4 ー数馬ー (下条数馬)
数馬が「大丈夫」と言ったのは、数馬の中ではそれがまったく根拠のない答えではないからだった。
実のところ、事件の真相を聞かされた日の夜、数馬は黒の魔導士への憎悪のために、危うく「地獄」に行きかけたのだ。
人は誰しも、心の中に地獄へと続く扉を持っている。
通常、それは分厚い脂肪層に阻まれていて見えない。——だから、ほとんどの人が「自分は無差別殺人鬼などとは違う」と思っている。
だが、数馬の心の中では、事件によってその脂肪が引き裂かれてしまい、その扉が数馬の目に見えるようになってしまっていた。扉そのものが数馬を呼んでいるかのように——。
しかも悪いことに脂肪層の千切れは、そこに至る道のようにして扉に続いてしまっているのだ。
施設でただ独り、この誘惑に耐えていた時、数馬は扉の向こうを想像して「絵」という形にしてしまうことで、扉の誘惑から逃げようとしていたのかもしれない。
しかし、事件の真相を聞いて具体的に憎むべき敵の姿を知ったその夜、ついに数馬の憎悪はその扉を、ギイィィ・・・、と開けてしまった。
扉の向こうは燃え盛る赤黒い地獄の炎だった。その炎が、おいでおいでをするように数馬を呼んでいる。
力が欲しいか——? 欲しいだろう。
そっちへ行ったら——。あの炎のエネルギーに身を任せて、黒のヤツらを手当たり次第にぶち殺してやれたら・・・・・。
数馬は、ふらふらとそちらに行きかかった。
その時、どこからともなく小さな女の子が1人現れ、その扉をパタンと閉め、背中で押さえてこちらを見た。
『かずまくん。』
「しゅうこちゃん」だった。
それは単に、揺れ動く数馬の心が見た幻影だったのかもしれない。
しかし、数馬が憎悪に呑み込まれそうになるたびに「しゅうこちゃん」は現れて、その扉を背中でパタンと締めてくれるのだった。
訓練所で、敵を倒すためのスキルを学んでいる時などに、不意に憎悪が頭をもたげてくることもあったが、そんな時は必ず「しゅうこちゃん」が背中で扉を押さえている姿が数馬の脳裏にチラチラして、技を乱すということがなかった。
「下条は冷静だな——。あれほどの経験をしたというのに、たいした子どもだ。」
教官たちは、袖引き合って感心した。
だから——、数馬の「大丈夫」には、まるっきり根拠がないわけでもなかったのだ。
「しゅうこちゃん」がいなければ、あるいは数馬も、戻ってくることすらできなかったかもしれない。
苗字、ちゃんと聞いておけばよかったな・・・。数馬は少し後悔した。
今、どこの小学校にいるんだろう?
「しゅうこちゃん」だけでは、探しようもないよなぁ———。
でも——、
現実に会ったら、「魔法」が解けちゃうかな——?
まだ11歳の数馬には、そうなっても自分を律するだけの自信はなかった。