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神妙にひそめられた声が風に流されるので、あたしはちゃんと聞き取ろうと耳を近づける。すると日高くんはぎょっとして離れた……これじゃ小声での会話は無理だ。
「男ってのは、恋愛感情がなくても平気で動けるもんなんだよ。ただでさえ盛りのついた高校生が、男遊びしてるって噂の女子を知ったら、それを信じて身体目当てで寄ってくる。そういう目にあって傷つくのは、他でもない国崎自身なんだぞ?」
信号が変わって、日高くんは再び歩き始める。先ほどと違って、その歩調は心なしかあたしに合わせてくれているようだった。
「もし国崎がそれでもいいって言うなら、俺は引き下がるしかないけど。でも、俺はそういうの、見たくないから」
ちらりと、ようやく日高くんの視線が戻る。それはいつもと違ってすこし弱々しくて、あたしの出方をうかがっているにも思えた。
「……なんか言え」
「言えってそんな、命令的な」
たしかにあたしは口を出さなかったけど、別に日高くんの言っていることに腹が立ったわけじゃない。むしろ彼があたしのことを気にかけているということに気づいて、いつもうっとおしがられていると思っていたぶんよけいに、驚きが強かった。
どきん、と心が鳴る。
「やっぱりあたし、日高くんのこと……」
「言うな」
ぱかんと頭を叩かれて、あたしは舌を噛みそうになる。なにするのよと抗議しようとしたら、「なに考えてんだばか」と怒られた。
「人が真剣に話してんのに、どうしてそういう流れにもってこうとするんだよ」
「痛いいたい! わかったあたしが悪かったよごめんー!」
耳をぐいぐい引っ張られて、あたしは悲鳴をあげてあやまる。周囲の視線が集まる前に、日高くんはあっさりとあたしを解放した。
「……ありがとう、日高くん」
痛みの残る耳をさすると、まだそこには日高くんの手の感触と、指先のあたたかさが残っている。それを感じながら、あたしはぽそりと呟いた。
ちょっとばつが悪い。でも、言ってくれた日高くんだっていろいろ覚悟があったに違いない。あたしがもう一度ありがとうと言っても、彼は「別に」とぶっきらぼうだった。
「それでね、日高くん。あたしやっぱり――あっ!」
あたしがなにを言おうとしたか察したのか、日高くんは颯爽と自転車に飛び乗り、力強くペダルをこいだ。
「ちょっと、待ってよ!」
あわてて、あたしも後を追う。自転車の速さにはとうてい追いつけないと思ったけど、去ってゆく背中はさほど小さくならなかった。
決して全力でこぎだそうとしない日高くんに、やっぱり、あたしの心はどきんと鳴った。
○○
「俺、国崎の『好き』っていうのがよくわからないんだよな……」
車どおりの多い国道から、川沿いの砂利道に入ったところで、日高くんが言った。
結局さほど自転車には乗らず、またからからと押して歩いている。さも当たり前のようにあたしのカバンをかごに入れてくれて、ぼんやりと河川敷で遊ぶ子供たちを眺めていた。
「今まで告った相手は、どういうところが好きだったんだ?」
「どういうところ……?」
その質問に、あたしは答えられなかった。
「考えたことなかった。好きって思ったら、もう好きになってたから」
「どういうきっかけ?」
「重い荷物持ってくれたとか、黒板で届かないところ消してくれたりとか、かな? あと、体育で走ってるの見たり……普通に話してた時とか。うっかり手がぶつかったとか、目があったとか?」
指折り数えるあたしを、日高くんがしげしげと見つめてくる。歌が上手だった、眼鏡姿がかっこよかった、頭をなでてくれたと続けたところで、「それぐらいでいい」とさえぎられた。
「そういうのが積み重なって好きになるのか?」
「違うよ。それで好きになるの」
「じゃあそれがきっかけで、どんどん好きになると?」
「? 好きだから、好きって言うんだけど」
しばらく、沈黙が流れた。
日高くんはあたしを見つめたまま、前も確認せずに歩き続ける。大きな石にハンドルをとられてよろけたけど、それでも視線は決して離れなかった。