第11話 外へ……
最後にすると決めた学校での一夜は驚くほど何事もなく進み、夜が明けた。
別に化け物が襲ってくることもなく、武装したやつらが乗り込んでくることも……だれかが叫ぶこともなく。
それは当然喜ばしいことだ。何事もないということほど、今の一樹たちにとって幸福と言えることはない。
ただ、現実というものを頭の中に踏まえて考えると、一樹たちは完全に放置された状態にあるのか、なんて思ってしまう。
むろん、世話になるつもりなんて毛頭ないし、放っておいてくれて結構だ。どうされようが、こっちが抗うことに変わりはない。
一樹が今、するべきことは……妙に心の中にうずく、飼い犬精神とでもいうのか……実験動物として、植え付けられているのであろう感情の排除。
必要最低限の水と食料だけを持ち、一樹たちは屋上に再び出て行った。今でもなお、奈美は眠っているライトを腕に抱えている。
全員が横に並び、前にそびえたっている壁を前にした。
「それじゃぁ……行こうか」
文音が真っ先にそう口にして、注射器を握り締める。
「あ、待って……文音ちゃん」
全員が意気込もうとするなかで、奈美が文音の手を止めてきた。
「……なんだ? この期に及んで?」
少し呆れたように文音がため息をついて言う。しかし、奈美は表情を変えないまま、文音の注射器に向かって指をさした。
「……本当にいいの? それ使えば……また、化け物に近づいていくんじゃないの?
いま、新しい体でなにもない状態だけど……、それを使えば……また……戻らなく……」
その奈美の言葉に動揺を見せたのは文音ではなく、その隣にいた綺星のほうだった。
同じく注射器を持っていたその手を止めてピクリと反応する。
注射器……変身するシステムは超人的な身体能力を解放できる。それこそ、この壁をなど、この中でもっともたやすく超えることができるはず。
ただ、その代償というのもまた、大きい。変身すれば体力が大きく削られていき、それに対応できるようになれば、逆に平常時の姿も化け物へと変貌していく。
あのサラがこの力を使い続けた慣れの果てでないことはわかっている。だが、使い続けることが……完全な化け物に戻らなくなる可能性を十分にしめしていた。
風が吹く屋上で、短めの髪を揺らしつつ文音が言う。
「わたしは別に構わない。今のわたしにとって必要なのが現状維持でないことだけはたしかだからな。
だが……綺星……。別に君は使わなくてもいい。君ひとりぐらいなら、わたしが抱えて壁など飛び越えて」
そう言って、文音は綺星の手から注射器を取り上げようと手を伸ばす。だが、それより先に綺星は注射器を腕に差し込んでいた。
「なっ? ……おい……」
「綺星ちゃん?」
文音と奈美が心配そうに綺星を見る。
だけど、綺星は空になった注射器を抜き取ると、ふたりに向けて顔を上げた。そ表情は……笑み。
「化け物に近づく? ……あたしたち、もうすでに化け物なんだよね? 人間は向こうのほうで、あたしたちは……みんな同じ化け物。
だったら、迷う必要はないよ」
そう言うと綺星は空になった注射器を屋上から投げ捨てた。それが地面に落ちる音までは聞こえてこない。
「……変身」
綺星がそうつぶやくとその皮膚が変化しだした。
もう見慣れたので、驚くこともない。赤い毛と青い皮膚が生まれて綺星の姿が大きく変貌する。綺星自身も、その力を受け止めるようにただ、まっすぐ壁を見据えている。
「……ふっ……変身」
注射器を刺し終えた文音も続いて似たような姿へと変貌を遂げた。
それを見ていた奈美も再び、笑顔を浮かべて綺星と同じように壁を見据えて、一歩前に出た。
「じゃぁ……みんなで、……行こうか」
奈美のその合図とともに、全員、完全に足揃えて屋上に並ぶ。
「「プットオン」」
「「ドレスアップ」」
それぞれ、システムを使用。かつて化け物を倒すため使用していた力を、今から脱出するために使うべく発動。
「奈美、よかったらわたしがライトを預かろう」
「いや、大丈夫。あたしが……運ぶ」
文音の誘いを断りぐっとライトをかかえなおす奈美。みんなに顔を向けた後、前を見て……壁を見て叫ぶ。
「……いくよ……、三!」
全員、腰を落とし走り出す構え。
「二!」
大きく息をつい、助走開始。屋上を駆け抜ける。
「「「一っ!!」
上級生三人の掛け声とともに、ジャンプをかますための最後の一歩を踏みしめる。
みんなで言い合っていた。
とにかく、全力で飛ぼうと。自分の力の制御を心配したり、飛びすぎる可能性を考えて力を押さえるのは絶対ダメ。
とにかく、……全力で……力の限り……床を蹴り上げろ!
「「「「「「いっけぇぇええええええっ!!!!」」」」」」
全員、一気に屋上を飛び上がる。
同時に一樹の体に強い風が前から襲ってくる。それは一樹の体が勢いよく空に飛び出したことを意味していた。
とにかく、前を見て……、空を見上げてがむしゃらに……。そして……。
全員、ほぼ同時に着地音を鳴らして、壁の上に降り立つことに成功した。
壁の幅はざっと二メートルほど。位置的に幅はまったくわからなかったが、割と広かったんだ。そのおかげで……全員無事に着地成功……。
だけど、みな……その成功に喜びの声を上げることはなかった。
ただ、目の前に広がる景色に圧倒される。
ずっと広がる森。そして山……。上り始めた太陽が広々とした大地を照らし、この世界を一樹たちに見せてくれる。
これからは……この外が一樹たちの生きるべき世界……。立ち向かうべき世界……。
……一樹たちの戦いは……これからだ。