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4.鋼の意思(3)

「なっちゃん!」

気付いた時には、夏男は空中で大開脚をしていた。次の一瞬では、べちゃっと、小さな体を泥だらけの地面にめりこませ、半べそをかいていた。

身体を横たえていた朽木に、足をすくわれたらしい。

「いちゃいの――」

「お馬鹿…!もぅ、ほら立ちなさいよ、男の子でしょ?」

夏男は、両手をついて、よたよた立ち上がると、魔力を高めた。

「ラベンダァ・ウィグナ」

 体中に付着した土くれが、燃え上がるように消えうせる。

 視界も悪く、真っ黒な森の中だ。何度も同じ場所を通っているような錯覚を覚える。なんて、気味の悪い…!

 夏男は、自分の魔力では治せない、衣服の破損に舌打ちした。よっぽど眠いのだろう、イライラしているのが、よく分かる。母親のあたしでなくとも、坊やのピリピリとした居住まいに、そのことは簡単に見抜けるはずだ。

 しかし、あたしは彼に休養を取ることを赦さなかった。

 胸騒ぎがするのだ。

 なんとしてでも、この胸騒ぎを静めたい。だから早く、原因を突き止めねば。

 「かあさま、あれ、なぁに?」

 「ん?」

 !

 辛うじて、夏男の為に浮かべていた微笑も凍りつく。あたしの心臓は、この事を警告していたのだなと、瞬時に理解する。

 そこには、山があった。“数固体”が折り重なって出来た、巨大な山。この世界では、くろじんの次に巨大で、最もポピュラァな種族。

 青白い肌と、堀の深い顔、銀髪の巨人、あおじんで出来た山が。

 若草色の月の光りが丁度、木木の間を貫き、真っ直ぐにその腰をすえているあたり。闇夜になれた目には、殊更に慄然として映る。悪趣味なオブジェだった。

 「うぅっ」

 胃が締め付けられ、中身がでそうになる。今、あたしの体内から何か出るとしたら、それは胃酸以外にはないけれど。しばし忘れていた吐き気が、あたしの背筋を撫でつけ、頭から酸素を奪い取る。

 数日前から折れていたあばら骨が、内臓に食い込む。

 もしも、あたしが完全なきじんであったら、折れたあばらも瞬時に治し、空腹など感じず、ペロペロの国までテレポォトしていたに違いない。そうすれば、このような映像を見せられることもなかったのだ。

 「あ!うごいちゃよ――?あおじんねっ」

 鼻の穴を膨らませ、指を全部広げ、山を指す(まだ、一本指だけを動かすことが出来ないのだ)。

 見れば、死体と決め付けていた、あおじんの山の一部がもがいている。

 「生きて、いるのかしら?」

 あたしの顔色が悪いのを見て、夏男は首をかしげる。

 「かあさま、たしゅけゆ?」

 「え?うん、たしゅけるよ?」

 あたしは、全神経を集中させたが、白い魔法の光りは宿らない。しかたなく、赤い巨大なコォムを持って、死体の山に近付く。

 とてとて、小さな足音。夏男は、ひしっとあたしにしがみ付き、あおじんたちを食い入るように見つめた。その小さな瞳に、一体何が映っているのか、あたしにはわからない。

 生きているらしい山の一角を、注意深く観察する。少し奥の方だな。あたしは、あおじんの折り重なった死体の斜面を登って、その付近にまで到達した。

 夏男も、あたしに引きずられる様にして、登ってきた。そしてまた、ひしっと服の裾を掴む。愛らしい坊や、可愛い坊や。本当は、目を瞑っていてほしいのだけど。

 「フッ」

 スパァッ!

 櫛の部分に、剃刀の刃のようなものが仕込まれている、このコォム。死体は上下にきれいに寸断される。とたん、びちゃっ、生暖かく青い血液が、白い僧侶服を汚す。

 音もなく、内臓が溢れて膨らみ、広がる。長い巨大ソウセイジを、恐ろしさと好奇心の入り混じった顔で観察していた夏男が、悲鳴を上げた。

 「きゃっ」

 ぱっくり割れた、死体の中から、小さな少年が踊り出たのだ。ザンバラの長髪に、ギラギラとひかる目をもった、小さな少年が。

 あたしは、それが誰か分かっていた。

 だって、今あたしが分断した腹は、かつての友人の顔をもっていたのだから。おそらく、今まで行動を共にしていたのだろう。どんな不幸に見舞われたのかは知らないが、少年が、その友人の下に隠れていても、不思議はなかった。

 「フハァ、ハアア――、ぅ、ハァ――!」 

 息も絶え絶え。黒光りする肌を持ったその男は、青黒く染まった自身の身体と、たった今、あたしが切り裂いたあおじんとを、見比べていた。

 「久しぶりね、ウバヤ=フキラ」

 「ハイネ…!」

 覚えていてくれたのか。あたしは、小さな驚きをもって、少年を歓迎した。

 「そして、残念ね、せっかくの再会を、喜ぶ暇もなく真っ二つだなんてね」

 あたしは冷笑した。身体が半分になってしまったあおじんの男は、壮年だった。もしかしたら、老人と呼んでもおかしくないかもしれない。髭と、眼鏡で主代わりしてはいたが、これはかつての少年…アズだ。あれから、2、3年は経っているというコトだろうか?どうもしっくりこないが、そんなものだったんだろう。

 アズとはかつて、共に旅をした仲だ。そのときは、懐妊中の姉さん女房、歌姫のルナを連れていたが。この山の中にはいないのだろう、ふと、そう思った。

夏男は、懸命にフキラから目をそらそうとしていた。しかし、フキラは死体から這い出ると、真っ先に夏男に注目した。首をかしげている。

 へベルツが、はじめて与えられたおもちゃを観察するのと同じだ。頭巾を被った亀ライオンは、にゃあと鳴きながら、毬で遊ぶ。

 フキラも、唸りながら夏男を手繰り寄せた。

 「ハイネ、殺シタ、吾逗ヲ、殺シタ」

 真っ二つに裂かれた、アズ。

 その腹の中にいながら、フキラは抗議の声を上げる。

 「殺していない、初めから死んでいた!」

 あたしの剣幕に押されたのか、フキラは夏男を両手に抱え上げながら、あとずさった。

 「こあいぃ!こあいぃ!」

 金切り声を上げ、必死に助けを求める夏男。男に抱かれたことなど、あるまい。

 「死ンデイタ?」

 「そぉよ、あんたを助ける為に、仕方なくアズの身体をぶったぎっただぁけ!そうでもしなきゃ、あんた窒息してたよ?」

 「ミンナ、死ンダ?俺ノ、同志、死ンダノカ?」

 「そうね、ゴルゴタの丘だわ」

 「クゥ…」

 伸びきった白い髪の毛で、顔を覆って、男泣き。

 昔よりも、いささか精悍さを増した顔つき。両手に抱えられた夏男は、なす術もないようだ。突然泣き出した、見知らぬ男に戸惑うだけだった。

 「えんえん、してゆの?えんえんダメよ――?おとこのこでしょっ」

 あたしの口ぶりを真似して、フキラの頭をぽんぽんしている。

 「綺麗ナ、子供、優シイ、子供、ハイネノ授カッタノ?」

 「うん、そうよ」

 「父上ハ?」

 「…いないわ」

 あたしは、アルシオンと答えるのが苦しかった。いずれ夏男本人の口から飛び出るであろうけれど、フキラに知られたくないと、強烈に思った。たとえ知られても、あたしを見せしめに葬ったり、夏男を人質にしたりする“反きじん”勢力のほとんどは、死体の山。

 そういった恐ろしさとはまた別に、あたしはアルシオンとの関係を否定しなければならないのではないかという、理由のない義務感を感じた。

 フキラは、同情したらしく、夏男の頭をよしよしと撫でると、まだ消えぬ涙を泉のように湛えながら、告白した。

 「俺モ、両親イナカッタ、コノ子供ノ歳カラ、アオジン二支配サレタ、ソシテ、今モ、大勢ノ家族、失ッタ、ハイネモ、俺モ、子供モ、痛イ、辛イ、可哀想、ダカラ、俺、コノ子供ノ父上ニ、ナリタイ」

 あたしは、久しぶりに腰を抜かした。

 笑い飛ばそうにも、フキラは真剣で、真摯に受け止めようにも、夏男には、立派なきじんの父親がいる。困惑したあたしに、フキラは気付かない。

 「ちいうえ?」

 「ソウダ、ソウ呼ブ、良イ」

 「ちいうえってなぁに?かあさま?」

 「……」

 父様だよとは、言えない。夏男にとって、それは神の名だ。

 「パパ、ノコト、俺ハ、パパ、オ前ノ名前ハ?」

 フキラが、あたしに代わって答える。夏男は、もじもじしながら、上唇を舐めた。眠い証拠だ。もう少しすると、あたしの手の甲をつねつねする。

 「なっちゃんは、なっちゃんよ――?」

 「ナッチャンヨ?」

 首をかしげるフキラ。

 「ああ、夏男よ、暑い日に生まれた、男の子という意味」

 訂正するあたし。フキラは、今までに見たことのない、好意的な微笑を浮かべて、

 「夏男、傴麼夜=夏男」

 と…!あたしは、目頭が熱くなるのを感じた。

 「フキラ、あなた本気でこの子の父親になるつもりなの?」

 声が震える。視界が揺れる。 

 「かあさま、えんえん?」

 「しないよ、えんえんしないよ?ね、なっちゃん、ここから降りよう」

 あたしは、フキラから顔を背けて、夏男の手を引き、死体の山を降りた。地面に足をついてすぐ、握っていた夏男のちいちゃなお手手が、手の甲にするりと回ってきて、親指と人差し指でつねつねしはじめた。

 「イタッ」

 あたしは、注意のつもりでわざとらしく痛がった。夏男はやめない。しかたなく、十五キロの体を両腕に抱き上げる。自分から擦り寄ってきて、苦しそうに呼吸する。

 いとおしい、あたしだけの坊や。

 今日はいっぱいお喋りしたね、いっぱい歩いたね。おやちゅみなちゃいね。

 「ハイネ」

 自称パパが、後からひらりと降りてきて、馴れ馴れしくあたしの腕に手を置く。

 もしもフキラの身長が、あたしの胸くらいでなかったなら、彼のガリガリに痩せた手の平は、あたしの肩を撫でていたのだろう。そういう馴れ馴れしさだ。

 「俺ト、結婚シテ」

 「え?」

 「君ノコト、好キダッタ、本気、俺、本気」

 拙い言葉で、一生懸命に訴えてくる。あたしはただ、唖然とするだけ。…ううん、また、目頭が熱くなった。顔の筋肉が醜く歪み、クゥルにやり過ごそうとしていた自分が失われ、嗚咽が出そうになった。冷静が、抑える。

 「何言ってんの?あたし、あんたらを裏切ったのよ?」

 「裏切ルハ、ホワイト・シィプドッグダロ?ハイネ、悪イ、ナイカラ」

 「…なんですって?」

 「俺、見テイタ、町、入ル前夜、ハイネガ変身シタ、流魚ニ、声カケテ、白イハイネ空飛ンデ、闇夜溶ケタ、俺、ジット見タ、窓カラ、見テタ、スグ後、ルシア王ノ城ガ陥落シタ、ホワイト・シィプドッグ、噂アッタ、俺、信ジタ、ミンナモ信ジタ、デモ流魚ガ裏切ッタカラ、ミンナバラバラ、吾逗ト、一緒シタ、デモ今、俺庇ッテ、死ンダ」

 「ルナが、裏切った…?」

 「子供、産マレナカッタ」

 フキラは、夏男の頭を撫でた。夏男は、すっかり眠りに落ちていた。

 「流産でも、したの?」

 あたしは、恐恐尋ねた。自分に置き換えたら、耐えられない。しかし、フキラの口からは、それ以上に恐ろしい真実が飛び出した。

 「初メカラ、子供デキテイナカッタ」

 「う、嘘よ、だって…そんな」

 膨れた下っ腹を、大切そうに抱える彼女。優しく語りかけ、お腹の子のために子守唄を紡ぐ彼女。その愛情に満ちた行動は、けして演技ではなかったのに。

 「想像妊娠」


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