表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

48/62

セクター9へ

 頭の奥がズキズキと痛む。ぼんやりした意識のまま、テグはゆっくりと目を開けた。


 (……ここは……?)


 天井には知らない部屋の照明がぶら下がっている。湿っぽいコンクリ壁、乱雑に積まれたダンボール。——寝ぐらにしているスラムの廃ビルじゃない。


 その瞬間、昨日の出来事が一気に脳裏を駆け抜けた。


 (……そうだ、デバイスを盗もうとして、あの二人組に……!)


 「っ……!」


 痛みも忘れて跳ね起きると、体に巻かれていたブランケットがずり落ちた。腕や足に貼られた簡易パッチが一瞬で目に入る。誰かが手当てしてくれたのだろうか。


 (……ま、まずい! スヨンを一人にしたままだ!!)


 慌てて部屋の扉に近づき、そっと隙間からリビングを覗き込むと、あの男女が並んでソファに座り、タブレットを見ながら何やら笑い合っている。

 

 (なんでアイツらがここに……?)


 テグは物音を立てないよう、部屋の中を探る。机の上にはホルダーに入った旧式のプラズマガンが転がっていた。


 (……もらってくぜ!)


 迷わず手に取って、懐に滑り込ませる。


 窓をそっと開けると、そこは三階。地面までは結構あるが、迷っている暇はない。


 (やるしかねえ……!)


 テグは窓枠に手をかけ、少し離れた雨水管を目指して跳びついた。


 ——ズルッ!


 「くっ……!」


 必死でしがみつくが、体がぶら下がったまま、ゆっくりとずり落ちていく。


 ガタン――!


 物音に気づいたホアンが部屋に駆け込んでくる。


 「おいっ、何の音だ?」


 カレンも続いて中へ。テーブルを見て、カレンの顔が青ざめる。


 「ちょ、ちょっと待って! 私のプラズマガンが……!」


 「……ガキがいない?! まさか、あのガキ――!?」


 ホアンは窓まで駆け寄り、身を乗り出した。


 「おい、何やってんだクソガキ!! せっかく助けてやったのに!」


 その時、テグの両手が力尽き、パイプから滑り落ちる。


 「バ、バカ! 落ちるぞ――!」


 ——ドスンっ!!


 「マ、マジかよ……死んだか?」


 ——だが、次の瞬間。


 地面に叩きつけられたはずのテグが、呻きながらもムクリと起き上がる。


 「……うぅっ……!」


 足を引きずりながらも、テグはふらつく身体でそのまま路地裏を走り出した。


 「……あいつ生きてる! ……あーっ、もうなんなんだ、あのクソガキは!」


 「……ホアン、どうしよう…」


 「カレン、行くぞ! あんなガキにプラズマガンを持たせたままにしたらヤバい! もし何かあったら、銃の持ち主のカレンが逮捕されるぞ!」


 「う、うそ……!?」


 ホアンとカレンは慌てて部屋を飛び出した。


 (待ってろ、スヨン……今行くからな!)


 テグは人混みの中へと飛び込んだ。頭と体がじんじんと痛む。三階から落ちた衝撃が、今になって全身に響いている。


 ——目の前に、路地に山積みされたゴミ袋があった。テグは迷わずそれらを蹴り飛ばし、通りにぶちまける。


 ——ガシャン! カラカラカラ!——


 散乱したゴミに反応して、近くを巡回していた清掃ドローンが何台も集まってきた。機械音を立てながら、進路をふさぐようにせっせとゴミを回収し始める。


 「どけっ! このポンコツ!」


 ホアンが叫びながらドローンを押し退けようとするが、複数台が群がって思うように前に進めない。


 「ホアン、こっちから回ろう!」


 カレンが脇道に回り込もうとするが、その間にもテグは必死で前に進む。だが、落下のダメージが徐々に効いてくる。


 (くそっ……! 体が言うこときかねぇ……!)


 路地の壁に手をついて一瞬だけ休むが、すぐ後ろから足音と怒鳴り声が迫ってきた。


 「クソガキ――止まれ!!」


 テグは息を切らし、懐からプラズマガンを抜き出して二人に向ける。


 「お前らが止まれ! これ以上追ってくるなら撃つぞ!!」


 「お、おい、バカな真似はやめろ! こんな所で銃なんか撃ったら、お前が大変なことになるぞ!」


 「嘘つけ!!」


 テグは脅しのつもりで、わざと空に向かって引き金を引いた。


 ——バチッ!


 青白い閃光が夜の街に炸裂した瞬間、上空を飛んでいた複数の監視ドローンが集まり、一斉にサーチライトがテグを照らした。


 「警告。未登録未成年による銃器使用を確認。武装警備班を要請中。直ちに武器を捨て、両手を頭の上に……」


 サイレンが鳴り響き、道行く大人たちがざわつき始める。


 「や、やば……!」


 テグはパニックになり、脇道に飛び込んだ。


 (逃げなきゃ、スヨンに会えなくなる……!)


 目の前の車道に飛び出したその時、突如、唸るエンジン音とともにバイクのライトがテグを照らした。


 ——キィィッ!


 サラは驚異的な反応速度でハンドルを切り、テグのすぐ脇をすり抜ける。そのまま車体を傾けながらテグの襟首を掴み、倒れる寸前で引き寄せる。


 「危ないじゃないの、ちょっと……!」


 「は、離せよ!」


 すぐ後ろからホアンとカレンが駆けつける。


 「サラさん!?」


 「なんでここに……!」


 サラの顔に、監視ドローンのサーチライトが鋭く照射される。すぐに識別信号が交信し、冷ややかな電子音が空に響いた。


 「ヴァンガードセクト所属、サラ=タクト。要請した警備班として記録しました……」


 「もう行って大丈夫よ」


 サラがきっぱり告げると、ドローンはひとつカメラアイを瞬かせ、何事もなかったかのように夜空へと舞い戻っていく。


 サラはその間も片手でテグの襟首を軽々と持ち上げたまま。テグは宙に浮かされて、足をじたばたと振り回している。


 「離せよっ! 放せって、このクソ女ぁ!!」


 サラはテグを相手にせず、そのまま振り返って息を切らせているホアンとカレンに気づく。


 「あれ? たしか、あなたたちは……この前の——」


 ホアンは、サラが子どもを片手でひょいと持ち上げているのを見て、その怪力ぶりに内心たじろぎながらも、そっと頭を下げた。


 「ど、どうも……すみません、またご迷惑を……」


 サラはカレンの方を見ると、顔に安心したような色が浮かんだ。


 「よかった。もう元気そうね」


 カレンは、ちょっと照れくさそうに頷く。


 「あの時は……ありがとうございました。……正直、あんまり覚えてないんですけど、ホアンから全部聞きました。お礼も言えなくて……」


 サラは首を横に振る。


 「いいの、いいの。でも、あまり無茶しちゃダメよ?」


 「はい……」


 その隣で、ホアンが気まずそうに咳払いをした。


 「それで……サラさん、なんでまた企業ハビタットなんかに?」


 サラは一瞬だけ言葉を詰まらせ、ぎこちなく笑う。


 「え、えーっと……ちょっと飲みに行こうかなって、思ってたの。ほら、疲れを癒やすってやつ?」


 ホアンは思わず眉をひそめて首をかしげる。


 「飲みに? ハビタットに? 治安も良くないし、安酒しか置いてない店ばっかりですよ? ヴァンガードセクトのサラさんが飲めるような店なんかあったかな……」


 「ほら、たまにはこういう雰囲気も味わってみたいな〜、みたいな?」


 カレンがホアンの脇腹をこづきながら、目を輝かせて口を挟んだ。


 「ホアン、サラさんだって誰にも見つからないように会いたい人、いるでしょ? ほら、そういうプライベートも大事だって!」


 ホアンは、ぽかんとカレンを見返したあと、ようやく合点がいったように目を丸くした。


 「あっ、す、すみません……! まさか、サラさんが、恋人に会いに行くなんて……」


 サラは顔を真っ赤にして手をぶんぶん振る。


 「ち、ちがう違う! そんなのじゃないから! 本当に、飲みに来ただけだから!」


 カレンは興奮しながら勘違いする。


 「やっぱり! お忍びの密会!……まさか、禁断の関係!?」


 ホアンはサラとカレンを交互に見ながら、ぼそっと漏らした。


 「いいなぁ……俺も一回くらい、女からモテてみてぇなぁ……」


 その言葉を聞いたカレンが、すかさず肘でホアンの脇腹を思いっきり突く。


 「ぐはっ!」


 ホアンは情けない声をあげて悶絶した。


 その間も、テグはぶら下げられたままじたばたとする。


 「おい、このブス女!! 話してねえで早く離せっ!」


 サラはテグを片手で軽々と持ち上げたままバイクから降りると、もう片方の手で素早くテグの懐に手を突っ込んだ。


 「うわっ、やめろっ! 返せ! 俺の銃だぁ!」


 「あんたのじゃないでしょ」


 サラはあっさりプラズマガンを引き抜き、ホアンとカレンのほうに投げ返す。


 「す、すみません!」


 カレンが受け取り、ホッと胸をなでおろす。


 「離せよ! おろせ! 俺は急いでるんだ!」


 「この珍獣……あなたたちの知り合い?」


 「いや、知り合いというか……俺ら、スラムでデバイスをコイツに盗まれて、取り返した時、気絶させちゃったんで、手当てしてやったんですよ。」


 カレンも困ったように頷く。


 「そしたら目が覚めた途端に逃げ出して……銃まで盗まれて……」


 サラはふーん、と興味なさそうに聞いていたが、ちらりとテグに目を向ける。


 「……君。名前は?」


 テグはサラから顔を背けてプイッとそっぽを向く。


 「教えるわけねえだろ! ブス!!」


 「はいはい、元気だけは一人前ね……」


 サラは容赦なくテグの襟元をグッと握ると、ミシミシと生地がきしみ、じわじわと首が締まる。


 「ぐ、ぐるじぃ……!」


 「もう一回聞くわ。名前は?」


 「……テ、テグ……!」


 サラはぶら下げていたテグをバイクのそばに下ろすと、テグは肩で息をしながら、何度も袖で涙を拭っている。


 「……で、なんでそんなに急いでるの?」


 サラが怪訝そうに問いかけると、テグはぎゅっと拳を握りしめて振り返った。


 「妹が……スヨンが、セクター9にいるんだ! あそこは危ねぇ連中がいっぱいいるし、スヨンは病気で、今もひとりで……!」


 「また都合のいいことを……。泣き真似なんかしても、俺らは騙されないぞ?」


 ホアンが冷めた声を出すが、テグは嗚咽を我慢しながらサラの袖を掴む。


 「本当なんだ! 嘘じゃねぇ! スヨンは俺の……たった一人の妹なんだ!」


 その言葉に、サラの中で遠い記憶が甦る。


 ——オーバーマインドの軍勢がダイナシティを襲った夜。


 小さな弟、エリオと必死に逃げたあの時——


 けれど、守りきれなかった。


 目の前で弟を殺され、何もでなかった自分——


 サラは深く息を吐いた。


 「わかった。じゃあ、連れてってあげるから、後ろに乗りなさい」


 「……え?」


 突然の申し出に、テグはキョトンと目を丸くする。


 「まさか、スラムまで走っていくつもり? バイクのほうが速いでしょ?」


 テグは一瞬だけためらい、それでも何度も頷いた。


 「……いいのか?」


 「妹を守りたいんでしょ? 早く見つけてあげて」


 サラはヘルメットをテグの頭に被せると、テグの小さな手がぎゅっとサラの腰に回る。


 サラはホアンとカレンのほうに向き直る。


 「あなたたちは、もう帰って大丈夫。あとは任せて」


 ホアンは、どこか気まずそうな顔で頭をかいた。


 「あー……その、サラさんにここまでさせるのも悪いし、俺たちも行きますよ。少しでも手伝えるかもしれないし」


 カレンも不安げに頷いた。


 「はい……やっぱり、気になるので」


 「好きにしていいわよ」


 ホアンとカレンは顔を見合わせ、慌てて自宅に引き返した。


 二人は荷物をまとめて一台のバイクにまたがると、セクター9を目指して走り出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ