第8話 ……犠牲……
今、一樹の目の前で起こったことはにわかには信じられなかった。あまりに不意に起きたものだったため、理解が追い付かない。
だけど、確かに文音の腹には化け物の爪が貫通して突き出ていることだけは事実だった。
一瞬、一樹の中で時間が停止。しばらくして、床に赤い液体が。そして文音の口からも血が垂れている。
それを見てやっと気づく……。文音が攻撃を受けたことに。
「あ、あやっ!」
逃げようと動き始めていた体を強引に引き戻す奈美。だが、一度勢いに乗り始めた体はそう簡単に方向転換させることを許さない。
一樹もまた攻撃を受けた文音を視界の端で受け止めつつも、前に進む勢いを抑えきれない。
やっとの思いで文音に駆け寄る準備ができた時には、ほかの化け物が文音の前でこちらにまで迫ってきていた。
目の前で邪魔になる化け物を攻撃しつつ文音に近寄ろうとするが、化け物が迫ってくる勢いが強すぎる。
「文音ちゃん! 文音ちゃん!」
必死に叫びつつ目の前の化け物を攻撃する奈美だが、ことごとく急所を外している。決定打となるダメージが入っていない。
焦って冷静になれていないのだ。
遅れて綺星と喜巳花も参戦するが、迫ってくる化け物の数が多すぎる。崩れ落ちかけている文音には一向に近づけない。
そんな中、化け物たちの奥から文音が声を張り上げた。
「……行って! みんな行って!」
明らかに弱っている。必死に絞り出した声といった感じ。それでも全身を振り絞るように立つ文音が後ろにいる自身を攻撃していた化け物に一撃を与える。
まるで、「まだ自分は戦えるから」、「ここは任せて」というように。
この状況において、文音を救出するのは困難。ひとまず後ろに下がって態勢を立て直すのが最善策だろう。だけど、ここの大将、奈美はそれを認めるような人柄ではなかった。
「待ってて! こいつら全部倒すから!」
化け物の頭をつかみ上げ強引に何度も壁に打ち付ける奈美。とてもじゃないが、戦いに知的さがなさすぎる。
そんな統率のない闘いが強いられているなかで、後ろから数回の発砲音が響き渡った。それに合わせて、奈美や一樹の目の雨にいた化け物がひるむ。
「こっちだ! 下がれ! こい!」
後ろで銃を構えていたのは響輝だった。後ろの安全は彼が確保してくれているみたい。
もはや迫りくる化け物で文音の姿は見えない。一樹たちに残された選択肢は一時撤退以外にない。
「奈美ちゃん! 行くよ!」
がむしゃらに戦い続ける奈美の襟をつかみつつ、後ろに下がる。動揺しているのか、喜巳花や綺星たちも戦闘の動きが鈍くなっている。
響輝にサポートしてもらいながら、なんとか後退していくことができた。
ひとまず特別教室棟のところにまで走って逃げていく。だが、当然のように化け物は一樹たちを追って迫り続けている。
「よし、ひとまずどっかの教室に隠れようぜ」
近くのドアに手をかけてみんなを入れようと手招きする響輝。化け物がすぐ後ろまで迫ってきているので、すぐさま教室に入ろうとした。
だが、奈美は響輝の横を素通り。
「いや、三階に行く! 響輝くん! 切り込みお願い!」
「はっ!?」
疑問を投げつける響輝だったが、有無言わさないようにその腕をつかみ引っ張る奈美。そのまま振り子のように回され、前に出ていく。
奈美の意図が理解できなかったが、このままいるのはマズイということは理解できた。とにかく入りかけていた教室から足を外し、みんなで奈美の後を追う。
「ハイハイハイッ! 行って行って! はやくはやくはやくっ!!」
「おう、おう、おう!?」
一方で奈美は響輝のお尻をたたくように三階へと突っ走っていった。
ようやく一樹たちが追い付いたころ、奈美たちは三階の渡り廊下、中央あたりまで走っていた。三階に残っていた化け物はもうすでに倒したらしい。
奈美が指示してきたので、後ろを振り向き、すぐ引き連れてきた化け物と戦闘に入っていく。
「みんな! ちゃっちゃと確実に一瞬で倒していくよ!」
「なにそれ、むずっ!?」
「めっちゃ、むちゃな注文してくるやん」
一樹と喜巳花でツッコミを入れるが、本人はおかまもなし。まるで響輝が乗り移ったかのように突き抜けて前へ行き、化け物と戦闘を繰り広げる。
まだ幸いなのは、奈美も冷静さは取り戻したらしく、戦い方のキレが戻っていることか。
響輝も遅れて奈美の横で戦闘。後ろで一樹と綺星、喜巳花でサポートおよび、倒しこぼしのトドメ。五人になったが、なんとか襲い掛かってくる化け物を倒しきることには成功した。
ひと通り、勝利をおさめられたことを確信して一息、一樹たちが大きく息を吐いて廊下に座り込もうとした。
だが、そんな中をひとり休むことなく廊下を突き進む奈美。
「なにやってるの!? さっさと行くよ! 文音ちゃんを助けなきゃ!」
そんな風に声を張り上げてきた。その言葉を聞いてやっと奈美の意図を理解する。
迫りくる化け物に向かって真正面から向かっても文音にはたどり着けない。
だけど、一度三階に行って化け物を倒してからぐるりと回って通常教室棟の階段を降りていけば、化け物の勢いに逆らうことなく文音のもとに素早くたどり着けるというわけだ。
……本当に奈美は冷静だった。
全員、奈美の行動の意味とその立派さを理解したのだろう。感嘆の声を漏らすものこそいても、反論するものはいなかった。
そのまま三階の渡り廊下を走り抜けて二階へと降りる。真っ先に降り立ったのは奈美だったが、その表情に曇りが見られ辺りを見渡し始める。
一樹も遅れて文音を最後に見た場所を確認。一階に降りる階段で踏み外していたため、この階段の付近に文音はいるはずだが……その姿はない。
代わりに倒された化け物たちが横たわっている。
「……あの傷でこんだけ倒したんや……。えぇ根性しとるやん……」
……喜巳花、……それあおってないか? そんなツッコミは心の中でとどめておくとして……。
「……これ……」
廊下には血が垂れており、それが渡り廊下の曲がり角まで続いている……。ということは……この先に……。
そんなことを考えてしまうと、一樹の足がすくんでしまった。そこから先、前にふみ出すことができない。
そんな中でも奈美はすぐに動く。廊下を走り抜けて曲がり角に近づく。そして、同時にはっきりと驚愕の表情を見せて後ろに跳ねのけた。
……直接見なくても奈美の行動だけでなにが見えたのか想像できてしまった。
助けようと意気込んでいた奈美ですら、動けずにいる。
奈美が再び動き、進もうとするが響輝がそれを止めた。奈美を押して後ろに下がらせると、響輝が渡り廊下へと進んでいく。
そして、しばらくすると、顔をうつむかせた響輝が帰ってきて首を横に振った。
「……もう……遅い……」
響輝の言ったその意味は……いうまでもなかった。




