いじめ加害者
僕には幼馴染の友人がいた。
途中から放課後に僕がサッカー、友人が野球をするようになり、少し疎遠になったのだ。
しかし進級に伴ってクラスが同じになり、クラス内では良く話すようになる。
あるとき、そいつが遅刻ギリギリで駆け込んできた。
と言ってもまだ時間は少しあったので「寝坊でもしたのか」と揶揄いに近づく。
すると実際に寝坊だったようで髪の毛はボサボサで寝癖だらけだった。
その髪型が、とある芸人のようで冗談でその芸人の名でその友人を呼んで笑う。
その僕の笑いに対し、友人は意味が分からないという顔できょとんとしていた。
それがまたおかしくて、笑っていたら、他のクラスメイトも興味を抱いてやってきたので友人の頭を指さしながら「あの芸人みたいじゃね」と教えると一人は吹き出し、もう一人は感心していた。
そして友人のあだ名がその芸人の名前に決まったのだった。
最初は揶揄い半分で友人も苦笑いをしていた程度だ。
だがここで友人の不運は、クラスのリーダー格の委員長の機嫌が頗る悪かったこと。
この揶揄いのあだ名に委員長が目を付ける。
委員長は性格も良く、勉強も運動も出来るためにスクールカーストのトップだった。
サッカーでも同じ学年では敵う者がいないぐらい巧い。
しかし委員長の兄貴は上級生に対しても勝てるぐらいに巧かったため、その弟ということで期待されていた委員長はそこまでの実力を示せず、上級生から期待外れだと言われ、期待が反転して蔑視されて、雑用を押し付けられたり暴言を吐かれたりとそのプライドを傷つけられて苛立っていたのだ。
過度の期待で僕たち他の同学年よりも厳しくされ、兄貴と比較され、溜息を吐かれ、そんな状況で次第に委員長はやる気を無くしていった。
そしてその捌け口に選ばれてしまったのだ、友人が。
僕たち、このクラスメイトの大半がサッカーをしていたことも友人の運がなかったと思う。野球をやってるやつらは別のクラスだ。
委員長はリーダー格だし、努力していたことを皆知っていたから従っていた。上級生の対応が納得も出来ず、委員長が苛立つことに共感もしていたのだった。
でも恐怖がなかったわけじゃない。標的が自分に移ることを恐れていたのだ。
だから皆、放置した。してしまった。
委員長が友人に当たるのを最初一緒になってやってしまった。
それがエスカレートしても止められなくなってしまう。
共犯だからだ。
それでも話題を逸らせたり、遊びに誘ったり、そうやって少しでも友人を回避するように僕は誘導を試みていた。
クラスメイトにも声を掛けると、友人への対応が酷くなっていることに罪悪感を覚える者も少なからずいたのだ。その者たちに協力をお願いした。
だがそれらの効果は弱く、僕は委員長と距離を取ることにした。
その後、担任にも相談に行く。しかし嫌な顔をされて無視された。面倒ごとが嫌だったのかもしれない。
やはり大人は当てにならない。
一か月後。
友人が自殺した。
後悔が込み上げてくる。チクショー、悔しい。もはや謝罪もできない。
鼻水が出て、目が痛くなる。
もし委員長を止めてたら。あの日あだ名なんてつけなければ。上級生たちから委員長を守れていたら。友人になっていなければ。担任にもっと強く伝えていれたら。もしあのとき……。……たら、……れば。
友人との過去の情景が思い浮かぶ。楽しかったことや喧嘩したこと。遊んだことなど。
だがもう遅い。謝ることも出来はしない。赦されることは永遠に来ない。
だから今出来ることをしよう。友人の両親に謝りにいかねば。
それから葬式に出席しようと友人の家に行くも拒絶され、来るなと叫ばれ、罵倒される始末。
謝罪しようとしても聞く耳を持っちゃくれなかった。
それは何故か。友人の遺言が書かれたノートが見つかったからだ。
それによって友人のいじめが発覚した。
その主犯格が委員長であることや、一緒にいじめていた加害者としてクラスメイトたちの名が挙がっていた。
そして僕の名も……。
しかも、裏切り者だ、とか、友人だと思っていたのに、だとかだけじゃなく、いじめの原因があだ名を最初に付けた僕だと、最後に強調されて書かれていたらしい。
僕は友人の両親に謝罪して赦されたかった。だが、それを許す程甘くなかった。
大人たちに事情を聴かれる。
違う、僕じゃない。僕はやってないッ。
友人、またはその両親の代わりの相手と見做して懺悔をするように、担任に友人のいじめの相談したこと、委員長がクラブの監督やコーチ、上級生などにその兄貴と比べられて酷い扱いをされていたこと、洗い浚い吐き出した。
罪から逃れるように。罰を回避するために。
しかしその話は握り潰された。なかったことにされた。
担任に事前に相談していたことや友人の件の他に更にいじめがあったということを大人たちは隠蔽したいのだろう。クラブの監督やコーチ、上級生たちにはお咎めはなかった。担任も、だ。
そして僕もクラスメイトとの裏付けによって、罰から免れることができた。
安堵した。
そして別の場所へ逃げるように引っ越す。
隠蔽されたので疑惑は残り、そのため非難されることも辛かった。それ以上に友人との思い出があの場所にはあちらこちらに転がっている。
とてもじゃないが堪えられなかった。それが罰だと言われても無理だった。
委員長や他のクラスメイトたちがどうなったのかは分からない。連絡も取れないようにしてしまった。
もう会うこともないだろう。会いたくもない。
そして僕はボランティア活動をするようになった。
しかし自責の念が押し潰すように圧し掛かる。
偽善だ。逃げるな。
そう言われているように思えて、鬱になる。
感謝されても、素直に受け取れない。
友人のように自殺も考えたが怖くて出来なかった。
僕は弱い。
罪から逃れようと引っ越したのに、余計にそれが僕を苛む。
忘れようと思えば思うほど記憶は強化されていく。
罪悪感から逃れようとボランティアに精を出せば出す程、苦しくなる。
死ぬまでこの想いを抱いて生きていくのだろうか。
刑事罰でも受けていれば、この心は軽くなっただろうか。
晴れることのない心の闇が、それを晴らそうと求めるボランティアでの感謝の言葉という光によって、濃くなり深くなり、逃げたい赦されたい、という思いが募って罪悪感が増していく。
光源に近づけば、その影は濃くなり大きく拡がってゆくのだ。
たった一度の人生。玉についた瑕は戻ることがない。
研磨するような人生経験というにはあまりに深い瑕。
友人よ、僕が悪かった。お願いだ。もう赦してくれ。
そう心から叫んでいた。
反省ならいくらでもする。解放してくれ。
頭の中で何度謝ったか、知れない。
だが、あだ名を付けた日の友人の苦笑いの表情が目に焼き付いて脳裏にこびり付きこの業から放さない。