あまりに歪んだ
「みじめね」
「えっ」
顔を上げると、いつのまにか美輝はすぐ紗綾のそばで、恍惚とした表情で紗綾を見下ろしていた。
「みじめね、本当に、探偵っていうのは」
もう一歩、美輝が近づいた。そのまま紗綾の前に膝を下ろすと、息の上がった紗綾の頬に手をそっと当てた。
「証拠がなければ手も足も出ない。推測でしか物が言えない。それで最後は情に訴えることしかできない。本当にみじめなものね」
紗綾は呆然として美輝を見つめている。美輝がせせら笑おうと何も返せない。
「でも、こんなみじめなあなたが愛らしいの」
ぼうっと、彼女の頬が染まった。再び、恍惚とした笑みが泣き濡れる紗綾の視界に現れた。頬を撫ぜる手はそのまま目元を拭って、スッと唇にそれを寄せた。
「苦しむあなた、悲しむあなた、悩むあなた、呆然とするあなた。そんなみじめなあなたの姿が好きよ」
「美輝、本当にあなたがやったの?」
舞が言った。たとえ今目の前にあることが現実だとしても、舞には到底受け入れられなかった。紗綾の推理を否定してくれないか、紗綾には申し訳ないとわかりつつも心のどこかではそうなることを期待していた。しかし、それは果たされなかった。
「野暮ねぇ、あなたは。私に『違うよ』って言って欲しかったの?」
舞は力なくうなずいた。美輝はため息で返事をした。
「それって、美術部の副部長として、どうなのかしら。そんなことできるわけないじゃない。だって、これは私の作品よ。愛しい私の作品。私が愛を注いで作り上げた子供のようなもの。こんな素晴らしい、芸術のような殺人を。ねぇ、すごいでしょ。閉ざされた島。お祖父様の作品に見立てた殺人。死体の出現。演出効果。完全な密室。こんな完璧な殺人、胸が高鳴りません?」
美輝は期待するような目を向けてきたが、紗綾と舞はどう答えればいいのかわからなかった。美輝は急に顔面から表情を消し去ると一言だけ付け加えた。
「どうしてそれを、あそこで縊れて死んだ女のものだって、言わなきゃいけないの?」
三人の間を沈黙が満たした。美輝は何かを期待するように紗綾を見つめている。舞は一人俯いている。紗綾はどこか遠くを見るような目で、美輝から視線を逸らしている。
「どうして、こんなことをしたの」
沈黙を突いて、紗綾の口から出てきた質問は、夢見る少女を急に現実に引き戻したようで、美輝は失望を隠さずに表現した。
「愚かね。あなたは人に同情されたくて作品を作るの? そんなのだからあなたは解説者止まりなのよ。いつまでたっても芸術家にはなれない。いつもの美術室でのあなたと同じ。画集を見るだけ見て満足してる。自分で何もやろうとしない。できない。やったところで同情されなかったら怖いからやらない。やりたくないって。いいえ、それは少し言いすぎかもしれませんね。あなたみたいな解説者がいないと、芸術家一人だけでは輝けないもの。適切な解説者が、芸術家の意を汲んで余りあるほど解説をしてくれて、ようやく作品は私一人のものではなくなる。世に出る。だから、あなたみたいな解説者、探偵は必要ね」
ハッと我に帰ると、なにやら階下が騒がしくなっていた。美輝もそれに気づいたのか、そっと立ち上がると服を整えた。
「そろそろ時間ね。また解説をお願いしますよ。その時はよろしくね」
あっと紗綾が声を発する時には、美輝はすでに屋上に向かう螺旋階段に足をかけていた。ワアワアと罵り合うような声が階下から迫ってくる。立ち上がってテラスの外を覗き見ると、壁面の階段を何人もの警官が走って登ってくるではないか。途中で息を切らして落伍した者もある。誰もが慌ててもがくようにここに向かっている。
まさか。
急いで紗綾も螺旋階段を登った。屋上は轟々とどこからともなく機械の音が渦巻いていた。美輝が紗綾に気がついて手を振った。次の瞬間、マシンガンを撃つような音とともに風が吹きつけ、音の主が姿を現した。警察のヘリである。コクピットにはあの老執事、浦添の姿が見えた。何かを言っている。隣に座った美輝が何やら紗綾に言っている。でもその声は紗綾まで届かなかった。
「待って」
紗綾はそう叫んだ。続けて何かを言おうとした。しかしその言葉は口から外に出ることはなかった。後ろから来た警官に突き飛ばされて紗綾は倒れてしまった。手を伸ばしてももちろん届くはずがなかった。ヘリはそのまま上昇をはじめると、一分もしないうちに伊豆の山の端に消えていった。




