パートナー 2
「はぁ~しかし、気にするなって言われてもなおさら気になっちゃうよなぁ」
そんな風にため息をつきながら、アルトは長い長い巨大螺旋階段をただひたすら下っていく。降りである分幾らか楽である。
そのまますれ違う人々に何度か挨拶をして、アルトが三階辺りにまでやってくると、そこは選抜組の証である白い制服とおなじみの黒い制服の群れで一杯に溢れかえっていた。
「うわっすごいなこれはっ」
人の入る余地がほとんどない、人詰めの中をアルトは進んでいく。忘れていたのだが今の時間は丁度朝一の講義が始まる時間だった。よってこの有様である。
だが押されたりもまれたりぐちゃぐちゃにされながらも、なんとか一階のエントランスに抜けることができた。そして今日は取りたい講義が午後の最後の時間帯にしかないので、やることも無いし一度部屋に戻るかなと思って、校舎の玄関口を抜け出ようする。
しかしそこで運悪く額に汗を流して息をつきながら、周りをきょろきょろと見回していたセリナと、アルトは鉢合わせになってしまった。
(……う~ん。昨日の今日だし、僕は朝早く起きてシリウスの部屋に行ったから朝もセリナさんと顔を合わせることがなかったし、なんとなく気まずいなぁ)
アルトはどうしようかと視線を宙に泳がせる。
セリナはアルトを見るなり怒りの表情をむき出しにすると、その空色の瞳をくわっと見開いた。
「はあ~やっと見つけた。……アルト、あなたねぇ! 朝早くから一体どこで何をしていたのよ! 私が朝起きて昨日の事ちょっと言い過ぎたかなぁと思ったから謝ろうとして、あなたの部屋を何回もノックしても返事が無いし! むかついてドアを魔法で吹っ飛ばしてみたらベットはもぬけの殻だし! どこかに行くならせめて書置きぐらいはして行きなさいよ! おかげでずっとあなたを探し回るはめになっちゃったじゃない!」
「ご、ごめん。僕もすぐ戻るつもりでいたんだ。セリナさんに心配かけていたなら謝るよ。本当にごめん」
アルトはまさかセリナにそんなことを言われるとは思ってもみなかったので、少し唖然とする。そして適当なことを言って素直に腰を折って謝った。
するとどうしたことか、セリナのその白い肌が一気にリンゴのように赤く染まっていったかと思うと、アルトを見るなりきっと睨み返してきた。
「だ、誰があなたの心配をしていたのよ! そ、そんなわけないでしょ! ほ、本当に失礼な人!」
そう捨て台詞を吐くなり、顔を赤くしたままぷいっとそっぽを向いてしまう。
「それはそうと、セリナさんはいったいどうして僕を探していたの?」
「あ、そうだった……よし、学校で支給された武器は持っているわね」
「えっ? うん、そうだけど」
「丁度良かった。じゃあ早速行くわよ」
「え――――ちょ、ちょっとセリナさん!?」
セリナはいきなりアルトの腕を取ると、そのままぐいぐいと引っ張り始めた。
アルトはセリナの突然の行動に戸惑うと、セリナに引きずられながら周囲に視線を向ける。
(うわ~~っ。なんだこれ―――――)
そこには今までのふたりの一連のやりとりを見ていた生徒(主に男子)が声にならない声を上げ、氷の彫像のように固まっていた姿が。
な、なんだか後でとんでもないことになりそうな気が……
それらは見なかったことにして、アルトは腕を引っ張るセリナに尋ねる。
「セリナさん、一体何処に行くの!?」
「訓練場よ」
一方この状況を作った張本人のセリナはそんなことは気にしていないのか、それともただ気づいていないだけなのか、簡潔にそう述べると、ただアルトの腕を離す気はないらしく、そのまま腕を引っ張りながらふたりは玄関口を後にした。
……ただこの時セリナの頬が嬉しそうにゆるんでいたことにアルトは気づかなかった。
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セントクレア魔法学校には訓練場と練武場のふたつの大きな施設がある。
大きなコロッセウム型の施設である練武場の場合は施設そのものが大規模な造りの為、セントクレア魔法学校の敷地内から少し離れた場所の街中にあるのだが、訓練場は生徒の剣の練習や魔法の練習用にいつでも貸し出されているため校舎の敷地内に存在する。
その訓練場にも第一訓練場と第二訓練場があって、自主練習時はともかく講義の際には普通組の人間は主に第一訓練場を、選抜組の人間は主に第二訓練場と練武場で行うことになっているのだ。
よって選抜組のセリナが向かっているのは日頃お世話になっている筈の第二訓練場のほうだとばかり思っていたのだが、セリナがアルトを連れて来たのは何故か第一訓練場のほうだった。
不思議に思ったアルトは相変わらず自分の腕をぐいぐいと引っ張り続けるセリナの背中越しに問いかける。
「セリナさん。あのさぁ……」
「いいから黙ってついて来て」
「はい……」
間髪入れずに返ってきたぶっきらぼうな返答に若干の不満を覚えつつも、アルトは彼女の指示を受け入れることにした。
セリナはアルトを引き連れて、第一訓練場とその白い壁に金文字で彫られた表口から中へと入っていった。
第一訓練場の中は迷路のように入り組んでいて、天井には白い光を放っている魔法灯がずらりと並び、同じような色と形をした扉が延々と広がっている。
第二訓練場と比較すると収容できる人数がとにかく多い事と、人の目を気にせずに安心して自主訓練を行えるのがメリットだが、如何せん使い勝手が悪すぎる。
セリナに引っ張られながらよくもまあこんな分かりにくい造りにしたなぁと、千年前にここを建てた錬金術師とその道の職人の方に思いをはぜた。
アルトはここに始めてきた時に迷ってしまったくちだった。
とここでセリナはとある部屋の前までアルトを引っ張ってくると、その部屋の部屋番号を確認してようやく足を止めてくれた。
「よし、ここで間違いないわね」
アルトは今までずっと訴えたかった事をセリナに話すことにした。
「あのぅ……セリナさん」
「うん? 何?」
「あの……手」
「手? ――――っ!! ちょ、ちょっといつまで掴んでいるのよ! アルトの不潔! 変態!」
セリナは顔を赤くしながら理不尽なことを叫ぶと、ぱっと熱い物に触れたかのようにしてアルトの腕を離した。
「ええっ! セリナさんが今までずっと僕の腕を掴んでいたんじゃないか―――――!」
アルトは自分の名誉の為に反論する。
「う、うるさいわね! とりあえずさっさと部屋の中に入って。さっ早く」
しかしアルトの反論を軽く受け流すと、セリナはアルトの後ろに回ってその背中をぐいぐいと押してくる。
セリナさんは僕と一体何をする気なんだろう? なんか嫌な予感がしてきたなぁ。
しかし今さらそんな予感がしても、ここに来てしまってからにはもうどうすることもできない。
逃げ出す事を諦めたアルトは古い金属のノブを回すと、そのまま部屋の中へと入っていった。
部屋の中はやはり石のタイルが床一面に敷かれた、窓一つない広い部屋になっていた。これぐらいの広さならおそらく、十人以上の生徒達が集まって一斉に剣や魔法の訓練を始めても不自由はしないだろう。おまけに訓練場のすべての部屋には特殊な魔法がかけられているため、少しぐらい魔法を撃ってもこの部屋には傷ひとつつけることができない。まさに剣と魔法を練習するには絶好の場所だ。
セリナはアルトの逃げ場を封じるように部屋のドアをぱたりと閉める。そうしてアルトを見るなり満足げに微笑んだ。
「それじゃあこれからアルトがどれくらい強いのか私が戦って見てあげる。パートナーの実力を知るのは魔法剣士の基本だからね。普通組の人でもちゃんと武器の扱いは習っているから平気でしょ?」
嫌な予感的中。
なんとなく、そうなんとなくではあるが、息が詰まるほど綺麗な筈のセリナの微笑が、アルトには獲物をいたぶる残酷な悪魔の笑みにも見えた。
「うんそうだけど……でもどうして急に?」
「どうして急にって……選抜組の訓練は明日から始まるのよ。少しでも自分のパートナーの手の内を知っておいて損はないわ」
そう言うなりセリナは腰に下げている凝った作りの細剣に手を伸ばした。そして優雅な動作で抜き払うと細剣を正眼の位置に構えて、アルトの眉間にその切っ先を突きつけて来る。
「……遠慮はいらないから本気を出してね」
途端間欠泉の如く湧いて出てきたセリナの闘気とプレッシャー。
アルトはセリナの意外な迫力に気圧されながらもその凝った造りの細剣に目を移した。
白色を基本に鍛えられた見事な一品。少し見ただけでもそれがオーダーメイドの品だということが誰にでも分かるだろう。もちろんちゃんと刃引きもされている。そして少し凝った造りが施されているその白い鍔の部分にはエメラルドグリーンの小さな宝石が埋め込まれていて、それが天井の照明の光を浴びて爛々と輝いていた。
アルト達の使うおおよそ全ての武器には、このように魔法媒体となる魔導石が組み込まれている。
これは一部の技や術を除いて、術式を扱う場合にはこの魔導石を介さないと魔法が発動しないからだ。
その魔導石にも様々な種類と効果があって、セリナの場合は魔粒子の魔法変化術の効率化や威力の上昇が期待されている翠玉石が使われている。
そして魔導石に自身の魔粒子を流すことでその魔導石と同じ色に武器が変色し、各魔導石の力を受けたり、金属の耐久力や斬れ味が上昇する仕組みになっている。
ちなみにアルトの場合はというと、もっとも基本的かつ特に優れたところもない、至って標準的な性能である孔雀石が、その柄の部分に組み込まれている。
色もエメラルドグリーンのような華やかな色ではなく、何の変哲もないただの黒色だ。
勿論そんな使い勝手が悪い物を好き好んで使う者はなく、入学時に学校側から支給されたこの孔雀石を使っている変わり者はアルトだけである。
アルトはセリナの細剣から目を離すと、石のタイルが敷かれた床に視線を落とし、肩を下げて、セリナには聞こえないようにこっそりとため息をついた。
(はあ~~僕は普通にしていたいだけなのに、どうしてこんなことになっているんだろう)
魔法学校の数ある講義の中で嫌いな科目を挙げろと言われれば、間違いなくそれは戦闘学と魔法戦闘学だ。前者は魔法を使わない戦闘。後者はその中に魔法を含めた戦闘を習う科目である。しかもこの科目は普通組でも必須科目なため、取らないわけにはいかないのである。
……まあもっとも、普通組の人と選抜組の人とでこの科目は別れてしまい、普通組の人が行うそれは幼児が砂場で遊ぶお遊びのようなものなのだが。
だが生憎アルトの目の前にいるのは選抜組ならぬエリート組。きっと本気で闘おうとするだろう。
アルトはこんなことはやめようという提案を彼女にしてみようと思ったのだが、彼女がそれを許してくれそうに無いことはその闘志に満ちた碧眼の瞳がしっかりと語っている。
仕方なしとばかりにアルトは腰に下げている刃引きされた長剣の柄を手に取り、それを慣れた動作でしゃんと抜き払うと、自身の魔粒子を流し込んだ。
孔雀石の長剣はアルトの意志を受け、剣身が銀色から黒一色へと変色していく。
しかし孔雀石に魔粒子を流し始めて数秒後には心の中で落胆していた。
(ほんと、酷いなあこれは)
こうした時にはいつも思うのだが、魔粒子がまったくといっていいほど走っていない。
粒子の流れは鈍く、愚鈍で今の自分を表しているようだ。
おまけにその黒はぼんやりとわずかに発光するだけで、とてもじゃないが見れたものではない。
自分はもっと光輝くものをずっと見てきた。
しかしアルト自身それをどうこうする気はなかった。
この状態のままでいいのである。
しかしどこかで違和感を感じている自分もいるのだが――――




