ノクトとエコー
———「吉田屋の牛丼大盛り頼む!」
(…流石にこれは無理だろ…)
リビングキャビンへと朝食を食べに来ていた和樹は、試しに食品ユニットにオーダーしてみる。
食品ユニットが静寂の中で一瞬待機し、青白く光るデジタルオーダースクリーンに『吉田屋の牛丼大盛り』の表示が浮かび上がった。
「マジか…」
数秒後、目の前に出てきたのは、馴染み深いどんぶりに盛られた、本物と見分けがつかないほどの吉田屋の牛丼だった。
その完璧すぎる再現ぶりに、和樹は思わず目を見開き、開いた口が塞がらなかった。
(次は竹屋のカツ丼でも頼んでみるか…)
一方、ノアは準備があると言って先にSOCへ向かっていたため、和樹は焦らずに朝の時間を過ごしてから後を追った。
「ノア、お待たせ」
「問題ありません、準備は整っています」
「そうだ、アンドロイドとのリンクのやり方をナノリンク・データフィードで……あっ、来た。なるほど、ポッドを使うんだな。了解」
「はい、それではポッドを出しますので、少し下がって下さい」
目の前の床がスムーズに開くと、卵型のポッドがゆっくりと音もなく現れた。ポッドの表面は金属的な質感を放ち、青白い光がその縁をなぞるように光っていた。
和樹がポッドに近づくと、自動的にシェルがスライドし、内部へのアクセスが開かれる。
「ここに寝るのか…」
和樹は、ポッド内に体を滑り込ませ、仰向けになった。
ポッドが再び閉じられ、視界の隅にはリンクに関するシステムインターフェースがホログラムとして浮かび上がる。
(和樹、準備はいいですか?)
(オッケーだ!頼む)
「リンク開始します」
その瞬間、和樹は頭の中にかすかな電流のような感覚を感じ、視界がぼやけ、徐々に光と情報が洪水のように流れ込み、アンドロイドの視界が次第に重なり始める。
—————意識がゆっくりと浮上する。
周囲を見渡すと、これまでいたサイヴァートレックスとは全く異なる光景が目の前に広がっている。
狭い部屋の壁一面には無数のモニターが埋め込まれ、企業ハビタットの電子地図や、まだ客のいないバーの様子、さらにはどことも知れない街並みが映し出されている。
「待ってたぜ、和樹」
不意に声をかけられ、和樹が振り向くと、そこにはノクトが立っていた。
ナノリンク・データーフィードで得た情報通りの姿――黒髪に黒い瞳、まるで和樹がよく知る日本人そのものだった。
顎髭をたくわえた、三十歳ほどの男性で、低くハスキーな声が渋い雰囲気を醸し出している。
「やあ、ノクト。よろしく…えーと…はじめまして?」
「ハハ、こっちこそよろしく頼むよ。君は俺たちの存在意義みたいなものだし、外で活動出来るのも和樹のおかげだからな」
「あぁ…ファイアウォールコアのことか……なんだか不思議な気分だな」
ノクトやエコーに搭載された、和樹のインディペンデントAIが設計した『ファイアウォール・コア』——独自の防衛アルゴリズムを持ち、外部からのAIアクセスを完全に遮断する機能を備えていた。
このシステムにより、オーバーマインドの影響を受けずに、AIを安全に外部環境で活動させることが可能となっていた。
(和樹、問題ありませんか?)
(ああ、ノア、大丈夫だよ。今ノクトに挨拶したところだ)
(了解しました。私は常にリンクしていますので、状況は把握しています。何かあればすぐに呼んでください)
(了解だ!)
(アンドロイドとのリンクは1週間までなら問題ありません。それ以上続けると、和樹の身体に影響が出る可能性がありますので、その際は一度必ず戻ってきてください)
和樹はノクトに向き直り、少し緊張をほぐすように笑顔を作った。
「えーと…どうすればいい?」
「そうだな…まずは拠点を案内してから、街をぶらついてみるか?サーチャーになるんだろ?とりあえずギルドに行って登録だけでもしてくるか?」
和樹はその提案に頷きつつ、ノアとは対照的なノクトの豊かな表情に驚きを隠せなかった。
外見も人間そのものだが、その表情の自然さがさらに際立っている。
「なぁ、ノクトってさ、ずいぶん表情が豊かだよな?人間と変わらないな…」
「俺のことか?俺たちアンドロイドには、『自己変容』と『感情反応』をリアルタイムで変化させる機能が搭載されてるんだ。それでそう見えるんだろ?」
「でも、ノアがリンクしてるアンドロイドはいつも無表情だぞ?」
「おぉ、あれは〈ファントムモデルVX-8〉だろ? あれは完全にノア専用機だ。なんでその機能を省いてるのかは俺にもわからんが、たぶん何か理由があるんじゃないか?」
「そうか…まぁ、深く考えるのはやめとくよ。あ、そういえばエコーはどこにいるんだ?」
「エコーなら、下のバーで開店準備してる。あいつも会いたがってたから、後で顔を出してやってくれ」
「じゃあ、後で行ってみよう。あ、そうだノクト、鏡ないか? アンドロイドの自分を見てみたい」
「こっちだ」
ノクトが指さした先はシャワールームだった。
和樹はノクトに連れられてシャワールームへ向かい、大きな鏡の前に立った。そこに映るのは見覚えのない男性の顔だった。年齢は20歳くらい、東洋人風の顔立ちだ。
「これが俺……?」
自分の顔をじっくりと眺める和樹。その顔は、驚くほど普通だった。端整ではあるものの、どこか没個性的で目立たない。
(博士があえて目立たないように調整してくれたんだろうな……)
「イケメンが良かったな……」
「男性タイプの『IS-21』だな。わざと無難な見た目にしたんだろ。目立つと何かと面倒だからな」
和樹はもう一度鏡の自分を見つめながら、妙に納得するしかなかった。
「ついでにシャワーでも浴びていったらどうだ? 荒野を一日中走って、ここまで来たから砂まみれになってるだろ。入るなら着替えはドア前に置いておくからな」
そう言われて、和樹は頭に手をやると、髪の毛から砂がパラパラとこぼれ落ちた。
「ああ、借りるよ。そういえば、女性タイプのアンドロイドはどうしてるんだ?」
「『HN-07』か?エコーの部屋で休ませてあるよ。それと、知ってるかもしれないが、同時にリンクできるのは一体だけだ。ノアに言えばリンク先を『HN-07』に切り替えることはできるが、『IS-21』はその場で停止状態になる。やる時はここでやってくれ。『HN-07』を見てみるか?」
「いや、今はいいよ。リンクするときの楽しみにしておく」
シャワーを浴び終えた和樹は、鏡に映る自分の姿をじっくりと見つめた。その肌の質感や髪の流れ、細部まで再現された容姿に、まるで人間そのもののようなリアルさを感じて改めて驚嘆した。
「…本当に人間と見分けがつかない…」
そう呟きながら、和樹は着替えを済ませ、リフレッシュした気分でノクトのもとへ向かった。
「おっ、サッパリしたな。ちょっと背中見せろよ」
ノクトが和樹の背中を服越しにつまむ。
「痛っ! 何すんだよ、ノクト!」
和樹が振り返ると、ノクトは満足げに頷いた。
「よし、痛覚は正常に作動してるな。戦闘データを本体にフィードバックするために、痛覚はあえて遮断されてないんだ。だが、動けないほどの重傷を負ったり、痛みに耐えられない場合は、ノアに頼んで痛覚を遮断してもらえよ」
和樹は背中を押さえながら不機嫌そうにノクトを見つめる。
「それくらい説明で済むだろ、つまむ必要あんのか?」
「直に感じるのが一番手っ取り早いだろ。それと、もしAIコアが完全に破壊されたら、リンクは自動的に切れてお前の本体に戻る。覚えておけ。どうしようもない敵に遭遇したら、自爆機能を使うのも選択肢だ。まぁ、最終手段だけどな」
「自爆なんて冗談じゃない。そんな怖いこと絶対にしないぞ」
「よし、じゃあ説明するぞ。ここはセクター16、通称ネオンセクターって呼ばれる繁華街だ」
「…ネオンセクターね」
「その中にあるこの五階建てのビルが俺たちの拠点になっている。一階は俺とエコーで『ノクターナル』って名前のバーをやってるんだ。二階から四階は住居フロアで、安く住民に貸してるんだけど、何人かサーチャーも住んでる」
「へー」
「ちなみに部屋はまだ空いてるから、使いたいなら自由に使ってくれていいぞ。そして、この五階全体は、俺たちが住居兼拠点として繋げて改造してるんだ」
「なるほどね……。 ねぇ、ノクト、バイク貸してくれない? 企業ハビタットの街は頭に入ってるから、一人で行くよ。ちょっと気になることもあるしさ」
「了解。ほらよ」
ノクトはキーを渡しながら、続けた。
「それと右手首のバイオチップには身分証とクレッドが入ってる。ギルドで装備を揃えるんだろ? でもさ、サイヴァートレックス製の武器のほうが性能は遥かにいいだろうに…わざと効率悪いことやるよな人間は…」
和樹はキーを受け取りながら、軽く笑って言った。
「わからないかな…? これが、『ロマン』ってやつだよ」
「ふん、そんなもんかね…エコーにも会っていってくれるか? 和樹が来るのずっと楽しみにしてたからさ」
「ああ、一階のバーだろ? 行く前に顔出してくるよ」
「それなら、俺も行く」
「別に一人で平気だって。バーならここの一階だろ?」
「いや、俺も行く。その……なんというか、エコーの期待値が高すぎるというか…まあ…行けばわかるさ」
和樹はノクトに連れられ、一階のバー『ノクターナル』の前に立った。
「まて、俺が先に入る」
そう言い残し、ノクトが扉を開けた瞬間。
———鼻をつんざく刺激が和樹を襲った。
「やっぱり……エコー! カクテルは俺が作るって、何度も言ってるだろ!」
中から聞こえてきた呆れ混じりの声に、和樹は腕で鼻を覆いながらそっと隙間から覗き込む。
すると、カウンターの向こうで、真っ赤なショートヘアにゴーグルをかけたエコーが、怪しげな黒い液体をかき混ぜている姿が目に入った。
その液体は泡立ち、煙まで漂わせており、まるで工場の廃液のようだった。
「いやだっ! 和樹が来たら、エコーの新作オリジナルカクテルを飲ませてあげるんだから!」
彼女は笑顔で宣言し、ちらりとノクトを見上げた。
「和樹はもう来たの?」
「……い、いや、まだ来てないな」
「そっか。じゃあ、まだ時間あるね! よし、もう一杯、エコーオリジナルカクテル作っちゃおうっと!」
(……今日、帰るのやめとこうかな)
和樹は内心でため息をつきながら、そそくさと店を離れるのだった。




