じゃじゃ馬姫と未来(さき)を憂う老人3
シリウスは黄金色の取っ手に伸ばしていた手をぴたりと止めると、ゆっくりと振り返る。
「はて? アルト? いったい誰のことを言っておるのじゃ?」
「ふふふ。とぼけちゃって~。でも残念ながらあんたは私のことを甘く見ているわ。彼を探し続けてはや二年――――彼の情報の為に国庫まで投入して、ようやくあんたがアルトと密接な関係だという事実を突き止めたんだから」
どうやらとぼけることができないみたいじゃのう……と悟ったシリウスは渋い表情をする。
いっぽうのエリスは、王座の前でにまにまと満面の笑みを浮かべていた。初めてこのジジイの裏をかいてやったわ! と思っているのである。
「それで~彼は今、いったいどこにいるのかしら?」
「……どこでそのことを知ったのかは分からんが、アルトは一所に留まりはせんし、わしと常に連絡を取り合っているというわけではない。故にわしでもアルトの居場所は分からんのじゃ」
「ふ~ん、そうよね~。あんたはあくまでもアルトの関係者っていう立場なんだから、彼の居場所なんて知ってる筈がないわよね~、残念だわ~」
台詞とは対照的に、エリスは少し楽しそうにしながら難しい顔をしているシリウスの顔を眺める。
まるで何かを知っているような言い草である。
「……以前アルトから話を聞いたことがあるんじゃが、あなたは一度アルトと剣を交えたことがあるとかないとか……」
シリウスがそう尋ねると、エリスがゆっくりと首肯してみせる。
「ええそのとうり。それで、アルトは私の事をなんて言ってたの?」
「今はそんな事よりも……あなたはアルトの事を恨んでおるのかの? だからアルトの消息を探しているのでは? ……彼と、再戦をするために」
シリウスはさらに深く突っ込んだ所をエリスに尋ねてみたが、生憎彼女は小悪魔的な笑顔を浮かべて、手をひらひらと振るだけだった。
「さあどうかしらね~。それよりもこんな所であぶらを売ってていいの? 忙しいんじゃなかったかしら?」
「それもそうなんじゃが……悪い事は言わん。アルトと戦う事だけはやめておいたほうがよい。幾ら強いと評判のあなたとて、アルトが本気で戦えば、きっとただではすまない筈ですぞ」
「どうしようと私の勝手よ。それに……」
エリスはすうっと、挑発的に目を細める。
「この私が彼に勝てないとでも?」
その瞬間、一陣の突風にも似た強烈な闘気と重厚な威圧感が広間を駆け抜けた。
エリスの強烈な闘気で全身の毛がびりびりと逆立つのを確かに感じながら、シリウスは深く溜め息をつく。
「……とりあえず、忠告はしたからの。では今度こそさらばじゃ」
そう言い残して、シリウスは扉を大きく開けると、今度こそ広間を後にした――――。
「エリス様。まさかとは思いますが、本当にあの少年と再び戦おうなどとは……」
エリスは闘気を引っ込めると、困ったような顔をして近寄ってくるジェイルのハゲ頭を、バシッと強く叩いた。
「馬鹿じゃないのアンタ! そんなこと私が本当にするわけないでしょ! それどころか、私は彼のことを恨んでなんかいないわ! むしろ逆よ!」
叩かれたジェイルはぴかぴかのハゲ頭を押さえてうずくまり、涙目ながらにエリスに抗議する。
「い、痛い……っ。エリス様は馬鹿力なんですから、せめてもうちょっと優しく叩いてください」
「残念だけど、私は手加減っていう言葉を知らないの。長い付き合いなんだからいいかげん覚えなさいよね。それにその台詞だけを聞くとすごい卑猥よ」
『エリス様が私に言わせたのではないですか!』というジェイルの主張を完全に無視して、エリスはつかつかと玉座のほうに歩いてゆき、そこに乱暴に腰掛ける。
それに釣られて他の二人も、エリスの声がよく聞こえるように玉座に近づいていった。
「まあ確かに、アルトともう一度戦いたいとは思うけどね~」
「……私は二度と戦いたくはありません」
「……右に同じ」
「あはは! あんた達そういえば私と彼の戦いを止めようとして、あやうく私達に殺されかけたんだっけ? マジうけるわよね~」
「笑い事ではありません! もう少しで私はあの少年に首を刎ねられるところだったんですからね!」
「いいじゃない別に。今ちゃんと首が繋がってんだから。
それにしても、彼の居場所を偶然見つけることが出来てほんとに良かったわ~。あいつもたまにはいい仕事をするのね!」
ジェイルの抗議をカラカラと笑い飛ばしたエリスは、ここでふと、眩しい笑顔を浮かべながら自分に憎たらしい台詞を吐いていった、あの少年の姿を思い浮かべる。
漆黒の髪に、あどけなさが残る幼い顔立ち。
女の子のように細く華奢な体躯に、手にはダイヤモンドの輝きにも似た白銀のブレード。
そして――――圧倒的な存在感と威圧感を放っている、強い意志の篭もった黒い瞳。
庭園に咲く木苺のような朱を帯びた唇から紡がれた言葉は、
『僕はあなたなんかに興味はありません。だってあなたは“人”じゃないですか――――』
冷たくそっけないけれども、陽だまりのように暖かくて心に染み入ってくる、天使のように優しい言葉。
「……他の奴が同じ台詞を抜かしたら絶対にぶちのめしてやるんだけどね。でも、あんたは例外中の例外よ。だってあんたは……」
今だなお抗議を続けているジェイルや、物音の一つも立てず床に縫い付けられたように静観しているカイルにも聞こえない声音で、ゆっくりとエリスは呟き続ける。
「私に、初めて敗北を教えてくれた男だからね」
もう一度、会えればいいという思いを込めて――――。