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第1話

 …どうやら私は世の中で言う転生をしてしまったようだ。




 何故、転生したかと思ったかって?


 それは動いても起き上がれない事や、自分の手が異様に小さい事、寝返りさえ打てないのだ!

 話そうと思えば、自分の口からは何の意味もない「あー、うー」などの音しか出ないのだ。


 その声に反応してやって来た人達は、私から見るとこれまたでかい。

 そして話している言葉は意味が分からないので、ここは日本ではないだろう。



 正直に言うと私は転生なんてしたくなかった。

 普通に生まれ変わるならまだしも、前世の記憶を持ったまま生まれ変わるなんて……。最悪だ!


 前世の私には、人に対して良い思い出があまりない。

 人間不信で人見知りでもあった自分に原因もあるかも知れないが…。

 そんな私は対人関係をあまり築けずに、高1で死んでしまった。



 ──通り魔によって殺されたのだ。



 でもそれは、唯一慕って来てくれる小学生の男の子を庇っての事だったので、悔いは無いし、あの世界に未練も無い。


 ただ、本音を言うと生まれ変わりたくなかった。世界に生き物として生きていく事が嫌だった。

 いっその事、私自身が消滅してしまっても良かったのだ。


 世界で生きていく必要性を感じなかった。


 しかし生まれて来てしまったものは仕方がないし、自ら命を絶つのは私意に反しているからしない。

 せっかく貰った命だ。少しは楽しんで生きて行こうと思う。



* * *



 産まれて数ヶ月。

 ここでの生活もだいぶ慣れた気がする。……ほとんど寝てるだけだけど。


 自分の置かれている状況も大体把握出来てきた。周りを観察したり、言葉を聞いてる内に大体の意味を理解出来るようになったからだ。



 まず一つ目。

 私の名前は「エレナ」だという事が分かり、自分の容姿も分かった。髪は金髪で瞳は深い緑色だ。今まで日本人をやってきた自分としては不思議な感じだ。

 家族構成も何となく分かった。…え?何で何となくかって?だってこの家、人多すぎるんだもの。

 それは置いといて家族構成。両親と1人の兄がいるようだ。


 二つ目。

 この家はとんでもないくらいの大金持ちに違いない。

 部屋の一つ一つがとんでもなく大きい事と、半端じゃない数のお手伝いさんを雇っているのだ。さっきの人が多いのはこう言う理由だ。


 因みに、沢山の部屋を見れたのは、自分ではいはいして行ったからではない。

 兄が危ない抱き方でいろんな場所に連れて行ってくれるのだ。正直退屈はしないのだが、胴体が伸びるんじゃないかとこの頃心配である。

 もう少し抱き方を考えてくれれば良いんだけど、兄はまだ5歳である。そこまで期待してはいけない。


 三つ目。

 私はなんとこの家の主人の子供らしい。

 何故なら使用人の人達や、お手伝いさん達が皆私の事を「姫様」や「お嬢様」と呼んでいるからだ。

 そして、私専属のお世話係の人が計3人もいる!これにはびっくりしすぎて開いた口が塞がらない!

 実際赤ん坊だから、口は開いてる時の方が多いけれども。口の周りの筋肉が動かないのだ。仕方ない。




 ──今分かる私の周りの情報はこんなものだろうか。

 外の情報は、まだ外に出た事が無いので分からない。外出出来る時を楽しみにしている。




 そして、私にとって異常な事が一つある。


 両親と兄はもちろん、家で働いてる皆さんが私の事をちやほやしたり、可愛がってくれているのだ!これは私にとって驚愕の出来事だった。

 普通の人からすれば、そうされて当然というのが普通なのだろうけど、私は違った。


 私は以前、つまり前世では親からの愛情を一切受けた事がなかったからだ。

 一応食事は与えてもらい、高1まで育ててくれたのだから、愛情がなかったと言うのは嘘になるかも知れない。しかし、母親は完全に私の事を道具としてしか見ていなかった。これだけは言い切れる。


 父親は初めから家にいなかった。生きているのか死んでいるのかすらも分からない。

 一度だけ母親に聞いてみた事があったが、いつも以上に酷い暴力になり、結局答えてくれる事はなかった。

 それ以来父親の事は聞いてない。




 話を元に戻すが、私はその前世での記憶が残っているので、こんなにちやほやされたりするのは慣れていなかったのだ。

 はっきり言って、どう反応すれば良いのか困る。なので愛想よく笑ってみたりしてる。そうすると周りの人達にも喜んで貰えて一石二鳥だ。

 私だって少し恥ずかしいが、皆が大切にしてくれているのだ。素直に嬉しいし、今までになかった事だから強く実感出来る。

 愛されるって本当にすごい。心がとても暖かくなり、全てが満たされた気持ちになるのだ。



* * *



 そんなこんなですくすく育ち、私は7歳になった。


 いきなり飛びすぎだろうとは思うのだが、大した出来事はなかったのだ。


 敢えてあげるなら、過去(前世)の嫌な出来事はほぼ忘れ去り、今はこの国の言語を読み書き出来るまでに成長した。


 そして、ある時とんでもない事が判明した。

 お世話係のメイドさん達の話を聞く限り、なんと、私はこの国、ロディエント王国のお姫様なのだそうだ!

 これには本当に驚いた。だってお姫様なんてものは絵本や小説の中にしかないと思っていたからだ。そんな皆の憧れの的のようなものに私がなれるなんて…。

 因みに私の正式名はエレナ・ディール・ロディエントと言うらしい。



 しかし、お姫様も大変そうだ。今は私が幼いので、ほとんどの時間を自分の好きなように使えるが、これからはそうもいかないらしい。

 一国の姫である限り、沢山の知識、そして礼儀など全てを覚えていかないといけないそうだ。

 因みにこの世界では言葉は大体が共通で通じるそうだ。これには、とても喜んだ。だって沢山の言葉があると、文化的には面白いんだろうけど、訳が分からなくなっていくから。



 因みに、今は何をしているのかというと、大体の時間を読書に費やしている。

 この世界の事を知っていくのは楽しい。


 前世では、周りを見渡せばコンクリート製の住宅街、工場、学校など、人間が作り出した物ばかりで近くに大きな自然がなかった。

 でもここは違う。この世界には所々に国々や街、村などがあり、それでも9割は自然の世界なのだ。


 なんと、この世界には未踏地があり、冒険者という職業も存在するらしい。

 ちょっとやってみたいと思ってしまったのは、自分だけの秘密だ。


 しかもだ!この世界初めての魔法が発見されてから、まだ間もないらしい。出来るなら私も使ってみたいが、まだ新しく発見された所なので詳しい使い方などが分からない。自分で探すしかないのか…。才能があるかどうかも分からないのに。




 そうそう。念願の初外出は自分家の庭だった。これはこれで衝撃的だったんだけどね。なんと言うか…大きすぎるんだ。

 庭に噴水付いてるのは初めて見た。ちょっと感動してしまった。


 街には残念ながらまだ連れて行ってもらえてない。もう少し大きくなったら、1人でもこっそり見に行ってみようと思う。せっかくの異世界だもの。





 今日は朝から本を読んでいたから、午後は庭を散策するつもりだ。お天気も良いしね。

 庭には色んな花が咲き乱れていて、見ているだけでも癒される。見た事のない花が沢山あって、それを赤ん坊の頃から私のお世話をしてくれているメイドの1人、チュインが詳しく説明していってくれるのでそれを聞くのも毎日の日課になりつつある。

 チュインは何でも分かりやすく、そして面白おかしく話してくれるので、私は質問する事を止められない。


 「ねぇ、チュイン。この花は何て言うの?」


 質問しながら指差したのは、萎んだ様な形をした花である。花の先は紫色で茎に近づくほど緑と白色になっている。

 前世の花で再現するなら……朝顔の花を鬼灯っぽく丸めた感じだろうか…。うーん。説明が難しい。


 「それはサタンベターですね。花びらの形をよくご覧下さいませ。小さな椅子の様にも見えてきませんか?」

 「言われてみれば……」

 「遠い昔、掌サイズの悪魔の魔王がいたそうです。魔王は旅の途中でこの花びらに座って休憩を取られていたそうで、それをこの花が虫と勘違いして食べてしまったそうです」

 「……え?」

 「どうやら気付かれた様ですね」


 食虫植物だったのか…。

 納得しかしておらず、何も気付いてないのにチュインは笑顔で続ける。


 「そうです。悪魔を食したのでサタンベター。悪魔はサタンなので、サタンを食べた。と、なりますね」

 「……」


 サタンを食べた=サタンたべた。サタンタベター。

 サタンベターか…。

 なんて安易な名前なんだろう。言葉が出ない。


 「因みに花の先の紫は、最後に抵抗した魔王の毒だと言い伝えられています」


 あ……。だから紫だったのね。……最後の抵抗…。

 …………って、魔王弱っ!

 ……仮にも魔王ですよね?せめて植物に負けないで!


 「そ、そうなんだ……」


 私だけが感じたのかもしれないが、何だか気まづい空気が流れそうになり、慌てて次の質問をしようと周りを見回した時、背後から声を掛けられた。


 「エレナ、良かったら今から少し時間を貰っても良いかな?」

 「お兄様!」


 名前はラナン。私の5歳年上の兄だ。

 この兄も私が赤ん坊の頃からよく面倒を見てくれ、王子だからと言って決して人を見下したりせず、皆に平等に優しい人だ。


 「勿論大丈夫です。お兄様はもうお稽古は宜しいのですか?」

 「ああ。さっき終わったから大丈夫だよ。久しぶりに一緒にお茶でもしようか?」

 「はい!」


 私のお付きのキラーとユーミスに紅茶を用意して貰うことになり、私達は屋根のついたテラスまで移動する。


 最近兄は勉強や剣の稽古で忙しいので、話せる時間が少ない。それでも、こうして時間を作ってわざわざ来てくれる。私はそんな兄が大好きだ。

 と言うか、この城で私が嫌いな人なんていないんじゃないだろうか。そう思えるくらい、私は皆に大事にしてもらっているし、人柄も良かった。


 こうして私は楽しいひと時を過ごしたのだった。





* * *





 ──ギィィィ


 ──?……誰?

 現在は真夜中。私は部屋のドアの開く音によって、珍しく起きた。いつもはこんな小さい音じゃ起きないのに…。

 きっと城の誰かが見回りをしてくれているのだろう。


 もう一度寝ようとして、こちらに近づいてくる気配に再び薄く目を開ける。

 ……何か大事な用事だろうか…。

 寝ぼけた頭で考える。


 ──目が合った。

 周りが暗いので誰かはよく分からないが、その人の驚きの表情は見てとれた。

 次の瞬間、物凄い勢いで寝ている私の側まで来て、口を手で塞いだ。


 「んむぅっ⁉︎」


 私の意識は完全に覚醒し、少しでも抵抗しようとするが、身体はまだ子供。あっという間に口には何かを貼られ、手と足もロープで縛られてしまった。


 雲の間から出た月明かりが部屋を薄く照らす。


 「⁈」


 その瞬間、私はその人の顔を見てしまった。そして私は、その人の手刀によって意識を奪われる。


 暗い闇に飲み込まれそうになりながら、私は一つの事しか考えていなかった。



 ──……チュイン、何故こんな事を…?



 完全に意識を失ったエレナの目から一筋の涙が零れた。






* * *






 ……寒い。硬い。なんかジメジメしてる。

 目を覚ました私は、自分が小さな牢屋に入れられている事に気づく。

 いつの間にか服は部屋着から薄茶色のワンピースの様なものを着せられており、両手足には枷が着けられていて、左足だけ鎖が伸びて壁に繋げられている。


 周りを見てみると、同じような私の入っているのと同じ様な大きさの牢屋が沢山並んでおり、入っている人の数はその牢屋によって違っていた。私と同じ様に1人だけの場合もあれば、5人くらい一緒に入れられている所もある。どちらかと言うと1人より5人の方が多いと思う。

 年齢はほとんどが子供だと思う。若いも何人かいる様だが、20歳くらいまでだろう。見た目だから、何とも言えないが。


 皆、絶望的な表情をしている。当たり前だろう。こんな所に入れられて、これからどうなるのか分からないのだから。

 多分、私もそんな表情をしているのだろう。


 ……奴隷制度。そんな文字が私の中に浮かび上がる。

 お父様はこれを知っていて黙認しているのだろうか…。いや、そんな事はないはずだ。お父様もお母様も優しく、毎日を国民が平和に暮らせるように考えていたのを前に見た事があったから。

 しかし、街の事に関しては勉強不足だ。無事に帰れたとしたら、しっかり勉強し直す事にしよう。


 そんな事を冷静に考えてる自分が少し可笑しかった。




 ──ここに誘拐されてから数日経った。


 ここに連れてこられて初めの頃は、チュインが何故こんな事をしたのかずっと考えていたが、考えても答えが出る訳がないので、それは考えるのをやめた。


 最近ここがどういう所なのか理解出来つつある。

 ここはおそらく人身売買市場だろう。


 時折、仮面などを着けた人達が案内人の元、牢屋を見て回っているのだ。


 何人かは強制的に連れて行かれるのも見た。数人抵抗していたが、1人が見せしめの為始末され、他の子達は抵抗するのをやめた。

 私は震えと涙が止まらなくなり、私の他にも叫び出す子や、必死に逃げようと鎖を無理に外そうとする子がいたが、足が傷付くだけで何も出来ず泣きじゃくる子など沢山いた。


 私は何も出来ず、ただ見ているだけの無力な自分を恨んだ。


 お父様、お母様、お兄様に会いたい。彼らは私を捜してくれているのだろうか…。


 どうしても前世の事を思い出してしまい、絶対に捜してくれていると思えない自分が悲しいし、頼る事しか出来ない自分が悔しい。


 でも、絶対にここから逃げてやる。

 今は無理でもいつかはチャンスが巡って来るはずだ。


 ……こんな事になるんだったら、私も剣を習っておけば良かった。

 今の私の武器は正直に言って、何もない。

 ……いや、敢えてあげるなら一つだけある。それは知識だ。前世からの知識があったからこそ、この世界で文字を覚えるのは早かった。

 私以外はそれをまだ知らないだろう。なんて言ったって私は7歳だ。きちんと文字を教えてもらった事はまだ無かった。本のページを面白おかしく捲っていたようにしか見えないはずだ。


 そしてある日、この世界で存在するものを思い出した。魔法だ。

 この世界で魔法が発見されてからまだ日が浅い為、魔法に関する本は数冊しかなかった。しかし、どの本にも共通して載っているものがあった。

 それは、イメージと経験。それ以上の詳しい事はどの本にも載っていなかった。


 物は試しだ。私は足枷に集中し、壊れろと念じる。


 ……………壊れない。


 流石にそんな簡単に出来る訳ないだろうね。


 私はそれから一日中イメージし、足枷を壊す事だけを考えた。



 また数日が経ち、気がつくと足は何故か血まみれになっていた。……いや、理由は分かっている。

 どうにか足枷を外そうとして、足枷を引っ張ったり、叩いたり、とにかく色々な方法を試していたからだ。


 足がズキズキ痛む。直接触ったら痛いので、私は手をかざす様にして撫でる振りをする。少しは痛みがましになる気がする。だって、病は気からって言うでしょ?え?違うって?


 でも、何だか本当に痛みが和らいだ気がする。

 ふと足を見てみると……………全てではないが、傷が幾つか塞がってる……。


 ………………ん?

 え?え⁉︎ちょ、ちょっと待って…。

 少しだけど塞がってる!

 嘘でしょ………。足枷は壊れないのに……。差別だ!


 少し泣きそうになったが、この能力もありがたいのは間違いない。でも今、どうやって使ったんだろう……。




 色々考え、実験を繰り返してたら、また数日経った。


 足枷は未だに壊せないが、治療魔法はほんの少し使えるようにになって来てる。




 ──そして遂に、ここに来て、とうとう私の番が来てしまった。


 私の牢屋の前にいるのは案内人と、仮面は目だけを隠し、如何にもザマス的な結構ふっくらしたおばさんだ。


 今までは何故か、私のいる牢屋に案内人は誰も連れて来なかった。

 私に興味を示した人は何人かいたけれど(凄く怖かった)、案内人はそれとなく躱していてくれたのに。



 ガチャン


 牢屋の鍵が開けられ、おばさんが入って来る。

 私は後退るが、おばさんに顎を掴まれ無理やり上を向かせられる。


 「ふむ、顔はまぁ良い方だね」

 「そうでしょう?上質なものが入りまして」


 後ろにいる案内人が答える。


 「だが、また厄介なものなんだろう?」

 「流石レディ。よくお察しで」

 「まぁ良い。──こいつを買うよ」


 そう言って小洒落た鞄から、ごつごつした袋を取り出し、案内人に渡す。


 「ありがとうございます」


 案内人は私の足枷に付いていた鎖を外し、代わりに首に枷をつけられ、リードの鎖版のような物をおばさんに渡す。


 「さぁ。これでお前は私のもんだ。着いて来な」


 いきなり鎖を引っ張られ、私はバランスを崩し倒れた。


 「こら!グズグズするんじゃない!」


 ……無理やりリードを引かれ、罵倒される犬の気持ちが少し分かった気がした。


 でも、いきなり買うと言われ、着いて来いと言われてもここで素直に着いて行く人はそういないと思う。誰だって売られるのは嫌だし、その人の命令なんて聞きたくないだろう。



 でも、これはチャンスだ。ここから逃げ出すチャンス。

 ここがどこにあるのか分からないが、逃げ切れれば何とかなる。そんな気がする。

 逆に今逃げ切らなければ、多分、一生をあのおばさんの奴隷として生きなければならなくなるだろう。


 失敗は許されない。


 まずは大人しくおばさんの言う事を聞く振りをして、建物の外に出たら逃げよう。




 牢屋を出て、外へ出る為に暗い部屋や廊下を歩いて行く。

 他の牢屋に入れられている子達は、皆絶望の目しかしておらず、私達が通っても何の反応も示さなかった。

 無事にここを出られたら、力を手に入れて戻って来よう。


 ──奴隷制度なんて絶対に廃止してやる。




 外に出た。何週間ぶりの空だろう。吹き抜けていく風が心地良い。


 目の前には大きな馬車が止まっている。

 私はざっと辺りを見回す。

 この近くに目立つ建物はない。誰かに助けてもらうのは無理そうだ。

 辺りに広がっているのは草原。少し行ったところに森がある。逃げるならあそこだろう。

 このまま大人しく馬車に乗って、目的地に着いた時に逃げるのもいいが、それだと向こうの思う壺だし危険だ。目的地はおそらく、このおばさんの家か領地だろうから。


 おばさんは案内人と話している。私はタイミングが来るのをひたすら待つ。


 チャンスは一回きり。

 緊張で手に汗が滲む。バレないように小さく深呼吸。


 そして──

 ……遂にその時が来た!


 おばさんが侍従に鎖を渡そうとしたのだ。それを侍従が受け取るギリギリのところで、私は森に向かって一目散に駆ける。


 「あっ!待ちな!何グズグズしてるんだ!早く捕まえて来い!あれでも高い金を払ってんだ!」

 「は、はい!」

 「……まさに脱兎のごとく、ですね」

 「あんたもだよ!」


 くすりと笑った案内人におばさんが怒鳴る。


 「分かっておりますよ、レディ。逃げられてお金を返せと言われましても困りますしね」



 私は今までにないくらい必死で走った。

 相手は大人。対して私は、まだ幼い子供。歩幅は明らかに違う。でも、体力なら子供にも分があるはずだ。

 せめて、森まで行けたら隠れる事も躱すことも出来、逃げ切れるはず…!


 「大人しく捕まれっ!」


 すぐ後ろで声が聞こえたと同時に、身体を右へ捻る。さっきまで私が走ってた所に、侍従の人が私を捕まえる形で滑り込んできて転けた。

 …ギリギリだった。自分でもこれを躱せたのが信じられない。

 どうしよう…。冷や汗が止まらない。



 ──森まであと少し。


 あの侍従は疲れてきていた。大丈夫。すぐに追いついて来れる訳がない。


 いける。逃げ切れる!



 後約10メートル……………、5メートル……




 「小賢しいですよ!奴隷がっ!」

 「っ⁉︎」


 いきなり頭を鷲掴みにされ、森の木の方へと投げつけられる。


 「がっ……」


 頭を強く打ち一瞬意識が飛びかけるが、そこは気力で何とか持ちこたえる。


 逃げなきゃ……。

 どんな状態であれ、森のすぐ側まで来れたのだ。必死で身体を起こし、再び走り出そうとするが、誰かに頭を踏みつけられ倒れる。


 「全く。余計な手間を増やすなよ」


 この声……。あのおばさんの侍従じゃない。

 見上げるとそこには案内人の姿があった。

 ドスッと脇腹に蹴りを入れられる。


 「く…ぁ……」


 案内人は私を思い切り蹴り続ける。徐々に意識が薄れていく……。

 

 ──あぁ。失敗してしまった……。


 そんな簡単に成功する訳ないか。

 でも、あの暖かい家に帰りたかったな……。

 前世なんか比べ物にならない程幸せだったのに。



* * *



 案内人はエレナを得意先である少しふっくらした女性、アルガン・イベラの前に置く。


 「レディ。すみません。せっかくの商品に少々傷を付けてしまいました」

 「構わないさ。こいつはストレス発散用にするからね。それより、ご苦労だったね」

 「これくらい、お安い御用です」

 「ところで、こいつはどこの家出身なんだ?」

 「それは残念ですが話せません」

 「またかい。秘密が多いねぇ」

 「申し訳ございません。…ただ、良いとこの家であったのは間違いありませんので」

 「良いとこの家ねぇ。ま、良いとこのお嬢さんほど反応は面白いんだけどね。何の苦労も無しに今まで育って来たんだろう。どんな悲鳴を上げるか、これからが楽しみだよ」


 アルガンはニヤリと笑った。


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