第13項 暗紅の飛来
ーー領主邸
巨大なテーブルを挟み、リリィとディネール領主アーデルが会議をしていた。
豪華な晩餐室はリリィの目を潰すように眩しかった。
「相変わらず、召し上がらないのですね」
アーデルは皿に乗ったフィレ肉をナイフを入れる。
「お気になさらず」
と、リリィは短く答えた。
会合のたびにフルコースを振る舞われるが1度もリリィは料理に手をつけず、飲み物にすら口をつけていない。
「そうですか」
そんなことは気にしていないように、アーデルはフォークを口に運ぶ。
オールバックに整えた黒髪。相手を見据えるような三白眼。威圧感を与えないようにか、いつも穏やかに笑っている。
領主という風格を持ちながら、どこか庶民的な人物だった。
ナイフを置き、ナプキンで口を拭くと
「本日はキャミィさんはいらっしゃらないのですか?」
話を始める。
「申し訳ございません。本日言伝を頼んでおりまして、遅れてまいります」
「いえいえ、お気になさらず。私もあなたのような女性と二人きりでお話出来るのはあまりないですからね」
アーデルは穏やかに笑う。
「ありがとうございます」
軽く会釈をするリリィ。
「言伝となるとお相手はアイリさんでしょうか」
アイリの名前が出るとリリィはピクリと反応する。
「それが、なにか?」
至って平然を装うリリィ。アーデルにも勘づかれているだろうと思うが一向に表情を変えない彼に警戒を強める。
「いや、なんてことはない話なんですが。最近彼女の動きが芳しくない方々がいらっしゃいましてね。わたしも彼らを沈めるのが大変でしてね」
「それは大変申し訳ございません」
「いえいえ、リリィさんのせいではありませんよ。ですがこれ以上は私でも押さえつけられませんので……」
「かしこまりました。相応の対応をさせていただきます」
リリィは内心舌打ちをした。
アイリのことを言われるとは思っていなかったからだ。
こうも早く手を打たれるとは。
「いやー、遅れて申し訳ないっス」
と、キャミィが陽気にやってくる。
「いえいえ、構いませんよ。では、今回はーー」
会合が終わり、2人は領主邸を後にする。
門を出たところでキャミィが口を開く。
「いやー、今回も退屈だったすねー。あの男、あたしでも分からないっておかしな奴スけど……リリィ?」
リリィの様子がいつもと違うことに気がつく。
苦悶に満ちたような苦い顔をして、手を強く握りしめている。
爪がくい込んだ部分から、血がじわりと滲み出している。
「あの男、アイリのことを口に出した……『これ以上は関わるな』そう警告してきたのよ」
この状況は予測していたことだ。対応が早いことは確か。しかし、リリィはアイリのこととなると不安定になってしまう。
そんな様子をキャミィは放つ雰囲気を変えた。いつもの陽気な雰囲気とは違う……もっと刺々しい雰囲気だ。
「この状況は予期していたはず、それが幾ばくか早くなっただけだ。リリィ。お前がしっかりしないと全てが破綻する。分かってるな?」
荒々しい口調になったキャミィはリリィを叱咤する。
リリィもふぅ、と小さく息を吐くと目を瞑る。
数秒、ゆっくりと、呼吸を整える。
「ええ、大丈夫よ」
目を開くといつもの彼女に戻る。表面だけでも取り繕うことは出来た。
ふと見上げる空。
夕焼けに染まり、丘の上から見下ろす街並みも燃えるような海に呑まれていくようだった。
肌に触れる海風は生暖かく、じっとりとして良い気分ではなかった。
「いやな雰囲気ね」
肌で感じ取ったのは風だけではなかった。
空気を伝う魔力の元ーーマナの揺らぎ。
ずっしりと心にのしかかるような重いうねりのようなもの。
ふとキャミィが耳を立てる。
「なにかくる……」
遠くからなにかが飛来してくる音をキャミィの耳が捉える。
その正体はすぐに二人の目の前に現れた。
赤い球体のような飛翔物がディネールの空に悠々と浮遊する。それはまるで近くに現れた二つ目の太陽。
「あれはーー」
その物体は翼を広げその全容を表す。
「--サラマンダー なぜこんなところに!?」
翼膜を開いたサラマンダーにリリィは目を見開く。キャミィも眉間をシワを寄せて凝視している。
サラマンダーは大きく口を開くと
ーーゴアァァァアァァァァアッッーー
巨大な火球を港に向けて吐き出した。
直撃した帆船は破裂音とともにバラバラに砕け散り、破片が周囲へと飛び散った。
轟音を聞きつけた住民たちがぞろぞろと広場に集まってくる。
「ニンゲンヨ」
待機を震わせるようなカタコトの言葉を轟かせる。
「アラガウナ。サモナケレバコノマチハホロビル……」
この言葉にリリィは眼差しを強く向ける。
「クモツヲサシダセ。バンゾクノオウハワタシダ」
その言葉に住民達はザワザワと動揺を見せ始めた。
「勝手な言い草ね」
呆れたように呟いた。
「この街の住人たちはどうするんだろうな。不安定な現状――暴動がいつ起きてもおかしくないぞ」
キャミィは横目でリリィを見た。
冷静な表情。いつもと変わらない雰囲気だ。
ミステリアスな風格を漂わせて空に羽ばたくサラマンダーをじっと見つめるだけ。
読心すればすぐに心中はわかるだろう。しかし、彼女はリリィの心を読もうとはしない。いままでもそれをしたことはほとんどない。
「楽しいことが始まりそうだ」
キャミィはにぃ、と目を細めてニヒルに笑った。
それからはいたって平穏だった。
ディネールを守る壁の外は。
「あの龍の言う通りだ! 供物を捧げれば少なくとも現状は解決される! 龍に従うべきだ!」
「そんなの隷属の自由だろう? 一度要望にしたがうとより無理な要求をされるのが目に見えているじゃないか! ここは一度……」
広場に集まった住民たち。
供物賛成派は圧倒的にすくない。このまま否定派に鎮圧されるのは時間の問題だろう。
だが、興奮しきってヒステリックを起こしている。
一方的に押し付けては乱闘が起きてもおかしくはない状況だ。
様子を遠巻きから腕を組んで眺めていたリリィは無言で、歩を進めた。
一人、颯爽と現れた人物によってその場を支配される――
「みなさん、落ち着きましょう。ここですぐ答えを出しても良い結果になるとは限りません。幸い、あの龍は期限を言っていませんでした。なので時間はあると思っていいでしょう。落ち着いて、ゆっくり決めようではありませんか」
――背広を羽織ったアーデルだ。
ふとリリィとアーデルの目があう。アーデルはにっこり、笑うと周囲の住民に「ひとまず普段の生活に戻りましょう」と言う。
興奮していた供物賛成派もアーデルが出てきたことで、落ち着きを取り戻しつつ、去っていく。
広場に残ったふたり。
「いやぁ、大変なことになってしまいましたね」
軽薄な口調でなんでもないように、笑う。
「と、言う割にはなんということもないように見えるのですが?」
「いやはや、これでも参ってるんですよ。ギルド連合からの圧力もありますし」
やはり問題視はしておらず、むしろリリィとの会話を楽しんでいるだけのように見えた。
「それで、なんのようですか?」
はやくこの場から立ち去りたくてぶっきらぼうに問う。
「いえね。今後の方針をお話ししたくて、また屋敷の方に来てはもらえないかと」
「申し訳ございません。ワタシも今回の件で手がいっぱいになってしまっていて……いつ手が開くかわかりません」
「いえいえ、落ち着いた時で構いませんよ。それではお待ちしていますね」
と言い残すと、軽快な足取りで姿を消すのだった。
「あれがここの領主か? なんかつかみ所のないやつだな」
リリィの背後からゼクスは現れる。
「立ち聞きはよくないわね」
「別にしたくてしたわけじゃない。それにリリィもあの領主も気づいてたっぽかったしな」
リリィは見えないようにニヤッと笑うと、ゼクスに振り向く。
「まあいいわ。いろいろ話すことがあるみたいだから、今日は店、お休みにしましょ」
というと酒場に戻るのだった。




