臆病な天使と少女の告白
セントクレアの校舎から出たセリナは、飛ぶ矢のような勢いで自分の寮へと向かっていた。
アルトに魔獣退治を協力してもらう。
それは食堂でマリアに魔獣を見せられた時から、既に考えていた事だった。
しかしセリナは極力アルトの力を借りずに自分達の手で何とかしたかった。
なぜならばアルトが剣を捨てた理由をセリナは知っているから――――。
それに食堂を出る時に見たアルトの凄絶な顔は、思い出すだけでも胸が締め付けられてくる。
あんな苦しそうな顔をアルトにさせたくはなかった。傷ついている彼を戦いに巻き込みたくはなかった。
でもそれ以上に、多くの人達の命を今ここで失わせたくはなかった。このセントクレアを綺麗な状態のままにしたかった。
もちろんそう思うことは自分勝手なただのエゴに過ぎない。甘っちょろい考えだという自覚もある。
そして自分がこうして彼の元へと向かっているのも、エゴから生まれた結果によるものだ。
(……アルト、ごめんね)
街の中を疾走しながら心の中でアルトに謝る。
そうしてすっかり見慣れた建物――――つまり寮の中へとセリナは入っていくと、暗くて長い廊下を一気に駆けてゆき、やがて目に入ってきた金属製の小さな扉を勢いよく開いた。
「アルト! いるー!?」
しかし部屋の中は空っぽで、明かりの一つもついていない。窓から差し込む月の柔らかな光のみが部屋の中を微かに照らし出している。
「アルトいないのー!」
セリナはもう一度声を掛けてみる。ついでに部屋の中の気配も探ってみる。
しかし少し経っても何の反応も返ってこない。
どうやら本当に留守のようである。
「……おかしいわね。アルトなら絶対みんなが集まる大講堂には行かないと思ったんだけど……」
アルトのことを少しでも理解したつもりでここにやって来たのに、結局私はアルトのことを何も分かってはいなかったのかしら……。
心の中に悲しみの風が吹く。
しかしそこでふと、この前アルトが言っていたことをセリナは思い出した。
『僕この学校の庭園広場が好きなんだ。たまに心が落ち着かない時にあそこに行くと、少しだけほっとするんだよね』
そうだ校舎裏の庭園広場! そこにアルトはいるわ!
セリナは急いで来た道を戻って行った。
~~~~~☆~~~~~☆~~~~~☆~~~~~
庭園広場は夜の闇でひっそりと静まり返っていた。
周囲の草木は夜の冷たい風でざわざわとざわめき、百花繚乱に咲き乱れていた昼の花達は小さく萎んで一休憩。その代わりに夜の花達が奥ゆかしい美を表現している。
天上には満天の星々と純白の月が、互いの美しさを静かに競い合っている。
全てが幻想的で素晴らしく、本当なら足を止めてじっくりと観賞していたいのだが、今はそんなことをしている場合ではないので、セリナはただひたすらアルトを探しつづける。
「アルト! どこにいるのー!」
「……セリナ?」
するとひっそりとした暗闇の中から掠れた声が返ってきた。
セリナは声がした方向へと駆け出す。
レンガの小道を踏み鳴らし、目的の場所へと着いた時、セリナは足をはたと止めた。
そこは幻想的と呼ぶのでさえ陳腐な表現になる程の世界だった。
周囲は緑の壁に囲まれ、足元には夜にしか咲かない白い花。月光花が満開に花開き、煌々とした月の光を浴びてぼんやりと輝いていた。
そしてその中央には……
「部屋にいないと思ったら、ここにいたのねアルト」
その白銀のステージの中央で、妙に暗い顔をしたアルトがひっそりと佇んでいた。
「……どうして君が僕のところへ来たのか簡単に予想がつくけれど、一応聞いてみることにするよ……いったいどうしたの?」
固い表情のまま、アルトがセリナに問いかけてくる。
言うか言わないか、ここに来てまた迷ったセリナだったが、意を決して口を開く。
「……本当はアルトを戦わせたくないんだけど……でもお願い! 私達にアルトの力を貸して! そして私達と一緒に魔獣と戦って!」
アルトの目つきが変わった。
これ以上ないほど厳しく、尖ったナイフのように鋭い眼差しでセリナを睨みつける。
「……君は僕が戦わない理由を知っているはずだ。剣を捨てた理由を知っているはずだ。それなのにどうして君は僕を巻き込んで、僕の邪魔をするんだ。
君は戦いたくない僕にそんなに力を振るわせたいのか」
微かに怒りが混じったその言葉の一つ一つが、セリナを責め立てていく。
「僕はこんな力なんていらないんだ。ほんとにいらないんだ。一度でも欲しいと望んだ自分の頭をかち割ってやりたいほど憎んでいるんだ。
でもその僕に君は力を使わせようとしている……とても自分勝手で残酷な人間だよ君は」
「……確かに、私って自分勝手よね」
感情が悲しみの方向に傾く。
声が徐々に震えてくるのを必死に抑えて、俯きながら喋り続ける。
「校長先生に頼んでアルトを勝手に私のパートナーにしたり、アルトの本音が聞きたいからってわざと冷たく接してみたり、今だって戦いたくないアルトに魔獣と戦えって言ってる。
アルトが普通の生活を送りたいって望んでいることを知っててそんなことを言うんだから、ほんとに私って、自分勝手で酷い女よね」
そこまで言ってセリナは顔を上げる。
「でもこのままじゃ多くの人達が魔獣に殺さるわ。下手をしたら、このセントクレアが復興出来ないほど滅茶苦茶になるかもしれない。そんなことになるのは私、どうしても耐えられないのよ!」
「それは君のエゴだろう! そんなものに僕は振り回されたくない!
僕はもう魔獣と戦わないと決めたんだ! 二度と! 絶対に!」
セリナの思いにアルトが吼える。
その大嵐にも似た激しい怒りがセリナの全身の毛を逆立て、周囲の緑の壁や月光花をざわめかせる。
しかしそれに臆することなく、セリナはアルトに問いかける。
「でも、アルトは自分が動かなかったせいで多くの人が死んだとしても、別に構わないって思っているの? 目の前で救えるかもしれない命が無くなっていくのを、黙って無視するつもりなの?
……もしそうだと言うのなら、私はあなたを軽蔑するわ。そんな人に惹かれた憶えは私には無いもの」
怒りの圧力がふっと消え、アルトはセリナに向かって小さく微笑んだ。
しかしその笑みはセリナの好きなものとは全くの逆方向。つまり……
荒れ果てた野原のように不気味で、見るもの全てをぞっとさせるような、絶対零度の微笑みだった――――。