10 魔法に対する理解の解像度
ドンッ!
力を込めて地面を全力で蹴った結果、ちょっとした衝撃音が地面に響いた。
何の音だ――と足元を確認する間もなく、加速感と共に視界が急激に広がる。
ガラス張りで外の景色が見れる構造にエレベーターに乗って、1階から上に昇り始めた時のようだ。
自分の身体が数メートルもの高い位置に移動している。
それ故に見える範囲が広がったのだ。
理由はすぐに理解する。
展開したばかりの身体強化の魔法の効果だろう。
少女を攫った男二人組とは依然として距離が離れたままではあるが、俯瞰することにより地形の状況を把握することができた。
今いるこの路地裏の道は細長く続いており、しばらく大きな道はない。
また馬の大きさと速度では建物の間の狭い道、いわゆる小路にも入らないだろう。
このまま速度を上げていけば、変に逃げられることもなく追いつけそうだ。
内臓が浮く感触と共に落下を始めた身体の着地体制を取る。
着地の衝撃で骨が折れたりしないか心配だったが――
ダンッ!
普通にスキップをしているような感覚で、特に足にダメージもなく再度地面を蹴ることができた。
初回のジャンプはややベクトルが上に向いてしまって不必要に高度を出してしまったが、今度は走り幅跳びをするようなイメージでジャンプする。
狙い通り前方に加速することができた。
1回の成功で安心せずに、何度も何度も気を付けながら地面、時には建物の壁を蹴っていく。
車で移動していた時の速度を物差しにすれば、馬よりは速いのではないのだろうか。
身体強化がここまで凄いとは。
確かにもっと身体も魔法も鍛えている者が使えば、俺が遭遇したドラゴンやサイとも渡り合えるのかもしれない。
そんな事を考えながら進んでいたら、もう目の前まで男たちとの距離が詰まっていた。
周囲も路地も抜けて街の外側に近い耕作地のような場所だった。
男たちは俺には気づいてはいない。
それもそうか。
走る馬に追いつく人間なんて想像なんかしないよな。
背後の警戒が薄いのも仕方ないよな。
いや……こんな魔法がある世界なんだから、その可能性は考慮しておかないとダメだろう。
だから今まさに俺に背後に迫られているんだろうが。
まぁそんなことはどうでもいい。ここからどうするか。
追い付いたといえど馬を止める方法なんて思い付かない。
このまま考えていても良いアイデアは浮かばないだろう。
とりあえず女の子と引き離すことにしよう。
次のジャンプの踏み切り時、やや力を溜めて前方を意識して飛ぶ。
目標は馬の背に女の子を載せている方の男の少し上空。
警戒をしていない男を蹴ろうとして躊躇する。
このまま蹴って大丈夫だろうか。
馬に追いつくようなレベルにまで身体が強化されてる状態で蹴とばしたら、当たり所によっては死んでしまうのではないだろうか。
良くても骨が複雑骨折してしまいそうである。
「な、なんだっ!?」
しまった。男が気付いてしまった。
男は驚愕と戸惑いが入り混じったような表情だ。
悩んでいる暇はない。
俺は右足を男に目掛けて横薙ぎに振う。
せめてもの配慮でヒットの瞬間に勢いを緩め、押し退かすような力の入れ方で蹴り飛ばした。
「うわぁぁぁぁぁ!!」
男が悲鳴をあげながら馬から吹っとんでいく。
頭とか地面に打ちませんように。
「ヒィィィン!」
「キャアアア!」
自分を操縦していた人をいきなり知らない男が排除したからだろうか、馬が急遽のけ反る。
その動作で背に載せられたままだった獣少女がずり落ちそうになる。
「……くっ!」
滞空状態で身体を整えて腕を伸ばし、獣少女の細い腕を掴む。
先ほど遠目に見た時も棒のように細いと思ったが、掴んでみると改めてその細さを実感する。
今の強化がかかった状態ではなくても、容易く折ってしまいそうだ。
力を入れ過ぎないのように、それでいてすっぽ抜けないようにしっかりと持って自分に引き寄せる。
「キャーーー!」
「大丈夫だ!」
何が起きてるか把握できず、ただ早い速度で振り回されているのだ。
そんな獣少女を安心させるかのように抱き留めながら、地面に着地する。
俺と獣少女の二人分の体重を受け止めるには耕作地の土は柔らか過ぎたが、何とか転ばずに体制を整えることができた。
ぎゅう。
怖かったのだろう。
獣少女が俺にしっかりと目を瞑ったまま掴まっている。
見た目通りあまり肉が無いのだろう、柔らかくはないが、高めの体温は伝わってくる。
「怖かっただろう?」
背中をやさしくぽんぽん、と叩く。
震える肩、後ろに倒れた耳、下がった尻尾から、犬型の獣人なんだろう。猫型もいるのかな。
獣少女は俺に掴まったまま、きょろきょろと周囲を確認する。
「あ……ありがとう……ございます?」
すると、自分の無事が理解できたのだろう。
ほんのりとほほを紅潮させながら俺から離れた。
「すまないが、まだ安心とは言えないんだ」
「えっ?」
この少女を攫ったのは二人組。
俺が蹴り飛ばしたのは一人。
先に進んでいたそのもう一人が引き返してきて、地面に倒れている仲間の所に行くと、馬から降りる。
「あれで戦えなくなっていればいいけれど……」
俺の希望はむなしく、倒れている方の男は上半身を起こし、頭を振るとあっさりと立ち上がった。
「念のため聞くけど、あいつらはキミの知り合いとかでは?」
「し、知らない人です……」
まぁ、そうだよな。
知り合いだったらあんなことしないよな。
「では、何か攫われるようなことに心当たりは?」
「……ないです……ただの人さらいかと」
不安なのだろう。俺の袖の先をきゅっと掴んでくる。
ただの『人さらい』ってなんだよ。
その獣少女の認識から、誘拐が日常の範囲にある社会だというのが推測できる。
ここの警察はどうなっているんだ。
警察は無いとしても街の入口に衛兵が居たのだから、何かしらの治安維持組織はあるはずだろうに。
男たちがこちらにゆっくりと歩き出す。
間違いなく話し合いで済んだりはしないだろう。
このままここに立ったままでいるのはリスクが極めて高い。
「逃げるぞ」
既に解いてしまった身体強化を再び展開しようとするが――
「くっ……こんな時に」
魔法は発動こそするが、うまく維持できずに魔力が霧散していく。
どうした。さっきの感覚を思い出せ!
魔力切れではない。また体内に十分に残存している感覚はある。
近づいて来る男たちの気配がプレッシャーとなり、焦りとなって魔法の行使が上手くいかないのかもしれない。
ああ、このパターン知ってる。
ホラー映画とかでよくある車のエンジンがかからないシーンだよ。
で、追いつかれる直前にエンジンがかかって逃げるのに成功するんだ。
自分を信じろ――
「<身体強化>!」
しかし、期待とは裏腹に発動しなかった。
「あ……あの、逃げないんですか?」
おどおどと獣少女が俺に伺ってきた。困惑している雰囲気が伝わってくる。
この子だけでも先に逃がすか?
この痩せこけた身体でどの程度走れるだろうか。
それに相手が二手に分かれたらあっさり掴まりそうだ。
人質に取られるかもしれないし、俺が片方の相手をしている間にそのまま連れ去ってしまうかもしれない。
このままここで一緒にいるのが最適解か。
――覚悟を決めろ。
俺は獣少女の前に立つと、男二人の前に立ち塞がった。
便宜上、俺が蹴り飛ばした方を男A、もう片方を男Bと名付けよう。
「お前いきなり何だ?」
男Bが不機嫌な感情を隠そうともせずに、腰に着けていたショートソードを抜く。
男Aの方は『ピキッ!』という音が幻聴で聞こえるくらい睨んでおり、こちらも同じくショートソードを抜いた。
やはりいきなり暴力くるか。
俺だって初手で攻撃しているからそこはお互い様かもな。
「なんでこの子を攫う?」
俺は男たちに問いかけたが、その回答自体には興味が無い。
会話を繋いで時間を稼ぎ、その間に身体強化の発動を成功させて離脱するのが目的である。
俺の質問を受けた男たちは目を合わせた後、下卑た笑い声を互いに漏らす。
そして男Aは剣を持っていない方の腕をあげ、手の平を俺に向けた。
「<衝撃>」
「!?」
突然、俺の身体に強烈な衝撃が走った。
そして視界が一面が真っ暗になり、呼吸ができない。
そして、口の中を切ったのだろうか、土と血の混ざった味を感じる。
「カハッ……ゲホッ……」
男Aの魔法を喰らって拭き取ばされたようだ。
顔だけ地面から浮かせて呼吸を行う。
「ゴホゴホッ……はぁはぁ」
胸だか腹だか詳しく把握していられないが、胴体部分が激しく痛む。
呼吸を早く整えろ。立ち上がれ。次撃に備えろ。
「なんだあいつ? やっぱり『障壁』張ってなかったぜ?」
「身体強化を使ってたんだから、魔法は使えるはずだよなぁ」
俺の心配をよそに男たちは追撃はしてこずに言葉を交わしている。
『障壁』ってなんだ?
馬から蹴り落された男Aにダメージらしきものが無いのもそれのおかげなのか?
先ほどは上手く使えたといってもまだまだ魔法初心者。わからないことが沢山だ。
もっと色々ファナに教えてもらわないと。
――ここを生きて切り抜けられたら。
「おい嬢ちゃん」
「ひっ……」
「面倒くさいから逃げるんじゃねえぞ? もし逃げたらまずは足を切り落とす」
「なんの用途だろうと、自分で歩けないんじゃ価値が下がるんだわ」
「自分の手で切り落としたいって奴もいるからなぁ」
なんてことを話してやがる。
ここで俺が殺されたら、あの子の未来は悲惨なことになる。
まさに自分が殺されようとしている時に、見知らぬ少女の行く末を心配しているのも滑稽なことではあるが、今の俺の最優先目標はあの子を守ることなのだ。
「おい、メソッド。あいつのトドメさしておけよ。また邪魔されても面倒だ」
男Bが男Aの名前らしきものを呼んで、俺の止めをさすように促した。
「ああ、せっかくだから高威力のやつを喰らわせてやるか」
メソッドと呼ばれた男Aが蹴られた恨みを晴らすべく、俺に対してオーバーキルな威力の魔法を使用しようとしているらしい。
ヤバイ。このままだと確実に死ぬ。俺が死ぬとあの子も悲惨なことになる。
何か行動をしなければならないが、激しい痛みとダメージで身体が言う事を効かない。
力が入らない。
今の状態の手持ちの俺の武器で何とかできるのは魔法しかない。
魔法で何とかしないと――
ふと、ある閃きが脳内で起こる。
メソッド。
言葉の意味としては方法、方式、手法を意味を持つ言葉。
そしてもうひとつ。
オブジェクト指向プログラミング言語のサブルーチン、『一定の機能を持った一連の命令文の集合体』を指す。
何かを学習している時――英語の文法でも、数学の公式でも、化学でも物理でもなんでもいいが、何度復習しても仕組みがわからなかった部分が、パズルのピースが嵌ったかのように急に理解できた時が無いだろうか。
それまでは『勘』でなんとか対応できていたとしても、ちゃんと理解した後では対象への解像度がまるで違う。
ゲームに例えるといきなりプレイしてもゴリ押しでクリアはできるが、後で説明書を読んだらもっと有効なテクニックが記載されており、効率的なプレイが可能になったとかだろうか。
それが、俺の中で『魔法』の概念に対して起きた。
「オラッ、死ねよ。<火炎槍>!!」
男Aが俺に向けて発動させた魔法にどのような効果があるかまではわからないが、悠長に観察している時間があるわけでもない。
俺は地面に這いつくばったまま姿勢のまま軋む身体を我慢して右手を男Aに向けた。
そして間髪入れずにこちらも魔法を発動させる。期待の通りの効果が得られると確信を持って。
「<火球>!!」
俺の手の平から出現した火球は以前に練習していた時のものよりも遥かに大きかったが、極めて安定した状態で射出された。
その射線は相手の出した炎系の魔法と正面からぶつかるものであったが、相手の魔法なぞ物ともせずに飲み込み、そのまま直進し――
「ウワアアアアアッ!」
男Aに火球が直撃する。
瞬く間に爆発的に熱と炎が広がり、巨大な火柱となって立ち昇った。