出会いと空間転移1
――……い……ろ
うるさいなぁ、もう少し寝かせてよ。
――い……おき……
うるさいってば。ゆすらないでよ。
「おい、起きろって!」
耳を刺すような大声に、私は目を見開きとっさに身を起こした。とたんに眼前に飛込んでくる見知らぬ顔。その距離の近さに一拍置いて悲鳴をあげる。
「きゃっ!……な、なな!?」
明らかに動揺して後ずさる一方で、膝をつきながら私を覗きこんでいた男の子が耳を抑えていた。
「すっげぇ悲鳴……鼓膜破れるかと思った」
「な、何よ。人の寝顔見てるあんたが悪いんでしょ!」
ばくばくと早鐘を打つ心臓を押さえながら相手を睨みつける。大体年齢は同じくらいだろうか。Tシャツの上からパーカーを羽織り、下はジーンズにスニーカー。近所のコンビニに行くかのようなラフな出で立ちに一際目を惹くハニーブラウンに染めた髪。顔立ちは整っている方だとは思うが、特別際立っているわけでもない。全体的に普通な彼。
だいぶ落ち着きを取り戻してきた私は、ふとここに飛ばされる前に発したテディの一言を思い出した。
『彼が待ちくたびれちゃうよ』
この状況からして彼の条件にあてはまるのは。
「私を待ってる“彼”って、もしかして貴方のこと?」
目にかかる前髪を払いながら私は聞いた。両膝をたてて座りながら、ずっと耳の具合を確かめていた彼は、私の疑問に顔を上げる。
「ん?……ああ、はっきりとは言い切れないけど恐らく。……そういうあんたこそ、空から降ってくる女、で合ってるよな?」
「多分……ってちょっと待って。私上から降ってきたの?」
天井を見上げると、相変わらず落書きされた空が広がっていた。床や側面を塞ぐ壁も古びたコンクリート。空間転移なんて言っていたから外観もがらりと変わるのかと思ったが、どうやら違っていたようだ。唯一の変化といえば、空の落書きにぐるぐる巻きの太陽や雀らしき奇妙な物体が付け足された事くらいか。
「ああ。そいつが来るまで待てって言われたからおとなしく待ってたんだけど、まさか本当に降ってくるとは思わなかったな」
その時の光景を思い出したのか口端を釣り上げながら、彼はククッと喉を鳴らした。私は片方の手の平を額にあてて溜め息をつくと、おもむろに立ち上がる。突然の動作に笑いを引っ込める彼を見下ろして、私は額にあてていた手を眼前に差し出した。
「納得いかないことはたくさんあるけれど、とりあえずこの迷宮を抜けるまでの間、君は私のパートナーってわけだよね。お互い仲良くしよう?」
彼は私の手をじっと見つめた後、膝を伸ばして立ち上がった。下から上へ、頭一つ分背の高い彼の動作を追って顔を上げると、彼は私の手に自分の手を重ねてきた。
「その意見、賛成。この先何が起こるかわからないし、仲良くしとくに越したことはないよな」
にっと笑い合いながら、お互いの手をしっかりと握りしめた。
それから私達は迷宮の脱出に向けての第一歩を歩み出していた。時計は持ってないし、空は作り物のため時間の感覚はほとんどない。それでもかなりの距離を歩いたことだけは、頬を伝う汗と棒のような足で十分察せられる。運動はわりと得意な方だったはずだが、ここまでの長距離を歩いたのは初めてだった。
私達の世界には移動手段が溢れている。電車にバス、自転車にモノレール、船や飛行機。昔は云十日とかかった距離も時代の変化と共に移り変わり、現代では数時間で辿り着くことができるようになった。文字通り果てしない距離を歩いた経験のある人間が、果たしてこの世界にどれ程いるのだろうか。
長い道のりの中、私達はお互いについて話した。とはいえ私も彼も記憶喪失だったから覚えている範囲でだけど。この茶髪君の名前は井上直人。私と同じ十五歳らしい。中学生でこの髪の色って許されるのかな、とは思ったけれど、肝心の直人の記憶がないので謎は謎のままに終わったわけで。