1 サレ男になる
『母親の内縁の夫による虐待で陽向ちゃん4歳男児死亡』
数か月に一度くらいの頻度で新聞の見出しに躍る胸糞の悪い文のひとつである。
子供が身勝手な親によって虐待されて死亡するという内容は、俺自身の生い立ちも関係して普段から見たくないニュースの最たるものであったが、これは見た瞬間に今まで生きてきた中で一位になった。
その理由は簡単で、亡くなったのは紀ノ島光の子だったからだ。
『親子断絶』という言葉がある。【親子の仲が悪くて交流を無くす】という意味で使う場合もあるが、ここでの場合は【親権を持つ同居親の方針で、子供と別居親の交流が皆無になる】という意味を指す。
親子断絶は子供がある程度自発的に行動できる中学生以上ならば起きづらいが、幼い場合は決して珍しくはないことであり、俺の身に実際に起きていたことである。
俺は陽向が2歳の時に突然引き離されて2年間会えないまま、永久に引き離されることとなった。
かつての最愛の妻とその内縁の夫の手によって。
俺が息子と引き離された原因は妻の連れ去りである。
妻は陽向の通う保育園の保育士の男と関係を持っており、それに気づいた俺から逃げるように陽向と共に姿を消した。これは後から知った事ではあるがこの保育士の男=間男は他のママさん複数にも手を出していたらしい。最低にもほどがある。
妻が不倫を開始した時期、俺はなにも気付かなかった。
「最近、美容体操とか筋トレ頑張っているね」
「もう少し身体を引き締めたいって思って。綺麗になるのはあなたの為でもあるんだからね」
「それは嬉しいな」
妻は元々外見に気を遣うタイプだったので、美容体操などに費やす時間が増えても気にならなかった。
「全身脱毛したいと思ってるんだけどいいかな。ムダ毛処理とか面倒で」
「子供の面倒見ながらだと大変だよね」
「……うん」
「やらせてあげたいんだけどさすがに全身は高いなぁ。まずは脇だけでどう?」
「脇とVIOだけにするね」
「VIOも?」
「生理の時とかに快適になるんだって」
「なるほどね。それぐらいの費用なら何とか」
VIOとは簡単に説明すれば股間や性器周りのことだ。
一瞬、『VIOも?』と疑問に思ったが、その理由に納得したし、夜の生活も定期的にあったのはむしろ楽しみに思った。
「ママ友なんだけどさ、在宅勤務で旦那さんがずっと家に居るから息苦しいんだってさ」
「え? 俺もそう思われてる?」
「あなたはたまにだけど、ずっとだったらそう思っちゃうかもね」
「ひどいなぁ」
笑いながら言ってたので『間男と自宅と会うのに俺が在宅勤務していると邪魔』という意味が隠れていたのを読み取れなかった。
ここら辺から日常の妻の態度によそよそしさが出てきた
「たまには別々の部屋で寝るようにしようかと思って」
「え、なんで?」
「陽向も寝相悪いし、お仕事で疲れてるあなたもゆっくり寝れないでしょ?」
表向きの理由も嘘ではなかったのかもしれないが、本当の理由は夜の生活を減らしたかったというのが後でわかる。
このような『変化』が積み重なっていて、しかも間隔も狭くなってくればさすがに違和感を抱くものだ。
だが、妻を信用してることもあり、『もしかしたら』という予測に目を向けたく無い心理も働き、気づかないふりをする。
そんなある日、妻が朝帰りをした。
今までも女友達と飲みに行くことはたまにあったが、遅くなっても必ず連絡は入れてくれたし、ちゃんと帰ってきていたのにだ。
「どこに行ってたんだ!? 心配したんだぞ!」
「飲みに行ってただけだって。うるさいなぁ!」
「どこの誰とだよ? いつも遊んでるママ友さん?」
「誰だっていいでしょ!」
自分に都合が悪いことで逆ギレすることは以前からあったが、ここまで酷いのは初めてだった。
さすがに妻の態度が異常なことから目を背くことができなくなった俺は調査を開始することする。
証拠集めに時間と労力がかかることを覚悟していたが、意外なほどあっさりと証拠を掴んでしまった。
家族で共有していたPCのブラウザには、妻のWEBメールのユーザーとパスワードが保存されていたのだ。
震える手でマウスを操作しながら受信トレイを開くと、そこには間男との赤裸々なやり取りや、不倫愛専門占い師に間男との仲を相談しているメールで溢れかえっていた。
真っ黒だった。
俺が不倫をされた男、通常【サレ夫】になったのが確定した瞬間である。
目の前が真っ暗になり、呼吸が上手くできない。
『夫とは仲が良いんですが、軽い気持ちで彼と関係を持ったらハマっちゃいました』
『彼への愛情が大きくなるにつれて、夫への愛情が萎んできてしまいました』
『何もかも捨てて彼と一緒になりたいと思います』
俺は妻が許せなかった。
DVは皆無だし、仕事はもちろん家事・育児も問題無く対応できる。俺に不倫されるまでの落ち度があったのだろうか。いや、これらのメールにある妻の動機の通り、そんなものは無いはずだ。
『離婚』
今まで頭に浮かんだことのなかった単語が浮かび上がる。
迷いは不思議なほどなかった。
いや、最初は迷いしかなかったが、大量の浮気に関するメールを読み進めていけば【離婚をしない】という選択肢は有りえなくなっていっただけだ。
これらのメールは妻が自分の愛した人ではなく、もはや外見が同じだけのまったく別人になってしまっているのを理解するには十分な内容だった。
愛する息子の親権については心配していない。
妻の有責が確定してるのだ。
別人になってしまった妻と離婚し、間男に慰謝料を請求し、陽向と頑張って2人で生きていけばいいだけだ。
この認識が甘いことを俺はすぐに思い知らされることになる。