4.鋼の意思(1)
前回までよりも読みやすくする為に、四等分してございます。
鋼の意思
鋼の意思を持って、あたしは追い続ける。絶対、何にも惑わされるものか。
恨み辛みが、絶対の信念となって、あたしを突き動かしていく。行く所々で、野に枯れた薔薇が一本。アイツの証だ。美しい緑の野原に、一輪の乾涸びた薔薇がほおってある。アイツが通った証だ。
あたしは、ボウボウになった髪の毛をかきむしって、悔しがる。
また、先を越された。
たった一つの荷物である、真赤なコォムの柄を握り締める。巨大なその櫛は、あたしの背丈ほどで、寂しい夜にあたしの話を聞いてくれる。ポケットに手を伸ばす。赤い花びらが一枚だけ。といっても、もう渇いた血の色をしているけど。ああ、枯れた薔薇はだめなの。アイツの証は、お金にはならない。一度試してみたら、商人たちはあたしを怒鳴ってきた。青白い肌を、色濃くして、噴出す怒りに喉を鳴らして。
「出ておゆきよ!この売女」
薔薇は駄目。どんなに腐ったポピィは良くても、鮮やかにしな垂れた、薔薇の花びらは無意味以上。アイツはあたしに何もくれない。
お腹、空いたな…
ポピィの花びらをポケットの中で、握り締める。追いつけない、男。アイツに玩ばれている…。アイツ、ルシアに。
茶色に染めた髪の毛は伸びきって、すっかりプリン。身体は痩せて、あ、でも元元がデブだったから、普通くらいの細さになってて、肌は乾涸び、目は落ち窪み、見る影もないくらい。腹をすかせ、記憶は戻らず、ここ数ヶ月他人とは、言葉を交わしていない。
ルシアは、大勢の魔法使い達と、魔法のホウキに乗って空をすいすい。小柄な身体に似合わない厳ついマントに、黒いサラサラの坊ちゃん刈り。瞳は輝く黒曜石、肌は煌めく真珠。この国の王で自由と、富と、名誉の男。
酷いな。すごい差だわ。
ルシアは、あたしとのかけ離れた対比を埋めるために、わざと枯れた薔薇を置いてゆくのかもしれない。早くおいでよ、ちっぽけなお嬢さん――考えすぎかもしれないけど。
あたしは、顔半分をマスクで覆って、フゥドを被る。
何故かは知らないけれど、あたしは素性を隠さなければ、下手に出歩けない身分になってしまったんだ。もう一年近く前だったか、それとも十数年前か、百年経っていないことぐらいしか、確信が掴めないほど昔、あたしは素顔で歩いていた。“白鳥の羽屋上“は、真っ白で、ふわふわで、誰もが誰もを知らないような場所だった。ふらふらと、迷い込んだあたしを迎えたのは、どよめきだった。
“蜘蛛の糸広場”とは違って、商店街があるわけでもないのに、たまたま道を歩いていただけの住人達の割には、大きなどよめきだったと思う。悲鳴を上げた、しろじんもいた。上品なピンクのワンピィスを身につけた、女のきじんは走って逃げた。
みんな、あたしを見ているの?
水路を走っていたトンボの羽の車たちが急ブレェキをかけた。若いあおじん達が顔を覗かせている。白い羽を浮かせただけの歩道に、数人のあおじんが駆けて来た。あたしは、何がなんだかさっぱり身に覚えがないから、どうしていいか分からなかった。ただ、言いようのない不安が広がるばかりで、立ちすくむしかなかった。こんな気持ちを、かつても味わったことがある。あたしは、あるときから前の記憶がない。
その上、強力なきじんだから、自身の姿すら、魔法で作り出された幻影ではないと保証することが出来ない。随分昔に、アズとルナという旅芸人のあおじん達と行動を共にし、記憶と姿を追い求めたことがあった…あれは、いつのことだったろう。
あたしは、水に浮かんだ“白鳥の羽屋上”を、まじまじと観察してみた。建物はみんな背が低く、ふわふわした何かで作られている。ランプは、乳白色の液体で満たされた、まあるいガラス。ルシアの夜の国なのに、驚くほど明るい。あおじんとしろじんが多く、数人きじんがいる。寒い国の住人のように、厳しい面構え。
彼らみな、あたしに注目しているんだ。
あたしの顔を必死に見ている。まるで、指名手配犯でも見るような顔つきだった。
「シィプドッグ」
誰かが、呟いた。
「犬だ」
「イヌだ」
「羊飼いの狗戌だ」
波紋は広がり、町中がざわめいた。みんな囁きあっていた“シィプドッグだ”
「?」
あたしは、そもそも何故こんな場所に突っ立ているのかもよく分からなかった。気後れし、後ずさったが、振り返っても、もはや道などなかった。青白く巨大な人たちが、うごめきあっているだけだった。
「ルナ?アズ?……フキラ?」
太ったルナにしても、少年アズにしても、あおじん達は大きすぎるようだった。そして、どんなに目を凝らしても、小さな黒褐色の少年は姿を現さない。
「スズさん?ゴワさん?」
アニメ声のスズみたいなお洒落さんはいない。みんな、灰色の外套を身につけている。ひときは大きかったゴワも、ここのあおじんたちよりは、小柄だった気もする。
「アルシオン?」
藁をも掴む思いだった。大勢に囲われて、囁かれて、なのに孤独だったから、彼を呼ぶしかなかった。彼が出てくるとは、ほんの少しも期待していなかったのだ。
ところが、人の運命とは数奇なもので、あたしは大いなる孤独の中で、黒く光る少年の強烈な気配を感じた。それは心臓を打ち砕き、あたしをぐらつかせた。
「アルシオン…」
「やあ、久しぶりだね“どなたか存じ上げないご婦人”」
ぎんねずのファアに、漆黒のレザァパンツ。ゴツゴツの飾りがついた革の手袋と、お揃いの飾りがついたネックヲォオマァ。セレブなんだか、ジャンキィなんだか区別がつかないファッションのきじん。
「その呼び方、やめてよ」
見間違うはずはない。深くミステリアスな黒、天然パァマの頭髪に、たまご型の滑らかな輪郭線。白い陶器のような肌に、濡れたような血色の唇。少し上を向いた鼻、扇形の眉、長い睫毛、大きな瞳。
窓枠のように黒く、雪のように白く、血のように赤い、男の子。眉目秀麗、この世のものとは思えない、絶世の美夫、アルシオン。彼を間違うはずがない。そう、それは、もちろん彼がどんなに平凡極まりない顔立ちだったとしても、あたしの自然。だって、あたしは彼を美しいと思う前に、いとおしいと思うから。
アルシオンが、好きだから。
「うふふ、相変らず不思議な人、ぼくにそんな顔するなんて、ルシア以外には君しかいないよ」
「ねぇ、あんた怒ってないの?」
「何を?」
「この前の…」
ちらっと、目の前に立つアルシオンをのぞき見る。
「この前の、こと、あたし魔法で押し倒しちゃったから」
「ああ、怒ってたよ」
なんでもないかのように、彼はさらっと言った。あたしはびくつきながら、足元に目線を落とした。あたしはまだ、魔法をうまく使えない。一時的には、彼よりも多くの魔力を放出できるらしいけど。
「でも、そんなことよりも、もっと大切なことがあるんだ」
アルシオンの手が、いきなりあたしの肩を掴んだ。
「ひゃあ!」
「おっと」
あたしは反射的に跳ね除けた。アルシオンは拒否されたことに驚いたらしく、しばらく目をパチクリしていた。瞬きのたびに、睫毛がゆれる。うわぁ、マジ長ぇ。
「ご、ごめん」
赤面する。
「別にいいんだ、気にしてない、でも、ハイネ、ぼくが触るのそんなにイヤ?」
子供がおやつをおあずけにされた時、そんな瞳でみつめてくるアルシオン。あたしはいったい、どうすればいいのよ。
アズと、ルナと、アルシオンの報復を恐れ彼から逃げていたというのに、あたしは今、彼を抱きしめたい衝動を抑えるのに精一杯だ。挙動の一切が、あたしの胸を高鳴らせる。
「イヤじゃ、ないよ、びっくりしただけ」
渇いた喉を押し開いて、絞り出すようにそれだけ言う。
「よかった、とにかくハイネに伝えなくっちゃならないことがあるんだ」
「何?」
「そうだな…、まず君の今の状況からだね、回りを見てご覧よ」
促されて、首を回す。
「……なんで…?」
目に映るもの全てが、あたしの不安をかきたててゆく。
「なんで、どうして?」
興味心身といった様子で、あたしを眺めていた人だかりが随分と後退し、みんなの表情も、もっと硬く険しくなっている。明らかに、あたしとアルシオンを警戒し、憎悪している。あたしが一人一人に視線を合わせていっても、誰もそらそうとしない。
まるであたしを、檻の中のライオンかサルでも見るかのように。
「ハイネ、君はホワイト・シィプドッグと瓜二つなんだよ、だからみんなハイネを嫌っちゃうの、仕方がないけど、辛いよね」
「ほわいとしぃぷどっぐぅ?何それ、新種の犬?」
「数日前に現れた、恐ろしい女の子のこと」
「その子と、あたしが似てるの?」
「いいや、似ているというのとは、ちょっと違うんじゃないかな?顔立ちは良く判らなかったらしいし、ナイスバディだったんだって、明らかに君じゃあないけどね、うふ」
「ひっど…!それって、あたしのこと遠まわしにナイスバディじゃないって言ってんじゃん!その通りだけど、そんなこと付け足さなくっても……」
「あははは、怒りん坊さんだね、ハイネは」
「もうっ、からかわないでよ」
ごめんごめんと、言いながら、悪びれた様子もなく、アルシオンはまた、淡淡と話し出す。少し歩こうか、促されて、足を踏み出した。
「瓜二つって言うか、カラァが同じなんだ」
「カラァ?」
「きじんのもっている魔法の色のことだよ、マジックカラァ」
「ふぅん、それが同じだからみんなあたしを、ホワイト・シィプドッグって勘違いしてるってことでしょ?変なの、色なんて七色しかって、こりゃ虹か…だいたい二四色ぐらいっきゃないじゃん、同じ人もいるわよね」
あたしは、一人で納得して腕を組んで唸った。その横で、アルシオンが目を細めた。
「そうだね、ハイネは記憶喪失だもんね」
「ん?」
「知らないんだ、カラァは一人一人違う…そしてきじんは、三千人しかいない。死んだきじんもいなければ、生まれたきじんもいないんだこの世界には」
背中が、ぞわっとした。きじんは生まれず、死なない…?そんなばかな。
「ホワイト・シィプドッグは間違えなく純粋なきじん……土魯みたいな混じり物じゃない、ということは、その三千人のうちの誰かなんだ」
「そんな……でも、あたしは突然この世界に来て…!」
「そんなこと、誰に吹き込まれたの?ハイネ、君は元からここにいたさ」
アルシオンが、微笑む。あたしの頭に浮かんだのは、フキラ達反きじんの砂族たちだ。彼らが、あたしに“あなたが異邦人ではないか”と、言った。
あたしは考えた。考えれば考えるほどその言葉が正しく思えてきた。
「あおじん達に、吹き込まれた…」
言って、口をおさえる。アルシオンが満面の笑みを浮かべ、こちらを覗きこんでいた。
怖い――!
身体が硬直し、心が揺らいだ。
そうだ、彼らに吹き込まれた。
彼らが、あたしを異邦人に仕立て上げた。元元いたきじんなんだ。三千人三千色のハイネだったんだ。記憶を失っているが、あたしは高貴なるきじんだ。今も昔もこれからも、生まれず、死なない純粋なきじんだったんだ。
その時あたしは、気が付かなかった。
アルシオンの両腕から滲み出している紫色の魔法の光りに。あたしの中で、黒い炎が燃え上がった。
「そう、酷いことをする奴らだね、ハイネ」
「うん、あんまりだわ…酷いわ…」
「もしかしたら、記憶を消し去ったのもあおじんかもしれないね」
「どうして、そんなことを?」
「彼らあおじんは、ルシア王に退位させたかったんだろう、だから即席で異邦人のきじんを用意したのさ、記憶を消してしまって、砂漠に置き去りにすれば、いいだけだからね。あとは他のきじんが“異邦人”の魔力を発見して、騒ぎ立てるだろうしね」
「あたしじゃなくっても、いいじゃないの」
「じゃあ、きみの強力な魔力を恐れたのかなぁ?一石二鳥だよね」
「強力な、魔力?そんなもの持っていないよ」
アルシオンは、口の端だけを持ち上げて嗤った。
「そんなはずないだろう、ホワイト・シィプドッグ!君の魔力は、ルシアの城を半壊させ、城にいた、多くのあかじんときじんを犠牲にしたほどじゃあないか!ルシア王は、手足のもげた哀れな同胞達と共に、君に恨みを晴らそうと飛び回っているよ!さあ、シィプドッグ、言っただろう?ハイネなんて都合のいい名前名乗ってるんじゃあないよ。二九九九人のきじん達が、君を呪っているんだよ、純白の魔法を持つのは君だけだ、ハイネ!」
―――君は、ホワイト・シィプドッグなんだよ―――




