アルトの受難
練武場を後にしたアルトはまだ日も高く、寮の自分の部屋へと戻るような時間帯ではなかったので、時間潰しのためにセントクレアの街をぶらぶらと歩き回っていた。
石造りの綺麗に舗装された道に、白色で統一された建物の数々。アルトの周囲は人でがやがやと賑わい、過ぎ行く店の店頭には贈り物に使われる華やかな装飾品の数々や、野菜や魚といった食糧品。きわめつけはいかにもあやしげな魔装具や魔法書の数々がそこかしこに並んでいた。
アルトが歩くこの道は商店街通りであり、連日多くの人が賑わう通りである。セントクレアは中央部へとつながる主要な通りが全部で五つあり、商店街通りはその一つなのだ。
「なにかいいものはないかなぁ~」
別段何が欲しいというわけではないアルトだったのだが、いろいろな店の店頭に飾られているものをただ見るだけでも楽しいので、きょろきょろと首を動かして品物を見続ける。
するとアルトは道の真ん中で桃色のショートヘアーの髪の女の子と、黄昏の燃えるように赤い髪をした男の子の、見知った顔にばったりと出くわした。
「アルト、久しぶりじゃねぇか。元気だったか?」
「アルト君、こんにちわ」
そこにはアルトがこのセントクレアで唯一まともな交流をしていると思える、ケイトとそのパートナー、レイ・ガートラートのふたりがいた。
レイとはケイトとほぼ同じ経緯で話すようになったのだが、不思議なことにふたりは最初から知り合い同士で仲が良かった。ケイトは同じ普通組の女子はともかく、男子には怖くて怯えているようだったので、ケイトがレイを紹介した時にアルトが少し意外だと思ったことはまだ記憶に新しい。
「レイ君とケイトさん。こんなところでふたりで何しているの?」
アルトのその質問に、レイが少し呆れたような顔をする。
「ケイトは俺のパートナーになったんだから、二人で一緒にいる事はそんなに驚くことじゃねぇだろ。今日は、ふたりで日用生活品を買いに来たんだ」
(あ、そうだった。忘れてた)
アルトは朝起きれば選抜組の訓練に駆り出され、昼には昼で座学をした後にまた訓練。夜にはセリナのながぁいお説教+嫌味の“座学” が待っていたので、ケイトが誰と組むことになったのかを忙しい日々の中ですっかり忘れていたのだ。
「ああそうだったよね。ごめんごめん。この三週間あまりに忙しすぎてすっかり忘れてたよ」
アルトが人当たりのよい笑みを浮かべながらそう言うと、レイが少し心配そうな顔をする。
「なあアルトよう。オマエがあのセリナさんと一緒のパートナーになって、俺はまじすげぇと思っているし、選抜組と一緒に訓練をしているオマエが正直羨ましい。俺は魔法剣士志望だからな。……でも俺が言いてぇのはそんなことじゃねぇんだ。俺が言いてぇのはアルトがこのままセリナさんと組んでいて、大丈夫なのかってことなんだけど……」
レイは慌てて付け足した。
「あっもちろん、オマエが駄目だとかそんなんじゃねぇんだ。……ただ、選抜組は普通組と違って剣とか魔法の訓練が必須でとてもきついし、いけ好かない連中が多いだろ。それでそいつらに便乗して他の普通組の連中もアルトについてのよくない噂を流しているらしいんだよ」
「僕の噂? それって一体何?」
「その様子じゃ何も聞かされていねぇな……例えば、アルトが副会長の色香に惑って、何か不正をして副会長と組ませてもらっているとか――――」
レイが二の句を告げる前に、アルトは憤慨してその言葉を遮る。
「……なにそれ、僕はそんなことしていないよ! 僕自身、彼女と組んでいることが不思議でしょうがないんだから!」
まったく冗談じゃない!
なんで普通の生活を送ろうとしている僕が、わざわざ不正までして選抜組のセリナさんと組まなきゃいけないんだよ。僕はセリナさんの熱狂的なファンじゃないんだ。代わりたい人がいたら、喜んで代わりたいぐらいなんだよ。……まあ、そんなこと簡単には許されないんだけどね。
珍しく憤慨するアルトを見てレイは苦笑する。
「俺にそれを言っても仕方ねぇだろ。まあ、俺はそんな根も葉もない噂。少しも信じちゃいねぇけどな」
淡白にそう言った後、レイは急ににやっとふざけた顔になった。なにかに例えるならば……そう、そこらの酒場に行けば必ず会えるであろう、酔っ払いのオヤジみたいな顔に。
「そういえばさっきのおまえの口ぶり、副会長と組む事に納得していなさそうじゃねぇか。いつも人畜無害な顔をしているアルト君にしては珍しい。彼女のこと一体どう思ってんだよ? ほれほれぇ! そこのところ、ここにいるお兄さんにだけ白状しちまえよ!」
ぷしゅーと鼻息荒くその高い鼻から空気を吹き出し、顔を蒸気させて興奮したような面持ちで迫るレイ。アルトは少し気圧されながらいつもの外向きの笑顔をその顔に貼り付けた。
「納得してないといえば、納得していないかな。……あっでも僕は別にセリナさんがどうこうってわけじゃないんだよ。ただ僕と彼女との力の差が歴然だから、他の選抜組の人が僕のことを快く思っていなくても仕方ないんじゃないかなぁって」
アルトの模範回答を聞いて、レイは心底つまらなさそうにしてアルトから離れる。
「ちぇ、せっかく面白そうな話になるかと思ったんだけどな」
「あ、あのっ」
するといままで二人の会話に入ってこなかったケイトが声をあげた。
アルトとレイはお互いの顔を見合わせてケイトのほうを向く。
ケイトはぎゅっと両手を正面で組みながら、一生懸命喋り始めた。
「あ、あのねアルト君。私もアルト君の噂なんか全然気にしていないよ。……でもそんな風に笑いながら、自分の力が無いなんて言っちゃいけないと思うな」
アルトは目を見開く。ケイトは顔を赤くして、ところどころつっかえながらも、話し続けた。
「……確かに、選抜組の人達はみんな魔法剣士を目指すくらいだから、わたし達普通組の人間からしてみればとても強いし、生徒会の人にもなると私にとってはもう雲の上の人みたいな存在なんだけど、……それでも、そんな後ろ向きな事を言うアルト君は、私なんとなく見たくないかなぁって」
アルトははっとした。
ああひょっとしたら、セリナさんはそれで僕に対してあんなに怒っていたのかなぁ。確かに言われてみれば自分の近くでにこにこと笑いながら、後ろ向きなことを言っている奴がいれば誰だってうんざりするに違いない。
今度からもう少し言動に工夫をしないと。アルトはそう思った。
「うんそうだね。ケイトさんの言う通りだよ。今度からもう少し気をつけるね」
そうしてケイトににっこりと微笑むと、なぜかケイトは顔をさらに赤くして、石畳の地面へと視線を外す。
そんなケイトを見て、やっぱりこの間からどこか具合でも悪いのかな? などと若干ずれたことをアルトは考えていた。
「それじゃなアルト。もし他のやつらになんか言われても気にすんじゃねぇぞ。もしなんだったら俺のところにいつでも来い。なぁ~に乱闘騒ぎにでもなった暁にゃ、魔法剣士志望のこの俺が一発そいつらをぶん殴ってやるよ」
「わ、私も、アルト君が困っていたら力を貸してあげるよ」
「うん、二人ともありがとう。今のところ僕はまだ大丈夫だよ。それじゃまたね」
アルトはにこやかに笑いながらふたりに手を振ると、遠ざかっていくふたりの背中をしばらく見つめ続ける。
羨ましい――――ふたりを見ていていつも思うことである。あのふたりは自分には無いものをたくさん持っているのだ。
退屈だけど平和で平凡な日常。友達との信頼と絆。魔法の才能。そして……家族。
アルトは深いため息をつく。いつになく自分は感傷的な気分になっているようだった。
ふとアルトは商店街通りの真上に広がる空を仰ぐ。いつのまにか日は沈み始め、澄み渡る空色から優美な茜色へと変わっていた。人の往来も先ほどまでアルトがぶらぶらしていたときよりもだいぶ少ないものになっている。
(もうそろそろ、寮の部屋に帰るかな)
アルトはきびすを返して、そのまま自分の学生寮へと戻っていった。