3 異世界の洗礼
目を開けるとたくさんの枝葉が重なりあった光景があった。枝葉の密度が高すぎて空が見えない。
陽が木々の枝葉に遮られていて薄暗く感じるが、どうやら夜ではないようだ。
俺はどうやら仰向けで気を失っていたようだ。
身体を一瞬動かそうとしてあることが頭に浮かんで停止する。
交通事故にあった人が気が動転して脊髄が損傷しているのに気づかずに動いてしまい、それが原因で半身不随になってしまったという件。
身体は……?
目を閉じて身体の状態に集中する。
特に痛みを感じる部分は無い。
手や足の先の方から始めてゆっくりと異常が無いか身体を動かしていく。
大丈夫そうだな。
少し安堵し、上半身を起こす。
周囲は樹木が生い茂る森で周囲を見渡しても道や建造物は見えない。
車は……?
崖から落下したところは覚えているが、その時も駐車する直前の運転中だったのでシートベルトはしていたはずだ。
ネットに上がってた事故動画などで人が車外に投げ出されているのは見たことがあるが、そういう人達はそもそもベルトをしていなかったからだった気がする。
だとしたら車が落下でバラバラにでもなったのだろうか。
いや、そんな衝撃だったら自分の身体もバラバラになっているはずだ。
立ち上がり周囲を見渡す。
車やその残骸は見当たらない。
誰かが崖から落ちた車から俺を出して、ここに放り投げた?
いや、そんなわけないか。
阿保な想像をして思わず笑ってしまった。
無駄過ぎるし意味が無い行動だからだ。
(曜子……?)
曜子の姿も無い。ここには自分しかいないようだ。
あいつの不倫が発覚してから迷惑どころか損害しか負わされていない。
こうなったのもあいつのせいだし、ここで野垂れ死んでいたとしても構わないとも思うが、ほんの少しだけ心配する気持ちが有ることも否定できない。
俺は左手を履いているチノパンの尻ポケットに突っ込んだ。中には何も無い。
本来ならばスマホが入っているはずだった。
(そうか。車のインパネトレイに置きっぱなしだった。財布もか)
車がないということは、その中に置いておいた物もないのである。
スマホが無い不安感と同時に、助けを呼ぶことができないことを理解し、焦燥感も湧いてくる。
このままここに居ては遭難である。いやもう遭難中なのかもしれない。
(遭難したのならば動き回らないでじっと待機していた方が助かる確率が高いんだっけか)
何かのドキュメンタリーで見た気がする。
(休憩所に戻れそうなら戻り、ダメそうならここで待機するか)
落下しただけならば、休憩所はさほど遠くない場所だろう。
目的の方向を確認しようと再度見渡し、ある事に気付く。
斜面が無い。
自分が走っていた車道は峠道なので山の中なのだ。
それなのに周囲の見渡せる範囲にはほぼ起伏が無いとこに生えている木々と茂みだけである。
「ここ……いったい何処なんだ…………!?」
途方に暮れそうになった瞬間、さほど遠くなさそうな方から爆発音が聞こえ、振動が伝わってきた。
***
「はぁはぁ……」
俺は息を切らしながら爆発音が聞こえた方に向かって歩いていた。
危険性も考えたが、現代日本で爆発ということはおそらく人為的な可能性が高いので、人がいるかもしれない。
または落下の衝撃で壊れた自分のレンタカーが、ガソリンあたりに引火して時間差で爆発したのかもしれない。
脳裏に車の中に取り残されたままの曜子が爆発に巻き込まれるイメージも浮かんだが、頭を振ってそのイメージを追い払う。
もう少し運動しておけばよかった。
俺の仕事は社内システムエンジニアなので基本的に座り仕事であり、運動不足になりがちである。
曜子が家を出ていくまではたまに自治体のプールや近所をランニングしてはいたが、陽向の連れ去り後は精神的なショックもあり、運動はまったくやっていなかったのがここにきて悔やまれる。
せめて通常の舗装道ならばどもかく、ここは起伏が無いとはいえ土と草の地面はでこぼこしており歩きにくい。靴は登山靴やハイキングシューズではなく、スニーカーで滑りやすいのもあって体力の消耗が余計にひどいのもある。
加えて木々が行方を阻むので、真っすぐ進めずに迂回する必要があるのも地味に辛い。
木がやけにでかいんだよな。
木々を避けながら違和感を抱いていた。
生えてる木がいちいち大きいのだ。
しかも時おりテレビで見た屋久島の縄文杉のような大木を見かける。
こんな所にこんな大木が何本も生えていたら観光名所になっていてもおかしくないと思うが、そんな情報には心当たりが全くない。
「ここは異世界だったりしてね」
目を覚ましてからの状況の不自然さから、マンガやラノベで良くある異世界ものを想像する。
シチュエーション的にはぴったりである。
そんなことを考えていると、前方に地面が途切れている地点が目に入ってきた。
さほど高低差は無さそうであるが、ちょっとした崖のようになっているようだ。
一日もしないうちに何度も崖から落ちるのは勘弁したいので、慎重に俺は崖下を覗き込む。
そこには――悠然と食事をしている最中の巨大な生物が居た。
ゾウを一回りも二回りも大きくしたようなサイズ。
見た目からすぐに連想したのは大型肉食恐竜。
子供の頃に博物館で見た大型肉食恐竜の化石の展示と同じくらいだろうか。もっと大きいかもしれない。
遠目から見ても柔らかさよりも固いのが分かる表面の鱗。
人間など容易く両断されそうなサイズと鋭さの両手(前足?)から伸びる爪。
頭部には大きな角がそびえている。
ドラゴンである。ドラゴン以外にどう形容していいかわからない。
そのドラゴンが何らかの横たわった大きな獣の腹部を貪っていた。
「ッ……!!」
かがんで崖下を覗き込んでいた態勢から慌てて伏せる。
この状態ならこちら側をドラゴンが見上げても見つからないはずだ。
(これはもう確定だろう……異世界転移だわ)
マンガやアニメで予備知識……と言っていいのかわからないが、多少動揺が少ないかもしれない。
もし昔に俺みたいに転移した人がいたら、なにひとつ理解することもできずにさぞかしパニックになっていただろう。
だけど安心してください。転移者にはボーナスが付与されているはずである。
こんなドラゴンさえ簡単に撃退でき、使い方次第ではその世界を根幹から揺るがすようなチートスキルとかな。
「…………」
そのチートスキルはどうやって使うのだろう。
身体の感覚はどこも変わったような感じはなく、ただ視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の五感しかない。
ステータスとかで確認しないとだめなのだろうか。
「ステータスオープン」
ドラゴンに聞こえないように小声で呟く。
異世界物はウインドウみたいのが表示され、自身の状態が確認できる。
しかし、何も起きない。
「ステータスオープン! ステータス! スキル!」
何も起きねぇ!
何度呟いても何も変化は無かった。
俺がスキルやステータスの使い方を知らないだけで本当はあるのか。
それとも元の世界のようにそんな都合の良いものは存在しないのか。
真偽はわからないが、このままここに居てドラゴンに見つかったら死の確率は跳ね上がりそうである。
改めてドラゴンを覗き込む。
食事に夢中なのかこちらに気付いている様子はない。
ドラゴンが食べている息絶えている大きな獣は良く見るとサイに良く似ていた。
自分の知っているサイよりもこれまた一回り大きいサイズだったが。
角が小さめだからメスなのだろうか。
よく見ると全身がうっすらと焦げているようだ。まるで炎で包まれた後のように。
先ほどの爆発音とどうしても結び付けてしまう。
状況的にこのドラゴンがブレスかなんか吐いたものではないか。
ゆっくりとうつ伏せの状態のまま後ろに下がる。いわば匍匐後退。
どこに行くというあても無いが、このまま危険地帯で待機することもあるまい。
この場からとりあえず離れよう。
「グルルルル……」
やたらと低音が強い唸り声とともにドラゴンが頭を上げていた。
体長が大きいドラゴンが頭を上げると、俺の居た場所から覗き込まなくても頭部が視界に入るようになる。
心臓が止まりそうになるほど驚いたが、ドラゴンはこちらを向いていない。
反対側を警戒しているようだ。
そちらの方に視線を向けると森の茂みから大きなサイ――ドラゴンが食べていた同種、しかしそれよりも更にサイズが大きい個体が姿を現していた。
両個体とも友好的ではないのはすぐわかる。
睨み合って対峙している。
サイの頭部には巨大な角が生えている。
体の大きさこそドラゴンには負けていたが、角の大きさならば互角かもしれない。
その大きな角が激しく発光しスパークが散ったかと思うと、轟音と同時に稲妻がドラゴンに向けて解き放たれた。