パートナー
古くから魔粒子による魔法が栄えている大陸マルギアナ。
非常に広大なその大陸は多くの人間や生き物たちが住まう肥沃な土地であり、魔物や魔獣たちが我が物顔で跋扈している。
その歴史はきわめて古く、六千年前の天界神とその弟子の四人の魔法剣士による魔法発祥から、二千年前の幾多の英雄や豪傑が名を馳せた古代大戦を経験し、今から二十年前のマルギアナ全土を巻き込んだ大戦はいまだ多くの人々の記憶の中に新しいものとして根強く残っている――――
そんな非常に広大な大陸、マルギアナの南東部に位置する中立地域に独立都市セントクレアは存在する。
セントクレアの街中をアルトは朝早い時間帯からぶらぶらと歩いていた。仕事が多忙でありなかなか会えないセントクレア魔法学校校長にして、アルトの一応の保護者でもあるシリウスを訪れるためである。
小鳥のさえずりがどこからか聞こえ、朝日がさんさんと建物の隙間から降ってきて暖かい光を送る。朝の澄んだ空気がとても爽やかで気持ちがいい。そんな空気を吸いに来たのか、それとも眠気覚ましの朝の散歩のつもりなのか、おっさんがあくびをかみしめながら何度もアルトとすれ違ってゆき、街の広場ではこんな朝早くから子供たちがはしゃいでいるのが見えた。
そういった人たちとすれ違いながらしばらく歩いていると、この三ヶ月ですっかり見知ったものがアルトの視界に入ってくる。
広大な正門広場と、その正門をきっちりみっちり警護している自警団の方々。レンガ造りの壁が敷地の周りをぐるりと取り囲み、その正門の奥からは大小様々な建物達が見え隠れしている。そしてそれらの中央には白い豪奢な塔のような、王族が使う宮殿のような、そんな大きな建物が見える。
この白い建物がアルト達の通うセントクレア魔法学校の校舎である。しかし一介の魔法生徒が使うには随分ときらびやかではあるのだが、それには大きな理由がある。
このセントクレアの魔法学校の校舎こそがこの街の庁舎でもあり、この街の中心なのである。よってセントクレア魔法学校は生徒や先生だけでなく、文官や一般市民まで多くの人間が集まる。だからこそこの学校はとてつもなく大きく、そしてその外観がとても豪華なのだ。
アルトは正門を警護している自警団の人たちに挨拶をすると正門から敷地中へと入っていく。そうしてその広い玄関口から校舎の中へと入っていくと、入ってすぐ目の前のエントランスに位置する巨大螺旋階段をアルトは一段ずつ登り始めた。
しかし登り始めて数分が経つと、アルトは早速愚痴をこぼし始める。
「……長い。いつもシリウスの部屋に行くときに思うんだけど、一体どれだけ長いんだよこの階段は」
そうしてため息をひとつ吐いた。
シリウスのいる校長室はセントクレア魔法学校の八階に位置する。それ以外の階に行く手段なら他の階段を使う事もできるのだが、校長室につながっているのはこの階段しかない。よってアルトが八階の校長室に行くためには、このエントランスの中央に位置する巨大螺旋階段をただひたすら登るしかないのだ。
しかもこの階段そのものの高さや長さがとても長いので、普通の人が使う分にはとても苦労するに違いない。というか、ひょっとしたら密かに魔法が使われているんじゃないかと思うぐらいこの階段は長いのだ、
やがて気の遠くなるほど長い階段をアルトは登り切ると、目の前に立つ豪奢な造りの茶色い扉をノックもせずにがこんと開く。
そして校長室に入ると、アルトは部屋の内装をきょろきょろと見回した。
床にはいかにも高級そうな赤い絨毯に、部屋の隅の棚には所狭しと飾られている魔装具や魔導石の数々。そのどれもが高価な代物であることぐらいは誰が見ても明らかだ。校長室の白い壁には大きな額縁が飾られていて、その中で明るく笑っている少年の絵画がとても目立っていた。
これはおそらくシリウスの孫だ。アルトはなんとなくそう思っている。
しかしシリウスとは昔から縁があるアルトなのだが、シリウスの孫が今何処で何をしているのかアルトは知らない。なんだかんだでシリウスの内輪のことについては聞き出しづらいのである。
アルトは前方の執務机に目を向けた。淵を金色の装飾で飾られたその執務机には、セントクレアの街の新聞販売所で売られている週刊セント新聞を立てながら読んでいる者がいる。そいつはセント新聞を執務机に置き、アルトを見るなり嬉しそうににっこりと微笑んだ。
「おお~アルトだったのか。わしは随分と耳が遠くなってきてのう。こうして君が校長室に入ってきたのがよく分からんかったわい」
「よく言うよ。僕が入って来たことしっかり気づいていたくせに。もしかして市長と校長の仕事が多忙すぎて、もう頭がすっかりボケちゃったのかな? ……だったら大変だ。今すぐにでも街の老人施設に連れて行かなくちゃ。そこでならきっとボケたシリウスの面倒を見てもらえるよ」
「ほっほっほ。相変わらず君はわしにだけは随分と手厳しいのう。だが心配はいらんよ。わしはこう見えてもバリバリ現役の九十過ぎじゃからな」
「僕の話した内容からどうしてそう取れるのか、僕には全く理解できないよ。それに九十過ぎのよぼよぼのおじいさんは現役とは言わない。もうとっくに引退して庭で草いじりをする歳だ」
「適切なツッコミをどうもありがとう。でもわしはまだまだ現役じゃよ。それこそわしは誰に何を言われようとも、死ぬまでずっと現役じゃ」
白い髭を揺らしながらほっほっほと笑うシリウスを、アルトは三白眼でじっと見つめていた。
シリウスは自分の前ではだいたいいつもこんな感じでなのである。お茶目というかファンキーというか……とにかくすこし変わった九十過ぎの爺さんなのだ。
「ほれ、そんな冷たい目でいたいけな老人をいつまでも見つめていないで、そこに座るがよい。……まあ、君が昨日の今日でここに来る事はなんとなくだが予想していたことじゃがの」
そう言って執務机に新聞を置いてシリウスは立ち上がると、客人を招いたときのための小さいテーブル(黒いふかふかのソファー付き)を長い白髭のついた顎で指してアルトに座るよう促す。
アルトは口をへの字に曲げながらそのソファーにどかっと座ると、次いでシリウスがにこにこと笑いながらアルトと正面を向くような形でゆっくりと腰掛けた。
「……それで、アルトはどうしてわしの所に来たのかな?」
知ってるくせにと思いながらもアルトは素直に答える。
「……シリウス。シリウスはどうして僕とセリナさんを組ませたりなんかしたんだよ」
「なんじゃ? ……まさかアルト、昨日の今日でもうセリナ君に手を出してしまったのか? 君は人畜無害な子犬のような顔をしているにもかかわらず、なかなか手がはやいのぉ。これは男女でパートナーを組ませるのは少し考えたほうがよいかな?」
なにがよいかな? だ、なにが。
茶目っ気たっぷりにわざとらしくふぉふぉふぉと笑うシリウスに、アルトのなかで軽く殺意が芽生えはじめた。
そしてシリウスに対して込み上げてくるこの殺意をどうしようかとも思ったのだが、しかし行動に移すことは思いとどまった。「校長室で校長殺害!? 犯人は十七歳のセントクレア魔法学校生徒!?」 と週刊セント新聞の一面の見出しにでかでかと書かれた文字が、アルトの頭の中に浮かんだからである。
しかしその代わりにアルトは大きな声でシリウスを一喝した。
「誰が手が早いだ! 誰が! ……いい年して変な妄想をするのはやめてくれないかなぁ。……とりあえず、僕はそんなことを言いに来たんじゃなくて! 僕は普通の生活を送りたいって前にも言ったよね。それなのに選抜組のセリナさんと僕を組ませて、シリウスは一体何を考えているんだ。それとも僕とセリナさんを組ませたのにはなにかちゃんとした理由があるの? ……もし無いなら僕も嫌だし、それにいくらなんでもセリナさんが可哀想だ」
するとシリウスは急に真面目な顔になると、その白くて長い顎鬚を揺らしながら話し始める。
「残念ながら特に理由があってそうしたわけではない。これは先生方が成績を加味して公平に選んだ結果だよ。……とはいえそれを許可したのはこのわしじゃがね」
真面目なのは顔だけだった。
「どこが公平に選んだ結果だよ! それになんで許可するんだよ! 全然成績が偏っているじゃないか!」
「いや~~なんとなく面白いことになるんじゃないかって思ってのぉ?」
「そんなことで決めるな!」
……決めた。少しこらしめてやろう。
アルトは自分の脇に置いてある、刃引きされた長剣の入った鞘を掴もうとする。するとそれを見て慌てたように、シリウスが冷や汗を流しながら後ずさった。
「いや嘘、嘘、冗談じゃよ。……まったく、君は冗談が効かないから困ったもんじゃわい」
人がこんな真面目な話をしている時にどうして冗談を言うんだ。そう思わずにはいられないアルトだったのだが、どうせ言っても聞かないと思ってそれを口にする事はなかった。
シリウスはわざとらしくこほんと大きく咳払いをする。
「とにもかくにも、わしからそれを直接言う事はできん。アルトも気になるとは思うが、今は決して気にしないでおくれ。……本当にすまないの」
そして白い眉を子犬のようにさげて、申し訳なさそうにしながらアルトに謝った。
これでアルトとセリナを組ませたのには明確な理由があると判明したわけだが、どこか釈然としないというか複雑な気持ちでいるアルトだった。
シリウスが申し訳ないと感じているのは果たして僕とセリナさんを組ませたことを言っているのか?
それとも彼女と組ませた理由を僕に話せないことを言っているのか?
それとも…………
しかし、そんな風にとても申し訳なさそうにして謝るのはずるいとアルトは感じていた。
アルトはシリウスと一緒にいるときだけは、どうしてかいつもの調子が狂ってしまうのだ。
それはアルトのよき理解者であるせいなのか、はたまたアルトの捨て去りたい過去を知っているせいなのか、とりあえずどうしてそうなるのかはアルト自身も分からなかった。
アルトは未だ申し訳なさそうにしているシリウスを見て、ふぅっとひとつ息を吐く。
「分かったよ。どうしてそうなったのかはとりあえず気にしないことにする」
「そうしてもらえるとわしもすごくありがたいのぉ」
シリウスはほっとしたように息を吐いた。そこで来客の合図である、あの大きな扉をとんとんと控えめに叩く音がした。それを合図にアルトは席を立つ。
「じゃあ僕はそろそろ帰るとするよ。じゃあまたね、シリウス」
「ほっほ。またのアルト。暇なときにでもわしのところに来るといい。……とはいえわしも暇なときがなかなか見つからないがの」
皺だらけのその顔が嬉しさで形造られると、シリウスは茶目っ気たっぷりにウィンクを放ってきた。
それを見てアルトは腹の奥がなんだか急にむずがゆくなりはじめ、来客の人との挨拶も適当にすませると、逃げるように校長室を後にした。
「シリウス市長? あの生徒は一体誰です? ひょっとして市長の曾孫さんでいらっしゃいますか?」
「まあそのようなものじゃ」
目を細めて、幼い我が子を慈しむようにシリウスは微笑む。が、ふとその微笑に影が差した。
「……すまんのアルト。おまえを巻き込んでしまって……」
シリウスは誰にも聞かれないようにぽつんと呟いた。