16 仮想領域
「だいぶ集まりましたね」
ペペ・スライム収集を始めて2時間ほど、ギルドから貸与された容器の八分目に目測では届いているように見える。
依頼の指定の量なので、念の為もう少しだけ捕獲したら終わりにして良いだろう。
「ファナの素材は集まったのかな?」
ファナはこの湿原で採取できる草だか花が必要だったらしく、それが主目的でスライムはついでである。
「はい。珍しい物ではないしもう十分です」
「そっか。じゃあもう少ししたら……!?」
「どうかしましたか?」
視界の端に何か動く物が有るなと思いそちらを見てみれば、ちょっとした家のようなサイズのスライムがのそのそと動いていた。
「大きいですねぇ……あんなサイズ見るの初めてです」
「最初からアレを見つけていたら依頼が一瞬で終っていたな」
容器に満タンに入れても余りまくるくらい過剰なサイズだけどな。
「……ケテ……タス…………タ…………」
「何か声聞こえない?」
「男の人の声ですね。あのスライムから聞こえます」
「すごいなそこまで聞こえるんだ」
「私からすれば人間は何で聞こえないんだろうって思いますよ」
俺からすればエルフの耳は凄いなと思うけれど、エルフからすれば人間の耳が悪いって思うか。
それもそうだな。
「あのスライムって人語を話すの?」
もし話すんなら今までに集めたスライムも話していたと思うのだが、そんなことはなかった。
「話すスライムというのは伝説や古代の話ではあるんですが、実在はしないと思います。少なくとも私は見たことないです」
「じゃあ困ってる人がいるのかもな。見に行ってみるか」
「はい」
俺達は状況を確認しに大きなスライムに近寄っていった。
襲ってきたりしないのはわかっているとはいえ、家ほどのサイズで目の前に鎮座されると中々迫力がある。
「た、たすけて……ガボボ……」
スライムの頂上(?)に頭だけ出して身体がすっぽり中に入っている若い男がいた。
声の主はこの人のようだ。
動いていないと頭まで中に沈んでしまうようで、呼吸を確保しようと藻掻いている。
「あ、アンディ様!」
男を確認したファナが驚きの声を上げる。
「知ってるの?」
「領主エルクグローブ辺境伯のご令息です。イリニの街を治めてる方でもあります」
「まじかよ」
なんでそんな偉い人がこんな所で巨大スライムの中で溺れているの?
少なくともこの周囲に護衛もいなそうだし。
「とにかく助けないと……ってもどうするか」
俺達も巨大スライムに入るのは無しだな。同じ目に遭う。
ロープなどで引っ張りたいとこだが、今回の装備の手持ちにはない。
「そこらに生えてるツタは使えないかな?」
周囲の樹々には長いツタが絡まっているのも有る。
あれをロープ代わりに使えるかもしれない。
「あのツタはすぐ切れちゃうんですよ。子供くらいならともかく、成人男性の重さには耐えられないと思います」
そうかあんまり強度が無いのか。
そもそもペペ・スライムでぬるぬるしているだろうから、あの男――アンディさんにツタを投げた所でまともに掴めないか。
「と、すると魔法でなんとかするしかないけど、熱を加えたらあの人も茹でられちゃうよな」
「衝撃で一気に吹き飛ばすのが一番いいかと思います。半端に切断してもすぐくっ付いて元に戻ってしまいますし」
たしかに単細胞生物なのか群体なのかはわからないが、容器に集めたスライム達は混ざりあっており単体にしか見えない。
「なんかそういう魔法有る、師匠?」
「こういう時だけ師匠扱いしないでくださいよ。ヒカルさんの方が威力出せるじゃないですか」
基本的な魔法の構成の組み方を工夫して、確かに単純な威力や範囲は俺の方が出せるかもしれない。
しかし、魔法に関する知識は長年研鑽を積んできたファナの方が遥かに上だ。
「爆発系だとあの人も危ないから、単純に衝撃だけで破裂させればいいんだよな」
「ええ、でも身体の大きな魔物ならともかく私達のサイズでは……」
身体のサイズが大きい方が体内に保持する魔力量は基本的に多くなる。
魔法の威力は構成にも依存するが、魔力量が多いということは魔法に使えるエネルギーも多くなるということなので、単純に威力も上がることになる。
人間でも体重の重い者は軽い者に対して有利だし、そんな体格に優れた重い人間でも象には勝つ事はできないだろう。
それと同じことである。
誰しも魔力があるこの世界にきて、魔法のコツも掴んで俺は喜んだが、同時にがっかりしたこともある。
人間が出せる魔法の威力が大したことないのだ。
前衛に守られながら格好良い長い詠唱を行い、いざ発動!としたところで山を吹き飛ばすような魔法は放てない。
頑張ってそのような効果を得られる構成を組んだところで、今度はそれを実行できるだけの魔力を人間は保持していない。
多数の生身の人間が地形を変えるような威力の魔法をポンポンと連発できたら、自然も社会も無秩序になりそうだから、できないのが当然といえば当然なのかもしれないが、それでも一人で戦局を左右するほどの魔法使いって憧れるものなんだけどなぁ。
「まぁ、これくらいの大きさなら何とかなるかも」
人間が操る魔法では山を消し飛ばす威力も、森を更地にするような広範囲も出せないが、この巨大スライムくらいならば構成の工夫で何とかなるものだ。
魔力量に依存する威力では身体の大きな魔物には及ばないけれど、魔物の魔法の構成は単純だ。
人間は魔法の構成でいくらでも工夫することができる。
「では……」
使う魔法は衝撃。
ただしそのままではこのスライムの巨体をバラバラに弾き飛ばすには威力も範囲も足らない。
そこでそれらを向上するための構成も組み込んでいく。
「これだと展開しきれないのでは?」
俺の構成を読み取り、内容を理解したファナが懸念点を指摘する。
たしかに通常の人間の持つ魔法実行環境では、このままでは領域が不足して発動できないだろう。
「そうだよ。だからこっちを先に実行する……<仮想領域>」
仮想メモリ――コンピュータの物理的なメモリの容量を補完するために、ハードディスクなどのストレージデバイスを使用してプログラムが必要とするメモリ領域を管理する仕組みのことである。最近は家庭用PCでも物理メモリが十分に搭載されているから存在感が薄れているが、OSのデフォルトで使用する設定になっているのも多い。
その概念を魔法の領域に応用したのだ。
「自分の領域そのものを拡張する魔法ですか? そんな裏技みたいな……」
「あくまで仮想だから魔法処理速度は下がるけど、これで展開自体は可能となる」
元々の領域と仮想の領域を合わせ、人間としては大きなものとなる領域に威力と範囲を上げた<衝撃>の構成を展開する。
「わぁ……この規模の構成って人間でも展開できるんですね」
「ファナ、これを放った後はあの人のフォローまでできないから、サポートしてくれ」
「わかりました」
「<弾けろ>!!」
俺が展開し終わった構成を詠唱して実行した刹那、巨大なペペ・スライムは四方八方に弾け飛ぶ。
アンディさんは身体が収まっていたスライムが無くなったのと、俺の放った魔法の余波で空中に放り出されたので、このままだと地面に激突する所だが――
「<浮遊>!」
――ファナが唱えた魔法によってゆっくりと降りてきた。
『親方! 空から若い男が!』って言いたくなる光景だね。