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花の町ブーケ 花束を君に

作者: 三木千紗

楽しんでいただけたら、嬉しいです。



『花の町ブーケ』とは、ある町のある花屋の名前だ。小さい花屋だが、今日もここには様々な人たちが、花を買いに来る。


こんにちは、ようこそ、花の町ブーケへ。



※成瀬隼人の場合。


「あー…」


成瀬隼人、高校三年生。季節は冬と春の間。

登校前に立ち寄ったその花屋の前でかれこれ、一時間以上は悩んでいる。

早めに家を出て来てよかった。

贈る相手は、隣の家の橋本円(はしもとまどか)だ。小さいころからずっと一緒だった、幼馴染だ。


今年の春。高校卒業後、初めて別々の道を行く。幼稚園から、小中高と同じ学校で、でも高校卒業後、円は隣の県の大学に進学するため、家を出るという。


隼人は地元から近くの大学に通う。

離れ離れになる。

そして、それを知らされたのは、幼馴染として一緒に過ごした、クリスマスのことだった。


自分が知らないうちに円は、志望校を推薦で合格してたらしい。


ずっと好きだった。そして、たぶん円も自分のことを嫌っていない。

毎朝一緒に学校に行っていた。2人で遊んだりもしていた。でも、色っぽい雰囲気になることも無く、多分、2人の間にある「幼馴染」という肩書きが、2人の邪魔をしてきた。


それを打ち破るべく、卒業式が近づいている今日。花束を渡して告白しようと決意し、花の町ブーケに来たのだ。


「何が喜ぶかな…」


花を選んでいるときも、通行人の視線が気になって集中できない。しかも、選んでいるときに、なんて告白しようとか、円はどんな顔をするかとかを考えてしまって、更に集中できない。

隼人は、頭を抱えて、ひとまずその花屋を後にした。



※半田勝の場合。


「いってらっしゃい」

「いってきます」


半田は、妻の加代に見送られて、今日も官舎を後にする。

明日が半田の退官日だ。

航空自衛隊に入隊して50年近く経っていることに、年月の流れる早さを思い知らされる。


「おはようございます、半田二佐」

「おはよう」

「明日ですね」

「ああ」

「寂しいです」


部下の声が湿っぽくなる。少し涙もろいこの部下は、半田に1番懐いてくれていた中野二尉だ。


「そんなこと言うな。うるさいのが一人減ると思えば良いんだし、それに俺は今日が最後じゃない。勘弁してくれ」

「…はい」


敬礼で応えるところも、律儀な部下だ。


「ところで二佐、明日は奥さんとどこか行かれたりするんですか」

「は?」


思いもよらない質問に、半田は怪訝な顔をする。

ですよね、と中野二尉は苦笑いして、言う。


「ずっと支えてくださった奥さんに、ご飯とか…花でも贈られるのかなと思いまして」


そこで中野を呼ぶ声がして、失礼します、と中野は去っていった。


「…花、か」


結婚してめったにプレゼントは渡さなかった。結婚記念日も、まともに祝ったのはいつだったか。毎朝変わらない笑顔で送り出してくれる加代の顔を思い出して、こういう節目に贈り物をするも悪くないかもしれないなと思った。





知り合ったのは友人の紹介だった。同期の林が、会わせたい人がいる、と言ってきた。

そのときまだ30手前で、三尉だった。


「俺の高校の二個下の後輩。どう、会ってみない?」

「会ってみない」


断固と断った。特に結婚願望も無く、恋愛も数えるほどしかしてこなかった。


「なんでよ、会ってみろって!お前上官たちの中でも心配されてんだぞ、結婚できなさそうって!」

「余計なお世話だ」

「そんなこと言わずにさ!会ってみろって、そのうち無理やり見合いとかさせられるぞ!」

「…」


それを考えると少しうんざりした。結婚する相手くらい自分で選ぶ。もっとも、その相手すら、相手に出会う機会すら無いに等しい。自衛隊に関してよく知られた話である。


無理やり見合いさせられて断って気まずくなるより、最近お見合いおばさん化している、同期であり友人でもある林の紹介の方が、いろいろ気まずくないと思った。


「…わかった」

「よし!!」

「その代わり、無理やりくっつけようとかすんなよ」

「わかったって!」


かくして、その次の週に、半田は友人の友人である長谷川加代と、半見合いデートをすることになったのである。


カフェの一角で向かい側に座る加代は、見た目にすごく、美人だった。

この人と自分が?、と思ってしまうほどの美人だった。それでも、年は自分と同い年なのに、どこか可愛らしさを感じる。図書館司書をしているという彼女は、肩までの髪を後ろでまとめていた。


「で、こいつが話した高校の後輩だった長谷川加代。部活が一緒だったんだ」

「よろしくお願いします」


思ったよりはきはきした話し方だった。

半田は黙って頭を下げる。


「で、こいつが同期の半田勝。どう、いい男だろ」

「やめろ」


思わず顔をしかめる。

加代は気にする様子も無く、よろしくお願いします。と頭を下げた。


「じゃ、俺は帰るから!」

「え?」

「え、じゃないよ、俺だってこれからデートなんだよ!じゃあ!ごゆっくり!」


颯爽と去っていった林に2人取り残され、早速半田は会話に悩んだ。

女性と隊の外で2人で話すなど、しばらくぶりのことだった。何を話していいのかわからない。だからこういうのは嫌なんだ。


そろそろ話さなければと悩み始めた頃、加代が先に口を開いた。


「おしゃべりって苦手ですか」

「はぁ、少しだけ…会話を振るのが苦手で」

「そうみたいですね」


加代が笑って紅茶を飲む。半田もコーヒーを飲んだが、少しぬるくなっていた。


それからは加代が自分から話してくれた。本来なら男である自分がリードするべきなのではないか。そう思ったが、加代は本当に楽しそうに話すのだ。黙って聞いていても、問題は無さそうである。


しかし、少しだけ頑張ったことがあってもいいかもしれない。そう思った半田は、今度は自分から話しかけた。


「あの、司書さんだそうで」

「はい、ここの近くの中央図書館で働いています」

「本、お好きなんですか」

「昔からよく読んでいます」


やっと会話が流れてきた。内心ほっとして、加代と話す。しばらく話していて、自分が加代との会話を楽しんでいることに気がついた。自分が相槌を打つだけでいても、加代は気にすることなく話していてくれて、そしてその話がまたおもしろいし、落ち着く。

これは、半田にとって初めてのことだった。そして、加代の声は、聞いていてひどく落ち着いた。


「わたし、話しすぎましたね」


ふと、加代が恥ずかしそうに言った。自分の趣味のことや、高校の時の部活だった陸上のことなど、加代の話は多方面に渡っていた。


「いつもわたし、一人で盛り上がっちゃうんです」

「…いえ、自分は、聞いていて楽しかったので…」

「え、そうですか」


本当だ。2人が頼んだ飲み物は、二杯目も空になっていた。

時間は3時。もう2時間近くここにいた。

ここで別れるのは名残惜しいな。素直にそう思った。だから。


「もし、長谷川さんがよければ、このあと、映画でも観ませんか」


もう少し、この人と話していたい。


「…はい」


加代は微笑んで、笑ってくれた。映画の趣味は合いそうだったので、そこもお互いに気を使わずに済んだ。


映画館から出たときにはもう外は暗くなっていた。そろそろ、という雰囲気がお互いの間に流れ始める。まだ名残惜しいと思ってしまうのは自分だけか。

美人なのは所見でわかった、でも自分の中での加代の評価はそこではなく、人柄で上がっていた。


しかも、女性と話していてこんなに落ち着くのは初めてだった。


これでさよならするのは惜しいと、本能が言った。


「あの」


加代がこちらを向く。


「もしよければ、また、会いませんか」


振り絞って言った言葉は、できれば加代だけに聞こえていて欲しい。

加代は少し顔を赤くして、


「はい」


と言った。うれしかった。晩御飯も一緒に食べるかと思ったが、まだ初対面ということが遠慮させて、連絡先を交換して、その日は別れた。


次の日、林から相当なからかいを受けたのは言うまでもない。


訓練が終わって着替えているとき、林に捕まった。


「あいつ超いいやつなんだって!でもなかなか彼氏とかできなくて俺も心配してたんだよ!で、どっちから次誘ったの?」

「お前に言う筋合い無い」

「いいじゃん、紹介したの俺だもん!」

「人に自分のこういう話するのは主義に反する」

「けち!」

「けちじゃない。お前だって彼女の話俺にしないだろ」

「え、何聞きたい!?じゃぁ話してやるよ!」

「いい」


顔をしかめてロッカーを閉めてかばんを持つ。


「あ、こら逃げんな!」


引き止める林を後に、半田は家路に着いた。


それから電話のやり取りが始まった。

まだ携帯電話が無かった当時、加代は3日に1度のペースで連絡してきた。内容は、とりとめも無いことだ。今日は暖かかったとか、いつもアパートに来る猫にえさをあげたとか。


相槌を返すだけの時が多い。話題を返すときも、返さないときもある。加代は、特に気にした様子もなく、自分の嬉しかったこと、悲しかったことを話す。

それを聞いていて、半田はひどく落ち着くのだ。

半田が忙しく、電話に出れなくても、なにも咎めない。だから、半田も、気負わずにいられた。


惹かれるのに、理由はいらなかった。


告白したのは半田からだ。加代は、いつもの笑顔で頷いてくれた。出会ったときは春だったのに、季節はもう秋になろうとしていた。


付き合いを始めて一年、半田の転属を機に結婚した。


プロポーズのときのことは今でも忘れない。始めは、別れを切り出した。自衛隊は、特殊な職業だ。自分は誇りを持って働いているが、誤解している人も多い。さらに、自分はいついなくなるかもしれない。自分と結婚しても、加代は幸せにはなれないと思った。転属は、一度だけではない。仕事をしている加代を、仕事を辞めさせて縛れない。そして、もし離れて暮らしても、加代をつなぎとめる自信は無かった。話はいつものように、いつもの場所になっていたあのカフェで切り出した。


「転属がかかった」

「…そう」


加代は、なんでもないことのように、返事をした。


「別れようか」


「…どうして?」

「どうしてって…離れ離れになるし…加代だって仕事やめられないだろ」

「…どうして?」


そこで、加代の声色が変わった。今まで聞いたことの無い、泣きそうな、しかし明らかに怒りの含まれた声だ。


「加代」

「わたしは、頻繁に会えないから、はい、別れましょうみたいな気持ちで勝くんと付き合ってるつもりなんて無かったけど。勝くんは違ったみたいだね」

「待ってそうじゃないって」

「そうじゃないなら、一緒に来てくれくらい言ってよ。自分のために仕事辞めてついてきてくれって、言ってよ」


そこで、加代の目からぽろぽろと水が流れた。


「いくら女の気持ちがわからない勝くんでも今のはひどい。傷ついた。それで、怒ってる。あたしは、付き合うって決まったときから覚悟決めてた。転属かかってもついて行くって。そうじゃなきゃ、付き合ってない。本当に勝くんのことすきだもの」

「…泣くなよ」


泣きながら訴えられて、ものすごくうろたえた。ハンカチなんて気の利いたものは持ってないし、お絞りで加代の涙を拭う。こんな時にハンカチすら持ってないような俺だけど、こんな俺でも、君はいいって言ってくれるのか。


「…悲しいから泣くの、しょうがないでしょ」

「ごめん…俺、自信なくて」

「そんなのわたしは知らない」

「勘弁してくれよ」


距離がきついと思っていた。

それは離れることを前提にした話で、結婚なんて、自分が加代にもったいないと思っていた。でも。


こんな風に自分のそばにいたいと泣いてくれる人は、他にいないのではないか。


涙が引いてきた頃、覚悟を決めた。


「やり直していい?」


加代は答えない。でも、だめとは言わなかった。


「ごめん。結婚して転属先に行っても、また全国各地に飛ばされると思う。それでも、俺についてきてくれるなら、結婚してください。いざというときに守ってやれないかもしれない。こんな俺だけど、国を守るのと同じに加代を守りたい。だから結婚してください」


頭を下げる。店内が少しざわついて、また元通りになる。


「守ってくれなくていい」


加代は言った。顔を上げると、加代はいつになく真剣な顔をしていた。


「守ってくれなくてもいいです。自分の身は自分で守る。でも、わたしに、勝くんをいつも家で出迎えさせてください」


そして頭を下げる。


「不束者ですか、よろしくお願いします」


慌てて半田も頭を下げる。


「よろしくお願いします」


そして、思わず、笑いが漏れた。

自分の身は自分で守るって。たくましすぎるだろ。


清楚な見た目には似合わない一面だった。


話が180度回転した結果だった。

それから半年後、式を挙げて、転属先に引っ越した。加代はまた図書館で働き始めた。


「子どもができるまでは働きたいの」


その希望通り、二年後、娘を出産するまで、加代は仕事と家庭を両立した。

その娘も3年前に嫁に行き、今は2人で官舎に住んでいる。


近くの高校で、学校司書として働きながら、知り合った時と変わらず、半田に落ち着きをくれている。





「おかえりなさい」


帰宅すると、いつも加代は玄関で出迎えてくれる。加代の母が、加代に昔から言ってきたことらしい。


「ただいま」


答えて、靴を脱ぐ。

すると、加代はふふ、と笑った。


「なに、なんか変?」

「ううん、昔のこと思い出して」


何のことかわからず、首をかしげた。

加代は楽しそうに言う。


「昔、ただいまって言ってくれないから、わたし拗ねたなぁって」

「ああ、そんなこともあったな」

「今日だから思い出したんだね」


正確には怒られた。

結婚して引っ越して、出勤初日。「いってらっしゃい」と言われることがどうにも気恥ずかしくて。「うん」とか「ああ」とかわからない返事をして、家を出た。そして、帰宅して、「おかえりなさい」と言われて、また朝と同じような返事をした。

すると加代は、「ちゃんと行ってきますとただいまは言葉にしてください!!!!!」と怒った。


「ちゃんと帰ってきたな、っていうのが実感できない!」


と。そういった加代がどうしようもなく愛おしく感じたのは、ここだけの話だ。


「明日はどうする?」


加代が台所から聞いてくる。

多分、加代は外食するかどうかを聞いている。


「家でいいよ」

「でも、ちょっと外出したりしたくない?」

「加代がしたいならいいけど、俺は家で加代の飯食べてる方がいい」

「…勝さんて、たまにかわいいこと言うよね」


よし!!!明日は好きなものを作ってあげよう、何がいい?!と聞かれて、半田もつられて笑った。



※成瀬隼人の場合。2


「どうしよう…」


学校帰りにまた花屋に寄った隼人は、店の前でまた迷っていた。円に一緒に帰ろうと言われたが、用事があると言って断った。


「何がいいんだ…?」


そこに、大学生らしき男性が入ってくる。


「すみません、花束の予約したいんですけど」

「はい、贈り物ですよね?」

「はい」


店員とやり取りを交わしている男性が、どんな注文の仕方をしているのかが気になって、少し聞けないかと、店内に入る。


予約のやり取りは終わっていて、男性は店内の花を見て回っていた。


隼人の視線に気がついたのか、にこ、と笑って尋ねた。


「贈り物?」


話しかけられて戸惑ったが、隼人は答えた。


「ええ、まあ・・・」

「すごいね、高校生だろ?その年で花束あげようなんて俺高校生のとき思わなかったよ」


人懐こそうな笑顔に隼人も緊張が解ける。


「彼女にあげるの?」

「いや、幼馴染で。まだ彼女じゃないっす」

「てことは告白?ロマンチックだねぇ」


若いっていいなぁと男性は笑う。


「お兄さんは、彼女にあげるんじゃないんですか」

「ああ、うん、母にね」


意外な答えに驚く。


「おかあさん?」

「うん、俺今年で就職して家出るんだけど、母がずっと女手ひとつで育ててくれて、大学も出してもらったからね」

「そうなんですか」

「そう、それでさ、『感謝の気持ちは言葉にもしなきゃだめ!』って言われちゃったんだ」

「それは彼女さんですか」

「うん、そう」


彼女いるよなぁやっぱり。


「お母さん、喜んでくれるといいですね」

「ね、俺もそう思うよ」


そこに店員さんが、予約カードを作ってレジに帰ってきた。

予約カードを受け取って、男性は隼人に向き直る。


「じゃあ、ありがとうね、付き合ってもらって」

「あ、いえ」

「頑張ってね、告白」


そう笑って、男性は店を出た。


「…告白の仕方とか、教えてもらえばよかったな」


少しだけ後悔して、隼人もまた店を出る。

すると、後ろから「あれ?」と声がする。この声は俺の方にベクトルが向いてないか、と振り返ると、円がそこに立っていた。


「わ、お前なんでいるの?!」

「なんでって…ここ帰り道だし。あんたが一緒に帰れないとか言うから、拗ねて買い物してきてやった」


花屋に用事?と円が店を覗き込む。

ちょ、帰ろう、と言おうとしたとき、


「あ、この花かわいいね」


と円が言う。


「どれ?!」


と思わず聞いてしまったのはしょうがない。

円は不思議そうに、これ、と指をさす。


「スノードロップ。かわいいよね、花言葉も力強くてさ」


花言葉、希望。

なるほど、と隼人は勝手に納得して、円に帰ろうと言われるまで、スノードロップをずっと見ていた。



※増川未来の場合。


ものごころついた時から、父親はいなかった。自分の妊娠がわかったその日、事故で無くなったのだと、母の華子は教えてくれた。


女手ひとつで自分を大学まで出してくれた母に、何かしたい。

すると、恋人である奈留が、思いもよらない提案をした。


「じゃあ、花束をプレゼントしたら?」


怪訝な顔をした未来を気にも留めず、奈留は続ける。


「花束なんでなかなか贈る機会ないし、お母さんもきっと喜んでくれるよ!」

「でも花束って…なんか、もっと使えるものの方がいいんじゃない」

「花束を押し花にしてくれるのもあるみたいだし、特別感出ないかな?」

「たしかに」

「ね!近くにかわいい花屋さん知ってるよ!ここ!」


そう言って見せてくれたウェブサイトには、「花の町ブーケ」と書かれている。


「感謝の気持ちはちゃんと言葉にしなきゃダメだよ!」


「…行ってみようかな」

「ね!!」


人生で初めて花束をプレゼントしようといていた。



予約した日に花束を受け取りに行って、家に帰る。アパートの一室に花束を隠して、「ただいま」と華子に声をかける。


「おかえり、カレーあるけど食べる?」

「うん」


華子が立ち上がって、台所で鍋に火をかける音がすると、さっと気づかれないように花束を取りに行く。そして、リビングに戻ると、華子が、カレーの皿を未来の席に置いたところだった。


「どこ行ってたの、お母さん独り言言ったみたいになったんだけど!」

「ごめんごめん」


そして、華子の目の前に、花束を差し出す。なんでもいいので華やかなやつにしてください、と頼んだもの。その中には、華子の好きなアネモネも入っている。花言葉は、はかない恋。父が亡くなったときに、この花を見て、花言葉を知り、涙があふれた。でもそのときから、ずっと好きだと言っていた。


「はい」

「…なにこれ」

「なにこれって…花束だよ」

「…なんで」

「なんでって…今までありがとう、みたいな?」

「…なにそれ」


華子が花束を受け取って、抱きしめる。

照れくさくて、頬をかいてしまう。


「今まで…育ててくれてありがと」

「うう~なにそれ~反則だよ~」


華子は涙を流した。一緒にずっと住んできて、初めて、華子は息子の前で泣いた。


「母親一人でいろいろ苦労したと思うし…迷惑もかけたし…ありがとう」

「…もう」


涙を拭きながら、華子は未来に近づいた。そして、抱きついた。

昔は抱っこされる時、華子の胸に顔をうずめていたのに、今となっては華子が未来の胸に顔をうずめている。


「…おっきくなったね」

「22だもん」

「もうそんなに経つんだね」

「うん」


華子の手が、未来の背中をさする。昔から、華子は褒めたり、慰めたりするときに、こうして抱きしめて、背中をさすってくれた。もうこうされるのも、何年ぶりだろう。

急に懐かしくなって、思わず泣きそうになった。


「わたしはね、未来を育ててきて、苦労なんて思ったことも無い」

「でも、再婚もしなかったじゃん」

「…馬鹿ね、ただわたしが、あんたのお父さんを忘れられなかっただけ」


意外と一途なの、あたし。華子はそういって笑った。


「お父さんが死んだとき、本当にどうしようもなくて、苦しくかったけど…未来がいてくれたから、わたしも頑張れたの。こんなにいい子に育ってくれて…お母さん、世界一の幸せ者だわ」


視界が、潤んだ。

華子は、花束、ありがとうね、と、体を離し、花瓶を探しに行く。その間に未来は目を拭った。


華子が花瓶を見つけてきて、水を入れながら言った。


「あとはあんたの花嫁と、孫の顔を見るだけね」

「…まだ就職するところなんだけど」

「気が早いか」


そう笑う華子に未来も笑って、「紹介したい人ならいるよ」と、奈留の顔を思い浮かべながら思った。


奈留を華子に紹介する日は、そう遠くない気がした。



半田勝の場合。2


退官の日。


「いってらっしゃい」

「いってきます」


いつもどおりの朝なのに、いつもどおりじゃない。明日からはこのやり取りが無くなる。少し寂しい気もしたが、加代はいつもどおりだった。


「できるだけ早く帰ってきてね」


と笑って見送られて、半田は家を出た。

勤務が終わって、中野に、声をかけられる。いよいよだ。


「お疲れ様でした」


渡された花束を受け取り、敬礼を返す。そして、思った。

加代に、花束を贈りたい。今まで贈り物なんて、滅多にしてこなかった。でも、加代にこそ、ずっと自分を支えてきて、花束が贈られるべきではないのか。


半田は、歩きながら、中野に尋ねた。


「この近くに、花屋はあるのか」

「近くですか?たしか…花の町とかなんとかっていうのがありましたね」

「そうか、ありがとう」

「奥さんにですか?」

「まぁ、うん」

「いいなあ自分も結婚したいです」

「…がんばれ」

「二佐、結婚式来てくださいね」

「結婚できればな」

「ひどっ」


湿っぽくなるより、この方がありがたい。それでもやっぱり中野は最後には男泣きして、少し隊を離れる名残惜しさが増した。



聞いた花屋を探しに、町に出た。自分も花束を抱えて一度家に帰ると、まだ5時だったからか、加代は帰宅していなかった。もらった花束をとりあえずバケツに生けて家を出てきた。退官後は、基地から少し離れたところにマンションの部屋を借りた。あさって引越しになる。


なれないスマートフォンを起動させて、花屋への地図を見て歩く。すると、思ったよりも近くに、『花の町ブーケ』の看板を見つけた。


店内に入ると、雰囲気のいい店員が、いらっしゃいませ、と声をかける。


「妻になんですけど…適当に見繕ってもらえますか」

「はい、希望の花とかはありますか?」

「えっと…」


そこでなぜか思い出した。結婚式のとき、加代は、ティアラではなく、花冠をしていた。たしかあの時は…


「すみません。カスミソウで作ってもらえますか」


控えめだけど、芯のある花でしょ?カスミソウの花言葉はね、たくさんあるの。清らかな心、無邪気とか、幸福とか。夢見心地、想えば想われるっていう可愛らしいのも言われてるの。でも、感謝とか、永遠の愛って花言葉もあるんだよ。カモミールとか、スイートピーも好きだけど、この花が1番すきなの。だから、カスミソウの花冠を、着けて式に出られたらいいな。


式に関して特に希望は出さなかった加代が唯一自分の希望を言ったことだった。あのときの、花冠をつけた加代は、ものすごく綺麗で、かわいかった。


店員は笑顔でわかりました、と言い、カスミソウの花束を作り始めた。それをそわそわして見つめる。こんなそわそわした気持ちはいつ振りか。


出来上がった花束を受け取り、料金を払って店を出ようとしたところで、高校生らしき男の子が入ってきた。


ぶつかりそうになって、お互いにすみません、と謝る。男の子は、


「花束、お願いします!スノードロップで!気持ちが伝わるやつ!」


と大声で頼んだので、人生経験から、今から男の子が何をしようとしているかすぐにわかった。

若いな、と苦笑いする。

でも今日は自分も、少し若くなったつもりで挑まなくてはならない。

頑張れよ。そう心の中でつぶやいて、半田は店を後にした。




※成瀬隼人の場合。3


結局あれから決断するのに1日かかった。

花束を買うと決断できたのは円と花屋で遭遇してから24時間後。

そして今、スノードロップで作られた花束を抱えて、隼人は走っていた。早く、円に渡したい。

今頃、円は家で母親と夕食の支度をしている頃だろう。


放課後、今日家から出るなよ、とだけ言っておいた。


円は、


「は?」


とは言ったものの、帰り道ずっと隼人がしつこく言ったので、最終的には、


「…わかった」


と頷いた。


早く渡して、気持ちを伝えたい。どんな花束にするか決めたときから、早く早く、と気持ちが急いて仕方が無かった。


この花束を渡して、気持ちを伝えたら、円はどんな顔をするかな。引くかもしれないな。でも、喜ぶかも。もし、喜んで、俺の気持ちも受け取ってくれたら。そのときの顔を、俺は今すごい見たいよ。


と、そのとき、この時間帯からすっかり出来上がっているサラリーマンの団体に出くわした。まだ7時にもなってないだろ、まじかよ。


と、そのとき。ドン、とそのうちの一人にぶつかられて、隼人の手から、花束が滑り落ちた。


「あ、」


慌てて拾おうとしたが、遅かった。花束は、サラリーマンのその団体の方に転がり、踏まれてしまう。


「ちょ、待て、」


やっとのことで拾った花束は、包装も崩れて、花も何本か折れていた。


「まじか…」


一度店に戻って直してもらうか。このまま行くか。

でも遅くなると円の父親が帰宅してくる。知った仲ではあるけれど、出くわすと気まずい。

迷って立ち尽くしていると、自分の目の前で立ち止まる人がいた。


「すみません」


慌ててどこうとすると、


「それ、誰かにプレゼント?」


と聞かれた。


え、と見ると、大学大生らしいかわいい人が、立っている。


「くちゃくちゃになっちゃったね」


心配そうに見る彼女に、はっと気がついて、


「大丈夫です、このまま行きます」


と明るく言った。


「でも、それプレゼントなんじゃないの?」

「そうですけど…あいつは細かいこと気にするやつじゃないんで、大丈夫です!」

「ん~」


いまいち納得のいかない顔で彼女は考え込む。そして、


「あ、わかった!」


そして、隼人の手の中から花束を、ちょっと貸して、と取っていく。


「ちょっと待ってね」


そうして道の端に避けて、5分もしないうちに彼女の手から帰ってきた花束は、かわいいスノードロップの花冠へと姿を変えていた。包装に使われていた水色と白のリボンも器用に編みこまれている。


「すっっっっげぇ!!!!!」

「勝手に変えてごめんね、昔から花冠が好きで、作ってたから…」

「いえ!あのまま持って行くより断然こっちの方がいいです!ありがとうございます!」


ほっとしたように、女子大生の女の人は、


「よかった」


と微笑む。そして、


「さ、がんばれ!」


と隼人の背中を押した。

隼人は、


「ありがとうございました!!!」


と言って、そのまままた走り出した。

女子大生は、その姿を見送って歩き出した。そこに、メールの着信音が鳴る。


メールを開くと、彼氏からのメール。


『昨日、母さんすっごく喜んでくれた。ありがとう。 未来』


彼女は微笑んで、帰ったら返そうと、画面を閉じた。




※半田勝の場合。3


家に帰ると、加代は帰宅していた。ただいま、と玄関で声をかけると、パタパタとスリッパの音がして、加代が奥から出てくる。


「おかえりなさい」

「ただいま」


そして、半田が持っている紙袋を見て、不思議そうな顔をする。


「なあに、それ」


そうやって突っ込んでくれる方が、切り出しやすくていい。


「加代に」


そう言って、カスミソウの花束を取り出す。

そして、普段あまり言うことの無かった言葉を。


「今日まで、ありがとう」

「え…」


加代はよほど驚いたのか、動かない。


「…できれば受け取って何か言って欲しいんですが」

「あぁ…」


やっと花束を受け取り、


「この花…」


と、半田を見る。


「カスミソウ。結婚式のとき、言ってたから」

「覚えててくれたんだね」


加代は花束を抱きしめる。そして、涙。


「…泣くなよ。お前に泣かれるの、嫌なんだ」

「…だって…うれしくて…」


ありがとうを何度も言って、体を預けてくる。半田は、黙って受け止めて、加代の頭をぽんぽんと叩いた。


「うう…」


加代が今度は声を上げて泣き始めるので、いよいよ焦った。


「そんなに泣くか…」

「だ、だって…」


加代は額を半田の胸擦り付ける。


「もう…見送る時、あなたが、今日死ぬかもしれない、もう会えないかもしれない、って思わなくていいんだもの…それが嬉しくて」


思わず目を見開いた。

毎日、今まで、加代はそんな思いで自分を見送り、そして出迎えてくれていたのか。だから彼女は、いつも、いってきますとただいまをちゃんと半田に言わせていたのだ。

自分がちゃんと顔を合わせて出て行き、そして、ちゃんと帰ってきたと、確認できるように。

自分に言わなかっただけで、彼女はずっと不安だったのだ。なのに、災害などの派遣で家を空けた時も、変わらずに。

不安を今日の今日まで自分には察しさせず、自分の身ばかりだけでなく、家も守ってくれた。

たくましくて、しかし可愛らしい、自慢の嫁だ。胸の底から気持ちが込み上げる。


「今日まで、ありがとう」


と言って、加代を抱きしめる。


「…引越し落ち着いたら、旅行にでも行こうか」


半田は言った。


「え、いいの?」


加代は顔を上げる。


「温泉とか…海外でもいいよ」

「え~どこに行こうね!たのしみ!」

「飯の後決めよう」

「そうだね!今日はね、勝さんの好きなものばっか作ったの!」


そう言ってリビングに半田を招きいれて笑う加代は、出会った時から何も変わらない、自分の大事な人だった。




※成瀬隼人の場合。4



スノードロップの花冠を持って、いよいよ隼人は円の家の前に着いた。


すぅ、と息を吸って、玄関のチャイムを鳴らす。


しばらくして、はーい、と、円が出てきた。


「やっと来た。何、今日家から出るなとか言っといてなかなか来ないじゃん」

「悪い」


花冠を後ろに隠して、手招きする。


「ちょっと出てきてくれない」

「え、なになに」


出てきた円はダウンもなにも羽織らずに出てきた。慌てて隼人は自分のコートを脱いで、円に着せる。


「ありがと、隼人寒いんじゃ無い?中入る?」

「いやいいわ、すぐ終わるし」

「?」


さぁ頑張れ自分。今頑張れ自分。


「円さ、ほんとに県外行くの」

「え、行くよ。だって合格したし。県外って言っても隣だけどね!1人暮らしだよ、しょうがないから、隼人は泊まりに来てもいいよ!」


明るくいう円の姿に、少し挫けそうになる。円は自分と離れることをなんとも思ってないのかもしれない。

でも。

しっかりしろ。俺は離れるのは嫌なんだ。

俺は、その部屋に泊まりに行く肩書きを、今から変えにいくんだ。


「俺、言いたいことがあって」

「ん?」


すぅ、ともう一度息を吸って、さぁ。


「俺!円のこと、ずっとずっと好きだった!!!」

「え…?」


円は驚いた目で自分を見上げる。


「お前は俺のこと何とも思ってないかもしれないけど!俺にとってお前はずっとずっと特別だった!これから初めて違う道になるけど…離れるの嫌だ!けど、離れても、その…ずっと、そばにいれる立場が欲しい!円が泣いてるときも、あ、笑ってるときもなんだけど、そばにいれる、違う肩書きが欲しい!」


なんだか言っていることが支離滅裂で、自分でもよくわからない。


それでも、


「…はやと…」


と呼ばれて円を見ると、泣きそうになって、こっちを見ている。


「もし、俺の彼女になってくれるなら!これ、受け取って…!」


スノードロップの花冠を差し出す。


「これ…!」

「好きなんだろ。だから…もともとは花束にしようとしたけど、ちょっといろいろあって花冠になった…」


ついていた勢いが消えて、言葉尻が小さくなった。思わず花冠を自分の方に戻しそうになる。まだだ、まだもう少し頑張れ。


すると、そっと円が花冠を受け取って、自分の頭に被せる。


「わたしも、隼人のことすき…ありきたりにしか言えないけど…すき」

「え…」

「いつも素直になれなかったけど…離れても…そばにいてほしい、隼人に」


そして、顔を真っ赤にして花冠を指差し、


「どう…?」


と聞く。


どうもなにも、最高に可愛い。…抱きしめたいくらいに。

いいかな、と腕を伸ばしかけて、はたと止まる。


「円…おれ、円を抱きしめたい…抱きしめていい?」


少し声がかすれた。円は顔を真っ赤にして、そして、頷いた。


隼人は腕を伸ばして、円を抱きしめた。

円は、腕の中に収まってしまうくらい小さくて。

こいつこんなにちっさかったっけ。昔は俺の方が小さかったのにな。


抱きしめる腕に力を込める。でも壊してしまわないように。

大事に。


「ま、どか…」

「ん…?」

「彼女に…なってくれる?」


そう聞くと、円はぷっと笑って、


「いいよ」


と言った。


「あたしも、隼人の彼女に、ずっとなりたかったんだ」


そしてまた隼人に抱きつく。


「卒業式に、告白しようとしてたんだけど、先越されちゃったね」


と、少しいたずらっぽく笑う。


「…我慢できなかったんだ」


思わずカミングアウトしてしまって。

すると、円が顔を上げた。満面の笑みで、少し頬を染めて。心なしか目も潤んで。


花を上げる前、円はどんな顔をするだろうと想像した。


実際見たその顔は、とても綺麗で。

目があった時、離せなくなった。

円も、自分を見つめ返してくる。そして、寒い気温の中、2人の唇だけがお互いの体温で温くなった。


「…あたしたちなら大丈夫だよね」


離れた唇の隙間で、円が言った。

隼人は、円をまた抱きしめて言う。


「物心ついた時から、ずっと一緒にいたんだ…ちょっとくらいは離れといた方がいいんだよ」


強く円を抱きしめて。

円も隼人を強く抱きしめた。


18年一緒にいた2人は、18年目にして、関係を変えた。


暗いのに、円の着けた花冠は、光を持っているように輝いていた。



そして、思う。

あの花屋で会った人たちは、ちゃんと相手に渡せたかな。

俺は渡せたよ。心の中で語りかけて、また円を抱きしめる腕に力を入れた。





今日も「花の町ブーケ」には、お客さんが入る。


それぞれ、いろんな想いを抱えて。

どうか、花を贈り贈られたあなたたちが幸せでありますように。そんな想いを込めて、店員は今日も花束を作る。


ここは、人の想いが集まる場所。


いらっしゃいませ、ようこそ、花の町ブーケへ。



Fin.



楽しんでいただけたでしょうか?

やっぱり花束って、どのプレゼントよりも特別感があっていいなって思います。

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