第10話 いつかどこかで
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人と動物は違う。だれかがそう言った。実際、そう思っている人間は多い。
そりゃそうだ。
だって、明らかに歩んできた歴史が違う。見た目が違う。質が違う。感覚的に同じものだとは、思いづらいものがある。
だけど、本当にビックリするほどの違いがあるのか。生物学としてみれば、人間だって所詮、動物の一種に過ぎないはずなのに。
人間は感覚だけで、自分と違うものを見極め、距離をとろうとする。排除しようとする。離れようとする。
そして、人間同士ですら、違うと判断してしまう。
出身地、性別、地位、資産、容姿、ありとあらゆる違いを見つけては区別しようとする。
だが、それを悲観する必要はない。
動物はさまざまな種があり、みな違う。同じように、人はみな違う。あまたの違いがあるからこそ、世界は成り立つ。
違いがあり、それを認めるからこそ、社会は動く。
なら、悲観すべきことはなにか。それは、違いを認めること。そして受け入れること。それができないことではないだろうか。
違いがあるなんて、当たり前だ。違いがある以上、区別も起こりうる。
だが、違いがある者同士が認め合い、受け入れなければ、そこに生まれるのは争い。潰しあい。
人間の中には、違いを認めようとする人たち、受け入れようという人たちは必ずいる。想像よりもずっと多いのかもしれない。
だけど、変わらない。社会がそれを認めない。認めなかった。
ある者たちは、人間によって作られたにも関わらず、人間に、社会に、認められなかった。
人間と同レベルの思考をし、感情を持ち、意思を持つ。それを認め、受け入れようとする人間はいた。
だけど、社会は彼らを人間とは認めない。見た目が違うから、持っている力が違うから、出生が違うから、創作物だから、……危険だから。
また、違うと判断されたそんな彼らも、心の中で、人間とは違うのだと思い始めていた。違いを認め始めていた。
だけど、それを、違う人間を、受け入れられなかった。
受け入れる余裕を与えられなかった。
社会が、それを認めなかった。
でも、世界のどこかでは、そんな彼らを受け入れてくれる場所があるはず。どこかの世界では、受け入れてくれる場所があるはず。
未来のどこかでは、受け入れてくれる場所があるはず。
どこかにはまだ、きっと希望が残っているはず。今は希望が見えなくても、いずれそんな世界が、場所が生まれるはず。
希望の光は、見え始めるはず
きっと、いつか……。
「みんな、行こう」
「行こうって、どこへだよ?」
「ふっ、どこかだろう。わたしたちの行ける場所のな」
「じゃ、うちん家、くる? 歓迎するで?」
「……それ、どこにあるの?」
「どこだったら、行けるかな」
「どこにだって、行けますよ」
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「おい……っ! だれかいるぞ!」
そんな声が聞こえる。
なにが起こっていたっけ。……なんだろう、ここはどこ? まったくわからない。
……、……でも、……なんだろう。……心地がいい。
「大丈夫か!? 生きてるか!? 返事しろよ! 今、そっち行くっ! おい、だれか、救急車だ、救急車!」
「子供だな。六人か……いや、“七人”だ。七人いるぞっ!」
「大丈夫か!? おい、生きてるか!?」
何度も何度もかけられる声に少しずつ意識が戻っていく。ゆっくりと目が開けた。
視界には……人の顔があった。