前編
砂の王が襲い掛かってくる。
紫都、青都、緑都、黄都、赤都。
色が支配する砂の国。
***
「なぜ私はむかわなければならぬの」
桶たっぷりに入れた清浄な水を覗きこんだ。しかめっ面が水面に映りこむ。アオは一度溜息を吐いて、水面に映り込むユーマを睨みつけた。
金と力が何より尊い紫国。高邁と低劣が入り乱れるこの国で唯一、金と力よりも力を持つ宝石。それが水だ。砂やごみを一切含まぬ水はときに命より貴い。
赤都の石壁は魔獣の侵入は防ぐが、砂塵の恐怖から守ってはくれない。
砂は井戸を蝕み飲めなくしてしまう。
だからこそアオのもつ純水は巨万の富を生む。
「お金、手に入りますよ」
「金に興味はない。術師である私がこの国で困るとでも? 望めば一夜で金の山が築けるよ」
「羨ましいことだ。だが、赤都の使徒はつがいで参戦しなくてはならぬでしょう? ひきずってでも連れていかねば」
ユーマを水面ではなく直に捉える。砂に食われかかっている壁に体を預けてアオと視線を絡ませる。その瞳は血のように濃い。気だるげな野獣の優雅さで微笑を浮かべていた。
「赤都の使徒たる我ら。魔獣を殺しにいくためだけに存在している」
涼しげな面をみせるユーマに内心舌打ちした。
確かにアオは赤都の守護を担っている赤都の使徒に所属している。
高位術師として強制的にだ。
父と母に売られ、赤都の使徒を幼い頃からやってきたアオはこの仕事が嫌いだった。
貧民街出身者にとって赤都の使徒は憧れの存在だ。特権階級を持つ赤都の使徒は魔獣が襲ってくる心配がない石壁のなかで生活し、一生遊んで暮らせる金を手に入れられる。だからこそ英雄視され、志願者があとを絶たない。その分、魔獣に殺され入れ替えも早いのだが。
赤都の使徒として古参のアオは赤都の使徒の隠すべき醜悪を何度も見てきた。人が魔獣になすすべなく食われていく姿を目撃すれば、自分ももしやと行くのが億劫になるのは無理からぬ話だろう。だからこそ、アオは重く腰を据え、めったに使徒活動をしていない。
しかし、いつもならばなかなかお呼びがかからないアオに声がかかるのは珍しい。つがいであるユーマにお呼びがかかりいやいやながら出発することはある。だが、今回はユーマが呼びに来る前に正式に黒蝶という伝達術で赤都の将軍から直々に指令を受けた。
出ていかなくてはならぬのにぐずっても仕方がない。
「どこに出たの?」
しぶしぶと口を開く。
やっと行く気になったかとユーマは壁から体を離した。帯刀している剣がかちゃりと音を立てる。
蠱惑的に唇の端を釣り上げる。この男は普段は優男然としているのに、悪人の顔がよく似合う。
「赤都壁外の市場のようですよ」
赤都は石壁に囲まれた壁内とその周りの壁外に分けられている。壁内には貴族が、壁外には平民や商人たちが住んでいる。今回魔獣が出たのは壁外のなかでも東部にある市場らしい。人の海と例えられるほど人通りが多く、商売が盛んな場所だという。
「人はなぜ喧騒を好ましいと愛でるのか。私には理解できないものだ」
賑わいのある場所は好きではない。人は次を持つ。次とは穢れだ。魔獣が放つ瘴気と同じく浴びすぎれば毒となる。清廉な水はとくに次に弱い。水を操るアオにとって人混みは術の強度を下げる場所でしかない。
「そう言わず。他の使徒に獲物を取られるのは業腹でしょう?」
「一向に構わないが」
むしろそちらのほうが好ましい。
ふてぶてしく言い放ったアオにユーマは苦笑で返した。相変わらずの人嫌いだと嫌味を言ってきそうだ。めんどくさい説教をきく前に退散しようと桶を抱えて、家のなかに運ぼうとした。だがユーマはアオの手からするりと桶を奪い取った。そしてそのまま頭から水をかぶってしまう。
ばしゃりと軽快な音をたてて水が砂の地面に吸収されていく。ユーマの黒曜石のような髪が太陽の鋭い光線で反射している。
相変わらず乱雑な男だ。
アオが用意した清浄な水は魔獣にとって毒と同じ。また瘴気を体に取り込むのを防ぐ効果があるため討伐の際には必ずユーマに浴びさせている。
宝石のように扱って欲しいものなのだが。内心文句をいいつつ彼をじろりと睨んだ。
「水もしたたるなんとやら、ですかね?」
アオの視線などさらりと無視してユーマがふざけたことをぬかす。
青い宝石を砕いてまぶしてある優麗な黒衣までびしょびしょだ。剣は退魔の剣であるがゆえ、水を吸収し、美しく七色に光った。
犬のように頭を振って水気を飛ばす。頬に水滴が飛んできてアオはむっとした。
「まったく、肝の据わった男だ。そこに桶を置いていていい。すぐに支度を整えるから、いい子で待っているといいよ」
子供じゃないんだからというユーマの声をききながら家の中に入る。
黒衣の外套と日よけの布。それと聖水を入れた瓶をつめた鞄を下げて、いくらかの装飾品を身に着ける。なにかあったとき換金できるようなものは用意して損はない。非常食の菓子を鞄に入れる。乾燥したパンのようなものだ。歯が取れそうになるほどかたいが栄養価は高い。
紐で髪をくくる。アオが持つ白髪に赤の色のよく映えた。服は動きやすさを重視したもの。術師のなかには身分知らずにも華美な衣装を纏う派手好きもいるが、女の格好は魔獣と戦うときに邪魔になる。
外で待っていたユーマはアオが姿を現すと蠱惑的に微笑んだ。いまから行われる争いを待ち望むぎらぎらとした眼差しだった。
「さあて、けだもの退治をしましょうか」
斜めに差し込む強烈な光線を浴びて蜂蜜色に焦げた石壁。椰子の木はひび割れた地面から我慢強く生えている。砂に埋もれた井戸。赤の天幕を張った店が花園のように咲き乱れている。無秩序で、店のかたちも高さもてんでまらばらなのに統一された赤。
壁の周りを囲むようにして栄えた東部の市場は中心にオアシスがあったはずだ。アオとユーマは目を細めてその中心部を見据えた。上がる粉塵に市場は混乱を極めている。押し寄せてくる人の波は地面を這う蟻のようにもみえる。
幸いなことに東の関所にはまだ魔獣が来ていないらしい。
だが、逃げ惑う人の群れは通行許可証がなければ入れぬ壁内へと向かっていた。騒がしいことだ。門兵と商人たちのあいだで小競り合いが起こっている。商人の団体が中にいれろと喚きたてているようだ。しきりに荷馬車を指さし、強引に押し入ろうとしている。混乱に乗じて壁内に入ろうという魂胆らしい。豪胆なものだが、門兵達が自分たちの益にならぬことを見逃すはずもない。剣を抜き、応戦している。
みれば、荷馬車には砂漠を越えた先にある隣国の紋章が。しきりに商人が指さしていたのはこの紋章だろう。他国の商人が紫国のしきたりもしらずに揉めているのか。後ろの紫国の商人が苛立ち、門兵達に加勢し始めた。一方的に斬られていく商人たちの横で物取りの子供たちが荷馬車の中身を物色し始めた。
争いを横目でみながら、粉塵の上がった場所を目測する。
「濁国の商人たちのようですね。この国では黄金と己の剣しか役に立たぬと習わなかったのか。宝石の一つや二つ与えてやればすんだものを」
わくわくと好戦的に瞳を光らせ、ユーマが興奮した様子で言う。
濁国。紫国の西に位置する国の名前だ。最も黄都が近く、紫都が遠い。
かの国の商人達は赤都まで出稼ぎにやってきたらしい。
「ありゃあ荷物どころか、命まで差し出すことになる」
呟いたが、助けにいくことなどしない。紫国は自国民にも残虐で愛想がないが、他国に見せる顔はもっと冷酷だ。外交を必要としない強国であり、自然の要塞に守られた神秘の国。それゆえ、他国の人間を歓迎することはない。他国の民だからと保護することは一切せず、紫国の法で裁かれ、罰せられる。国内で他国の人間が死んでも知らん顔で、抗議しようものならその国ごと奪い取りにかかる。
現王は歴代のなかでも最も残酷な王だ。数年前にも蛮国という国を攻め落とし、女子供を皆殺しにして、男は奴隷として働かせている。本来なら約束されるべき奴隷の法も、蛮国の奴隷には適応されないときく。
さらに領土拡大に積極的で、開戦理由になるからと嬉々として民の暴虐を望んでいるのだ。
紫国で、他国の者に情けをかけるものは少ない。もともと同郷のものに対する慈悲の心も欠落している。
肉親以外は仇同然であり、滅多に信頼などしない。
異国の商人たちが倒れ伏すと、我先にと荷馬車や商人たちに群がり、金品を奪っていった。衣装も剥ぎ取られ、用無しだと体を投げ捨てられ、その体を鳥たちが貪りに来る。紫国の民は奪った金品や衣服で壁内へと入っていく。ここら辺ではよくみる、ありふれた風景だ。
「余所者の末路より己の心配をしたほうがいい。ほら、ごらん。桃の狼煙が上げられている」
のぼる色を指差しながらアオは毅然として言った。
「あれ、ほんとだ。ということは中級以上の魔獣がいるということですか」
魔獣には人間が定めた位がある。それに応じて狼煙の色が違い、決められた位に基づき赤都の使徒は参戦する。低級の魔獣を示す橙色は自警団やギルドでも倒せるが、中級からは赤都の使徒が担当することになっている。ちなみに中級では茜色、中級以上だと桃色の狼煙が上げられる仕組みだ。
「ひさびさに桃の狼煙を見ました」
「そういえばそうだ。この頃はよくて茜色だったからね。やはり、陰書に記された予言の影響か、今年に入ってから魔獣どもの動きが盛んだ」
「陰書の予言ってあれでしょ? 王の十八の生誕祭の日、獣の王が現れるってやつ。眉唾物って聞いてますけど」
「さてね、だが、王の誕生年に入って魔獣の活動が活発になったのは事実。偶然であろうと必然であろうと私たちのやることは変らぬが」
「それもそうですけど」
軽口をたたきながら人の波に逆らっていく。肩がぶつかり罵られるが知らん顔で突き進む。
「だいたい、獣の王とは? 魔獣は理性なき種族のはず。王などたてれるわけがない」
「陰書に書かれていることだ。なにかの暗喩なのかもしれないよ。たとえば、濁国の王は獣のように髪を伸ばし権威を示すという」
「まさか、濁国と戦争が起こるという予言だとでも?」
「さあて、どうだろうね?」
バンと軽い衝撃が肩に走った。どうやら、騒動に紛れて金品をすろうとしたらしい。謝り、人の流れに乗ろうとしていた男の肩を掴む。最初はなんだと不機嫌そうな態度をとっていたが、アオたちの身なりをみて態度を軟化させ媚び始めた。嵌めていた指輪の一つを投げてやると訊いてもいないのに市場の中心部のことを語りだす。
「赤都の使徒様がおいでになさったんですけどねぇ。見たこともない瘴気の霧で。ひとりまたひとりとどこかに行かれて。俺は残ったほうがいいといったんですが、みんなが逃げつうもんだからしかたなく」
「弁解は不要。魔獣は見たの?」
「いいえ。でも、隣の店の店主はみたそうで。すっげえ形相で、ありゃあ俺らじゃ対処できねえて言うんです」
「どんな魔獣だと言っていた?」
「さあ。ともかく逃げろとだけ言われて。必死で逃げてきたんでございます」
これ以上の話しはきけそうになかった。アオは指に嵌めていたもう一つの指輪を投げ与えた。ありがてえと頭を下げて、男が走り去っていく。
「人を従わせるのが大層お上手だ」
皮肉と称賛を交えて口笛を吹かれる。
黒衣の服は魔獣狩りをしている者の証。髪留めの赤は赤都の使徒たる証左。応援の赤都の使徒だと分かったから男は中心部の情報を教えたのだろう。状況が分からずに飛び込むのは馬鹿がすることだ。赤都の使徒ならば自分の情報を高く買ってくれると思ったに違いない。
「魔獣は傅かせるのに、人に傅く必要はないだろうよ」
それはそうだと、ユーマは愉快そうに喉を鳴らした。




