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すべすべの愛  作者: 禎也
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4章

木漏れ日がコンクリートの壁の中をさらさらと泳いでいる。


時計のない寡黙な空間の中には、古い鏡台の上に散りばめられたボタンと指輪、ベルベットの絨毯に並ぶオランダ製の木靴、そして牛革のトランクケースなどが置かれている。


いずれも異国の地で刻まれた物語が、何かの巡り合わせによって、代官山の一角にあるアンティーク雑貨店に受け継がれていた。美術品のようなそれらを人々は窓ガラス越しに眺め、さらりとした表情で通り過ぎていく。


すると今度はドライフラワーとかご鞄の店がふらっと現れる。


入り口の前に立てかけられた看板には、繊細な字体で次のような文章が記されていた。  


〈当店で取り扱っている植物由来のかご鞄は、開発途上国の生産者によって一つ一つ手編みでつくられています。ものを買うという行為が、世界の貧困を無くすための、ささやかな支援になることを祈って〉


小さな路地裏を歩く途中で、宮崎千穂はそういった博愛の精神と目が合い、ふと立ち止まることがあった。


土着的な商店街のごちゃごちゃとした賑わいの中で育ってきた彼女にとって、この辺りに立ち並ぶ個人店の営みは、どこか別次元のもののようだった。


たとえば同盟を結んだ芸術家たちが、それぞれの分野において独自のアトリエを構えているような印象だ。


ジャンルは違っていても、グローバルな思想に基づいて一つの場所を目指すという点では運命共同体である。


彼らは、単なるモノでは埋められない、本当の豊かさについて日々語り合っている。

 


待ち合わせのカフェに着いたのは、約束の時間より十分前のこと。


庭木のアカシアからこぼれ落ちるように咲く黄色いミモザをくぐり抜け、群生するムラサキゴテンの小道を渡った先に、真っ白な漆喰と古い木材で造られた建物が見える。


真鍮のドアノブを回すと、扉の中から首の細い金髪の女性が現れた。


「お一人ですか」


「いえ、あの…、鵜戸で予約してあると思うのですが」

 

宮崎千穂が不確かにそう尋ねると、女性は、ああ、たまちゃんの、と朗らかに頷いて、店の奥へ案内してくれた。


店内は素朴な木のテーブルと種類のさまざまなチェアが相性よく組まれており、円い天窓から自然光がやわらかく降りてきている。


静かに頷き合う中性的なカップルの横を通り過ぎ、宮崎千穂は一番奥の角席にたどり着いた。


そこには「reserve」と書かれた札が置いてあるだけで、まだ人の姿は見られない。


店員が水とメニューを持ってくるまでの間、彼女は二つあるうちのどちらの席に座るべきか悩んだ。


なんとなく上座を避けて、手前にあるしっとりとしたモケット地のソファチェアに腰を下ろしてみる。


が、すぐに立ち上がる。


入り口に背を向けて座ることがためらわれたからだ。


少し考えた末に、相手が来たらすぐ立ち上がって挨拶できるよう、奥の席に座って待つことにした。


一人掛け用の黒い革のソファに身を預けようとしたところ、厚い漆喰の壁を半円アーチ型にくり抜いた窓から、ちょうど日が射し込んでくる。


汗をかきたくない彼女は、結局、元のソファチェアに浅く腰をかけることにした。


落ち着かなかった。


正面の壁には大きな天然木の額縁がかけられていた。


そこには名前の知らない奇妙な植物が垂直に固定され、鹿の角のようなかたちをした葉が対になって生えている。


まるで小さな子供の頭から豊かな想像力が噴き出ているようだ。


「コウモリランです」と先程の店員が言った。「別名をプラティケリウム・リドレイと言います」


生きているんですか、と宮崎千穂は訊いた。


差し出された冷たいおしぼりを受け取り、小さく頭を下げる。


「生きていますよ。この小さな頭みたいな部分が、元々、他の樹や岩にくっついて生きる性質を持っているんです」

 

呼吸する絵画みたいなものですね。


そう言って彼女はB5サイズのメニューをひらいて、午後のティータイムセットをすすめた。


手作りのシフォンケーキとセットドリンクで千五百円。


そんなものか、と宮崎千穂は思った。

 

ものの価値というのは人の感じ方によって変わる。


不当な額だと思われた結婚式のご祝儀も、今となれば気持ちの良いボランティアだった。


ある日、鵜戸たま子から礼状が届いたとき、宮崎千穂はまさかと思い、少し怖くなった。


祈りに対する答えがさっそく返ってきたのだと思い込んだ彼女は、いつになく敬虔な気持ちでハガキの内容を確かめた。


それは大量印刷された定型文ではなく、きちんと本人の手書きによる、確かな「証明書」だった。


自分が「ただの人数合わせではなかった」ということを知って、宮崎千穂はひどく安心した。


文末には、小さな丸文字で次のように書かれている。


〈今度なぎさちゃんと三人でお茶でもしましょう〉


それがよくある社交辞令だということは重々、承知していた。


承知したうえで、宮崎千穂はSNSからメッセージを送った。


面と向かって話したこともない人から急なアプローチを受ければ、誰だって警戒するはずだ。


彼女のリアクションに少しでも距離を感じたら、潔く諦めようと思う。


〈もしよかったら本当にお茶でもしませんか〉


後方で入り口のベルが鳴った。


しばらくすると店員の声が親しげなトーンに上がる。


たまちゃん、かもしれない。


まもなく笑顔で打ち解けた二人が、この落ち着かない角席へ向かって歩いてくる。


逃げ場はない。


宮崎千穂は、ほのかに柑橘の香りがするグラスを両手で強く握りしめた。


〈いいですよ。代官山に良い雰囲気のカフェがあります〉〈なぎさちゃんには私から連絡をしましょうか〉


すぐ立ち上がって挨拶をするつもりのはずが、宮崎千穂はソファチェアに沈んだまま表情を硬くして、いつまでたっても後ろを振り向けずにいた。


〈いえ、できれば二人だけでお会いできませんか〉〈話したいことがあるんです〉


話したいことがあるんです。


宮崎千穂はとつぜん自分の発言に試された。


心外な気持ちになり、スマホを手から放して、しばらく一人で頭を抱え込んだ。


いったいどういうつもりで彼女に近づこうとしているのか自分でもよくわからなかった。


わからないまま、取り返しのつかなくなった今日。


たった二人きりで話をしなければならない。


口を開けば、つい長々と言い訳をしてしまいそうだった。


おまたせしました、と声がする。


とてもか細く、あり得ない程に、優しい声。


あ、はい、と言って、宮崎千穂は目を泳がせる。


はい、ではなく、いいえ、と言うべきだった。


すぐ後ろで例の店員の声がする。


そこの席、日が当たって暑くないかな。


いいえ、私はだいじょうぶです。


宮崎さんは、と訊かれて、ことばに詰まった宮崎千穂は、首を小さく横に振った。


ヘンな罪悪感で額がじっとりとする。


「今日、初めてお会いするんですってね」


店員の女性はそう言って、レモンの切り身が入った水差しを空っぽのグラスに傾けた。


「たまちゃんにしてはめずらしいと思って。ほら、この子、人見知りするタイプだから」

 


ほぼ初対面の二人をうまくやわらげようとする店員の気遣いに、宮崎千穂はなんとか追いつこうとした。


目の前では、つまんで広げたおしぼりの内側で〈人見知りするタイプ〉の女の子が恥ずかしそうに笑っている。


明るい茶色のオールインワンに、白い水玉模様のカーディガンをはおった彼女の小さな頭が、ちょうど背後のコウモリランと重なって見える。


それは、時を経て立派な角を生やした子鹿に、ふたたび遭遇したときの感動だった。


ああ、鵜戸たま子だ、と思った。


秘密めいたささやき声で、シャルロットゲンズブールの「Time of the Assassins」が耳によみがえってくる。


もともと店内には音楽が流れていて、今、その心地よさに気がついたのだ。


「私はいつもと同じラベンダーのソーダにします」

 

宮崎さんは、と訊かれ、まだ何も決めていない彼女は、偶然に頼ってメニューを指さした。


真菰茶。


何と読むのかもわからない。

 

注文を書き留めた店員がカウンターの奥へ姿を消した後、二人は沈黙と目が合わないよう、慣れない世辞をなんども交わした。


当たり障りのない笑顔で、お互いにぺこぺこと頭を下げて。


「先日は、ご結婚おめでとうございました」

 

過去形で言ってしまった、と宮崎千穂は思った。


「ああ、その節は」と、鵜戸たま子。「ちゃんとした招待状を用意できなくて、ごめんなさい」

 

いえいえ、そんなことないです。


「確か、なぎさちゃんとは高校が一緒だったんですよね」

 

ええ、そうなんです。


と言った辺りから、宮崎千穂は敬語をやめるタイミングを見失ったと感じた。


「高校のつながりで誘ってもらったのですが、私なんかがほんとに参列してよかったのかどうか…」


というのも、来場者のほとんどが専門学校のつながりで結ばれていたからだ。


誰かにそのことを指摘されたわけでもないのに、宮崎千穂は一人で気にしていた。


あのとき自分だけ目に見えない輪の外にいたことを、いつまでも。


喉の辺りを手でさすり、自虐的に笑ってみせる彼女を、ポカンとした表情で見つめる鵜戸たま子。


何かに気づき、視線が遠くの方に逸れる。


「でも、久々になぎさと再会できたし、こうして鵜戸さんとも知り合えたので…」


結果的によかったと思っている。


あわててそう付け加えようとしたところ、ちょうどよく二人のあいだにシフォンケーキが割って入った。


もったりとした生クリームの上には柚子のピールと青いミントが添えてある。


うす紫色のソーダが光の射す方へ寄せられると、今度は耐熱ガラス製の急須に淹れられた真菰茶が目の前に降りてきた。


何もかもが繊細で、香り高くて、めまいがする。


宮崎千穂は、これらをきちんと平らげたら速やかに撤退したいと思った。


同い年の女の子と雑談をするだけのことが、まさかこんなにも難しくなっているとは。


それはまるで、長年離れて暮らす年頃の娘と自然なコミュニケーションを図ろうとする父親の受難だった。


まいにち規則正しく電車に乗り、会社のルールに則って一日を過ごし、実家の手伝いをした後は、また翌日に向けて体調のコンディションを整えておく。


(不摂生を控えて、早めの就寝を心がける。)


そんな生活を続けているうちに、いつのまにか遊び方を忘れてしまったのだ。


今、目の前にいる鵜戸たま子が何を考え、何を欲しているのか、宮崎千穂にはさっぱりわからない。


女の子だから、やっぱり甘い物が好きなのだろうか。


学生の頃を振り返ると、いつだって自分はたくさんの友人たちと「うまく」やっていたように思う。


ところが卒業して毎日顔を合わせる必要がなくなると、彼らとの連絡は自然と途絶えていった。


狭い教室の中で「うまく」やり過ごしていただけで、結局は、お互いのあいだに情が湧くほどのことは何も起きていなかったのだと知る。


友人とは名ばかりで、行き当たりばったりの、都合のいい関係性など、わざわざ自分から掘り起こすつもりはなかった。


半ば強制的に参加させられる部活動や委員会もなくなった今、宮崎千穂はヘンに自由になった。


そして、途方に暮れた。


幸い、実家にいれば店の手伝いや家事など、やるべきことはたくさんある。


一方で、実家にいながら何もしようとしない弟に対して少し口うるさくなった。


遊んでいないでちゃんと勉強しなさいよ、と。


本当は、そうするしかない今の自分の生き方を強く肯定したいだけなのだ。

 

香ばしさが熱くこもる急須の中のお茶を、同じガラス製の湯呑にとぷとぷと注いでいく。


ほどよく冷めるのを待つあいだ、宮崎千穂は大きく切り分けたシフォンケーキのかたまりを口の中に詰め込んだ。


「わあ、おいしいですね」なんて言って、不自然な時間の流れをごまかすつもりだった。


「ありがとうございます、こんなすてきなお店を予約してくださって」


いえいえ、と鵜戸たま子は言った。


黒い針のようなストローから唇を離して、水滴のついたグラスの表面を紙ナプキンでさっとぬぐう。


「私、好きなんですよね、こういう自然のものが。なんとなく肌に良い気がして」

 

鵜戸たま子は、いつもそうするようにして、ミントの葉をラベンダー色のソーダに浮かべた。


ゆるくウェーブがかかったミディアムヘアを後ろで小さく一つにまとめ、リネン素材のヘアバンドをさりげなくつけている。


センター分けの長い前髪を、右耳の後ろにかけるたびに、彼女の広くてまるいおでこが幼く映えた。


それは、赤くも粉っぽくもない、きれいな肌だった。


途端に、宮崎千穂は自分が話したかったことについて、みるみる目が覚めていった。


「宮崎さんが頼んだ、そのまこも茶って浄化作用があるんですよ。体の中に溜まった老廃物や化学物質を出してくれるので、まいにち飲み続けているとだんだん肌がきれいになるんですって」

 

店員の亀石さんから聞いた話によると、(薬事法の関係で明言はできないが)そのような効果を実感したというお客さんが何人かいるそうだ。


「それじゃあ鵜戸さんも、普段からまこも茶を飲まれているんですか」

 

宮崎千穂は答えを急ぐような気持ちで質問する。


控えめな甘さと鶏卵のコクでいっぱいの口を手で押さえながら。


いいえ、と鵜戸たま子は伏し目がちに答えた。


「まあ、でも実際の効能はさておき、飲んでいて気分の良くなるものは生活の糧になるじゃないですか」


食べていておいしいと思えるシフォンケーキや、見ていて美しいと思えるミモザの花。


感じ方は人それぞれかもしれないが、そういった心を動かされるような瞬間が、私たちにとって大切な栄養になる。活力になる。


また明日も働こうという気力になる。


彼女の話をさえぎらないよう、宮崎千穂は慎重にうなずいた。


鵜戸たま子の場合、こういった自然のものに触れていると、ありのままの状態に近づけるのだという。


「自然体っていうのかしら。ほら、私たち人間も、本来は自然の一部じゃないですか。だから、どんなにがんばっても都合よくコントロールすることなんて、本当はできないと思うんですよね」


そう言って彼女は、まるで自分の指先を動かすようにして木製のフォークを使って見せる。


それは道具を利用するというよりも、自然と共生している感じに近かった。


「そう考えるようになったのも、これまでの人生で私がなんども自分をコントロールしようとして、失敗してきたからなんです。なんというか、生活するために働くのではなくて、働くために生きているような感じで…」


それはとても不幸なことだった。

 

宮崎千穂の推測は半分だけ当たっていた。


彼女と同じく、鵜戸たま子もまた幼い頃からアトピー性皮膚炎を患っている。


しかし、その症状は予想以上に重かった。


全身の皮膚がぶつぶつと赤く腫れて、乾燥し、少しでも体温が上がると苛烈な掻痒感に襲われる。


たとえば食事をした後や、風呂に入ったとき。


特に、夏の夜は眠れないほど痒くなる。


寝ているあいだに無意識に爪でひっかき、朝になるとホラー映画さながら口の端から血が垂れていることもあった。


ひっかき傷には絆創膏を貼り、皮膚の痒みには軟膏を塗りたくる。


しかし寝不足だけはどうすることもできなかった。


当然、学校の授業には身が入らない。


砂が入ったように重たい頭をもたげ、やっとの思いで板書をノートに写し終えると、まぶたを閉じてじっと耐える。


眠いからなのか、痒いからなのか、彼女の感情のベースには常に苛立ちのようなものがにじんでいた。


そのせいか休み時間になっても、他の同級生たちといっしょに遊ぶ気になれなかった。


彼らの気楽なテンションについていけず、その場の雰囲気を台無しにしてしまうことが目に見えていたからだ。


運動場で一輪車の練習や、教室のカーテンにくるまって秘密のおしゃべりをするよりも、涼しい図書室に身を潜めて静かに過ごす方がよっぽど現実的だった。


ところが、そのような逸脱した行動は一部の女の子たちの自意識に障り、「鵜戸たま子は私たちのことを避けている」という思い込みを生んだ。


やがて思い込みは執着に変わり、女の子たちはおもしろ半分に鵜戸たま子の生態を詮索するようなった。


「あの頃は、とにかく放っておいてほしくて。どうして別世界の人たちが私の世界にわざわざ入り込んでくるんだろうと、そう思っていました。


担任の先生も、一人でいるのはよくないとか、みんなで一緒に仲良く遊ぶべきだとか、そういう言い方をするんですよね。


向こうはよかれと思ってやっていることでも、私自身はそうすることを望んでいないので、どんどん精神的に追い詰められていきました」

 

鵜戸たま子は窓の外に視線を移して、グラスの水を口に含んだ。


穏やかな光りを左半身に受けながら、どこか陰りのある表情を右顔に宿している。


おそらく小学六年生の頃の体験が、良くも悪くも彼女を変えてしまったのだ。


「その女の子たち、鵜戸さんに何をしたんですか」

 

宮崎千穂の控えめな問いに、鵜戸たま子は少し考え込む。


そして、哀しそうに笑った。


「アトピーだと、どうしても乾燥した皮膚が白い粉状になって座席の周りにパラパラと落ちてしまうんですよね。


それを見つけた女の子たちが、ニンゲンの皮ふが落ちていると騒ぎ立てたんです。汚いとか、お風呂にちゃんと入っていないとか、少し歪んだかたちで噂が立ってしまって。


保護者からは虐待なんじゃないかと心配する声まで出てきました。


そういった数々のクレームのしわ寄せが、アトピーをよく知らない先生のもとに寄せられるものだから、しまいには学級会が開かれることになったんです」

 

鵜戸たま子は話しながら途中で笑うのをこらえきれなくなった。


おしぼりの端をつまんで口元を覆い隠し、くすくすと肩を揺らしながら、頬を赤らめる。


よっぽど何かおかしなできごとが起きたのだろう。


宮崎千穂はそう推測したが、しばらくして落ち着いてみると鵜戸たま子の目にはうっすらと涙が浮かんでいた。


「私はてっきり話し合いを通して、アトピーに対する思い込みや誤解を一つ一つなくしていくのだと思っていました。


これからも同じ教室で生活していくことを前提として、お互いの自由を尊重し合うために。


だけど、違いました」


担任の先生は、まず同級生たちが感じている不安や不快感を匿名で訊き出していった。


そして、それらを大きな字で黒板にまとめていく。


フケが椅子の周りに落ちていて汚いと感じる。


学校のプールに一緒に入って欲しくない。


直接、肌に触れたらうつりそうで怖い。


すべてはアトピーに関する正しい知識がないために生じる語弊や偏見ばかりだった。


そのような生徒たちのストレートな感想をわざわざ鵜戸たま子の前に公表する必要があったのだろうか、と宮崎千穂は眉をひそめる。


それから担任の先生は鵜戸たま子に訊ねた。


これらの意見について、鵜戸さんはどう思うかと。


「どう思うもなにも、単純にショックでした。


自分が普通に生活しているだけで、周りの人にこんなに迷惑をかけていたのだと思うと、もう、ごめんなさい、としか言いようがなかったです」


「鵜戸さんが謝ることじゃないですよ」と宮崎千穂は言った。「だってなりたくてなった病気じゃないんですから」


鵜戸たま子は人差し指のつけ根で鼻の下を押さえ、目を潤ませながら、なんどか小さく頷いた。


「とにかく、あのとき私は、ひどく狼狽していました。


教室内の雰囲気が異様なくらい静かで、じりじりと変なプレッシャーが押し寄せてくるんです。


今思えば、あれは苛立ちですね。私の存在が、先生や同級生のみんなをイライラさせていたんです。


そのことにやっと気づいた私は、すぐさま黒板に書いてある内容をじぶんのノートに書き写しました」


来週もまた話し合うため、それまでに病院でアドバイスをもらってくるように。


担任の先生は、鵜戸たま子に向かってそう言った。


そして、鵜戸たま子はこれからも学校に通う必要があるため、当惑しながらも言われた通りに実行した。


鵜戸たま子の母は、その時点でなんとなく娘の異変を感じ取っていた。


しかし、できればもうプールには入りたくない、と言い張る娘のことばをそのまま受け取った。


けれども、それは本当にたま子ちゃんが自分で思ったことなのかな、と皮膚科の医師は訊ねた。


三十代の、若い女性の先生だ。


わからない、と十二歳の少女はつぶやいた。


わからないです。


自分がどう思うか、ではなくて、周りの人たちにどう思われるか。


気づくと、鵜戸たま子はそればっかり考えていた。


何をするにしても、また人に迷惑をかけたらどうしよう、という不安がついてまわる。


しだいに彼女は、授業が終わるたびに座席の周りを雑巾で丹念に拭くようになった。


夏でも長袖を着たり、手袋をはめたりして、同級生と直接触れ合わないよう細心の注意を払った。

 

もちろんアトピーは身体接触で他人にうつるような病気ではない。


シャワーと保湿ケアさえしっかりと行えば、プールの授業も問題なく参加できる。


とはいえプールの塩素が皮膚を刺激しかねないため、症状が落ち着いているときに限られる。


鵜戸たま子の場合、もともと重度のアトピーを患っている上に、過度なストレスで症状がひどくなっていた。


そのため皮膚科の医師と相談して、症状が落ち着くまでのあいだプールの授業は休むよう診断書を書いてもらった。


その日から、たった一枚の紙きれが鵜戸たま子のお守りになった。


これさえあれば周りの人にじぶんの体質を理解してもらえる。


先生や同級生のみんなに正式に赦してもらえば、自分はこれからも教室という社会の中できちんと生きていける。


べつにプールの授業がとくべつ好きだったわけでもない。


だから、残念に思う必要はないのだと、彼女はじぶん自身に言い聞かせた。


しかし、学校へ行く道の途中で背中が重いと感じ、ふと立ち止まる。


鵜戸たま子は、なんとなく宙を見上げたまま動けなくなった。


とつぜん巨大な津波のようなものを、小さなからだの内側に感じた。


心臓がバクバクと赤く腫れあがり、容赦なく込み上げてくる焦燥感に、思わず意識を失いそうになる。


だれもいない場所で倒れたら大変だと思い、音のする大通りに飛び出した。


か細い声で、あっ、あっと助けを求める。


傍から見ただけでは、彼女の身にいったい何が起きているのかわからない。


耳にイヤホンを繋いだ女子高生や、スマホに目を落とした若いサラリーマンの男性が、カンカンとけたたましく鳴る踏み切りの向こう側に見える。


彼女は軽度のうつ状態に陥っていた。


「お母さんは、本当に気づかなかったんですか。鵜戸さんの心に限界がきていることに…」


「たぶん母は、いろんな意味で、これからも学校へ行って欲しかったんだと思います。

私もなんとなくそれを感じ取っていたので、学校へ行かないという選択肢は考えていなかったですね」


「それで無理に自分を変えようとしたんですか」


「とにかく早く変わらなきゃ、あの恥辱の学級会も終わらないと思っていましたから」


 鵜戸たま子は、もうすべて終わったこととして寂しそうに笑った。


「当然、周りの大人は理由を知りたがりました。学校でいったい何があったのかと」


「その何かを解決すれば、きっと元通りになると思ったんですね」


「ええ、ですが、そういうことではないんです」と鵜戸たま子は慎重にことばを選んだ。


「なんというか、これは心の中で起きたことなんです。


実際に起きたことを説明しても、周りの大人は頭で理解しようとするので、肝心なことが何も伝わりませ

ん。


特に祖父なんかは、たかがプールの授業に参加できなかったくらいでめそめそするんじゃない、と。


そういう捉え方をするんです」


「プールの件は表面的なできごとに過ぎない、ということですか」


「ええ、ええ。プールが入れるようになったところで、元通りになる話ではないんです。


あのとき確実に、私の中で何かが失われたんですから」


人の顔色を窺って、自分の気持ちを押し殺す。


そんな風にしないと帳尻が合わない人生を、これからもずっと続けていくのは困難だ。


その場にいる生徒一人一人の個体差を認めた上で、共生していくための新しい方法を模索するのでなければ、学校は社会としての機能を果たさない。


「…だって、そ、その方が合理的じゃないですか。


…効率よく勉強の成果を上げるための場所に、…私みたいな足手まといな存在がいたら、…ま、まわりの人にとって害悪ですよ」

 

学校へ行きたくないのはなぜかと訊かれ、しばらく沈黙した末に鵜戸たま子が返した答えはそれだった。


窓の外へ目を向けたまま、誰とも心を通わせたくないといった感じだ。


心療内科の医師は、うんうんと頷いて、そうか、害悪か、とつぶやいた。


「そんなこと言ったって、学校へ行かないでどうするのよ、将来。せめて、高校くらいは卒業しておかないと」


鵜戸たま子の母は怒ったような声で娘を揺さぶった。


心配する気持ちが返って本人を苦しめているとは思ってもみない。


彼女自身がきちんとした家庭できちんとした教育を受けてきたばかりに、娘にもきちんとしてもらわないといけないと思い込んでいる。


つまりは「良い学校に行って、良い会社に入る」というやつだ。


実際、鵜戸たま子の母は有名私立大学のフランス文学学科に入学し、国際線の客室乗務員として某大手航空会社に就職している。


東京とパリをつなぐロングフライトの最前線として活躍していたが、妊娠と産休を機にしばらく地上での内勤に移ることとなった。


片道およそ十三時間の乗務は、現地での宿泊期間も含めると二泊四日の旅となる。


その間、家を空けることになるため、娘が大きくなるまではきちんと「母親」になりきる必要があった。


彼女の計画としては、小学校高学年から朝の身支度を一人でできるよう覚えさせ、平日の夜はスーパーで買ってきた惣菜などをレンジでチンして食べさせる。


家族三人分の洗濯や掃除などは休日にまとめて行い、これらの習慣を問題なく続けることができれば、娘がちょうど中学へ進学する頃には(段階的に)元のフライトスケジュールに復帰できるはずだった。


それなのに、どうしてこのタイミングで―――。


ちょうど同じタイミングで、鵜戸たま子の父も仕事に行き詰まっていた。


建築家として都内の設計事務所に腰を据えること十七年、何の問題もなく続けてきたいくつかの習慣が、新しい世代のクライアントを前にして通用しなくなってきたのだ。


聞き取った要望を元に建物のデザインをする段階で、なぜかクライアントの意向をうまくつかめない。


「いえ、もっとふつうのデザインでいいです」というフィードバックが返ってくるたびに、彼らの言う「ふつう」が何なのか理解できなかった。


このまま再考を重ねてもクライアントが満足する意匠設計を提供できなかった場合、さいあく商談は打ち切りになる。


ところが、意外にも新人の女性社員なんかが、求められている「ふつう」の正体をすんなりと言い当ててしまう。


良くも悪くも人生の大半の時間を仕事に費やしてきた鵜戸たま子の父は、経験と知識が増えた一方で、そういった感性が少しずつ鈍っていることに気づかなかった。


知らないあいだに娘の身に異変が生じていたのと同様に。


いったいどうしてこんなことになったんだ、という言い方を彼はした。


ちゃんとした「母親」だったら娘の身に起きたことくらい説明できるだろうと。


鈍感な夫にいよいよ我慢がならなくなった妻は、ちゃんとした「父親」がいたらこんなことにはならなかったと大声でわめいた。


そうなってくるともう、ただの罵り合いが続くばかりだった。


お互いを責め立てる文句の一つ一つが、暗い子供部屋でうずくまる娘の心に重たく突き刺さる。


まるで右手の爪で左手首のやわらかい肉を引き裂くような、自虐的な痛みだった。


進学に備えて母親から与えられた国語の教科書には、宮沢賢治の『オツベルと象』が載っている。


鵜戸たま子は、月明りの下でその一節を口に出して読んだ。


もう、さようなら、サンタマリア。


「あの頃は、ほとんど掻くために生きているような気分でしたね。いつになったら自分はふつうの肌になって、いつになったらふつうの学生生活がおくれるのか、そればっかり考えていましたから」


「結局、そのあと学校へ戻ることはなかったんですか」と、宮崎千穂は訊ねた。


「ええ、そうですね。中学校へ通うことはありませんでした。他校の生徒が加わるとは言え、小学校の人間関係はそのまま続くわけですから。


もちろん、人生を踏み外したような焦りは感じていましたよ。最後まで私のことを〈甘えている〉と考える人もいましたから」

 

むしろ上手に甘えることができなかったせいでうつ状態に陥ったとは誰も想像しなかった。


どういうわけか鵜戸たま子の体は鉛のように重たく、朝の決まった時間帯に起き上がることができなくなった。


母は娘のために仕事を休もうとするが、娘はそれを嫌がった。


重たいといえば、母のそういったスケジュールが人生の重荷になっているのだった。


仕事に行かなければならない、けれども、子供の面倒も看なければならない。


料理は栄養のバランスが偏らないよう作らなければならないし、毎月一回はママ友とのお付き合いに参加しなければならない。


それに加えて、早く元の〈かわいい孫〉に戻って欲しいという祖父の願望も叶えてやらなければならないし、将来はやっぱり〈良い大学〉に入って欲しいという祖母の期待も順に待っている。


おそらく〈良い会社〉に就職した頃には「そろそろ良い人を見つけなさい」とほのめかされ、ようやく結婚した頃には「早く孫の顔が見たい」と急かされるのだろう。


これまで大人の都合に合わせて計画通り育ってきた鵜戸たま子だが、唯一だれの思い通りにもならないものがある。


それが人の心というものだ。


しわくちゃのベッドから這い降りて、リビングに誰もいないことを確かめると少しほっとする。


しかし、すぐに胸がきゅうっと細く縮まり、黒い穴のような不安が目の前にぶつぶつと広がる。


世の中から一人取り残されてしまった現実が身に迫ってくる。


あわててリモコンを手に取り、テレビをつける。するとニュースがどっとあふれ出し、偶然にもある社会問題が目に飛び込んでくる。


学校や仕事に行かず、人との接点を持たないまま家に引きこもる人たち。


高齢化が進む日本で、その数がいよいよ百万人を超えるようになり、長期化した事例では中高年の引きこもりが親の年金を頼りになんとか生活をしのいでいるという。


鵜戸たま子はなぜか卑怯なことをしている気分になり、食べようとしていた菓子パンをそっと棚に戻した。


またいつ発作が起きるかわからなくて、一人でいるのが怖い。


せめて人のいる場所に移動しようと思い、お年玉でもらった一万円札と中学の教科書を持って図書館へ出かけた。


鵜戸たま子の母は、仕事の合間に一人で心療内科へ通った。


娘がどうしても行きたがらないので、保護者として仕方なく状況を説明しにいく。


最初は娘の身にあったできごとを客観的に説明するつもりが、だんだんと「こんなはずじゃなかった」という母親の主観が入り込む。


しまいには感情的になりながら、自分がどれほど大変な思いを抱えているのか訴え始めた。


あまり得意でない家事と、慣れない育児にとまどいながら、それでも今の仕事をなんとか続けてきたこと。


そして、これからは元のロングフライトを軸にした生活に戻さなければならないこと。


「本当はすごく不安なんです。仕事の感覚も、体力も、すっかり衰えてしまって。このまま元通りの生活に戻っても、若い子たちの足を引っ張るんじゃないかと思うと、なんだか申し訳なくて…」


今まで通りのやり方では、いつか仕事も家庭も立ち行かなくなる。


鵜戸たま子の父もまた、そのことを頭でわかり始めていた。


しかし、今の自分がどう変わればいいのか、さっぱりわからない。


そこで彼はのぼりつめた役職とプライドを投げ打って、新人の女性社員と同じ目線に立つことを試みた。


会社の飲み会があれば、さりげなく彼女たちの聞き役に回り、流行りの物事に関心を寄せてみる。


最初は女の子たちが何を話しているのかちんぷんかんぷんだったが、謙虚な気持ちで聴き続けていると、やがて一つのことがわかってきた。


彼女たちは会社に〈所属〉はしているが、〈居場所〉まで会社に求めていないということ。


それは、どこか別の場所で自分らしくありながら、遠巻きに仕事を見つめているということだった。


鵜戸たま子の両親は感情がおさまった頃にもう一度、話し合った。


今後の事をなんども、なんども話し合った。


その結果、お互いの役割のバランスを見直すこととなった。


多すぎる役割にプレッシャーを感じていた母は、まずロングフライトの乗務に専念できるよう、負担となっている家事をいくらか手放す。


会社にどっぷりと浸かっていた父は、仕事の割合をいくらか減らして、新鮮な気持ちで家事に取り組む。


これらの改革がうまくいくかどうか、やってみないことにはわからない。


とにかく、娘のなかで〈何か〉が喪失したのだ。


その空白を悼み、新しく生まれ変わるような気持ちで変化することが求められていた。


症状が落ち着くまでのあいだ、鵜戸たま子は一人で中学の勉強を試みた。


すぐに元の生活へ戻って行けるよう、教科書をひらいて数学の方程式を指でたどってみる。


が、脅迫めいた焦りと不安で目の前のことに集中できない。


それどころか、文章問題に登場する人物の名前を見て、思わず鳥肌が立った。


同級生の女の子たちと全く同じ名前なのだ。


鵜戸たま子は教科書をさっと閉じて、もういないはずの彼女たちから逃れようとした。


図書館に隣接するコンビニへ駆け込み、なにか甘いものを食べようと思う。


チョコレート、プリン、アイスクリーム。


それらに手を伸ばそうとすると、レジの方で小銭がチャリーンと音をたてて落ちた。


びくっと驚いて肩をすくめる鵜戸たま子。


ざあっと血の気が引いていく。


お金がある、ないの問題ではない。


こんな状態で将来ほんとうに食べていけるのかどうかが心配なのだった。


女だからといって、大人になったら結婚して男性に養ってもらうのがあたりまえの世の中ではない。


きちんと自分のごはん代をじぶんで稼いでいく時代だ。


そう思うとまた、鵜戸たま子は、あの学級会のなかにいた。


意識だけが、いつまでも、あの時をさまよい、自分が否定されたことを覚えている。


〈はっきり言って、お前は要らない〉〈居るだけで迷惑〉と。


鵜戸たま子は、唾をごくりと呑み込んで、ただじっと堪えていた。


自分の内側から、もやもやと吐き気のようなものが込み上げてくる。


溜まりに溜まった鬱憤が喉元にきつく臭い始めていた。


そのせいで、ずっと気分が悪いのだ。


気分が悪いことをだれかに訴えようとすると、すぐさま〈声〉によって引っぱたかれる。


〈甘えるな〉〈ぜんぶお前が悪い〉

 

鵜戸たま子は遠い先の未来を悲観した。


どんなにがんばって勉強しても、この肌を患っていてはまともに生きていけない。


きっとどこへ行っても同じような目に遭うのだろう。


そう思うと、口にするものすべてがアトピーを助長するような気がして、食欲が失せた。


もので溢れ返るコンビニの中をぐるぐるとさまよったあげく、ペットボトル入りの水だけ買って、図書館の休憩スペースへと戻った。


もちろん両親はお小遣いをたっぷり与えてくれるし、家に帰れば栄養たっぷりの夕食をつくってもらえる。


ただ、気持ちの問題で、彼女はみるみる痩せ細っていった。


ある日、その様子を見兼ねたホームレスの男性が、湯の入ったカップラーメンを二つ持って休憩スペースに現れた。


白髪の入り混じった長い髪を後ろで一つに結び、雨に濡れたような服装をしている。


彼の存在を、鵜戸たま子はなんとなく知っていた。


たまに一階の新聞コーナーで見かけるくらいで、目を合わせたことは一度もない。


「お嬢ちゃん、ちゃんと食わねえとダメだ」

 

そう言ってホームレスの男性はカップラーメンを一つ差し出した。


あの、でも、と言って、鵜戸たま子はうろたえる。


キャメル色のランドセルから財布を取り出そうとすると、いらん、と彼は言った。


金だったら、いらん。


さっさと麺をすすり始める男性の姿に、鵜戸たま子は唖然とする。


そして、少し目を輝かせながら、見よう見まねで割り箸をこすった。


「えっ、それまでカップラーメンを食べたことなかったんですか」

 

宮崎千穂は目を丸くして訊いた。


最後の一口がフォークの端から、ぽとりと落ちる。


「ええ、あんなにおいしいもの、生まれて初めて食べました」鵜戸たま子は頬を紅潮させて言った。


「それに、なぜかとても安心したんですよね」


「はあ、安心ですか」


「結局、私が本当に飢えていたのは、人とのつながりだったんです。


確かに、口にするものがじぶんの肌にどう影響するかは知っておいた方がいいし、知ったうえで何を食べるかは自己責任です。


ただ、そのことにとらわれて味わう喜びまで拒絶してしまったら、いったい何のために生きているのかわかりません。


それに、アトピーが原因で他人から軽視されたり、蔑ろにされたりすることがなければ、極端な思考に陥ることもなかったんです。


それこそ学校に行けなくなった当時は、人生そのものが終わったと感じていました。


でも教室で起きていることなんて、本当にちっぽけなものです。世の中にはもっとたくさんの人がいて、同時にいろんなことが起きているんですから」

 

それ以来、鵜戸たま子は生き方についての本を熱心に読むようになった。


佐野洋子の『一〇〇万回生きたねこ』や、吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』などの児童書から、大人向けの自己啓発本まで。


スペンサージョンソンの『チーズはどこへ消えた?』では状況の変化に応じて自ら変わり続けていくことの必要性を学び、


河合隼雄の『心の処方箋』では自分の心をだれかに理解してもらうことは、ほとんど不可能に近いと知った。


たとえ相手が親であろうと、自分をわかってもらおうとして言葉を尽すほど、肩透かしをくらうような空しさだけが残る。


ただ、それは人と人がわかり合えないという意味ではない。


たとえ相手が子どもであろうと、人ひとりの中には未知の可能性がひらいていて、大人の経験則で簡単に決めつけることはできないということだ。


「ねえ、たまちゃん。しんどい時にこんなこと言うのもなんだけど、今のうちにいろんなところへ行っておいでよ」

 

そう勧めたのは、鵜戸たま子の家庭教師を務めることになった亀石さんだった。


当時、二十歳の彼女は、木工製作所や英会話カフェの受付など、いくつかのアルバイトをかけ持ちして生活していた。


「…ど、どういうことですか」と鵜戸たま子は恐る恐る訊ねた。


「こんなふうに家でじっとしていても気分が晴れないでしょう」と亀石さんはささやいた。


「無理して外へ出る必要はないけれど、勉強するだけが勉強じゃないのよ」


中学生のとき亀石さんは、みんなが同じ制服を着ていることにずっと違和感を抱いていたという。


そのことを誰とも分かち合えないまま、よーいどんの合図で始まった受験勉強というものに一人だけついていけず、しまいには高校入試で氏名の記入欄をわざと空白にして帰ってきた。


だれかに反抗したかったわけではない。


ただ、学校と塾と家を往復するだけの日々のなかで少しずつ、そのような考えになっていったのだ。


「…お、お父さんは、…なんて言っていましたか」


「わけがわからないって」亀石さんは、仕方なさそうに笑った。

 

どうしてみんなと同じようにしなかったのか、と一人親の父は問うた。


どうしてみんなと同じようにできなかったのか、本人にもわからなかった。


ただ、周りの大人に相談しても、どうせわかってもらえないだろうと思った。


彼女は胸にしまい込んでいた苦しみを恐る恐る表現した。


そうだとしても、と父は静かに口をひらいた。


たとえ理解できなかったとしても、おまえのことを信じてやることならできたはずだ。


そのとき二人は初めて後悔をした。


「それでね、…か、亀石さんは、お父さんとお話をして、…まいにち行かなくてもいい高校に入ったんだって」

 

助手席で髪をなびかせる十四才の鵜戸たま子。


以前よりも話し方が理路整然としていることに、彼女の父は安心した。


まいにち行かなくていい高校とは、おそらく通信制高校のことだろう。


「そうか。まいにち行かなくてもいいなら、普段は何をして過ごしていたんだろう」


ベージュ色をしたメルセデス・ベンツのW124ワゴンが二人を乗せて、すいすいと進んでいく。


天気の良い日に琵琶湖沿いを運転するのは、なんとも気持ちがよい。


「えっと、…アルバイト、だって」

 

わざわざ働かなくても学費なら親御さんが出してくれるだろうに、と父は思った。


学生時代には同級生の子たちと遊んだり、部活動に励んだりする方が〈良いこと〉のような気もする。


「お金じゃなくて、経験を稼ぐんだって、…か、亀石さん言ってた」

 

ラコリーナ近江八幡に到着すると、二人は車から降りて、青芝の芳ばしさとバームクーヘンの甘い香りを胸いっぱいに吸い込んだ。


もったりとした丘のような建物がさらさらと風に揺れている。


藤森照信の作品を見て「かわいい」と形容する娘の感性に、父はなんだか久しぶりに心の底からワクワクした。


こうして我が子の気分転換をはかるために始めた〈全国の有名な建築をめぐる旅〉は、結果的に、今までにない新しい知見を建築家としての彼にもたらした。


「その頃から、私のからだは精神的な重圧から解放されて、頭のなかに微弱な電気のようなものが流れるようになりました。


わかりやすく言えば、それは人が笑うときに自然と込み上げてくる高揚感のようなものです。


それまでずっと停止していた灰色の歯車が、不器用な音をたてて回り始めた感じでした」


「うつ状態が治ったということですか」宮崎千穂はガラス製の湯呑にあたたかいまこも茶をそっと注ぎ足した。


「治ったというよりも、おそらく周りの人たちとの新しい関係性のなかで生まれ変わったんだと思います。


何も知らなかった頃の私に戻ることはありませんし、正直、未だに過去の記憶に縛られて苦しい思いをしています。


それでも、人はだれかに心を治してもらうことはできないと思うんです。専門家の力を借りることはあっても、結局は、だれのものでもない自分自身の心ですから。


自らのうちなる力で再生するしかないと、私は思っています」

 

きっかけは一冊の絵本だった。


放課後の図書館でなんどもくり返し読んでいた西巻茅子の『わたしのワンピース』が、ひとりぼっちの鵜戸たま子に束の間の夢を与えた。


花畑や星空の模様を彩るうさぎさんのワンピースに見とれているあいだ、彼女の心は香り高く、きらきらと輝いた。


いつしか自分もこんなワクワクした気持ちを起こさせる服をつくりたいと思った。

 

そんな様子を見兼ねて、母は、娘にせめて好きなことをさせようと考えた。


ただでさえアトピーというハンディを背負っているのだ。


もはや生きていてくれるだけでいい。


まわりの子どもたちと同じように育って欲しいという考えを改め、縫製の専門学校に行きたいという娘の意思を尊重するようになったのは、ちょうど彼女が客室乗務員として日本とパリを往復する生活に慣れた頃だった。


無事に中学の教育課程を修了した鵜戸たま子は、亀石さんと同じように通信制高校へ入学した。


体調面を考慮して、週に一回だけ通学するコースを選び、たまに近所の仕立屋で洋裁の手伝いをさせてもらうこととなった。


絵本の中の理想と現実の仕事が大きく乖離していないか、事前に確かめておきたいと思ったからだ。


特に、体調面のハンディが原因で仕事を長く続けられなかった場合には、今後の生活に支障が出てしまう。


いつか親がいなくなったとしても、ちゃんと一人で生きていけるよう、今のあなたにできることを見極めるのよ。


亀石さんはそう言い残して、適切なタイミングで家庭教師を辞めていった。


その後、木工作家の見習いとして修業を積むためリトアニアへ渡った彼女のように、実際に働きながら技術を学ぶ方法もある。


一方で、ながらく人との関わりを制限していた鵜戸たま子にとって専門学校への入学は、似たような趣味嗜好の同士と繋がるための、かけがえのない機会となった。


さすがに十九歳にもなるとアトピーという病気を知らない人の方が少なく、周りのクラスメイトは鵜戸たま子の体質を理解したうえで平等に接してくれた。


また、鵜戸たま子自身も周囲への気配りを決して忘れなかった。


自分が座っていた席を離れるときは皮膚の鱗片をウェットティッシュでさっと拭き取り、クラスメイトと共同作業をする際は、相手の意見を先に聴き入れてから自分の意見を述べるよう心がけた。


そういった立ち居振る舞いに表れる彼女の上品さは、良い意味で周囲の目を惹いた。


やがて似たような気質の友人に恵まれた鵜戸たま子は、授業のない日でも男女混合の五人グループで外へ遊びに出かけるようになった。


なるべく日差しの強い場所を避けて、美術館や水族館で涼んだり、レンタカーを借りて山麓のコテージで天体観測をしたりすることもあった。


彼らと過ごす時間のすべてが特別だった。


年輩の人から譲歩してもらえるコミュニケーションとは違って、言葉を尽さなくても直感的にわかり合える近さが嬉しかった。


星座を指でなぞりながら、お互いの過去をそれぞれ打ち明けていくなか、鵜戸たま子は心の奥深くで雪解けのような慈悲に目覚めていった。


アトピーへの理解を得られず、同級生の女の子たちから指をさされた小学六年生の頃。


疎外されたのは自分の方ばかりだと思っていたが、そうでなかった。


ふつうの肌を持つ彼女たちを「別世界の人」と見なし、心の外に閉め出したのは自分も同じだと気づいた瞬間、彼女は脳裏に深く埋め込まれた悲しみと怒りを、およそ七年越しに自分のものとして実感することができた。

 

仲間のうちの一人だった山田幸男は、そういった過去のできごとや今でも続くアトピーの実情を知るほどに、鵜戸たま子に畏敬の念を抱かずにはいられなかった。


ときに周囲に遅れを取りながらも、一針一針、心を込めて縫う姿は、だれよりも情熱的でしたたかだった。


彼女の生き方に魅力を感じていた山田幸男は、その姿をずっと見ていたいと思うようになった。 


初めて恋をしたときの喜びが糸でつながっているとしたら、それはおそらく絵本のなかの挿絵と結ばれている。


学びの集大成を披露する卒業制作において、鵜戸たま子は自身の原点である二種類のワンピースを構想していた。


花畑と星空をモチーフにしたオリジナルのデザインだ。


花びらの膨らみを表現したタックフレアスリーブのワンピースに大小さまざまな銀色のパールをあしらった『あさつゆ』


そして、サイドプリーツワンピースの肩から裾にかけて斜めに広く金色の刺繍を施した『七夕のよるに』


―――それぞれ緻密な手縫い作業を要する作品であり、多くの時間を費やすことは避けられない。


同時に就職活動をする必要もあり、鵜戸たま子はこれまでにないほど時間に追われた。


もともと一つのことにじっくりと取り組む性格のため、企業に提出する書類の締め切りを守ろうとすると、制作過程が著しく停滞する。


とはいえ、小学生のときのような失敗は二度もできない。


世間の流れに遅れてはならないという暗黙のプレッシャーと体力の消耗をチクチクと継ぎ合わせるようにして、深夜に制作の巻き返しを図るのだった。


ある晩のこと、藍色の生地を握りしめる鵜戸たま子の両手に、とつぜん怪しげな赤みがぽつりと灯る。


明け方になると、それは二の腕へと広がり、首までのぼりつめた。


体の内側から燃えさかるような痒みが噴き出し、わなわなと震える手指から金色の糸がすり抜けていく。


炎天下のなか急いで皮膚科に駆け込んだが、遅かった。


どうして外用薬の塗布をとつぜん止めるようなことをしたのかと、医師は咳き込みながら訊ねた。


アトピーの症状を抑えるためにも、処方された軟膏をまいにち全身に塗らなければならない。


頭では、わかっていた。


だが、手がべたべたとしていては、いつまでたっても生地をさわれない。


小さい頃からずっと続けてきた習慣を、彼女は時間のロスだと考えたのだ。

 

一気に悪化した症状をただちに改善する術はなかった。


痒みを抑える飲み薬を内服し、軟膏をもう一度こまめに塗り続けるしかない。


そして、これ以上ストレスを溜め込まないよう今はたっぷりと休息をとること。


いや、そんなことをしている場合ではない、と苛立つ鵜戸たま子に、医師は声を低くして優先順位の必要性を説いた。


まずは〈自分のからだ〉を立て直しなさいと。


体調が整っていなければ〈仕事〉を得ることもできないからだ。


生きていくために必要なのは、まずその二つであって、〈友人〉や〈家族〉との差し迫った約束は、この際きっぱりと断ること。


気づけば、鵜戸たま子はふたたび暗闇のなかで一人うずくまっていた。


糸くずや髪の毛が散乱した床を這って、おそるおそるドレッサーの鏡をのぞき込む。


変わり果てた自分の姿にぞっとした。


顔中が、まるでやけどをしたようにじゅくじゅくとただれている。


そこから否応なく黄色い体液がしみ出てきて、酸っぱい臭いが部屋に立ち込めていた。


閉ざされた窓ガラスの向こうでは、台風の気配が近づいてきている。


企業の面接どころか、一歩も外へ出られない日々が続いた。


学校の友人がこれを見たらどう思うだろう。


山田幸男は、目をそむけて離れていくだろうか。


鵜戸たま子は、布の切れ端でぐるぐる巻きにした手でなんども頬を叩いた。


痒い。痒くて、気が変になりそうだ。


目の前にチリチリとした刺激が飛んで見える。


それらを手で追い払いたい。


でも、ぜったいに皮膚を爪で引っ掻いてはいけない。


一度でも掻いたら、きっと理性を失ってしまうからだ。


将来の夢も、かけがえのない友情も、きっとボロボロに掻き壊してしまう。


両親はその様子をじっと見守ることしかできなかった。


娘のアトピーを代わりに引き受けることはできないし、自分たちの丈夫な皮膚を与えてやることもできない。


親が自分の人生をそっちのけで、子どものためにジタバタしても意味がないことを彼らはすでに学んでいた。


人生の苦しみも喜びも、すべて娘のものである。


今この瞬間をどう捉えて生きていくかは彼女自身が決めることなのだ。


これまでの人生を見つめ直そうとするとき、鵜戸たま子のたましいは必然的に八年前の小学校へと呼び戻された。


昼下がりのちいさな教室で、これから学級会が開かれようとしている。


絵本をたずさえて教壇に立ち尽くす彼女の前に、生徒の姿は見当たらない。


コの字型に配置された席の中央で、あのときと変わらない担任の先生が両手を組んですわっている。


そこは、かつて十二才の鵜戸たま子がすわっていた場所だ。


「それで、病院の先生から何かアドバイスはありましたか」

 

担任の先生からの問いに、鵜戸たま子はゆっくりと頷いた。


手に持っていた絵本の表紙をじっと見つめて、しばらく考えをめぐらせる。


「まずは〈自分のからだ〉を立て直しなさいと。そして、生きていくための〈仕事〉を得ること。

この二つが最も重要な課題です。ただ、焦って今すぐ決めることではないと思うのです。

これらは一生をかけて模索し続ける、人生の課題でもありますから」


私は、生まれ持ったアトピー体質のせいで、生きづらい思いをさんざんしてきました。


でも、そのおかげで人の苦しみがよくわかるようになったのです。


そして、苦しいときに出会った一冊の絵本が、私に生きる術と仲間を与えてくれました。


人生はいつだって、そういった喜びから始まるのだと思います。


あのとき感じた心の震えを表現するとしたら、まちがいなく花畑と星空のワンピースになります。


しかし、縫製の技術を身につけた今の自分が、これから何のために服をつくっていくのか。


そういう視点で将来を見つめ直したとき、私は同じようにアトピーで苦しんでいる人たちに思いを馳せていました。


家族や友人、周りの人たちが自分を愛してくれたように、病気への理解をもって、少しでも着心地のいい服をつくること。


それが今の私にできる最良の〈仕事〉なのではないかと。

 

それまでずっと、無表情のうらで苛立ちを抑えているように見えた担任の先生が、とつぜん寂しそうに笑った。


そうですか、と、肩の荷を下ろしたようにつぶやいた。

 

鵜戸たま子は、背後の黒板に記されたメッセージの意味を感じ取り、ハッと振り返る。


そこで、目が覚めた。


窓の外は朝焼けで滲み、しんと静まり返っている。


台風が通り過ぎたあとの喪失感がしばらく漂っていた。


目の下には隈ができ、頬にはあざが残っている。


鵜戸たま子は、妙に清々しい気持ちだった。


この体で生きていく覚悟ができていたからだ。


そんな彼女のもとにアトピーの新薬の情報が入ったのは、およそ一週間後のことだった。


「アトピーの新薬って…」


宮崎千穂は、机の下でそわそわと手を揉んだ。


さっきからずっとトイレに行きたいのを我慢している。


が、尿意どころではなくなった。


「ご存知ないですか。二〇一八年に日本でも臨床使用が認可された注射薬のことです」

 

知らなかった。


かれこれ十年以上も皮膚科に通っているが、医師から何も聞かされていない。

 

鵜戸たま子曰く、それは従来の軟膏や飲み薬とちがって注射器を使用するタイプの薬だという。


注射を打つ頻度は二週間に一回。


皮膚の痒みを抑えるだけでなく、忙しい時期などに免疫力が低下しても症状が悪化しにくいと言われている。


「その注射薬の良いところは、病院で打ち方さえ教えてもらえば、あとは自宅で投薬できることです。

つまり、処方薬が手元にある間はわざわざ通院しなくてもいいんですよ」


「…へえ、そうなんですね」


時間の制約がなくなる、ということか。


「もちろん病院で先生に注射を打ってもらうこともできます。

私の場合は、夏場に外へ出て歩くだけでも体がほてって痒くなってしまうので、なるべく通院を控えるためにも自分で投薬する方法を選びました」

 

既成概念を突破したのは通院方法だけではない。


鵜戸たま子はこれまでの傾向を踏まえて、最終的に〈就職しない〉という選択肢を選んだ。


アトピーに特化した洋服づくりに専念するため、洋裁のアルバイトを続けながら、ネットで販路を開拓するつもりだという。


初めのうちはSNSや通販サイトを利用して商品を人に見てもらい、需要が見込めるようになったところでブランド化して事業を立ち上げる。


もちろん、すぐにうまくいくわけではない。


作家活動が軌道に乗るまではアルバイト代から生活費を入れるので、しばらく実家に居させてほしい。


そう頼んだところ、両親はしみじみと頷いてこう言った。


あなたがやると決めたことなら喜んで応援する。


失敗してもいいから、まずは挑戦してみなさい。


「それで、実際にやってみてどうでしたか」


宮崎千穂は、目をうるうるさせながら、両手の指先を口元に添えた。


「ええ、おかげさまで、なんとか続けさせてもらっていますよ。

もちろん途中で大変なこともありましたけど。

アトピーの人にとって着心地の良い服って、なんだろうと。改めて考えるとけっこう難しくて…」


「ああ、えっと、そうじゃなくて…」


「…そうじゃなくて」


「注射薬の方です…」


鵜戸たま子は、きょとんとした表情で首を傾げる。


ああ、と言って笑い、ほとんど氷だけのソーダをずずっと吸った。


「特に副作用もなく順調に進んでいますよ。

注射を打ち始めてからだいたい三ヵ月くらいで肌の痒みがすっかり消えました。

乾燥でガサガサしていた部分も、皮脂が出るようになったおかげで、なんだかすべすべなんですよね」

 

幼い頃から〈ふつうの肌〉に憧れてきた鵜戸たま子にとって、そのような皮膚の変化は〈あたりまえではない日常〉の契機となった。


これまで掻痒感にまぎれて気づけなかった日常の些細なできごとが、急に一つ一つ感じられるようになったのだ。


みんなで温かい食事を囲んで談笑すること、お風呂に入ってさっぱりとした気分になること、そして夜はぐっすりと寝入り、すっきりとした朝を迎えること。


そのすべてが、ありがたかった。


普段は洋裁の仕事に専ら集中し、休みの日になると山田幸男や友人らと海や音楽フェスへ出かける。


そういった充実した日々が、より一層アトピーに悩む人の役に立ちたいという思いを強くするのだった。

 

宮崎千穂はその話を聴きながら、感心したように、ほうっとため息をついた。


「それで、実際のところいくらするんですか」


「それが、実は、ちょっとお高いんですよね…」と、鵜戸たま子は舌の先を出して、へらへらと笑ってみせる。


「ちょうど今日、実物を持ってきているんです。見ますか?」


「えっ、いいんですか」

 

鵜戸たま子はさっそく円形のかごバッグからビニール袋を取り出し、そのまま宮崎千穂に手渡した。


中には丁寧に折りたたまれた生成色の布が入っている。


おそるおそるひらいてみると、それ自体がブラウスのかたちに広がった。


「オーガニックコットンを使用しているので肌触りと通気性は抜群なのですが、その代わりお値段が…」


「あの、そうじゃなくて」と宮崎千穂はさえぎった。


「私が見たいのは注射薬の方です」

 

外はとうに暮れ始めていた。


窓から西日が射し込み、先ほどから鵜戸たま子を強く照らし続けている。


目をパチパチとさせて戸惑う彼女に、宮崎千穂は影のような感情を抱いた。


日除けをしなくても平気なのだろうか。


見ているだけで肌がじめじめと痒くなってくる。


「えっと、ごめんなさい。注射薬は今、手元になくて。

もし興味があるなら私ではなく、お医者さんに訊いてみるといいですよ」


「そ、それもそうですね」


「ただ…」と鵜戸たま子は斜め下を向いてつぶやいた。


「宮崎さんくらいの症状だと、注射薬を使わせてもらえるかどうかわからないですけど…」

 

そう言いかけて彼女はハッとした。


余計なことを言ってしまったと思い、あわてて謝るが、宮崎千穂はひんやりと笑うだけでそれ以上目を合わせようとしなかった。

 

とうとう我慢に限界がきた。


すみませんと一言挟んで、宮崎千穂はトイレへ駆け込んだ。


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