕をひねり上げる。
「——っっっ!?!? い、いてててて!! ま、待て待て待て! 腕がッ! 折れる折れる折れる!!」
悲鳴とともに、マローの目がようやく現実の色を取り戻した。
「——スヨンっていう小さな女の子を探してるの」
サラは短く切り出すと、背後のテグをぐいっと押し出した。
「昨日、セクター9で逸れたこの子の妹なんだけど」
マローはしばし口を開けたまま、信じられないような顔で二人を交互に見た。
「……は? ヴァンガードセクトのサラが、迷子探しかよ?」
「知ってるの?」
サラの問いに、マローはふてくされたように鼻を鳴らす。
「はっ! そんなクソガキのことなんか知るか! その辺でくたばってんだろ!」
——バキッ!!
再び腕が容赦なく捻り上げられ、酒場の空気が凍りつく。
「ぐあああああっ!? い、痛ぇっ! わ、わかった! 話す! 話すから離せぇっ!」
「さっき“知らない”って言ってたじゃない。嘘ついたら許さないわよ?」
さらに角度を加えられ、マローの骨が悲鳴を上げる。
「ギャアアアアア!! 嘘じゃねぇ! 心当たりがあるんだ! 本当だ! だから離してくれぇっ!」
ふん、と鼻を鳴らし、サラがようやく腕を解放すると、マローは腕をさすりながら、恐る恐るサラの全身を見やった。
「な、なんなんだ……その馬鹿力は……薬でもやってんのか?」
「……馬鹿力ですって?」
その声色に、マローは思わず後ずさる。
「……いや、その……褒めてんだって。さすがだなって……はは…」
「……で、その“心当たり”って何?」
マローは息を吐き、視線を店内にさまよわせる。
「ふう……」
その態度にもったいぶりを感じ、サラの拳がわずかに握られる。
「……まさか話す気ないわけ?」
「ま、待てって! 焦るなって……!」
マローは慌てて両手をひらひらさせ、周囲の視線を確かめる。
「……エクリプス・コングロマリットのボス——カイン・ドレイカーが、最近何やらガキを集めてる」
「……子供を?」
「あぁ、噂だかな……ガキをバラして遊んでるらしい……ガキたちの悲鳴がカインの部屋から聞こえ——」
——ドガァァァァン!!
サラの右腕が怒りと共に振り下ろされ、分厚いカウンターが爆音と共に真っ二つに裂けた。木片と酒瓶が宙を舞い、店内の喧騒が一瞬で凍りつく。
マローは椅子を蹴って半歩後ずさり、顔を引きつらせながら叫ぶ。
「ま、待て! 落ち着け! あくまで噂だ! 誰か直接見たわけじゃねぇ!!」
その話を聞いたテグが、椅子を倒さんばかりの勢いで身を乗り出す。
「そ、そんな……スヨンが……! そいつはどこにいるんだ!?」
「カイン・ドレイカーには、どこに行けば会えるの?」
マローは慌てて両手を上げた。
「お、おい、マジでやめとけ! いくらヴァンガードセクトだろうが命の保証はねぇぞ!」
「いいから。どこにいるの?」
観念したように、マローは小さく息を吐き、渋々答える。
「……広大な地下複合施設、終末の楽園——『アンダーハイブ』だ」
「そこには、どうやって行くのかしら?」
「それは俺には無理だ。行けるのは関係者か、金持ちだけさ」
テグの顔から血の気が引き、絶望の色が広がる。
「……関係者なら、あそこにいるぜ。聞いてみな?」
サラが視線を送ると、奥のテーブル席から、オートマトンのギアが軋むような金属音が聞こえた。
「……クソッたれ!」
クアッドハウンドとの死闘を制し、歓声を独り占めにしたはずの男——ラドが、テーブルに肘をついて悪態をついている。
理由は単純。あの熱狂を、得体の知れない新人拳闘士が全て持っていってしまったからだ。
「せっかく勝ったってのによ……全部あのガキに持ってかれちまった」
取り巻きの一人が、宥めるように言葉をかける。
「いや、ラドさんの試合も最高でしたって!」
ラドは鼻で笑い、手元のジョッキを傾ける。
サラはマローに短く礼を言い、端末から情報料を振り込む。ついでに、店に破壊してしまったカウンターの弁償代も払った。
マローはサラの背中が十分離れたのを見計らい、破壊されたカウンターの残骸と、まだじんじんと痛む腕をさすりながら、小声で毒づく。
「……ったく、いったいなんなんだ、あのゴリラ女は……」
——ガツンッ!
次の瞬間、サラから飛んできたジョッキが、マローの側頭部にクリーンヒットした。
そのまま前のめりに崩れ、さっきまで酔い潰れて突っ伏していた時とまったく同じ姿勢で、マローは再び昏倒した。
ナノマシンで強化されたサラの地獄耳が、店内のざわめきの中でもマローの呟きを正確に拾っていたのは、言うまでもない。




