トランジスターラジオ
でも、エレキギターは流石に学校には持っていけないだろうと
僕は思ったし
大きな音だしたら、迷惑だろうとも思った。
練習は、まあしなくても平気だろう。
ギターは慣れてたし、エレキに持ち替えても
メロディは変わらない。
そんなに困ることもないけど
それは、音楽をなんとなくずーっと聞いていたからだと
思う。
メロディを聞きながら、次の音がどんな風なのか
だいたい想像がつくから
想像をなぞると、そんな感じになるんだったり。
それは、戦後、と言う時代のせいもあって
自由になった日本に、進駐軍放送(FEN)が出来て
みんながラジオで聞き始めた。
それが1945年だったと聞く。
ほとんどがジャズで、それはアメリカでも
差別されていた黒人の解放が
なんとなく感じられた音楽(調性の中での自由=社会の中の自由)
だったから、日本人にも終わった戦争の
解放、が感じ取れたのだろうと思う。
真空管ラジオで、みんなが聞き始めた。
僕のおじいちゃんも、それでルイ・アームストロングとか
そんなのを聞いて好きになったし
母も、そうして下町の寿司屋で育った。
後々も、いつも家にはラジオがあって
音楽が流れていた。
FENも、その頃はそんな感じ。
それで、僕のそばには音楽がずっと、あった。
小学生の頃は、FMを知らなかったので
AMを聞いていたけれど
ニッポン放送で、土曜の午後放送していた
歌謡曲ニッポン、と言う番組をなぜか聴いていた。
戦前戦後歌謡人気投票、とあるから
時代が伺われる。
なぜか、いつも舟木和夫の「高校三年生」が1番で
今考えると組織票だったのかな、なんて
思ったりもする。
いつだったか、ちあきなおみが「喝采」で
レコード大賞を取ったときだけは
それが1位になって
なーんとなく、「高校三年生」を聞けると思っていたら
違う曲だったので、あれ?と言う気持になった事を思い出す。
ニッポン放送をよく聞いていたのは、CMの音楽が
楽しかったのもある。
青森のおじさんが、トランジスタラジオをくれて
スタンダード、と言う会社の横型FMつきラジオだったが
それで、あの上野の乗務員宿泊所で見た
テレビCFの音楽がかかると、懐かしくて
聞いていたのもあったり。
森永ババロアの、あの曲もあった。
このスタンダードのラジオは丈夫で、僕が二階から
表にいるおじさんにラジオを渡そうと
ロープで結んで下ろしたら、途中で結び目が解けて
落ちた(笑)
でも、ラジオは普通に聞けた。
つい最近まで動いていた。




