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Paint Plan  作者: 裃白沙
12/20

籠塚の計画

 籠塚にしてみれば、今日は最悪の一日であった。長年の計画が身を結んだ、この晴れの舞台であるはずの夕食会で彼の前に現れたのはこの上もない悪夢であった。はじめ彼にはそれが何を意味しているのか全くわからなかった。ただそこに生首があることに呆然としていた。誰かの悪質ないたずらか、これが本物の生首であるかどうか、もちろん、それが誰の生首であるかなんてわからなかった。しかし、次第に落ち着きを取り戻してその生首を観察するうちに、そこに見知った顔の面影を見た。ああ、その主が誰であるかを理解した瞬間、彼は雷に打たれたように椅子から転げ落ちてしまった。首の主は彼専属の占い師、小坂であった。彼はそれが本物かどうか確かめようとは思わなかった。不思議かもしれないが、これが本物の生首であろうが彼には関係なかったのだ。この無残な女易者の遺骸を彼の前に、こうも意図的に――ああ、それは彼女にあてがった「supper」の部屋を飾る作品の構図ではないか――飾り、己の前に出した何者かがいる。そのことが彼には何よりの衝撃であった。

 彼と小坂は同じ穴のムジナであった。この館を、作品を、家族を、駒澤文名からともに奪った共謀者であった。

 彼らの計画は実に、実に手のかかる作業であった。しかしそれ故に、なんとも自然で完璧な略奪であった。

 駒澤文名には一人娘、貴子がいた。貴子は文名やその孫娘、すなわち彼女の娘である美輝と比べると非常に凡庸であった。だから文名は貴子に己と同じような芸術の道を歩むべきではないと考えていた。しかし貴子は、この偉大なる父を前に、一番に難しい芸術大学を目指した。そこは父の母校でもあった。やはり彼女は父に憧れたのである。しかし、父の見る目に狂いはなかった。幾度となく挑戦したのだが一次試験にすら通ること叶わず、父の名の下入った予備校でくすぶる日々を送っていた。結局彼女は四浪して、ようやく地方大学の芸術科に通うことになった。無論貴子にとって一人暮らしは初めてのことだったが、芸術の道以外これといって興味を示さない文名である。たとえ一人娘でもいずれは家を出ていくものだと、タカをくくっていた。

 ああ、たとえそれを晩年文名が幾度となく後悔しようとも、起こってしまったことは変えられない。

 貴子はそこで中古文学を学んでいた国重良樹という男と親しくなった。文名は娘の恋愛に制限をつけるような人間ではなかった。逆に適齢期を迎え、ともすれば過ぎようとする娘を心配する気遣いすらもなかった。国重良樹が神の前に貴子との愛を誓うのにもそう時間はかからなかった。

 この国重良樹の友人であったのが籠塚である。

 貴子は平凡な人間ではあったが、今の美輝がそうであるように、すらりとした体躯に貴婦人然とした端正な顔立ちをもつ美しい少女であった。それゆえ大学に入るとすぐさま男が寄ってきた。その中の一人が国重良樹だったわけだが、その友人である籠塚も同様に彼女に憧れを抱いたのだ。

 いや、はたして籠塚の目がどれほど貴子を見つめていたか、それは知る由も無いが、彼がただ貴子の美貌に身体に惚れ込んだのではないことは、後の彼の行いからも容易に想像できた。籠塚の目は、この美麗で可憐な少女の後ろに控える、その父、文名の作品、価値、栄誉に魅入られていた。彼は足繁く文名のアトリエに通った。当時のアトリエは伊豆諸島の小島にある鏡の館であった。そこに数週間逗留しては文名の話に耳を傾け、作品に触れ、彼の機嫌をとって生活した。

 そうこうしているうちに、彼の欲していた果実のうち一つは熟れて、あの色男の元に堕ちてしまった。

 彼と文名の芸術を介した交流は国重良樹が婿入りした後も続いた。しかし、事あるごとに噂される国重の話を聞けば聞くほど、この老翁のくだらぬ芸術論にかまけてその実を掴み損ねた自分を恨んだのだ。芸術家のそのような御託ほど取るに足らぬものはないと籠塚は常日頃思っていた。ただ芸術家は良い作品を出せばそれで良いのである。余計なことを口走って無限に広がっていた絵画の、造形の世界をなぜ作者自身壊すのだろうか。しかし彼は耐えた。好奇の目をそらさず、芸術家の語りたいように語らせた。そしてそこからまた湧き出てきた作品に大いなる価値をつけ、老芸術家を鼓舞した。

 彼の望みは二つ、両方の果実を手に入れることだった。一つは確かに掴み損ねたかもしれない。でももう一つは確実に彼の頭上にあった。文名は籠塚のことを強く信頼していた。ともすれば放蕩が過ぎる国重よりも強い信頼を得ていた。

 あとは、彼の待ち望んだ果実を、その収穫の日を待つのみであった。

 文名がこの白亜の館を建てた時、その設計に協力したのはもちろん籠塚であった。彼はその頃からこの風光明媚な石廊崎に、後々リゾート施設を建てようと夢想しながら老翁の横に侍った。国重と貴子の間に娘が生まれたのももちろん知っている。名前は美輝といった。それが中学に上がる頃になると、もう先があまり長くないことは文名自身もわかっていた。そばにいた籠塚が理解していない道理はない。

 機は熟した。

 ちょうど中学に子供が入学する時期というのは、子育てが一段落つく時期でもある。このぐらいになると夫婦間でいさかいが絶えなくなるのは籠塚も知っていた。そこに彼はつけこんだのである。彼は知り合いの自称占い師である小坂と、弟子の桐沢を使って国重に悪い占いを吹き込んだ。それは貴子に恐ろしい獣の霊が憑いているだとか、互いの惑星の配列が悪いだとか、住まう土地が悪いだとか、はたから見れば荒唐無稽なものなのだが、国重が信じ込みやすいタイプであるのは昔から知っていた。彼の個人情報も多く知り得ていた籠塚はそれを二人に吹き込み、さも占いで言い当てたかのように語らせた。

 効果はてきめんであった。すぐに国重は小坂に貢ぐようになった。妻の悪魔祓いを願い出てきた。もちろんそのことはすぐに美輝の口を通して文名の耳にも入った。ただ一点、籠塚の介在は知られずに。

 破局はいつ訪れてもおかしくなかったのだ。だから、国重から離婚の相談を受けた時は、笑みを隠すのに難儀した。いつもの豪気な振る舞いで、取り入るように彼の心を震わせ、離婚を決意させた。

 しかしここに一つだけ誤算があった。それは貴子が離婚を告げられ、自ら命を絶ったことであった。彼女は最後まで夫のことを見ていた。想っていたのだ。なんといじらしいことか。妙な占いにかまけた男である。ほとほと愛想をつかすだろうという彼の予想はまったく外れてしまった。

 ああ、貴子。結局お前だけは手に入らなかった。彼女も文名の作品であった。文名が作り上げた一世一代の芸術。その高貴で純潔だった貴子を失った。そればかりか、永遠にこの手中に収められぬとは!

 最晩年に娘を失った文名ほど哀れな老人を彼はみたことがなかった。彼に付き従ったのは古くからの執事とまだ若い孫娘、そして籠塚がだけだった。籠塚には、まさに彼が望んだように、この哀れな老人の作品、アトリエを管理する権限が与えられた。かくしてコレクションが揃ったのである。ただ一点の欠けはあれども。

 はたしてこの一連の遠大な計画に気づいた人間はいたのだろうか。小坂の生首は明らかに「supper」を模していたではないか。それはすなわち、文名と小坂、そして己の罪過をつなぐ、事実を知る人間がこの八角舞台の中に居るということなのか……。だとしたらそれはあの憎き老執事、浦添だ。あいつは文名の忠実な部下だった。幾度となく奴は己のコレクションの完成を邪魔してきた。あいつが、あいつが小坂を殺したのだろうか。

 だとすると、彼にとって信頼できるのは残された同じ穴のムジナ、桐沢だけである。桐沢は実に優秀であった。あの生首も即座に処理してくれた。それだけでなく、仕手を突き止めると豪語していった。そうだ、籠塚としても、あまり問題を大きくしたくはなかった。あの生首がイタズラとして処理できればそれはそれで良い。過ぎたことなのだから。それに、あのエセ占い師はいずれああなる運命だったのだろう。でも、このリゾートだけは、この駒澤文名晩年の傑作だけは傷物にしたくなかった。だから、内密に処理しようと桐沢が動くのはとても心強かった。あの桐沢なら何とかしてくれるはずだ。この窮地を……なんとか……。

 ハッと彼は目を覚ました。電話の音が聞こえたのである。この支配人室の電話はフロントからしかかからないようになっている。一体こんな時間になんだろう。時計を見てみると、一時にならんとしていた。籠塚は卓上ランプの明かりをつけると受話器を取った。

「私だ、こんな時間に一体なんだ」


 寝る前に気分を落ち着かせようと思って飲んだウイスキーに声は焼けていた。しかし、受話器の先の人物は何も答えない。

「おい、誰だ。桐沢か」

 その刹那、右眼に彼は強烈な痛みを感じた。目に手を当てると、手が真っ赤に染まっている。彼は愕然とし、右を向いた。その方向には窓があるのだ。


 窓の外には若き日の貴子の亡霊が立っていた。


 それが彼の見た最後の光景であった。


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