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8 ここはイリニの街よ!

「なぁ……これすっごく難しいんだけど」


 俺は先ほどから身体にかけていた強化(バフ)魔法が維持できずに霧散していくのを感じながら思わずぼやく。

 今は俺とファナ、セザールの全員で街に徒歩で向かっている最中だ。

 ただ歩くだけなのもつまらないからと、魔法の練習も一緒にやれと二人から言われてしまった。


 歩く道はあるけれど、アスファルトはもちろん石畳にもなっておらず、雑草がときおり生えているただの土道。

 転移直後に森の中を彷徨っていた時も思ったが、整備されていない道というのは歩くだけで疲労が溜まる。

 日本で道がきっちり整備されてるのって凄い事だと改めて思う。


「歩きながら維持するって難しくないか? 魔力の操作と身体の操作、全く別の事をやってるんだぞ」


 職場でビデオチャットでミーティングに参加して会話しながら、平行して文書作成を進めている感じだろうか。マルチタスクだな。


「ちゅうても身体強化(それ)は戦闘中にかけるもんだしの」


 俺とファナの前で一人で荷車を引いて歩いているセザールが振り返って言った。


「特に前衛職の方たちは激しく動きますからね」


 前衛職……戦士とか武道家とかの近距離攻撃主体の職のことだろう。

 森で見たようなドラゴンとか巨大なサイが存在する世界で前衛職とか正気の沙汰ではないと思う。

 あれらと比べたら、身体のサイズも小さく体重も軽い人間が肉弾戦で渡り合えるのか?

 ゲームでは当たり前の光景で気にもしていなかったが、実際に間近であれを見た今ならば疑問にしかならない。

 

 荷車を引いてるセザールを改めて見る。

 荷車にはファナが森で採取した様々な素材が入った袋と、大きめの木箱が積載されている。

 木箱の方はセザールがギルドから依頼された納品物が入っているのだろう。

 荷物の総重量は決して軽くはないだろうに、セザールは空気でも運んでいるかのようにしっかりとした足取りで進んでいく。


「セザールも今は魔法使っているのか?」


 こんなコンディションが悪い道で重そうな荷車を軽々と引いているのだ。

 俺ならばすぐに根を上げるだろう。


「使ってないですよ~」


 セザールの代わりにファナが答える。

 と、いう事は素の身体能力だけで重い荷車(これ)を引き続けてることになる。


 まるで小さな牛とかゴリラみたいな力だな。

 セザールは背丈こそ小さいが、身体を覆う筋肉は分厚く、基礎となる骨も頑丈そうだ。

 体重もサイズからは信じられないくらい重いのだろう。

 人間とドワーフの種族の違いを目の当たりにして驚嘆するしかない。


「なんでファナは使ってないのが分かるんだ?」

「魔法を使うとその効果とは別に構成や魔力の流れも見えるんですけど、セザールからは見えていません」

「へぇ」

「例えばですね……<光源(ライト)>」


 ファナの立てた人差し指の先端に小さな光球が出現し、弱い光を発している。


「今の私の指の周りには弱い光を出す魔法の構成も出ているんですが、見えませんか?」

「光の玉しか見えない」


 ファナの柔らかそうなで綺麗な指と、そこから10cmくらい上に浮遊している光球しか見えず、その間にもその周囲にも何も見えない。

 

「まだ魔法の練習を始めてから間も無いから無理はないですが、魔力の操作に慣れていけば見えるようになりますよ」

「そういうもんなのか」

「心配するなヒカルよ! これを付ければ今でも見れるぞ」


 将来の魔力の可視化に実感が湧かない俺に、セザールが前から何か小さいものを放り投げてきた。

 受け取るとそれは軽い眼鏡。

 丈夫な厚紙でフレームが構成されていた。

 レンズに相当する部分にはラップフィルムの様な物が貼られており、色が左右で異なっている。

 透明度がある赤と青だ。


 ぐしゃっ!


「ああっ、何をする!」


 俺は黙って握り潰した眼鏡を荷車に放り込み、身体強化魔法の練習を再開した。

 周囲には広大な畑が広がるようになってきており、街までもう少しだ。


 ***


 歩いていた時から見えていたのでわかっていたが、この街には周囲を取り囲む壁は建てられていなかった。

 城塞都市みたいなのを想像していたが違ったようだ。

 簡単な柵こそ立てられてはいたが、単純に畑と市街地部分の区切りで使っているような印象だ。


 街の入口に気怠そうに槍を持って立っていた衛兵の二人組がRPGなどでお馴染みの挨拶をかけてきて――


「…………」


 ――くれなかった。


 ファナとセザールが居るからかもしれないが、俺にも不審な点を感じられなかったのだろう。

 無言で手の動作だけで『通ってよい』と合図をしてくる。


「ここはイリニの街よ!」


 セザールが中に入った瞬間、唐突にこちらを向いて話す。


 お前が言うのかよ。


 続けてファナが旅行ツアーの添乗員みたいに説明を始めてくれた。


「ここはピオリア王国、エルクグローブ辺境伯領、イリニの街です」

「辺境ってことはこの国の端にあるのかな」

「はい。敵対国と隣接していますね♪」

「そんな明るく言われても」


 ピオリア王国と隣国は現在は戦争状態にこそ突入してはいないけれど友好というよりは敵対関係とした方が正しい状況らしい。

 そのような関係の隣国と接している最前線の拠点にあたるのが、ここイリニの街とのこと。

 

「そんな重要な街なのに、城壁は無いし防御は考慮されてないんだな」


 つい先ほどの街に入る前の光景を思い出す。


「ここより少し南側に辺境伯が構える大きな城塞都市があるんです。戦争状態になったらあそこが主な拠点になります」


 俺がイメージしていたような外郭が城壁に囲まれた街はちゃんと他にあるのね。


「ここも十分大きいよな」


 辺境といえばこんな街よりも小さな村というイメージを持っている。


「敵対国との国境間近とはいえ、戦争状態でなければ一般市民の往来は有るし、貿易はしておるし、商隊も通る。とすれば人の数は多くなるし、人が集まればそれを狙って店は増える。店が増えれば流れる金の総量も増えるし、それを目当てに更に人が増える」

「なるほどな」


 セザールの説明に特に引っかかる部分は無かったので素直に頷く。

 すると感心したような表情になってセザールが続ける。


「ほぉ、さすが異世界人よの。(ことわり)を飲み込むのが良くできておる」

「そうなのか」


 別段とセザールは難しいことは言ってないと思うけれど。

 こんなんで褒められると恥ずかしいわ。


「おおそうよ、そこの能天気エルフを見てみぃ」

「あっ! 蝶々♪」

「…………」


 街の中に入ってすぐは建物もまばらだったが、ギルドが有る市街中心地に向かうにつれ建物の密度も高くなり、往来の人の数も増えてきた。今のところ人間しか目に入らない。

 すれ違う人達にちらちらと見られていたことに気付く。

 いや、正確には見られているのは俺ではなくてファナとセザールのようだ。

 人里にいるエルフとドワーフは珍しい存在なのかもしれない。


「あそこがギルドの建物です」


 ファナがギルドの場所を教えてくれた。

 周囲に比べて大きめの建物で、入り口の横には人の石像が建てられている。

 その像は剣を持った右手を高く掲げ、軽装鎧に身を包んだ屈強そうな戦士が直立している姿だ。

 ギルドの偉い人、あるいは多大な功績を上げた冒険者だろうか。

 像の下でまじまじと見上げていると、ファナが隣に来た。


「かつて古代の時代、この周辺は魔王の眷属が支配しており、人はおりませんでした。

 ある日、天に浮かぶ城から光が降り注ぎ、この像を依り代に神が受肉すると、瞬く間に魔王の眷属を討伐し、人が住める土地になった――という伝説が有るんです」 


 その神様、文明が進んで家が古くなってくると雷とか落として焼き払ってこない?


「さて、ワシは裏口からこれを運び入れに行くぞ」


 荷台にある木箱を指すセザール。


「あ、じゃあ私は中で素材を換金して…………そのまま支払いしてきますね」

 

 セリフの前半と後半で落差がひどいな。


「ヒカルさんはどうしますか。一緒に中に来ます?」


 ギルドの中がどうなっているのか見学したい気はあるが、昨日のソシエさんのしつこい勧誘を思い出し、少し悩む。

 冒険者になると決まったわけでも無いし、中に入って見つかったら少し面倒くさそうだ。


「街の雰囲気とかも眺めていたいし、ここで待ってるよ」

「わかりました。そんなに時間はかからないと思います」

「冒険者は気の荒い奴も多いから気を付けるんじゃぞ」


 子供扱いかよ――と内心で苦笑するが、二人の詳しい年齢は聞いてないけれど年齢差はたぶん相当なものなんだよな。


「大丈夫だよ。心配するな」


 俺がそう言うと、セザールは荷車を建物の裏に引いて行き、ファナは少々心配そうに何回も振り向きながら、素材が詰まった袋を持ってギルドの入口から中に入っていった。

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