31 穢れの無い天使
宿に泊まるというのは何回してもワクワクするもので、たまに日帰りで戻ってこれない場所の出張の仕事が有ると嬉しかったりした。
会社規程の宿泊費範囲で如何に良いビジネスホテルを予約するかに拘る同僚も居たなぁ。
俺ならば朝食バイキングと大浴場は絶対に外すことはできないね。多少は目的地から離れてしまってもその2つを備えてるホテルを選択するよ。
クオカード付きプラン?
余計なことに首を突っ込むと消されるから気を付けろ。
とはいえここは異世界。
日本で快適安全な国内旅行をしているわけではないので、宿のレベルに過剰な期待をしてはいけない。
そもそもこの世界の『普通』で手配される宿のレベルも不明だしな。
もしかしたら懐の厳しい冒険者達、特に回復職には大人気な無料で泊まれる馬小屋に案内されるかもしれない。
精神的な疲労や魔力だけを回復させて、傷は魔法で癒せってことだ。
いくらなんでも街の領主様の手配だからそこまで酷くは無いだろうけれど、広めの大部屋で雑魚寝や簡易な寝台ってケースは十分あり得る。
ルーチェがいるからできれば個室が良いんだけど。
そんなことを考えながら辿り着いた宿はあばら家でも馬小屋でもなく、大き目でしっかりした建物だった。まずは外見という第一関門クリアだな。
中に入ってすぐのホールは食堂兼酒場になっており、客で賑わっていた。美味しそうな匂いに食欲が湧いてくる。部屋に通されたらすぐに夕飯にしよう。
宿の主人のおっさんに名前を名乗ったら、やたら丁寧な態度でそして迅速に用意してある部屋まで案内してくれた。
一階はさっき見た食堂兼酒場、そして雑魚寝用の大部屋ある二階を通り過ぎ、俺達は最上階である三階まで案内される。
主人が言うには三階にある部屋は全て個室だが、どの部屋も変わりはないとのことだった。特徴は『個室である』だけだが、この宿における最上級のグレードの部屋に泊まれるということだ。十分だよ。
「手配してもらったのは1部屋だけだから、俺と同室になるけど構わないよな?」
「もちろんです。私の割り当ては橋の下だと思っていましたから」
「橋の下は『宿』とは言わないんだよなぁ……」
ドアを開けて部屋に入る。
八畳ほどの広さに小さな机とイス、そしてベッドがあるだけの簡素な部屋。
トイレや風呂は備え付けられておらず、共同のを利用する仕組みである。
うんうん、何の問題も無いね。
何の問題も無いよ。
――ベッドが一つしかないことを除けばね!
「ヒカルさん……」
ほら、早速ルーチェが気まずそうにしているよ。
気を使って『私は床で寝ます』と言い出すんだろ。さすがにもうわかってるよ。
「ふ、ふつつかものですがよろしくお願いします!」
「そっちかぁ~。そう来たかぁ~」
まだ必要以上に自分自身の扱いを無下にするような態度を取ってもらえた方が俺としてはやりやすかったね。
「主人に他にも部屋に空きは無いか聞いてくる」
空き部屋が無かったら最悪大部屋でも良いや。
一階の酒場で盛り上がっている人達はむさい男たちが多かったので、寝る時はあれらと一緒にゴロ寝することになるかもしれないなぁ。ちょっと怖くて嫌だが、この状況では仕方無い。
「ま、待ってください」
部屋から出ようとしたら背中からルーチェにしがみつかれる。
母親の育児放棄~ホームレス生活とまともな食事をしてこなかった影響だろうが、年齢から考えたらやや小柄で贅肉がほとんど無い身体ではある。
それでも俺の背中の下の方に二つの小ぶりで柔らかな感触が伝わり、否応にも意識はしてしまう。これは不可抗力だ。男ならば誰しもそうなるであろう。
もし俺を非難するのであれば、歯医者のクリーニング中に女性歯科衛生士さんに胸を顔に押し付けられても感覚の全集中をしなかった者だけが俺に石を投げなさい。
「私は同じ部屋で大丈夫です」
お前は大丈夫かもしれないが、ポリスメン的には大丈夫じゃないんだよ。
『じぽ』は恐ろしい存在なんだよ。
振り解こうとしたががっちりロックしていて外れない。
この体格なのにずいぶん力が強いな。獣人の特徴か。
「ほら、ベッドひとつしかないしさ、一緒に寝るには狭いだろ」
本当はサイズ的にはダブルっぽいから二人で寝れるけれど。
ルーチェは寝具のサイズとかまだ詳しくわからないだろうから誤魔化せるだろう。
「これダブルサイズですよね? お母さんが前に買ってたので覚えてます」
「ああ、そうなんだ……」
サイズ知ってた。
そもそも家で寝てるのもベッドだし、いつもの自分のよりも大きいのくらいはさすがにわかるか。
「あの時はいつも床で寝てたので『お母さんと一緒に寝れる』って喜んだんですが、『彼氏と寝るから』って私は別部屋の床のままで悲しかったなぁ」
「気の毒過ぎるわ!」
ルーチェの母親マジで何してんの? 最悪過ぎる。
でもこの感じだといわゆる男女の営みではなく、人の体温とかを感じて安心したいって欲求が主みたいだな。
邪な考えを少しでもしてしまった俺が恥ずかしい。
うん、この子の精神を安心させて癒したいとは考えてはいるので、添い寝くらいなら応じてあげた方が良いかもしれない。
俺は多少緊張させてた身体の力を抜き、ルーチェの腕をさする。
本当に細い腕だ。こんな身体で家も無しに一人で頑張って生きてきたんだよな。
人の愛情に飢えているのは仕方が無いか。
「ヒカルさん……」
「わかったよ。もしいびきをかいてうるさかったらごめんな?」
「はいっ!」
俺の言葉を聞くやいなや、俺の拘束(?)を解いて両手をあげて喜ぶルーチェ。
ふふふ。ただ一緒で寝るっていうだけでこんなに喜んで……嬉しそうでよかった。
男女の営みが脳裏に浮かんだ俺を許してくれ。
穢れの無い天使・ルーチェに申し訳ない。
「こ……」
「こ?」
「子供は何人欲しいですか? 私がんばります!」
穢れが無いどころかめっちゃ男女の営みの欲求に塗れていた。
ルーチェからすれば俺は命の恩人なのだろうが、それで好感度がMAXかつ忠誠心が高いのは有難いやら困るやら。
某恋愛シミュレーションゲームの完璧超人な幼馴染ヒロインを攻略するのには苦労した記憶が有るが、その続編のメインヒロインかと思うくらいの好かれようだと思う。
さっきのように暴走しがちなのはあの年頃だからか、または犬(狼)型の獣人の傾向だからなのか、その両方なのか。
こんなのでは将来に悪い男に簡単に利用されそうなので、じっくりと矯正しないといけないな。
こうしてルーチェにこんこんと説明し、添い寝だけというのを納得させる長い戦いが始まったのだった。
***
「まだ混んでるな」
ルーチェへの説き伏せが終わった後、夕食としては遅めの時間になってしまっていた。
報酬をもらっているので懐は暖かいし、宿泊費はかかっていないのだから、食事くらい贅沢しようと下に降りてきたのだ。
贅沢と言ってもおすすめの食事処なんて知らないし、ルーチェもいるから宿の酒場で済ますけどな。
手頃な場所で済ませて何が悪い? 旅行や出張先でチェーン店に入るのも俺は有りだぜ。
「ヒカル様、お食事でしょうか?」
混雑した酒場に空いてる席は無いかと見渡してると、俺たちに気付いた宿の主人が運び中のトレイの料理を放り投げて声をかけてきた。
「放り投げた料理を頭から被ってるお客さんがいるんだけど大丈夫?」
「そんな奴よりもヒカル様のご対応の方が大事でございます」
「えぇ……」
俺らは街の領主からの紹介だから気を使うのはわかるけどさぁ。
普通にしてくれるか、さりげなく気を払ってくれる対応の方が有難いんだけど。
「あの落ちた料理勿体ないですね。食べてもいいですか?」
「やめなさい」
じゅるり、とよだれをたらしそうなルーチェを嗜める。
「今はとても混雑しておりまして、申し訳ございませんが満席になっております」
「それじゃ仕方ないな。違う所にするか」
「いえお待ちください! 今すぐに邪魔な客を排除いたします」
「排除!?」
俺の疑問に宿の主人は視線でその客を教えてくれる。
それは2人席に母親らしき女性と小さな男の子が一皿の料理を食べようとしている所だった。
「ママ、この料理とっても美味しそうだね」
「こんな安い料理しか食べさせてあげれなくてごめんね。ママもっと頑張るからね」
「ううん、ボクこれだけ十分嬉しいよ。ママといるだけで幸せ」
「ううっ……」
貧しい母親が少しでも美味しいご飯を幼い子供に食べさせてあげようと、外食に連れてきてるって所かな。
母の愛に目頭が熱くなりそうだ。
「ね、メニューで一番安い料理一品だけで居座ろうとするクソ邪魔な客を追い出すだけですわ」
「やめろぉ!」
「えっ?」
「なのその顔? なんで心外そうな顔すんの?」
サイコパスかよこの親父。
今日の夜のみんな寝静まった時に客を襲うホラー展開とか勘弁してくれよな。
もうホラーは『屋敷』の件だけで十分だよ。
「相席でもいいよ。その代わりなるべく大人しそうなお客さんのとこにしてくれるか?」
店から出て行こうとしたら、無理矢理他のお客さんを排除しかねないので、仕方なく相席を提案する。
こちらは食事ができればいいだけなので、サッと食べて部屋に戻って寛げばいいだけなので、相席でも構わない。
「それでしたらちょうど若い娘の一人客がおりますので、そちらにご案内しましょう」
日本ならともかくこの世界でも『おひとりさま』を楽しむ女性がいるのか。
しかもこんな冒険者や旅人が溢れる酒場で。
やはり男顔負けの屈強な前衛張ってる冒険者だろうか。
「こちらです」
その席に案内されて目に入るのは、テーブルに大量にそびえたつ空のコップや酒瓶。酒ばかりで料理の皿がまったくない。
まさか腹に何も入れずにひたすら飲んでるのか。とんでもない酒豪だな。
どんな人なんだろうとそのテーブルの主を見てみれば、ショートカットに眼鏡を掛けたクール系の整った顔をした女性――
「あれ? ヒカルさんじゃないれすかぁ? ぶはぁ~」
「うわ、酒くせっ!」
ギルド受付嬢のソシエさんだった。




