パートナー 3
アルトが長剣に魔粒子を流したことを確認すると、セリナも細剣に魔粒子を流し込む。白色の細剣は見事なライトグリーンに変色していく。そしてアルトの顔を見て至極満足そうに微笑むと、
「それじゃあ準備もできたことだし、早速始めましょうか」
嬉しそうに言ったのとほぼ同時に、セリナの華奢なその体が雲の様に霞んだ。
次の瞬間、アルトの眼前に妙に真剣な表情をしたセリナが躍りこんできた。
そのまま瞬きする暇もないような高速の突きをアルトに仕掛けてくる。
「うわっ、ちょっセリナさん! いきなり危ないじゃないか!」
セリナを叱りつけながら長剣の腹でそれを防ぐと、ほぼ反射的に体勢を右にずらす。
そうして後のことは何も考えず、斜めに剣をびゅっと振り下ろした。
しかしセリナはキレのいい動きで一歩後ろに後退してそれを避けてみせる。その体勢のままその場でステップを踏んで、また一歩足を強く踏み込んでくると、勢いの乗った突きをアルトの胴体目掛けて放ってきた。
――――小柄の細剣が一気に肉薄する。
「――――くっ!」
アルトは咄嗟に体を反転させてそれを避けた。
しかしほっとしたのも束の間、セリナははやくも次の攻撃を仕掛けてくる。
縦横無尽に石タイルの床を駆け回り、的確に相手の急所を攻めてくるセリナの剣技とその動き――――。
アルトははやくも押され始め、数合と打ち合わないうちに防戦一方になっていた。
(なんてスピードだ。やっぱりセリナさんは生徒会に入るだけあって普通の魔法剣士よりも遥かに強い)
セリナの実力にアルトは内心舌を巻く。その時だった。
「ふぅん。少しは剣の腕がいいみたいね。まあ一応私と組むことになったんだし、これぐらいはしてもらわないと。……でも魔法の腕はどうかしら」
セリナはそっけなく言うと、なんとあろうことか魔法を撃つための詠唱を唱え始めたではないか。
魔粒子を魔法エネルギーに転換する為に必要な術式。すなわち魔法陣がセリナの手の中で紫色に明滅する。
それを見てアルトは慌てた。
「ちょ、ちょっと待ってセリナさん! 僕は――――」
「ほら、魔法の力くらべをするんだからあなたも魔法を撃つ準備をしなさいよ。じゃないと大怪我するわよ」
セリナはアルトが二の句を告げる前にそう言い放つ。
(じょ、冗談じゃない。僕は“まともな” 魔法なんかひとつも使えないのに……)
アルトは内心舌打ちをしたい気分になってきた。
そうこうしているうちにセリナの詠唱が完成し魔法が発動される。
「アルト、もしかしてあなた魔法を撃たないつもり!? もうっどうなっても知らないから! 『ライジング・ソード!』」
セリナが術名を唱え手を前に突き出すと、その手の中で紫色の光を放っていた魔法陣が大きく発光する。次の瞬間にはその魔法陣からバチバチと、暴力的な音を鳴らす紫電の雷が現れた。
その様はまさしく主の意志に従って、敵を排除する為に鍛えられた雷の剣のよう。
そして魔法エネルギーによって生み出された紫電の雷は、部屋中を白紫の光で埋めながら、一直線にアルト目掛けて飛んでいった。
(と、とりあえずこれなら!)
アルトも手を前に突き出すと、その手に魔粒子を収束させていく。そしてそれをそのまま撃ち出した。
しかし魔粒子で出来たアルトの光球はセリナの紫電の剣にぶつかると、ぱしゅっと寂しげな音を立てて消滅してしまう。
……当たり前だ。“普通”の魔粒子には他人を傷つける程の威力も、破壊力もないのだから。
そして全ての視界が白紫の光で覆いつくされたかと思うと、身を貫くような痺れが一瞬でアルトの全身を駆け巡っていく。
アルトは意識を手放してしまった。
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魔粒子
それは神が天へと召されるときにこの地上に残した最上の贈り物である――――――。
これはマルギアナで広く信仰され、一大勢力まで築いているジェリウス教の聖書に書かれた有名な一文である。
このマルギアナでは魔粒子こそがこの世のありとあらゆるものを構築し、生命活動を育んでいる。そして魔粒子を術式で様々な形に変えていくことで人々は繁栄を築き上げてきた。
魔粒子による魔法変化、魔粒子による属性変化、そして魔粒子による特殊変化などがその最たるものである。
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「……うぅ」
アルトがゆっくりと目を開けると、セリナが心配そうにこちらの顔を覗きこんでいるのが見えた。
「わっ! セ、セリナさん!?」
アルトは瞬時に起き上がると、自分の頬がどんどんと熱くなっていくのを感じた。
(セリナさん僕の顔なんかを覗き込んで……やっぱり、僕の顔に変なものでもついているのかな?)
セリナほどの美人に寝顔(というか気絶顔)を至近距離から見られるのは幾らなんでも少し恥ずかしい。アルトは顔に手を何度かやった。しかしどこも異常がない。少し首をかしげながらセリナを見る。
セリナはアルトが飛び起きたのを確認して、少しほっとしたような表情になった後、例のごとく眉を吊り上げてアルトを怒鳴りつけてきた。
「あなたねぇ! あんなぎりぎりまで魔法を撃たないなんて一体どういうつもり! 私がうまく魔法エネルギーの力を抑えてあげたからその程度で済んだけど、下手をしたら大怪我じゃ済まなかったわよ! しかもアルトが使ったのは基礎魔法学校の子供でもできるただの魔粒子を使った技だし……ひょとしてアルト、私のことを舐めてるわけ? それとも私のことを馬鹿にしているつもり?」
そんな理不尽な。だいたいセリナさんが僕に了解もとらずにいきなり魔法をぶっ放してきたんじゃないか。
基本的にふたりで魔法をぶつけ合って実力を確かめる魔法の練習は、事前に本人の了解を取るものである。人によっては普通の生活にしか役立たない魔法しか使えない人もいるので当然と言えば当然のことだ。しかもこういった魔法の練習は相手の手の内をある程度知っていなければならない。
少なくともセリナの撃った魔法は会ってからまだ半日しか立っていない人に向けて撃つ魔法ではなかった。セリナが魔法エネルギーの力を抑えていなかったら、彼女の言ったとおり自分は大怪我じゃ済まなかったかもしれない。いや冗談ごとではなく本気で。
そんな背景とセリナへの反感が心の中でわずかにくすぶっていたせいか、アルトはついうっかりと話してしまった。
「ち、違うよ! そんなつもりはないんだって! それはセリナさんの誤解だよ! 僕は本当は、術式がうまく働かないせいでまともな魔法が一切使えないんだ!」
「えっ!? それって一体どういうこと?」
セリナはきょとんとして、興味ありげにじっとこちらを見てくる。
困ったなぁ。言うつもりなんかなかったのに。
アルトは仕方なしとばかりにしぶしぶ話し始めた。
「……ほら、魔粒子の波長というか質はみんな人それぞれ違うでしょ。それで時々なんだけど、その魔粒子の波長の違いが体に異常をきたすこともあるんだ。僕もそのうちの一人で、僕は生まれつき術式が働かない体質なんだよ」
「ふぅん、そうなんだ。でもあのときは――――」
「え? なんて言ったのセリナさん?」
「な……なんでもないわよ! アルトのバカッ!」
セリナは突然顔を赤くしだすと、勝手に怒り出す。
「と……とりあえずあなたよ、弱すぎよ。術式が使えないなんて、そんなんでよく私とパートナーなれたわね。しょ、正直言ってただの雑魚じゃない。これからの訓練でわ、私の足をひっぱらないでね!」
そうしてセリナはきつい捨て台詞を残すと、ぷりぷりと怒ったまま訓練部屋を一人で勝手に出て行ってしまった。
(あちゃ~どうやら僕完全にセリナさんに嫌われちゃってるみたいだな。……まあ、そうなってくれたほうが僕としても都合がいいけど)
昨夜と違ってアルトは至って冷静にセリナの言葉を受け止めていた。
そして黒い制服のズボンの埃を払って、すぐそばにあった孔雀石の長剣を腰に差すとそのまま訓練部屋を後にした。
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セントクレア魔法学校の寮にはごく当たり前のごとく食堂がある。
セントクレアの生徒は食事を取りたい時に自分の寮の備え付けの食堂に行けば、余程時間が外れない限りはいつでも無料で食事にありつけられる。しかもセントクレアに住む一般市民もこの食堂を利用できるのだ。無論生徒と同じ無料というわけにはいかないのだが、それでもかなり安価な値段で食事にありつけるので、寮の食堂を訪れる人は結構多い。
そんなわけでどの寮の食堂も混み合うこと請け負いなのだが、幸いにも午後の講義が早く終わったアルトがここに来た時間はピークの時間帯よりもだいぶ早かったので、今はちらほらとしか人の姿が見受けられない。
「う~んと、何にしようかな?」
カウンターに置かれたメニューを見てしばし悩む。そして自分の食べたいメニューを厨房の人に伝え、それがトレイに載って運ばれてくると、手近にあった木製のテーブルに腰掛けた。
アルトの頼んだ料理はAランチである。パンと分厚い肉のステーキとサラダとスープがついたこの食堂の人気メニューだ。
そしてアルトは早速食事に専念しようとしたのだが
「ア、アルト! ちょっとそこ座ってもいい」
聞いたことのある声が背後から掛かり、手にもっていたフォークをぴたりと止めて後ろを見る。そして思わずフォークをテーブルの下に落っことしてしまった。
「セ、セリナさん!? どうしてここに!?」
自分のすぐ目の前に午前中一緒に訓練?をして、自分に捨て台詞を吐いて去って行ったセリナが、料理の載ったトレイを手に不機嫌そうな顔で突っ立っていた。
セリナは料理の載ったトレイを一度アルトの座っているテーブルに置き、アルトの落としたフォークを拾って別のフォークを手渡すと
「どうしてって私も食事をしに来たのよ……悪い?」
唇を尖らせながらつっけんどんにそう言ってきた。
「いや、別に悪くはないんだけど……」
アルトは例の如く人当たりの良い曖昧な笑みを浮かべる。
しかしアルトは内心で密かに思わずにはいられなかった。セリナはいったい何を考えているのかと。
普通は嫌な奴と一緒のテーブルで食事をしたりはしない。会話も弾まないし、なにより料理が不味くなるからである。当然昨日今日の言動をふまえれば、セリナは自分のことを嫌っているはずである。にもかかわらず自分と一緒のテーブルで食事を取るなんて、彼女はいったいどういう了見なのだろうか?
セリナはアルトの向かいに座ると、眉を吊り上げた。
「わ、私のことじろじろ見て、いったい何なの。私の顔になんかついてるわけ」
や、やばいっ。ちょっと見過ぎた。
セリナが自分と同じテーブルで食事を取ることにほんとに驚いたのだ。
アルトは不自然に目を横にそらす。すると急にあちこちから殺気が現れて、なんだか嫌な予感がするなぁと思いながらぎぎぎっと首を横に動かした。
いつの間に集まったのか、アルトとセリナの座っているテーブルから少し離れた位置で、男達がアルトにガンをつけていた。夜道に気をつけろ。お前なんか血祭りにあげてやる……的な。
そして人よりも耳のいいことが仇なして、彼らがひそひそと小声で喋っている内容が、アルトにはばっちりと聞こえてしまった。
『……おい、あいつセリナ様と一緒のテーブルで食事とって楽しそうにしてやがるぞ・・・・・・しかもセリナ様のこと至近距離で見ることができて浮かれてやがる』
『……調子のんなよこの女男。お前みたいになよっとした頼りなさそうな奴、セリナ様は眼中にねぇぞ。……ていうかこいつ、間違いなくあれ目当てだろ』
『……うむ、間違いない。セリナさんの使ったフォークとスプーンをさりげなく抜き取り、ぺろぺろと舐めることで男の欲求を満たすあれ目当てだ』
『何だと? か~ちくしょ~羨ま……じゃなかった、許せねぇ~』
ええっいったいこれのどこが楽しそうに見えるんだよ! っていうかそれ僕じゃなくて君達がしたいことじゃないか!
遠くのほうでたむろする変態達に向けての、アルトの心の叫びである。当然口に出す事はしないが。
そしてセリナに気づかれないようにこっそりとため息をつく。こんな人たちに好かれているセリナも大変だ。
そんなことを他人事のように思いながらアルトはトレイに入っている食事に手を付け始めた。
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アルトとセリナが食事を始めてから少し経過した。聞こえてくるのはフォークとスプーンの音と、後は自分の悪口だけである。
(うぅ……やっぱり気まずい。セリナさんさっきから一言も喋らないし)
アルトは前方のセリナを見る。何が気に入らないのか、セリナは不機嫌顔のまま黙々と自分のスパゲティを口に運んでいる。
彼女はさっきからずっとこんな調子で少しも口を開かないのだ。アルトも気をきかせて何か話をしようと思ったのだが、そういえばこういう時っていったいどんなことを話せばいいんだろうと、要は女の子慣れしていない男によくありがちな考えにアルトは至り、結局お手上げ状態なのであった。
今度は横をちらりと見る。さっきと相変わらず、男達は異様な殺気を放ちながらこちらを睨みつけている。
正直こんな淀んだ空気の中でAランチを食べても、少しも満足感が得られなかった。人気メニューなのに。
いったい僕が何をしたんだと、半分ふて腐れながら一口大にちぎったパンを口に放り込こもうとしたときだった。
「……ねぇ、アルト。あなたが術式を使えないっていう話はほんとうなの?」
ぴたっとパンを持つ手を止める。セリナさんがようやく口を開いてくれたと安堵しそうになった矢先がこれである。
アルトはセリナを見て少しおどけたようにして言った。
「本当だよ。嘘をついてもしょうがないしね」
ふいにずきりと心の中が痛んだ。嘘をついているからではない、憎んでいるからである。
「本っ当に本当? 天界神ジェリウスに誓って?」
しかしセリナは納得していないのか、ずずいとアルトに詰め寄ってきた。それと同時に周囲の殺気の濃度が三割り増しになる。そして柔らかい花のような香りがアルトの鼻をくすぐった。
(ち、近い近い!)
言わずもがなセリナは超がつくほどの美少女である。神に愛されているとしか思えないほどの容姿である。そんな美人に至近距離まで顔を近づけて来られるのは、やっぱりちょっと恥ずかしい。前述のようにアルトは女に慣れていないのである。
「ほ、本当だって!! 神に誓うよ!!」
アルトはセリナから少し目を逸らしながらそう叫んだ。そう誓っても全く意味無いのだが。
『本当って……いったい何が本当なんだこのクソ野郎……』
一方事情を知らない男達はあれこれと妄想を張り巡らした後、突き刺すような視線をアルトに送ってくる。セリナの一挙一動で、自分への殺気が増していくのはきっと気のせいではないだろう。
「……そう、ごめんなさい。疑って」
アルトが周囲に満ちる殺気を気にしていると、セリナはゆっくりと元の位置に戻っていく。
「でもそんなことってあり得るの? 普通は魔法を扱える人なら、誰もが皆成長していくにつれて無意識のうちに自分だけの術式を認識しているわ。勿論魔法を覚えていく過程で必然的にいろんな術式を覚えていくことになるけど、少なくとも術式三柱の一つ。魔法エネルギーを生み出す術式だけは誰もが皆等しく扱える。でもアルトは術式三柱も含めた全ての術式が使えないのよね? それだと魔法が使えない人とあまり大差ないじゃない」
アルトは少し不思議に思った。セリナがやけに自分のこのネタに喰いついてくるからである。
まあしょうがないといえばしょうがない。なにせ自分は魔法を扱う適正があるにもかかわらず“まともな” 魔法が一切使えないのだから、こんな矛盾した存在などどう考えたっておかしいのである。魔法学的に見ても生物学的に見ても。
でも今の自分には魔法が使える人間だということを主張することしかできない。“証明” はできないのだ。
「そんなこと僕に言われても困るよ。……それに魔法が使える人と使えない人の違いはただひとつ。魔粒子を蓄える器官である魔臓があるかないかだけだよ」
「それはそうだけど……だとしたら、あなたはいったい何のために魔法学校に通っているの? 幾ら魔法都市連合が採択した条約を各国が採用していたとしても、あなたが本格的な魔法を扱うことができないことは何も変わらない。行くだけ無駄だとか思わなかったの?」
「それは……」
アルトは口をつぐんでしまう。
この学校生活の中で何が困ると聞かれれば、いったい何のために魔法学校に通っているんだと尋ねられるのが一番困る。
もちろん十五歳以上の魔法が扱える者は魔法学校に入らなければならないという取り決めがあったのと、就業に便利な魔法学校の卒業証明書が欲しかったのもあるが、アルトが魔法学校に通う本当の理由はただひとつ。過去の自分をリセットしたいのである。過去のアルトという存在を完全に無くしたいのである。でもそんな本音を昨日会ったばかりの人においそれと言うわけにはいかない。
アルトが黙ったままでいると、セリナは急にトレイを手に椅子から立ち上がる。
「通う理由なんて人それぞれよね……と、とりあえず、あなたが本格的な魔法を使えなくっても、訓練は待ってはくれないわ。私のパートナーになったからには、ちゃ、ちゃんとしっかりしてよね」
顔を赤くしながら不機嫌そうにそう言うと、セリナはアルトの座っているテーブルから離れていった。
『へへへ。見ろよあいつ。セリナさんに見事に振られたぜ。ざまあみろ』
アルト達の話の内容をまったく理解していない周囲の男達が上機嫌で手を合わせている中、アルトは自分の膝に視線を落とした。
(何のためにか……本当に何のために通っているんだろうなぁ)
自分の魔法学校に通いたいと思う理由はどちらかというと、そうしなくてはいけないという状況から生まれた偽りの動機である。セリナがいったいどういう理由で魔法学校に通っているのかはアルトの知るところではないが、きっと自分とは違った明確な動機があるに違いない。そして華やかな夢を持っているに違いない。
(……いいなぁ)
セリナに対してあまりいい印象を持ってはいないのだが、この時アルトは心底セリナが羨ましいと思った。
(そういえば、早く食べないと)
今までほとんど手つかずだったAランチのことを思い出して、アルトはトレイに残った食べかけの料理に再び手をつけ始める。
温かさは既に失われていた。




