22 異世界に狂犬病ワクチンは無い
嫌々ながらも古い屋敷の敷地内、屋根のある玄関ポーチの大きな扉の前まで俺たちはやってきた。
屋敷は正に『古い洋館』といった外観をしており、ホラー映画の舞台と言われても何の違和感もない。
そして既に不自然な箇所が1つ。
「ヒカルくん、どうしたんだい?」
怪訝な表情で大きい両開きの玄関の扉を見ている俺に気付いたアンディ様が問いかけてくる。
「扉が閉まっているんです」
「扉は開けたり閉まるものだろう? 私の心の扉はいつも開いているけどね」
「ヒカルさん! 私の心の扉だって開いていますよ」
キミたちいちいち張り合わなくていいよ。
「こういった場所に調査で訪れているのにいちいちドアを閉めますかね?」
犯罪集団が拠点にしていたとはいえ元は廃屋である。
人もいないのだから灯りも無いから内部は暗いだろう。閉めると外部の光が入らなくなる。
それに万が一の時の逃走経路としてドアを開けたままにしておくものではないだろうか。
俺の説明にアンディ様が納得したように頷く。
「うん。確かにいつでも出れるように開いておくかな」
「でしょう?」
「空気の流れで勝手に閉じたとかですかね?」
ファナの指摘に改めて扉を見るが、一般家屋のドアと違って大きく重量もありそうなので、少しの空気の流れ程度で閉まる物だろうか。
「そういえばアズリナ達の声が全く聞こえないね。すぐ中の玄関ホールにも兵を配置させてないのかな?」
「もし中の直ぐそこで出入口を確保しているなら、俺達の声も聞こえるだろうし外に出てきますよね」
そんな事を話していると――
ギィ……
蝶番が不快な軋む様な音を鳴らし、扉が勝手に俺達を誘う様にわずかに開く。
その隙間から除く屋敷の中は真っ暗な闇で、中がどうなっているか見えない。
「ヒカルさん。勝手に開きましたよ」
「そうだな」
バタンッ!
俺は取っ手を掴むと素早く閉める。
「迷いも無く閉めたね」
「流れるような手付きでしたね」
アンディ様とファナが口を手で隠しながらひそひそと話す。聞こえてンだよ。
先ほどからやはり屋敷の中に誘導されてるような気がする。
誰の、何の意図だか知らないけれど、わざわざ乗ってやることも無いだろう。
とはいえ、この手のシチュエーションで次に起きそうなことといったら――
「ファナ。ここって一応『森』の中だけど魔物は寄ってこないのか?」
『森』の中の一番弱い魔物ですら、人の生活圏に出没する魔物と比べたら遥かに強さは上という。
そんな魔物がウヨウヨいる『森』の中にこの屋敷は建っているのだ。
普通ならば全壊した廃墟になっていないとおかしくないだろうか。
「広範囲の魔物避けの結界魔法が貼られていますので、大丈夫だと思います」
「そんなのあるの?」
ここの敷地に入ってきた時は防壁らしきものは感じなかったけれど。
「目に見えるような物理障壁ではないです。ここのは魔物の嫌う匂いがほんのりと撒かれてるのと、『人がココに居るよ』と過大に誤認識させる構成みたいですね」
「そんなのでいいのかよ」
そんな熊避けのスプレーや鈴みたいな。
「魔物側も人間と遭遇しても特にメリットないですから。まず草食タイプはもちろん肉食タイプだとしても、人は衣服や鎧など食べるのに邪魔になる異物は多く身に着けていますし、それに家畜やオークと違って肉は少ないですしね」
家畜とオークを並列にするな。
「そもそも魔物からしても人間は危険な生物なんです。武器は持つ、防具は身に着ける、飛び道具は使う、罠を仕掛ける、さらに固体によっては魔法を操る」
「ふむふむ」
「そういうのが高い確率で群れを成していて、連携を取りながら攻撃してくるんですよ」
「うんうん」
「それに一時的に撃退したとしても、後日に更に多い群れとなって『必ず殲滅する』という確固たる意思を持って再び現れるんですよ。怖くないですか?」
ファナさん、もしかしてそういう経験がお有りになる?
それはそれとして、言われてみれば確かに動物や魔物側の立場から見ればクソゲーにもほどがあるな。
「ファナの言う通り魔物からすればメリットは無いな」
「でしょう? だからこんな仕組みでも魔物の方から人間がいると誤認して避けてくれるんです」
「なるほど。納得した」
ファナ先生の説明は為になるなぁ。
アンディ様とリックも話を聞いていたようで『うんうん』と頷いている。
「そこで頷いてる人がまさに兵を率いてたまに魔物の駆除とかしてますけどね」
ファナの視線の先にいるのはアンディ様。
「民を守るためには仕方が無いんだ」
目頭を押さえて泣き真似をするな。
「とはいえ、人がいるからと避けてくれるのはある程度知能がある魔物だけです。虫系とか不死系には効果はありませんから注意はしておいた方がいいですね」
なるほど。
確かに知能が有るんだが無いんだがわからない虫とかだったら人が居ようか居まいが気にしないだろうな。
ゾンビにいたってはむしろ寄ってきそうだし。
「ファナさん!」
「はいヒカルさん。なんですか?」
「ここの結界にはある程度知能が高そうな魔物が入ってこないというのはわかりました」
「偉いですね~」
グルルルルル……
「だとしたら、あそこに見える大きな犬らしき存在はなんだろうね」
屋敷の影にのそりのそりとゆっくりと歩いている1匹の大型犬。いや犬というより狼に近いかも。
毛はボロボロでところどころ剥げて皮膚――どころか内臓や骨が露出しているように見える部分が全身に何カ所か確認できる。
口元からは涎がダラダラと垂らしており、こちらを見る目の片方は無く、ぽっかりと穴が開いている。
これはもしかしなくてもアレだね。
ゾンビ犬とでも言うやつだね。
噛まれたらゾンビ化しないとしても色々な感染症が心配になるね。
あのワンコは役所で狂犬病ワクチンの接種は済んでいるのかね?
「ゾンビドッグ! 知能の無い代表格です!」
「ガウッ!」
ファナが叫ぶと同時にゾンビ犬がこちらに向かって弾かれたボールのように駆け出す。
予測していたよりもずっと早い。
青信号を合図に急加速をしてすっ飛ばしていく大型バイクのようだ。
マズイ!
不意を突かれたのと焦りで魔法の構成を瞬時に組むことができない。
発動最優先で威力は弱くても牽制になる効果のモノを――と思ったが、その一瞬の思考をした時間で既にゾンビ犬は一番近くにいたリックにまさに飛び掛かろうとしていた。
「うわああああ!」
リックはショートスピアこそ持ってはいたが、恐怖で両腕を閉じて槍に隠れるような姿勢となってしまう。
口の両端が割けているので、通常の犬よりも大きく開いた口でリックに牙を立てようとするゾンビ犬。
ガキィン!
その口の中に入ったのはリックの肉ではなく刃だった。
アンディ様はいつの間にかリックの隣に移動しており、右手に持った片刃のショートソードを口の中に割り込ませている。
思考があるかどうか知らないが、ゾンビ犬は想像と違った物の歯ごたえを気にせずに、アンディ様のショートソードを咥えたまま離さない。
このまま暴れられたらアンディ様が剣を取られて丸腰になってしまう。
「咥えられるのは嫌いではないが、お前には御免被るね」
何言ってんのこの人?
「ふんっ!」
アンディ様がいつの間にか左手にも持った2本目のショートソードで下から切り上げ、剣を咥えたままのゾンビ犬の首を切り離す。
おお二刀流!
そして身体を切った勢いのままに回転させて後ろ回し蹴りとしてゾンビ犬の身体を蹴り飛ばした。
首を切り離されたゾンビ犬の身体はしばらくピクピクと動いていたが、立ち上がることもなく動かなくなる。
アンディ様はそれを見届けた後、嚙みついたままの方の頭を剣を振って払い落した。
「リック、大丈夫かい?」
「あ、ありがとうございます。アンディ様」
リックの無事を確認するアンディ様。
中身はともかくとして美形の貴族が少年兵を気遣う姿は絵になるな。
「スライムに呑まれているのを見た時はドン引きしましたけど、普通に強いんですね」
「フフフ……兵を束ねる指揮官が配下の兵より弱いとでも思ったかい?」
どこぞの竜騎将かよ。
「うわぁ。何度見てもアンデッド……特にリビングデッド系は気持ち悪いですね」
ファナが動かなくなったゾンビ犬を近くで眺めている。
俺も近寄って見てみると、これはどう見ても死体である。
道路で車に引かれて死んでる犬・猫を何回見た事があるが、腐敗が進んでいる分もっと状態は悪い。
「<燃えろ>」
グロイ死体なんて見ていたくもないし、念のために魔法で燃やしておくことにする。
「ねぇヒカルさん、このお屋敷なんか変ですね」
「さっきから俺からすると不審な点のオンパレードなんだけど」
「中のアズリナさん達が危ないかもしれませんね。私達も中に入ります?」
俺の予想だと屋敷の中に絶対なにか居るとは思う。
「アズリナは強いし大丈夫だろ。大人しく外で待っていよう」
「ヒカルくん。私もさっきまではその意見に賛成だったのだが、状況が変わってきたね」
アンディ様が微妙に緊張感の籠った声で話す。
それもそのはず。さっき倒したのと同じようなゾンビ犬が群れで姿を現してきたからだ。
先ほどから俺たちが出す音を聞きつけたのか、それとも何らかの仕組みのせいか。
さっきのゾンビ犬なんて俺達を屋敷の中に追いやる役目でしょ。
アンディ様が瞬殺してしまったから舞台装置として働かなかったけれど。
次は群れで対応させようってことだな。
「さすがにあの数はみんなをカバーしながらだと捌けないかも」
この言い方だと俺、ファナ、リックをカバーする気が無ければできるってことだろうか。
思ったより遥かに実力者なのかもしれない。
さっきの身のこなしも少しだけど躍る様な感じで見事だった。
「皆さん、あの群れが動く前に屋敷に避難しましょう」
「その必要はない」
「え?」
「<火壁>!」
俺はファナの提案を却下するやいなや、右腕を横なぎに払う動作とともに魔法を実行する。
瞬間、燃え盛る火の壁が動こうとしたゾンビ犬の群れを飲み込むように出現する。
痛みを感じないであろうゾンビ犬達は炎に巻かれても関係なく動こうとしてはいたが、瞬く間に足の肉を焼かれて立てなくなる。
「これは何とも広範囲だねぇ……おや、動けそうなのが何体かいるね」
「ファナ。こっちに来そうな奴を抑えてくれ」
「<風の刃>!」
ファナは俺の指示に頷くと、魔法で風の刃を飛ばし、炎の壁を抜けてきそうなヤツを弾いていく。
いいか。
意地でも俺は屋敷の中には入らないぞ。
これはフラグなんかじゃないからな!




