山南敬助の切腹
元治二年(1865年)二月二十二日。
昨日と打って変わって暖かな日だった。この日、沖田はじっと自室に籠っていた。目の前には二振りの刀が並んでいる。一本は大和守安定。もう一本は菊一文字則宗である。沖田は菊一文字則宗を佩いたことはない。手にしてからずっと床の間に置いていた。
斬れる、ということは分かっている。だが、どうにも気が乗らないのである。
池田屋事件のとき、沖田が使っていた加州清光が切っ先から折れた。事件のあと刀を修理に出したのだが、欠けた切先を繋ぐことは難しかった。そこで、局長の近藤が用意してくれたのが大和守安定である。これは加州清光に似たもので、やや長い気がしたが、コツをつかめば早かった。
しかし、思いもしなかったことがある。修理できなかった刀屋の主が気に病んで刀を持ってきたのである。それが菊一文字則宗である。いうには七百年前に丹波のある宮に奉納されたもので、それが売りに出たのだという。いわれのある代物であるが銘はない。それでも菊一文字則宗と呼ばれるのは腰反りの高さを感じさせない優美な曲線に、刃の両面に咲き誇る丁子が華やかで乱れがない。およそ、人を斬る道具とは思えない美しさであった。眼福というものではあったが、沖田は刀をおさめるとそのまま主へと返した。
「気に入りませんか?」
主は落胆した様子で刀に眼を落した。
「いや、良すぎるのです」
「良すぎるとは?」
困り顔の沖田に主はにじり寄るように問うた。
「……これはよく斬れるでしょう」
「それは斬れますでしょう。お武家様にとって刀の切れ味は良ければ良いほど良いもの。何の不満がありましょうか?」
「それによく手に馴染むのです」
「なおよろしいことでしょう。反りが高いことに違和感を覚える方もおられるなか、馴染むというのなら刀との縁があるということです」
主はいよいよ沖田の顔を覗き込むほど近づいている。沖田は少し身を引く。
「それがまずいのです。血で汚してしまう」
子供がおろしたての着物を汚したような顔をしたので、主はしばらく瞬きをしたあと大きく笑った。
鑑賞するのなら汚れるのは困るだろうが、使うとなれば汚れるのは当然である。それを気にするあたりがどうにも主には可笑しかったのである。無論、主としては多少の目算もあった。新選組一番隊の沖田総司と言えば洛中でも有名な剣客である。名刀を出せば一に二もなく欲しがるに違いないと思っていたのである。
それが値段よりも汚すことに悩むというのが想像外であったのだ。
「何も笑うことはないでしょう」
そっぽを向く沖田に主は目を細めた。
「申し訳ない。では、こういたしましょう。加州清光をお預かりしているあいだ、これは沖田様にお預けいたしましょう」
「いや、それは困る」
沖田は慌てて手を左右に振った。加州清光が戻ってこないことは沖田自身知っているのである。それを担保に菊一文字則宗を預かるのはどう考えても天秤が釣り合わない。
「しかし、この刀はよく斬れる。よく馴染む、となればそこにおさまるのが良いとは思いませんか?」
主は沖田の腰を指さす。うーんと声を出したあと沖田は言った。
「では、お預かりします」
以来、この刀はじっと床の間で鎮座されている。
それを改めて出してきたのは、山南の介錯をすることになったからだ。おそらく、大和守安定を用いても首をはねられる。それは間違いない。だが、山南が苦しまぬようにと思うのなら、より手に馴染む菊一文字則宗にするべきだとも思うのである。
だが、菊一文字則宗を見てしまうとどうにも気が乗らない。
菊一文字則宗がこの世に生まれたのが七百年前で、沖田はまだ二十二年である。もし、天禄に恵まれて一流派の祖となっても七百年続くだろうか。おそらく難しいだろうという思いが沖田にはある。なによりも自分ができることを他人ができるかと言えば出来ぬことのほうが多い。武は一代だとすればいかにも儚い。だが、この刀はもっと先にまで残るかもしれないそう思うと難しい。
菊一文字則宗を持って部屋の中で立ち上がる。
刀を抜いて山南の首を斬る姿を思い浮かべる。すっと振り下ろした剣は弧を描いた。音もなく山南の首が落ちるところまで見て沖田は菊一文字則宗を鞘に納めた。そして、想像の中で流れた血の赤が視界から消える。
「総司」
襖の向こうから声がして沖田は完全に現実に戻った。静かに押し殺した声で沖田は声が土方だと分かった。襖を開けると陰気な顔で土方が立っている。
「さきほどからそちらはずっと騒がしかったですけどおさまったんですか?」
この日の朝、近藤が屯所に帰ってくると永倉ら古参の仲間が再度、山南の助命を申し出た。その後も屋敷を借りている八木家の人間が山南を救えないかと押しかけた。それに対して最初は近藤が対処していたが、そもそも弁があまり立つ方ではない近藤だけでは手に負えず、土方も合流した。
さらに論客として参謀の伊東甲子太郎が参戦すると近藤と土方は劣勢になった。
ここで彼らに味方したのが山南自身だった。彼は軟禁されている蔵に来る人間に、切々と自分の罪を説くと切腹を望んでいることを告げた。こうなると助命側もなすすべがなく押し黙るしかない。一人また一人と山南に論破されて誰もいなくなったあと永倉がこっそりと一人の女性を蔵の後ろに回らせた。
女の名は明里という。
もともとは丹波の産まれだった。この地域は小さな盆地がいくつも並ぶところで、盆地ごとに異なる地域性を持っていた。戦国時代になってもその傾向は強く、赤松、波多野、酒井など小さな大名が乱立して一つの大きな勢力にはならなかった。
盆地だらけのこの土地では平たい土地が少ない。そのため米の生産は頭打ちした。それでいて年貢の取り立ては厳しい。そうなると丹波篠山藩などでは飢饉のたびに一揆が起きた。田畑の使えない冬の間にこっそりと灘に杜氏として出稼ぎに出る者も多かった。しかし、それは男手のある家だけで、女しかいない家では身売りも少なくなかった。
明里もそういう女だった。
仙台産まれの山南はこの明里を気に入ったのはなぜなのかは分からない。ただ、島原の遊女であった明里を山南が身請けまでしたのは事実らしい。だが、山南は失踪することを明里にも伝えていなかったらしい。
そのため、事情を知っていた永倉に山南の切腹を知った明里はひどく驚いた。だが、肝が据わった女性だったらしく永倉について山南の元へ駆けつけている。
壁越しに二人がどのような言葉を交わしたのかは分からない。
それでも沖田には山南が何と言ったかは分かるような気がした。
沖田が土方に言った騒ぎというのはそういうもののことである。屯所の中に部外者を連れ込むことも、山南に合わせることも本来ならとがめられることである。だが、それを見逃したというのが江戸以来の仲間に対する最後の優しさだったのかと沖田は思った。
「山南さんの切腹は、明日行う」
土方はそう言うと部屋の中を眺めて菊一文字則宗を見つけた。
「分かりました」
「それを使うのか?」
「いや、これは困ったな」
沖田が頬を掻いた。
「使わないなら早く向こうさんに返すことだ」
「分かってるんですけど、なかなか」
土方はそれ以上は何も言わなかった。沖田も何も言わなかった。
翌日、沖田は山南の介錯をした。使った刀の記録は残っていない。だが、見事な切腹だったという。