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4.鋼の意思(4)

……!

 鉄槌をくらったようだった。黒い肌に汚いボロをまとった少年の、分厚い唇から、あたしの呼吸を完全に止めてしまうような、魔法が飛び出した。

 しばし、呆然とするしかない。

 「流魚、吾逗ノ子供欲イ、欲イ、本当ニ、妊娠シタ、思ッタ、デモ、産マレナイ、過ギタ、時期、想像妊娠ダッタ」

 言葉の不自由な少年は、それでもいくらか流暢に、感情を交えながら言った。

 若草色のお月様は、そんなフキラを邪悪に照らす。黒い森が覆い隠した真実を、あたしは必死に受け止めようとした。でも、そんな、そんなばかな。

 ギィィ、フキラの義足が耳障りな音を立てる。

 「誓ッタ女、子孫残サナイ、アオジンノ男、不名誉、吾逗、彼女、捨テル以外、ナイ、歌姫、売レタ、高ク、売レタ」

 「売ったの…?ルナを?」

 半信半疑で聞く。だって、アズはあんなにもルナを大切にしていたのに。フキラによると、あおじんの男の名誉を傷つけられたらしいが…。でも、そんなのってない。

 「ルシア王ノ一派ガ、買ッタ」

 「ルシア…」

 もしかしたら、あたしへのあて付けかも知れない。昔、あたしを匿ってくれたのはルナとアズだったのだから。それとも、単純に歌姫としてのルナが欲しかったのだろうか。

 「モウイイ、忘ル、楽」

 と、フキラはため息をついて、しゃがみこんだ。目にはまだ、先ほど流した涕が、涸れることなく浮かんでいる。そうとう堪えているようで、それきり立ち上がる気配もない。

 「どうしたの、あんたそんな気弱な男じゃなかったでしょ?ねぇ、ちょっと、こんな所で休憩なんかしないかんね?」

 眉根を寄せて、あおじん達の死体の山を見上げる。グロテスク。

 「ドウセ、死ヌ、家族一緒、イイコト」

 「はぁ?あんた、何があったか知らないけど、アズとかに守られて生き残ったんでしょう?なんでいきなり死ぬ気満満なの、ほら、立ってよ、行くんだから」

 「ハイネ、コノ森、誰モ生キ続ケル、無理」

 「え?」

 創傷も癒えぬ、三日月形のおでこを引っ掻きながら、白髪の少年は呟いた。

 「“朝日ノ鎮守森”ダカラ」

 ―――お城は“羊の毛の森”と迷路みたいな“朝日の鎮守森”に囲まれている―――

 いつかの、アルシオンの声。

 アサヒ、どこかで聞いた名だ。アサヒ、懐かしい名だ。

 いや、そんなことはどうでもいいのよ。空が白んでいたはずなのに、ペロペロの太陽の国が近かったはずなのに、どうして、そんな場所に?

 ルシアの城を、守る砦のその中に。

 その疑問の旨を、黒褐色の肌を持つ、少年に伝える。

 「朝日ノ鎮守森、ドコニデモ、アル、ドコニデモ、現レル、入ッタラ最後、モウ誰モ死ヌマデ過ゴス、コレ、運命」

 「……入らなきゃよかったぁ」

 気の抜けたあたしの声に、フキラはへなへな肩を落とす。それにしても、随分と変わったものだ。以前のフキラは、接続詞を“の”しか使わず、表情も、ボディランゲイジも、覚えたばかりというようだった。

 身体は、未だに不潔そうだけど、あたしは彼の変化に好意を抱いた。

 「問題、ソコ、違ウダロ、俺ハ、家族ト死ヌノ、決定シタ、ココカラ、動キタクナイ、動ク、無駄」

 「ばか!」

 「?」

 一瞬、フキラがむっとした。あたしは、構わず続けた。

 「ばかフキラ、ばか!あんた、夏男のパパでしょう?自分からそう、夏男に言ったでしょう!夏男を幸せにすんのよ、パパは、そういうもんなのよ、こんな腐った死体の山の傍らで、何日も過ごせるわけがないわ、なお更病気になっちゃうよっ、死ぬかどうか、そんなん問題じゃない!あんたら男はいつもそうだ、結果ばかり重んじる、経過が結果を作り出しているんだと、ねぇ、なんで認めようとしないの?経過によっては、終焉の方向が変わるんだって、信じてよ、何?どうせ死ぬから、夏男を退屈させてもいいっての?どうせ死ぬから、病気になろうと何しようと、ここから動きたくないって言うの?ばか言ってるんじゃねぇよっ、生きていく意志が脆弱で、どうして生き残れるの?意志をもってよ、夏男を一番に愛してよ、ほら、まだ未来はあるはずよ、どうにかなるはずよ、生きようよ、生きようよ、生きようよ!家族が離れてしまうことなんて、あたし達が生きてゆくための妨げにはなりはしない、独りきりでも、なんでも、生きようよ、ってゆうか、行くのよ!とにかく、こんな場所からは離れなさい、ほら、立って、もたもたしない!何してんのヨ、夏男抱っこして、落とさないでよぉ?あっちよ、あっちの方向に進みましょう、見て、ね?泥よ、地面が湿ってるわ、地下水か、河か、絶対何かあるはずだわ、さあ、付いていらっしゃいな」

 あたしは、フキラを振り返らずに、ずんずんと進んだ。

 夏男を手渡された彼が、あたしを追うのは必然だった。打ちひしがれた、野良犬は、重そうな義足を引きずって、地面を這い始めた。

 「コノ森入ッテ、生キル、思ウ、普通ナイ、変ダ、ハイネハ」

 「個性的と言ってちょうだい?」

 軽口を叩きながら、あたしたちは朽木を飛び越え、土を潜り、永遠と歩き続けた。

 途中、夏男のお漏らし騒動があってからは、フキラは夏男を抱いて歩くのを嫌がった。胸から、わき腹にかけて、夏男のオシッコでべちょべちょになってしまったのだ。おねむの坊やは、かわいそうに歩かなければならなくなった。

 「ちゅかれたぁ―――、だっこぉ、だっこぉ」

 「しょうでしゅかぁ、よしよしなっちゃん、パパに頼んでみな?」

 あたしは、意地悪くフキラを顎で指す。彼は、ギョッとして、首を振った。濡らされた衣服を、絞って腰に縛り付けている。痩せたハイエナの上半身が、露だ。

 ああ、アルシオンの身体だったら、程よく脂肪と筋肉がついているのに。滑々の白い肌は何よりも柔らかく、熱いだろうに。あたしを包み込んで、私たちが人間であることを確かめられるのに。あの少年の素肌を、この目に焼き付けること……それこそが、最大のセクシャリティだと確信する。完璧な、裸のアルシオン。

 あたしは、フキラの裸に、アルシオンを重ねて一人おぞましく興奮していた。

 「イヤ――ア」

 ふと、我に返ったのは、夏男の金切り声のおかげ。

 いやらしい妄想から、頭を振って目覚めると、夏男の身体を持ち上げる。

 どうやら、結局抱っこはしてもらえなかったらしい。傷つきやすい坊の歳だ。拒絶に敏感なのだろう、なかなか泣き止まない。あたしは、非難の目でフキラを見やった。

 しかし、彼はあたしの注視に気付かない。どこか虚空を睨み、鼻をひくつかせている。

 「どうしたの?」

 「イヤ、俺ノ勘違イカモシレナイ…“ツラ”ガ、匂ウ…?」

 くんくん、何も匂いはしない。“ツラ”というのは、あおじんの言葉で、火打石のことである。石と石を激しくぶつけ合うと、火花が飛び散り、土くれや燃料に引火する。ストロヴェリィ色の鮮やかな炎である。

 この世界では、きじんの魔法による紫色の炎、あおじんやしろじんが一般に利用するマンダリン色のホタル堤燈。そして、あかじんが体内から放出する血色のマグマの三つが、主な“光り”として、利用されている。

 ツラ石の火炎を利用するのは、最も野蛮なヒト達だけである。

 「匂ウ、気ノセイ、違ウ、匂ウ」

 フキラは、横ッ跳びに走り去った。まるで、鉄砲玉みたい。風を切る音はしたが、駆ける足音はしなかった。あたしは、大慌てで彼を追ったが、ゴマ粒みたいなボロ布が、夜空に舞ったのを確認できただけだった。

 少年を追うことはその瞬間に諦めたが、しばらく止まれなかった。

 「パパ、ばいばいよ―――?」

 ぴたっと、泣き止んだ夏男は、呑気に彼を見送った。どうしよう、フキラを追わなくちゃ。魔法、使えるかな?

 あたしは、念じた。フキラが見えなくて、怖いのよ、彼のもとに行きたいのよって。

 死体の山を前にした時と違って、今度は手の平に確かな感触。額に玉の汗を浮かべながらも、久しぶりの魔力の高ぶりに浮き立つ心は抑えられない。白いキラキラしたマジックカラァを振りかざし、あたしは全身全霊を込めて唱えた!魔法の言葉を!

 「ホワイト・シィプドッグ!」

 ぶわっ

 風が、あたしと夏男を包む。あたしの容姿に僅かな変化。髪の毛がオレンジ色に光り、白い僧侶服が鼓動を始める。足が地面から少し浮き、全身が軽くなる。大丈夫、これならまだ、コントロォルできる…!

 「エンゲィジ」

 キンッ

 空気を切り裂く音。身体がぶれる、切り刻まれる。手の中にあった夏男も、共にバラバラになっている。やがて、収縮し、再構成し始める。

 目の前に、歳若い女と小さな男の子。母と子にしては、歳が近く、姉弟にしては離れ過ぎている。歪んだ母親とその息子。

 えくぼの可愛い坊やの毛は、カラスの濡れ羽色。一方、痩せた女の毛はぼうぼうに伸び切っている。いわゆる、瞬間移動。この最中、術者は自身の姿を見つめなければならない。魂と、体がバラバラに移動しているからだ。と、その瞬間、目に痛い衝撃。耳は風を受け続けたように、麻痺して何も受け付けない。少しピンクの混じった、赤い炎。

 「それ、ツラの炎…?」

 あたしは、暗闇に突然浮かんだそれに向かって、つぶやいた。曖昧になっていた全ての境界が、稜線をとり戻して現実になる。そこは、元いた森の中ではなかった。

 表面がぬらぬらと怪しく光る川と、乾いた大地。少し拓けたオアシスだった。

 「!」

 驚いたのは、フキラ。きじんの魔力を知らないのか、化け物でも見るような目つき。

 「魔法よ、魔法、あたしこれでも、少しは使えるようになったのよ?」

 あたしの意思とは関係なく、ホワイト・シィプドッグの気がむいたときだけね。付け加えるのを躊躇った。そう、使いたい時に使えるわけじゃないし、極たまに、魔力が暴走してしまう。不完全なきじん。子供まで産んでしまった、気味の悪いきじん。

 そうね、フキラ、そのあんたの目は正しいよ。あんたの目の前に立っているのは、きじんでもないのに、瞬間移動してきた女だよ。

 「んん―――、きれいねぇ」

 夏男は、あたしの腕の中から飛び降りると、素早くフキラのもとへ駆け寄った。

 「ツラノ炎ダヨ、ナッチャン」

 「うん、うん」

 夏男は、よだれが垂れるのも気にせずに頷いた。肉にうずもれた首が、唾液でべたべたになっているに違いない。こちらから見ると、後頭部のハゲが良く分かる。仰向けに寝かせるから、坊の頭の毛が薄くなってしまっているのだ。

 「あちゃい?」

 「アア、熱イ、サワル、ダメダ」

 「うぅん、うん」

 「なっちゃん、おいで、フキラそれ、どうしよってのよ?」

 ストロベリィ色の明かりが、土くれに引火して燃え上がる。香ばしい馨が鼻孔をくすぐる。胃が、きゅんと縮んだ。

 「メシ、作ロウ、ツラデ焼ク“キオク”ナカナカ」

 「わあ、ご飯食べられるってこと?」

 ここ数日何も口にしていない。それでも、どうにかしてしまわないのは、夏男のラヴェンダァ・ウィグナのおかげである。人体の細胞を活性化させ、傷と病を癒してくれる。

 「“朝日の鎮守ヶ森”から、なんとか抜け出す方法を考えないと…」

 でなきゃ飢え死にしてしまうわ。周囲を見回し、口をつぐむ。黒いヒジキの群れみたいな鬱蒼とした森。フキラの言う“キオク”は、木の根を切って吹き出る、ゼリィ状の樹液だが、栄養素が極端に少なく、小さな子供に与えてはいけないとされる、イブプロなんとかって、成分が含まれている。夏男は、あたしのおっぱいしか、食べるものがないのだ。

 あおじんの子供なら、もう離乳食を終えている頃なのに。

 こんな森には、いつまでもいられない。

 と、頭に先ほどのあおじん達の死体の山が浮かんできた。ふふ、別にいつまでも生きられると、決まったわけじゃないか……。アズ達のように出てゆくこともできるわね。

 自嘲。

 ぶしゅっ

 “キオク”があふれだし、ツラの炎の中へ投げられていく。あたしは、“キオク”を回収する際に生じた、木の根の皮を丸めて、簡易コップをつくり、小川に水を汲みにいくことにした。すぐ向こうに見える、オアシスへ。

 背の高い葉を避け少し行けば、目的の小川。予想に反して澄んだ水を湛えていた。おいしそう…。

 あたしは顔を直接小川につけて、清水を飲んだ。

 「…………ぁはぁ」

 袖で口をぬぐい、コップ二つに水を汲み、あたしは立ち上がった。

 「!」

 その時、あたしは背筋が凍るような怖気を覚えた。

 振り返り、恐る恐る小川に身を乗り出す。そこに移っているのは、プリン頭の薄汚れた女。吹き出物だらけの顔に、しわしわの手をした二十数歳の女。

 女の深く切り込まれたつめの先から、にじみ出る血が、水面に触れるか触れないか。其の時だった。黒くぬらぬら怪しく光るだけの、其の水流が目を焼くほどの光を発した。

 あたしの顔が、あたしのものでなくなってゆく。

 生暖かい風にもてあそばれていた毛髪が、黒くつややかに首筋にたれた。思った瞬間、水の中に曇りのない肌をした、この世のものとは思えない少女。突然に、現われたのだ!

 ここまでの美貌、ここまでの理知的さ。アルシオンとは、全く別格の聖女的美しさを溢れんばかりに湛えた美少女。まさにマリア、百合の聖霊だ。あたしは、驚き、慌て、胸がつぶれるような苦しさを味わった。懐かしい女の子。

 水の中で、恍惚とした笑みを浮かべていた少女は、あたしに向かって白く細い手を伸ばす。あたしも、手をのばし、小川の中の彼女の柔らかな頬に触れた。少女の手も、水面から突き出てあたしの頬を触った。全く同時だった。あたしは驚き、彼女も眼を見開いた。

 少女のさくらんぼ色のぷっくらとした唇が、動く。そして、あたしの口から涼やかな声が漏れた。

 「アサヒ…!」

 あたしたちは同時に手を引き、水面を激しくたたいた。身をのけぞり、その衝撃で川へ落ちそうになった。何とか足をふんばる。あたしは慌てて、自分の手と髪と顔を確認した。いつものあたし。いつのまにか、肩で息をしていた。手に握っていた木の皮のコップは投げ出され、激しく舞い散った泥と水で、白い服は汚れていた。

 それから、二、三度小川を見つめたが、何も起こらなかった。あたしは、何度も振り返りながらも、コップを持ってフキラの元へ戻った。


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