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始まりの空間

タイトルですが永久(とわ)なる迷宮(めいきゅう)の中でと読んでください。えいきゅうなるめいきゅう……だと早口言葉みたいですね。

「はぁ?」



 この意味不明な状況に私は思わず聞き返した。私の反応が不愉快だったのか、そいつはチェック柄の腕を胸の辺りで組み合わせぷりぷりと怒りだす。



「もう、聞こえなかったの?仕方ないなぁ、もう一度言うからよく聞いていてよ。……僕らの迷宮へようこそ!」



 やけに軽い口調で文句を言ったかと思ったら両手を斜め上に広げてもう一度歓迎をしてくれた。しかし私が疑問に思ったのはその事じゃない。



「ちょっと待って。迷宮って何のこと?私はどうしてこんな場所にいるの?そもそもなんでテディベアが喋ってんのよ!」



 最後の方は叫んでいた。それぐらいに私の頭は混乱していたのだ。


 黄色とオレンジのチェック柄のテディベアは片手を耳の下の辺りを擦るように動かすと、黒光りするボタンの縫い付けられた瞳で百センチ近く身長に差のある私を見上げてきた。



「あのさ、一問一答って言葉知ってる?一気に質問されたんじゃごちゃごちゃになっちゃうよ。正確な答えが欲しいなら質問は一つずつにしてよね」



 そう言ってテディベアはかくんと前へ頭を傾けた。まるで溜め息を吐くかのように。


 ぬいぐるみの癖に生意気すぎ!


 憤慨しそうになるのを必死に堪えながら笑顔を取り繕った。頬の筋肉がぴくぴく動いているのはご愛敬だろう。



「あらごめんなさい。それじゃ最初に、ここは何処かしら?」



 私は顔を上げ、そのままぐるりと周囲を見渡した。

 私が立っているのは小さな一室の中心だった。しかしそこは部屋と言うには余りにおこがましい。三メートル四方の狭い空間。壁と床は全てコンクリートで出来ているが、作られてからかなり時間が経っているのか所々ひび割れ瓦礫に等しいほどに劣化している。上を見上げると青のクレパスに白いクレヨンで落書きしたかのような雲の浮かぶ作り物の空が広がっていた。



「さっきも言ったように、ここは迷宮。始まりの空間だよ」


「じゃあ貴方は何者?」



 私はテディベアに尋ねた。私の知っている限りではぬいぐるみは喋ったりしない。喋ったとしても中に音声を排出する機械が入っていて、手とか足とかに隠されたスイッチを押すと前もって設定されたセリフを喋るというもの。しかしその場合は音声に人工色が色濃く表れ、こんなに饒舌で人間らしくは喋らない。


 テディベアは少し迷った後にこう言った。



「わからないかなぁ。見ての通りテディベア。これって常識じゃない?」


「それぐらい私にだってわかる!」


「あらら。じゃあ名前のこと?……そうだなぁ、テディでどう?」


「……」



 私は思わず黙ってしまった。この陽気なテディベア――いちおう名乗ってくれた訳だし以降はテディと呼ぼう――とは何故か話が噛み合わなくなる。私は浮き立ってきた青筋を指の腹でぐりぐり押しながら、相手はぬいぐるみだと必死に自分に言い聞かせた。



「まあいいわ。それじゃあ最後に。迷宮だかなんだか知らないけれど、私はそんなものに挑戦する気はないわ。さっさと帰してちょうだい」


「それは無理だねぇ」


「何でよ!」



 今度こそ私は怒鳴った。説明足らずなテディはまぁ許そう。しかしこんな訳のわからない空間に閉じ込められるなんて冗談じゃない。しかし私の怒りなんてどこ吹く風でテディは飄々と言ってのけた。



「だってこの迷宮は一方通行だもの。入口からしか入れないし、出口からしか出られない。そして何より……」



 そこで一度言葉を切り、テディはその感情の読めない瞳で私を見上げた。



「君はどこへ帰りたいの?」


「そんなの決まってるでしょ。私の家よ」


「家ってどこにあるの?」


「そんなの……」



 私は家の正確な場所を言おうとして、ふと口をつぐんだ。


 私の家ってどこにあったっけ?


 どんなに考えても答えは見つからなかった。段々と私の中で焦りが生まれてくる。


 私の出身地は?


 ――わからない。


 私の両親の名前は?


 ――わからない。



 私の額を嫌な汗が伝った。わからない、自分の事なのに何も思い出せないのだ。私は無造作に自分が身に付けている制服の胸元を掴んだ。ブラウスの上に紺のカーディガンを羽織り、更にその上から薄茶のブレザー、チェック柄のミニスカートにローファー。そして首の辺りには赤いリボン。この制服は私の通っている学校の物という事だけは理解出来るのに、肝心の学校名は思い出せない。



「どうしたの、明日香ちゃん?」



 テディは首を傾げながら明るい口調で聞いてきた。明日香。そう、私の名前は藤堂(とうどう) 明日香(あすか)。今年で十五歳になる普通の中学三年生。


 そのはずだったのに。



「どうして何も思い出せないのよ……」



 私は泣きたい衝動を必死に抑えながら、すがるような目をテディに向ける。



「ねぇテディ。あなたは私の事を何か知っているの?私がここに居るのと何か関係があるの?」


「残念だけど、僕には何も答えられない」


「そんな……」



 絶望という名の崖に突き落とされたかのような感覚に襲われ、その場に膝をついてしまった。そこへ何を思ったのかテディがこちらへ向かって歩き出し、目の前で足を止めて小さな手を私の頭に乗せた。ふわふわとした綿の柔らかい感触が布越しに伝わってくる。



「心配しなくても大丈夫だよ。この迷宮をクリアする事ができたら、きっと全部思い出せるよ」


「本当に……?」


「うん。だからこんな所で立ち止まっていないで、前へ進もう?」



 小さな手が子供をあやすように私の頭を撫でてきた。目元に滲み始めた涙を両手でごしごしと擦り立ち上がる。



「そうよね。こんな所で泣いてたって仕方ないわ。私、この迷宮に挑戦する」


「その意気だよ!」



 テディは両手を頭の上まで真っ直ぐ伸ばした。一見すると万歳しているようにも見えるが、ぬいぐるみには関節がないためで、恐らくはガッツポーズのつもりなのだろう。


 それからテディは片手を無造作に伸ばした。その先、私にとって右側の壁の前に、縦長の透き通った青い光が現れる。



「これが迷宮続く道だよ」



 再び向き直ったテディに私は頷き返し、光に向かって歩き出した。直前で立ち止まり、そっと片手を伸ばしてみる。指先が青に触れた瞬間、言い様のない感覚が全身を襲った。痛みは全くないのに指をもぎ取られたような、そんな感覚。青い光は透き通っていて先のひび割れたコンクリートが見えるのに、私の指は光を突き抜けることなく目の前から消失していた。


 私はとっさに腕を引き光から手を離した。すると光は一瞬揺らぎ、私の手には指が戻ってくる。



「ちょっ……何これっ!どういうこと?」


「心配しなくても、空間転移みたいなものだよ」



 いつの間にか私の足元に来ていたテディが言う。



「空間転移?」



 その口から飛び出した非現実的な単語に思わず私は聞き返した。この状況がまず非現実的だったが、それに気付けるほど私に余裕は残っていない。



「うん。この迷宮は空間と空間の繋がり合いで形成されているから、これから先何度も空間転移をすることになる。最初は気持ち悪いかもしれないけど、じきに慣れてくるよ」


「痛いのは最初だけって奴?私にそっちの気はないんだけど」


「そうだねぇ」



 この時のテディの目が一瞬怪しく歪んだのだが、珍しげに青い光を見ていた私はその変化に気付かなかった。



「ほら、早く出発しないと。彼が待ちくたびれているよ」


「え?ちょっと待って。彼って誰の……」



 その疑問は最後まで紡がれることなく、背中を押された私は青い光に突っ込み彼方へと呟きを飛ばした。




***




 小さな空間に一人残されたテディは、役目を終え渦を巻きながら消え失せる青い光を何も宿さない瞳で見つめていた。



「そう、無事にこの迷宮を進めば全ての記憶が君に戻ってくるよ。例えそれが君の望まない“モノ”だったとしてもね。ねぇ、明日香ちゃん」



 それまでの明るい口調や声音から一変した冷たい呟きを残し、テディは始まりの空間から姿を消した。






***

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