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家族になる日

 「……やっぱり、これだよ、これ!」


 和樹は湯気の立つレバニラ定食を、夢中でかき込んでいた。


 皿の上でシャキッと音を立てるニラ、しっとりと柔らかいレバー、タレが絡んだもやしが白飯の上で光っている。


 「血が足りないときは、やっぱりレバニラに限るよな……っ!」


 和樹は、ここしばらくの出来事を思い返しながら、幸せそうに咀嚼を続ける。


 そのとき、リビング・キャビンの自動ドアが静かに開いた。


 「和樹、体調はどうですか?」


 入ってきたのは、無表情で黒髪の整った美女——ノアだった。


 和樹は口いっぱいにレバニラを頬張ったまま、片手を上げて合図する。


 「んぐ、ぜんぜん問題ない……!」


 ご飯を飲み込むと、思わず笑ってしまう。


 「……あ、でも、うますぎて、食べ過ぎそう……」


 ノアはじっと和樹の食べっぷりを観察し、わずかに目を細めた。


 「そのようですね。ですが、食事はバランス良く摂取してください。ビタミンや食物繊維も忘れずに……それと、よく噛んで食べてください」


 どこか心配そうな口調——和樹は思わず手を止めてノアを見上げる。


 「なんか……ノア…オカンみたいだな」


 「プログラム通りにアドバイスしてるだけです」


 ノアはいつも通り無表情だが、ほんの一瞬だけ、微かな“ぬくもり”が伝わった気がした。


 「で、サラはどう?」


 和樹が箸を置き、真剣な表情になる。


 「はい、順調に回復しています。すでにほとんどの臓器再生も完了しました。体力が戻れば、ヴァンガード・セクトにも復帰できるでしょう」


 「……そうか、よかった……」


 (しかし——あの時は、流石に焦ったな……)



 ———医療ポッドの中で、サラの心臓モニターが「ピーッ」という長い電子音を響かせた。


 (——心肺停止!!)


 和樹は一瞬、頭が真っ白になった。


 「ノア、何か方法はないのか! サラを——」


 「臓器の損傷が甚大です。標準治療では間に合いません。移植用の臓器培養には最低でも十数時間を要します」


 ノアの冷静な声が、かえって絶望を深くする。


 「そ、そんな……このまま助からないのか……?」


 そのとき、博士が低く呟いた。


 「……待て。もし、インディペンデントAIへの適合があれば、和樹のナノマシンで臓器再生できるかもしれん」


 「博士、今すぐやってくれ! 何でもいい、頼む!」


 博士が爪で端末を操作しながら、重い声で告げる。


 「適合率を確認中だ……」


 短い沈黙の後、モニターが明るく点滅した。


 「適合反応あり——32% 十分だ、いける!」


 「蘇生措置を開始します。和樹、血液投与の準備を」


 和樹は息を呑み、震える手で自らの腕に針を刺した。


 (お願いだ……間に合ってくれ……!)


 ナノマシンを含んだ真紅の血液が透明なチューブを伝い、サラの体へと流れていく。


 ——そして。


 数秒の沈黙のあと、心電図に「ピッ……ピッ……」と、再び命の脈が刻まれる。


 「心拍再開を確認しました」


 その瞬間、和樹も博士も、しばらく言葉もなく、ただ静かに大きく息をついた———




 和樹は深く息を吐くと、またレバニラを一口かき込む。


 「いやぁ……ノアと博士がいなかったら、絶対に助けられなかったよ。ありがとうな」


 「……和樹の判断があったからです。あなたのおかげで、サラは“新しい命”を得ました」


 和樹は、少し照れくさそうに笑った。


 「で……ノア、何か用があって来たんだろ?」


 「はい。実は、サラが“和樹と話したい”と希望しています」


 「え?マジ? ……いきなり襲われたりしないよな……」


 「安心ください。すでにナノリンク・データフィードを通じて、和樹の情報やインディペンデントAIについてはサラの記憶に同期させました」


 「あっ、そっか……サラもインディペンデントAIに適合したんだっけ?」


 「はい。限定的ではありますが、ナノマシンによる通信や身体能力の向上も見られます」


 「じゃあ、ノアの戦闘補助もサラは受けられるのか?」


 ノアはすぐに首を横に振る。


 「いえ、適合率の問題でそこまでは難しいです。私や博士のようなAIユニットとリアルタイムで連携することはできませんし、アンドロイドや兵器へのリンクも不可能です」


 和樹は「なるほど」と頷きつつ、少し残念そうに眉をしかめる。


 「それでも、身体能力はすでに人間の領域を大きく超えています。回復力も向上しており、基礎データによれば、ヴァンガード・セクトで歴代最強のパフォーマンスも期待できるでしょう」


 「そ、そっか……人間の領域、超えちゃったのか……サラは怒らせないようにしたほうがよさそうだな……」


 「そもそも、30%以上の適合率が出るのは、統計上、数十万人に一人です。サラは非常に運が良かったといえます」


 和樹は感心しつつ、ふと自分の手を見つめる。


 「……ってことは、俺の“100%”って……?」


 「奇跡、です」


 ノアは迷いなくそう言い切った。





 和樹は深呼吸し、メディカルルームの前でノックした。


 ——返事はない。


 (まだ眠ってるのかな…)


 少し迷いながらも、ドア横の操作パネルに手をかざす。自動認証で静かにドアが開いた。


 最新式のリカバリーベッドの上、サラは穏やかな寝息を立てていた。


 頬にかかる髪がわずかに揺れている。まだ顔色は青白いが、呼吸は落ち着いている。


 (体力を取り戻すには、やっぱり眠るのが一番か……)


 和樹はそっとベッドの横に腰かけ、ぼんやりとサラの寝顔を眺める。


 まるで別人のように静かな表情。その横顔を見ているうちに、心の奥に小さな安堵と、不思議な高揚感が広がっていく。


 (……よかった、本当に助かって……)


 安心感が、知らず知らずのうちに全身を包み、和樹のまぶたはいつしか重くなっていった——。



 「……ふぁ……」


 鼻先に、甘い花の香りが漂ってくる。うっすらと目を開けると、目の前に誰かの顔——サラが、至近距離でじっとこちらを覗き込んでいた。


 「うおっ……!」


 「きゃっ……!」


 二人は同時に声を上げて、思わずのけぞる。和樹は慌てて椅子の背に身を預け直し、サラも反射的に布団を引き寄せる。


 「……び、びっくりした。」


 「ご、ごめんなさい!近くで寝てるから…その……」


 二人は、互いに照れくさそうに視線をそらし合ったまま、やがてサラが小さく口を開いた。


 「……ごめん。色々と迷惑かけたし……それに、助けてくれて、本当にありがとう」


 「謝ることなんてないよ。むしろ、無事でよかった」


 和樹はそっと微笑んで、言葉を続ける。


 「気分はどう? 痛いとこ、苦しいとこ、ない?」


 サラは小さく首を振り、ベッドの上で自分の手をじっと見つめる。


 「不思議なくらい……平気。まるで何もなかったみたいに……体が軽いんだ。でも……」


 「………」


 和樹の脳裏に、あの最後の場面が鮮明に浮かんだ。


 ——自らの腹部を貫き、躊躇なくエナジーブレードを和樹に突き刺してきたサラ。


 あれは…諦めにも、絶望にも見えた。


 (——本当に、もう大丈夫なのか?)


 サラの身体には、和樹のナノマシンが行き渡り、損傷した臓器もすっかり修復されている。体力こそ落ちているものの、もう外傷も痛みも残っていないはずだ。


 けれど——


 ナノマシンでどれだけ身体を治せても、心まで癒せるわけじゃない。


 和樹は、知らぬ時代にひとり放り出された自分自身の孤独を思い出しながら、そっとサラの顔をうかがった。


 「もしよかったら。……サラのこと教えてくれないか……」


 サラは、和樹の真剣な眼差しに気圧されるように、ゆっくりと頷いた。


 「……うん」


 彼女の過去が静かに物語となって溢れだした。


 「私——ダイナシティの出身なの。……私が十歳の時まで住んでたわ…」


 (……ノア、ダイナシティって……あれだよな…)


 (はい、十年前、オーバーマインドに壊滅させられた企業都市です)


 「お父さんもお母さんも、弟も……みんな一緒に暮らしてた。何もない小さな家だったけど、幸せだった。だけど……」


 サラは一度、喉を詰まらせる。


 「ある日突然、アンドロイドが現れて……。私の目の前で、お母さんと弟のエリオが——」


 サラは拳をぎゅっと握りしめ、肩が細かく震えていた。


 「私は……何もできなかった。結局、私だけが生き残ってしまって……どうして私なんかが……って、何度も思った。全部を諦めて、死んでしまいたいって。でも……どうしても復讐だけは、諦められなかった。あのアンドロイドを、オーバーマインドを、絶対に許せなくて……」


 そこまで語ったサラの声が震える。和樹は知らず知らず、テーブルを叩いていた。


 「……マジでクソだな!絶対に許さねえ……!」


 怒りに満ちた和樹の声に、サラは涙を滲ませたまま、一瞬ぽかんと彼を見つめる。


 「和樹、あなた……私の話なのに、なんでそんなに怒ってるの?」


 「そりゃ……サラが可哀想だし、オーバーマインドの奴らが本当にムカつくからに決まってるだろ!」


 サラの胸の奥に、ぽつりと温かい光が灯った気がした。家族以外の誰かに、こんなふうに心から自分の痛みに共感してもらえるなんて——これまで一度もなかった。


 「……ありがとう。なんだか、私より怒ってくれる人がいるなんて、変な感じ」


 一瞬だけ、ふたりのあいだに静かな間が落ちる。けれどその空白は、不思議と心地よい。


 「当たり前だろ。俺さ、もう決めたんだ」


 和樹は真剣な目でサラを見つめる。


 「サラの新しい家族になるよ。だってさ、サラの身体の中には俺の血も流れてるんだぜ?もう本当の家族みたいなもんじゃん!」


 「え……家族?」


 「そう!それにさ、サラの弟のエリオくんと俺、同い年なんだろ?だったらもう、俺がエリオくんの代わりになるよ。これからは一人じゃないから!」


 その言葉が、サラの胸の奥にじんわり広がっていく。もう自分は独りじゃない——そう思えた瞬間だった。


 和樹のまっすぐな言葉に、サラはこみ上げるものを抑えきれず、ふっと優しく笑った。


 「……ふふ、でもね、エリオは私の下着姿見て喜ぶなんて、一度もなかったけど……?」


 その一言で、和樹は首をギギギ……と固まらせる。


 「……は? い、今、なんて言った……?」


 和樹はノアに助けを求めるように囁く。


 (ノ、ノア……ナノリンク・データーフィードで、俺の情報、送ったって言ってたけど……?)


 ノアは涼しい声で返す。


 (はい。この時代に来てからの和樹の全行動記録を、サラの記憶に同期済みです)


 「……そ、そんな……」


 和樹は絶望に打ちひしがれ、項垂れる。


 一方で、サラはベッドに突っ伏すほど大笑いしていた。


 ——その笑顔には、これまで誰にも見せたことのない、あたたかな光が宿っていた。

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