エッセイ 危機意識
暗号も暗証も無し。暗証や暗号への誘導もなし。 加えてまた、現実の人として、交流をはかる住所の番地電話メールアドレスというような現実の私個人の特定可能となりうる連絡先の情報を今後も伝えること無し。面会せず通話せずをこれまでもこれからも徹底いたします。
この第42回活動報告かつ著 櫛之汲 エッセイ 危機意識 では、トラブルのことは上記に留めておき、私の過去を振り返って少し書いておきます。
大学生のときのこと、基礎的な内容に難しい顔になって一頁あたり多くの時間をかけてやっとのことで考え考え本を捲ったことで、久々に私の中で起こったことが感覚がある。読んだから数字に疲れるということではない、何であれ理論につらなる数字は目にしただけで嫌気がさすしまるで興味がない
私は中学と高校と数学を疎かにしてきた。大学でも数学に対して終始関心がなく学ぶこともなかった。卒業をして今までも学ぶことがない。
そんな私が送る日常の中において、櫛之汲としての信条のために、公証人法と著作権法について多少知るために、国会図書館で国会の議事録に目を通す機会があった。
義務教育から高等教育での学習の内容に引っ掛かりがあるように思える。
教科書における現代日本史が扱われないということも間々いわれているように感じるがそこに対しては私は引っ掛かりは感じない。
高校生の頃の私は、法学部に入るための勉強もしないのに自分は将来何らかの法職について、たぶん無理だけど、まあでもファンタジーや児童文学を書きたいとそう思っていた。
大学のころのこと、頁を括るたびに起こる嫌悪感、ゲーム理論や情報の経済学が扱う概念に対して思ったことは、何も知らない折にコンピューターの世界の広がりを端末の画面を通してどんなものかと想像した時に起こるような表しがたい嫌悪感に似ている。読み終えた後の思い、どうしてもっと早く知識として知らなかったのだろうという感想しかなかった。日常の中でも感覚としてはその読後感は把握できる、ただ、決定的に具体像が欠けたもので情報の不確実性や非対称性という概念というものが言語としてはっきり意識していなかった。そのことが恐ろしいと思えなくもない。しかし、その感覚に加えて少し考えれば恐ろしくもない。心理学のなかでは同一の刺激を繰り返すことで同一の刺激の起こる行動を繰り返してしまう心理が起こる、そのような学問上の概念がある、情報の性質についての指摘だが、浅く狭く深く広くどのように考えても限りはなく、また、知識として収納するうえでの納まりがない。理論という言葉通りであるものの考え方という言葉では型が違う。知らなければ日々心穏やかなことのようにも思える。情報の性質について学習することがなかったのもわかるような気がする。学生に教えるにしては酷な内容な気もすると、かつての私は学習に熱心でない大学生にして思った。新聞でも講義でも図書館でもなんであっても統計的に起こることごとへの理解を少し進めるあるいは経済を知る学ぶというのは苦しいと思った。何事においても危機管理的な発想が起こりやすくなる。心理的によくない気がした。日本の経済史は金融に関しては頭を抱えたくなるような惨事ばかりで、ポジティブな内容はないそんな印象を持ち続ける。
学生の抱える連鎖はこうなるのではないか、ということを指摘したい、私はこんな感じだった。山積する社会問題を幅広く知り、法律においてどのような対処が為されるのか、条文では点ばかりで理解しきれないのはなぜかを行政学で学び、日本経済史との関連を想像したらポジティブな内容ではない金融や経済史に立ち戻らないとという思いが起こる。公文書とはどんなものか想像する。我が国において三権分立とは実際どのように生活上機能しているのか想像する。なぜ本当は文字書きをする職種になりたい自分がこんな面倒なことを考えるのかと思いつつも新しく考える考え直すために知ろうとする学問の幅は広がるばかり。刑法分野の犯罪学は扱うものが諸問題への対処方法のような側面があり気持ちが楽ではあるが、ケースバイケースといわれるよう非常に限定的。法職につきたいという気持ちはなかった。本に関する仕事をしたいとも思わなかった。卒業したとき、ファンタジーを書きたいという思いだけが残った、しかし、既に本に関する仕事やサブカルのことは調べていた。金融ほどではないがポジティブな内容はない。国際法には興味がないようだった。そこまで広げてしまうと収集がつかないにも程があるように思えたし、ボリュームとしてだが、正直面倒だったため、だいたいの分野でも以下のようだけれど、国際法も、図書館で本をぱっと捲ってさっと目を通しておくだけだった、教授の講義を聴こうとは思えなかった。国と国の事柄まで興味を広げてしまうと文字書きとして書けそうなことがさらに減ってしまいそうだ、著作権法やその条約の行方について知る必要が出てきてしまった今でもそう思える。薄く広く、これは楽だけど、正直、知らないで済むなら社会問題について何も知りたくない。けれど私の想像力は乏しい。
情報の性質を考えて考慮して知れば知るほど書けるものがなかった気づき書けなくなる。書かないという結論を下してしまう。
現在、2020年4月12日は緊急事態宣言のなか。
社会それから何人の命のために外出の自粛をする意識を持っている人が、比較上、多い、書きたいのは、ただ、厳に外出を控えるべきだ、と思います、ということです。




