シュミレーションテスト
和樹は『ノクターナル』の前に立ち、少し躊躇しながら開店前の扉を押した。
以前の刺激的な匂いは消え、代わりに爽やかな香りが漂い、心地よい音楽が静かに流れている。カウンターではノクトがグラスを磨いていたが、エコーの姿は見当たらなかった。
「……あれ? エコーは?」
和樹の声に気づいたノクトが、磨いていたグラスをカウンターに置き、笑顔を向ける。
「お、和樹か! 早かったな。エコーなら買い出しを頼んだよ。ライフルの話だろ? こっちに来い」
ノクトはそう言いながらカウンターの奥に向かう。レジスターに手を伸ばし、いくつかの数字を打ち込むと、カウンター裏の棚が音もなく動き始め、隠された通路が静かに姿を現した。
「さあ、準備はできてるぞ」
ノクトに案内され、和樹はカウンター裏に現れた通路を進んで階段を降りていった。
やがてノクトが金属製の重い扉の前で立ち止まり、セキュリティパネルに手をかざした。
扉が低い音を立てて開くと、その先には武器庫が広がっていた。
和樹の目の前に現れたのは、きれいに並べられた銃器の数々だった。
——ライフル、ハンドガン、スナイパーライフル、さらには爆発物や防具まで、まるでミリタリー博物館のようだ。
すべてが丁寧に整列し、まばゆい照明の下で金属の輝きを放っている。
「す、すごっ……」
ノクトは軽い足取りで武器棚を歩き、一丁のライフルを手に取って戻ってきた。
「これだ、これを使えよ」
ノクトが和樹に渡してきたのは、見覚えのある古めかしいライフルだった。木製のストックにシンプルなデザイン、見た瞬間に時代を感じさせる武器だ。
「…これ……なんか映画とかで見たことあるぞ」
「そうだ。1900年代初頭に米軍が採用してた『スプリングフィールドM1903』だよ」
「……米軍の、スプリングフィールド……」
和樹は驚きながら、ライフルを手に取りじっくりと観察した。重量感が手にしっくりと馴染み、構えたときのバランスも絶妙だった。
「ただのヴィンテージ物じゃないぞ。俺が改造してある。弾丸はサイヴァートレックス製の特別弾だ。威力も精度も段違いだ」
ノクトが得意げに語る。
「10,000メートルは確実に当てられる。お前とノアが狙えば20,000メートルも不可能じゃないだろうな」
「他には……えっと、レールガンとかレーザーはないのか?」
「いや、あるにはあるが……これを使え! 周りを油断させれるし、あまり高級な武器は厄介ごとの元だ。それにな…ロマンだよ、ロマン!」
「ロマン……? なんかやり返された気がするけど……まぁ、いいや。了解、ありがたく借りていくよ」
ノクトは満足げに頷き軽く背中を叩いた。
「壊さないようにな…」
和樹はライフルを大事に抱えながら、再び地上へと戻るために通路を歩いた。
ビルを出た和樹は、バイクの車体にライフルを固定し、スコープや弾倉など、付属の装備を再確認すると、軽く息を整えた。
「よし……準備は万端だ」
アクセルをひねると、エンジンが低く唸りを上げる。企業ハビタットの薄暗い街並みを背景に、和樹のバイクは滑るように走り出した。
———ヴァンガードタワーに到着すると、近未来的な建物の巨大な構造が目の前にそびえ立っていた。
「……よし、行くぞ」
和樹は肩に『スプリングフィールド』を担いで建物の入口へと向かった。中を覗くと、広々としたロビーにはテストを受ける参加者たちが整然と列を作り、受付で手続きをしている。
自動ドアが静かに開き、和樹が一歩足を踏み入れると、ロビーのざわめきが一瞬だけ途切れた。そして、周囲の視線が次々と和樹に集まる。
「なんだ、あいつのライフル…?」
「あれ、博物館から盗んできたのかよ?」
「プッ、マジで笑えるな!」
呆れた顔をしている者が大半で、中には指を指して露骨に笑っている者もいた。
和樹の肩に掛けられた木製ストックのヴィンテージライフルが、他の参加者たちのハイテク装備とはあまりにも対照的だったのだ。
(…なんか悪目立ちしてないか……?)
やがて列が進み、和樹の順番がやってきた。
受付には冷静な表情の女性が座っており、端末を操作している。
「こんにちは。テストを受けに来ました」
和樹はギルドでホログラムデバイスに転送してもらった紹介状を女性に見せた。
「確認しますので、少々お待ちください」
受付の女性は手際よく端末に情報を入力し、紹介状を読み取ると、和樹のバイオチップにデータを送信した。
「こちらがあなたの整理番号です。資格番号は28番になります。呼び出しがあるまでこちらでお待ちください」
ホログラムディスプレイに資格番号が浮かび上がり、和樹のバイオチップに同期された。
「ありがとうございます」
和樹は軽く頭を下げて整理番号のモニターを確認するため、待機エリアへと足を向けた。
和樹は静かに次の指示を待ちながら耳を澄ませ、情報を集め始めた。
「なぁ、今回のテスト、参加者がやけに多くないか?」
「それもそのはずだ。ヴァンガードセクトの美の双璧、サラ様とイザベラ様が審査員として来るらしいぞ」
「マジかよ!? 美の双璧が直々に審査だなんて、滅多にないぞ!」
「しかも、聞いたか? どうやら今回はミスタースペクターも来てるらしい」
「なんだって!? ナイトメアセンチネルを単独で倒したあのスペクターがか?」
「ああ、間違いない。どうやらイザベラ様がスペクターにご執心らしくてな」
「いいよなぁ…あのスペクターってどこの誰だ? 俺たちじゃ相手にならねぇけど、どんな奴か見てみたいもんだ」
「ほら、あそこにいるだろ?金髪の男だ」
その会話を聞きながら、自分が「ミスタースペクター」などという恥ずかしい異名で呼ばれなかったことに安堵しつつ、和樹は噂の男の方へちらりと目を向けた。
金髪の青年がベンチに腰掛け、仲間たちと共にナイトメアセンチネルの討伐話を自慢げに語っている。
「あいつもナイトメアセンチネル倒したみたいだな…でも名前が痛すぎるよな……」
しばらくすると、モニターに「28番」の番号が点灯し、同時に和樹のデバイスから電子音が鳴り、画面には順路を示す案内ルートが表示された。
案内に従ってエレベーターに乗り込み、地下6階に到着すると、扉が静かにスライドして開いた。
目の前に広がったヴァンガードタワー地下施設の光景に、和樹は一歩足を踏み出しながら、思わず息を呑んだ。
広大な空間にはかつて地下鉄のターミナル駅だった名残が微かに残っていた。アーチ状の高い天井には、数えきれないほどのホログラムプロジェクターが埋め込まれており、射撃環境をリアルタイムで構築する仕組みが見て取れる。
和樹の目を引いたのは、かつての地下鉄の線路だった部分だ。
「昔あった、地下鉄の線路を利用してるのか…」
線路が射撃ポイントとして改造され、鋼鉄製の射撃台や目標物が規則正しく配置されていた。
遠くにはトンネルの奥深くまで続く射線が、まるで無限に伸びているかのように見える。
「ここが…射撃戦術ホールか…」
さらに、施設の側面には広い観覧スペースが設けられており、射撃ポイントを見渡せるようにガラス張りのブースが連なっている。
そこではアークライト・インダストリー社の関係者やヴァンガードセクトのメンバーたちが集まり、ホログラムディスプレイを操作して参加者のデータを確認している姿が見えた。
「まるで映画のセットみたいだな…」
和樹は肩にかけたライフルを抱え直し、ホログラムディスプレイの前で待ち構えていた男性スタッフに声をかけた。
「すいません。28番です。よろしくお願いします。」
男性はちらりと和樹を見て、無愛想に頷いた。
「サーチャーギルドからか。名前は…和樹、うん? サーチャー歴なし、だと?」
「あ、はい。今日登録したばかりなので…」
「まぁ…いい。で、武器は持参したか? サーチャーになったばかりだからって、貸し出しはないぞ!」
「はい、持ってきました」
和樹は自信満々で肩にかけたヴィンテージライフルを掲げ、笑顔を浮かべた。
木製ストックでボルトアクション式のライフルを見た男性は、さらに深い溜息をつき、首を横に振った。
「クソッ、誰だよ…サラとイザベラが審査員に来るなんて情報を流したやつは! おかげで、盛った野郎ばっかり集まりやがった……チクショウが……」
(へぇ…あの綺麗な人たちがいるのか…)
「はぁ…お前で最後だ。しょうがねぇ。いいか、28番、そこの射撃台からドローンを撃つだけだ」
「なるほど…」
「最初は1,000メートルの距離から始める。外したらそこで終わりだ。シンプルなテストだが、射程距離はどうする? 何メートル刻みで伸ばす?」
「えーと…1,000メートル刻みでお願いします…」
「はぁ? すぐ終わるぞ…まぁ…早く帰れるからいいが…」
男性は呆れた表情を浮かべながら、追払うように手を振って和樹を射撃台へ促した。
「始めるぞ、さっさと行け!」
和樹は「今は集中だ」と自分に言い聞かせ、射撃台へと歩みを進めた。




