6 魔法の練習
「火球!」
俺が魔法を唱えると、突き出した右手からソフトボール大の火の球が出現した。
俺から15メートルほど離れたところに鉄の板が地面に突き刺さっている。
地上に出ている部分は一畳に少し満たない程度の面積だ。
あの鉄板は俺の魔法の練習用にとセザールが用意してくれた。
『こいつはバキュラと命名しよう。火球を256発当てると壊れるかもしれないし、壊れないかもしれない』
よくわからないことを言っていたのを思い出しつつ、火球を目標に向けて射出…………できなかった。
火球は飛ばすどころか形を維持できずに炎が拡散して消えてしまった。
「残念、消えちゃいましたね。でももう少しでできそうですね」
魔法の先生を買って出てくれたファナが慰めてくれる。
「少し休憩にしましょうか」
「……ああ」
俺は腰を下ろし、草の生えた地面に腰を下ろす。
ファナとセザールの家は周囲に建造物が無い広大な草原にポツンと建てられていた。
ここはそんな家から少し離れた場所である。
(もう1週間か……)
この世界に来てから2週間が経った。
そう2週間である。
この世界は驚くほど前の世界に似ていた。
1日は24時間だし、1週間は7日、1ヵ月は30日、1年は12ヵ月で360日らしい。
宇宙の物差しで測ったらこの星は自転と公転が地球とほぼ同じと言ってもいいだろう。
空には太陽はもちろん、月まで有る。さすがに模様までは一緒ではなかったが。
生き物も俺が見たドラゴンやサイみたいな魔物はいるけれど、犬や猫、牛や豚など良く知っている動物もいるらしい。
過去の転生者が頑張って作ったのかもしれないが、野菜だってそうだ。人参やジャガイモは既に食べている。
ITの技術で『レプリケーション』というものがある。
システムが稼働するメインサーバとは別に予備のサーバを用意し、そちらに全く同じ内容のデータをリアルタイムでコピーし続けるのだ。メインサーバが故障した際に切り替えれば、システムを停止することなく継続して使用することができる。
もしかしたらここは異世界というよりも、神のような存在が用意した地球のレプリケーション的な別の惑星なのかもしれない。
ロケットがあれば帰れるかもな。
どちらに向かえばいいかまったくわからないけどな。
そんな地球と酷似しているこの世界だが、大きな違いが一つだけあった。
魔素の存在である。
地球の元素の周期表に追加されるとしたらどこに追加されるのだろう。
学校のクラスの集合写真の欠席者のように、別のところにぽつんと配置されるのではないだろうか。
それくらい異質なものであるが、ファナによるとこの世界ではどこにでも存在してありふれたものらしい。
生物は自然から魔素を無意識に取り込み、体内で魔力として保持している。
魔力は誰もが保持しているものなので、手順さえ踏めばそれを利用して誰でも魔法の使用ができる。
それは転移者であっても例外ではない。
だからここに滞在するなら魔法くらい覚えておけと、練習することになったのだ。
「ヒカルさんは覚えるのがもの凄く早いですよ。火球の発生はできていますから、後は維持ができるようになれば射出もすぐできます」
「その維持が難しいんだよなぁ」
「ぼしゅっ! って出した後にキュンキュンって魔力を制御する感じです」
「まったくわからん」
ファナは感覚派のようだ。
俺は地球での職種がITエンジニアだったのもあるので、具体的に論理で説明して欲しい。
「練習しても最初の入口の魔力の認識もできないで諦めちゃう人も多いんです。それに比べたらヒカルさんは才能有りますよ」
おお……褒めて伸ばすタイプかファナは。
曜子の不倫関係の件では不倫者共やあいつらの弁護士、裁判所までも含めて否定ばかりされていたような感覚に陥っていたから、少し褒められただけで自己肯定感が爆上がりする。
「ありがとう」
「いいえ~。本当のことですよ」
お礼を言った後、なんだか気恥ずかしくなって立ち上がる。
照れ隠しにファナから顔を逸らすように遠くを見ると、伸びた道の先に街らしきものが目に入る。
今度はその反対側に顔を向けると俺が転移してきた森が見え、その森の更に奥には標高が高そうな山脈が壁のようにそびえていた。山脈は左右長く続いており、ここからはどこまで続いているかわからない。
時おり何かが飛んでいるのが見えるけれど、さすがに距離が離れ過ぎて詳細は不明だが、鷹とか鷲より大きいサイズなのはわかる。
まさに未確認飛行物体だな。
「飛竜ですね」
UFOを気にしている俺に気付いたファナが教えてくれた。
「見えるのか」
「人間はこれくらいの距離だと見えないんでしたっけ」
「はっきりとは見えないな」
俺の視力は左右で1.0は有るので別段悪い方ではない。
目を酷使しがちな職場の中では良い方だったんだが。
「アレはこっちに来ることはないから安心してくださいね。山やその周辺の森の上空を飛んでるだけです」
「もしここにもあんなのが飛んでくるんなら、ここに家を建てたやつは頭がおかしい」
郊外の住宅街に猪や熊が出たなどのレベルではない。
「じゃあアレも見えるのか?」
街の方から道をこちらに向かってくる何かが見える。ついさっき見た時には居なかった。
速度からして馬に乗った人だろうか。
「ええ見えますよ…………わっ、ヤバイ!」
「えっ?」
「ヒカルさん、練習はいったん終了です。私はこれから森に行ってきますので、後はよろしくお願いします」
「避難した方がいい?」
「ヒカルさんは大丈夫です。私は留守ってことでお願いします」
ファナはそう言うと駆け出して、道を街とは反対方向の森に向かっていった。
魔法で身体能力を強化させているのだろうか。
速度を落とす事もなく、あっと言う間に小さくなっていった。
***
しばらくすると俺の元に乗馬した人が近づいてきた。
特に変わった特徴は無いのでおそらく人間の女性だろう。
眼鏡をかけたショートカット、年齢は20歳前後くらいで事務仕事をしてそうな服装をしている。
この世界で接触する初の人間だ。緊張する。
「見ない顔ですね。あの家のお客さんですか?」
女性は馬から降りながら言ってくる。
『あの家』とはファナとセザールの家のことだろう。ここらに家はあれしかないし。
「いえ、しばらく前から滞在させてもらっています」
「そうなんですね。ファナさんはご在宅でしょうか?」
「残念ですが不在なんです」
ファナはさっき『留守でお願いします』って言っていたし、実際に森に行って不在なのだからそのまま事実を伝える。
すると女性は眉をひそめて「ふぅ」とため息をつくと、こう続けた。
「未払い金の支払い日だったんですが」
えぇ……