新たな温もり
「……サラっ!」
我に返った和樹は、反射的にサラの体を抱きとめ、息も絶え絶えの彼女の顔を見つめた。
その頬には涙の痕。
——今にも命が途切れそうなその姿に、和樹の胸は締めつけられる。
(……ノア、至急、サイヴァートレックスへの最速ルートを案内してくれ。サラを助ける)
(和樹、サイヴァートレックスへの外部者の搬入は重大なリスクとなります)
(分かってる。でも、俺は見捨てない。たとえリスクがあっても、ここで彼女を死なせるわけにはいかない)
(……了解しました。サイヴァートレックスより救助用ドローンを要請します。最短到着まで4分52秒)
和樹は血で滑る指先をサラの傷口に押し当てる。
(間に合え、間に合え……!)
和樹の心に焦りと恐怖が募っていく。
「サラ、しっかりしろ、頼む……!」
うわ言のようにサラが呟く。
「…ごめんね……エリオ…」
和樹は強く彼女の手を握った。
(…エリオってサラの家族か……?)
やがて、救助用ドローンが金属通路の横に浮かびながら静止する。まるで現代の救急ヘリのように、しかし圧倒的な異質感と無機質な機能美を纏って。
和樹は、サラの華奢な身体を抱きかかえたまま、救助ドローンのハッチへと足を運ぶ。
ドローン内部は簡素な作りで、最低限のシートと、壁際に設置された医療用ポッド、それに最新鋭の医療装置が並んでいる。
和樹はそっとサラを抱き上げ、医療用ポッドの上に慎重に寝かせる。生体スキャンが作動し、ポッドの内部で延命処置が自動的に開始された。
(目的地をサイヴァートレックス医療区画に設定しました。現在位置より最短ルートで帰還します)
(ノア……『IS-21』とのリンクをここで切ってくれ。本体のポッドも医療区画に移動させておいてほしい)
(了解しました。救助ドローンは到着まで自動運転に切り替えます。和樹の本体は、すでに医療区画へと搬送中です。まもなく意識転送を実施します)
救助ドローンが静かに浮上し、地下施設を後にする。
和樹は最後にもう一度、サラの顔を見つめ——意識が急速に遠のいていく感覚とともに、すべての感覚が白いノイズに溶けていった。
○
——温かい。
夢の中で、誰かがそっと手を握ってくれている。
小さな頃、両親が眠る前にしてくれたあの温もり。その感触が、どこか現実よりも鮮明に指先に残っている気がした。
——お父さん……お母さん……?
——私、どうしたんだっけ……?
薄れかけていた現実が、徐々に色を取り戻す。
そうだ、私は——仇を討つために動いた。
サーチャーギルドで“和樹”と名乗るサーチャーを待ち伏せし、その正体が人間の皮を被ったアンドロイドだと見抜いた。
——絶対に許せない。みんなの命を奪った、あのオーバーマインドの手先。
男の警戒心は薄かった。私が声をかければ、きっと人間の振りをして誘いに乗ると思った。
だから私は、普段絶対に見せない笑顔を作って、「依頼を一緒に受けないか?」と誘った。
本当は、胸の中で煮えくり返るほどの怒りと恐怖を必死に押し殺して。
依頼でのアイツの射撃能力は、正直、尋常じゃなかった。シュミレーションテストで分かってはいたけど……。
私が口を開くよりも早く、ドローンがひとつ、またひとつと撃ち抜かれていく。
……私の力では勝てないかもしれない。
でも、負けるわけにはいかなかった。
アイツは、わざと家族の話を振った。
オーバーマインドとリンクしてるなら、“私の過去も知ってるはず”だ。
それでも、とぼけたような顔で聞いてくる……
その無頓着さに、心が引き裂かれそうだった。
悔しい……悔しい……!
父さんや母さん、エリオを、殺したくせに——どうしてそんな目ができるの……!
休憩のタイミングで、武器を離す隙があれば、必ず一撃で倒すつもりだった。
待ってて、みんな、もうすぐ仇を取るから……
けれど——戦いが始まって、私はすぐに気づいた。
アイツは、私の動きのすべてを見切っていた。
一撃、また一撃と、私の攻撃は悉く受け流され、いくら斬り込んでも——届かない。
あの余裕……まるで“手を抜かれている”。
なんで……? 私は、ここまでしてきたのに……!
焦り、怒り、そして——
やっぱり、私なんかじゃ、仇なんて……取れないの?
体が限界を超えてなお、最後の一撃にすべてを懸けた。
これで、せめて……みんなのもとへ……
やがて、全身が溶けるような温かさに包まれた。
目を閉じたまま、ふわりとした感覚に身を委ねていると、遠くで誰かが優しく手を握っている気がした。
……ああ、私はきっと、死んだんだ——
「……ぅう…」
サラはゆっくりとまぶたを開ける。
見上げた天井は、見たこともない白い光に包まれていた。
どこか現実味がなく、まるで夢の中の“死後の世界”のようだった。
微かな機械音。
腕に鈍い痛みと、妙な重さ——
ふと隣を見ると、見知らぬ青年が静かに横たわり私の手を握っている。
点滴やモニターが並び、私の腕には透明なチューブが繋がれている。
そのチューブは、隣の青年の腕へと伸び、赤い血がゆっくりと流れてきている。
(……何これ……?)
意識がまだぼんやりとしている頭で、それでも必死に現状を理解しようとした。
温かさの正体は、確かに“生きている証”だった——
見知らぬ場所、見知らぬ青年、そして自分の中に流れ込む“命”。
私はまだ、生きているの——?
それとも、これは——死んだ人間が見る最後の夢……?
そのとき——。
「——やっと目が覚めたかい。“生き返った”気分はどうだ?」
唐突に、どこかユーモラスな声が頭の上から降ってきた。
首をめぐらせると、黒髪で整った顔立ちの女性が立っていた。
無表情で、どこか冷たさすら感じさせるその美貌——だが、何より目を引いたのは、その頭にちょこんと乗った、丸々とした一羽のフクロウだった。
しかも、フクロウはまるでその場所が“当然の指定席”とばかりに落ち着き払っている。
「フ……フクロウ……? しゃ、喋った……?」
サラが呆然と声を漏らすと、フクロウは片方の羽だけ器用に開き、まるでサラを値踏みするようにじっと見つめた。
「そう驚くことはねぇさ。俺は“博士”。見ての通り、フクロウ型のAIユニットだ。で、コイツはノアっていう、この施設の管理者だよ」
ノアはサラに一瞥もくれず、まっすぐ前だけを見据えている。フクロウに頭を占拠されているにもかかわらず、まるで無関心だ。
「ノア……? アンドロイド……なの?」
「まぁな。俺たちはAI搭載のアンドロイド——って言っても、オーバーマインドの手先じゃねぇ。むしろ、その正反対だ」
博士は羽をバサリと広げて羽ばたいた。
「あー、めんどくせぇ……おいノア、ちょっと機嫌直せや。息子が襲われたからって、説明くらいちゃんとしてやれ」
「博士、余計なことは言わないでください」
ノアは淡々と、けれど博士を軽くたしなめるような声で言った。
(息子……?)
サラはちらりと自分の手を繋いでいる青年に目をやる。点滴から繋がるチューブ——
「息子」という単語が、今ひとつ実感を伴わず胸の中でこだまする。
ノアはサラのほうへと静かに顔を向けた。
「私はノア。この施設——サイヴァートレックスの統合AIです。あなたは重傷を負っていましたが、こちらの医療設備で治療を施しました。今は安静を保つようにしてください」
サラは本能的に身構えようとしたが、思うように力が入らず、かろうじて指先が震えるだけだった。
「……ここは外部のAIネットワークから完全に遮断された独立領域です。あなたに危害を加える意図はありません。安心してください」
ノアの声は、無機質な響きながら、どこか淡い優しさがにじんでいた。
フクロウの博士がふわりと羽を揺らし、改めてサラに目を向ける。
「安心しな、ここにいる連中はみんなオーバーマインドの敵だ。あんたに危害を加える奴はいない——それから、和樹にも礼を言うんだな」
「この人が……和樹……?」
「そうだよ。お前さんが“仇”だと思って命を狙った相手さ」
博士は皮肉っぽくくちばしをカチリと鳴らす。
「まったく、世の中ってのは皮肉なもんだよな。自分の“仇”と勘違いして、倒そうとした相手に“生き返らせて”もらうなんてな」
「い、生き返らせる……?」
ノアは無表情のまま、そっと博士に視線を向けた。
「博士、そういう言い方はやめてください。今は彼女の心身の安静が最優先です」
「へいへい、わかったよ。……まったく、最近はお前も随分人間くさくなったもんだな」
フクロウと美女が、なんとも言えない奇妙なコントラストでサラの目の前に並んでいた。
そしてサラは、もう一度、そっと自分の腕と、青年の横顔へと目を向けた。
「しばらくはここで休んでください。体が回復次第、改めて今後の説明を行います」
サラは静かにまぶたを閉じた。
——この日、サラは新しい温もりに触れた。
それが、彼女の運命を大きく変えることになるとは、まだ知らずに。




