じゃじゃ馬姫と未来(さき)を憂う老人
いっぽう少し時間を戻して、セントクレア魔法学校長であるシリウスは、セントクレアから遠く離れた地、ウィンディアナ国の首都アクアパレスを訪れていた。
「ふぅ。いつ見ても中々のものじゃのう。大戦期のあの頃と比べたら、街中がえらく変わっておる」
要人や金持ちしか乗る事の出来ない高速竜車から降りた彼は、夜だというのに活気に溢れる街を見て、思わずそんな言葉を口から漏らした。
赤レンガ造りの綺麗な街並み。茫洋とした光を生み出している、魔法を利用した街灯。時々建物と建物の間から聞こえてくる喧騒と笑い声。そして傍らの水路の水面で揺らめいている、優雅で柔和な月。
住みやすいとあちこちの国から評判のセントクレアも、残念ながらこの街と比べたら見劣りしてしまうだろう。
しかしシリウスはそれらを気弱な眼差しで一瞥しただけで、あとは老齢とは到底思えないほど背筋をぴんっと伸ばし、毅然とした態度でアクアパレスの主城、アトランティカ城に続く大橋へと向かっていく。
そして大橋を越えて、アトランティカ城の巨大な城門の前までやって来た時に、武装をした衛兵二名に止められた。
「止まれ。こんな遅くに一体なんの用事でここまで来た」
「用が無いならさっさと帰れ」
がっしりとした体格の男達が、手にしている槍でシリウスの行く手を塞ぎながら、厳しい言葉を投げかけてくる。
「ほっほっほ。そんなにいきり立たんでも、こっちは何もせんわい。……エリス殿にシリウスが来たと伝えておくれ」
「……はっ! ではあなたが! 御無礼をお許しあれ。まさか一人でくるとは思わなかったもので」
「ワシは護衛をずらずらと引き連れるのが嫌なんじゃ。旅先で一杯引っ掛けることもできんし、動きも制限されてしまうのでの。故にいつも一人なんじゃ」
「ご老体が無茶をなさる。いつ暗殺されてもおかしくありませんぞ……!
話は既にエリス様から伺っております。今すぐに門を開けますゆえ。
……おい、門番! 至急扉を開けてくれ!」
衛兵の一人が大きな声を張り上げて、遥か上の門番に合図をする。
すると数分待たずして、巨大な扉がギギギィと音を立てながら開いた。
「さあ、どうぞ中にお入り下さい」
「ほっほっほ。すまんのう。それと夜のお勤めご苦労さまじゃ」
シリウスは門を警備している衛兵二人を慇懃にねぎらうと、そのままひとりアトランティカ城内へと入っていった。
~~~~~☆~~~~~☆~~~~~☆~~~~~
城に入ってすぐ王の広間に召喚されたシリウスは、玉座の前に立っていた艶やかな長身の女性に、ゆっくりと拝礼した。
黒い艶やかなショートカットの髪に、彫りの深い彫像のように整った容姿。
髪と同じ黒い瞳には深沈とした光が宿っていて、城に住まう姫君というよりはむしろ、神殿に住まう巫女のような印象を見る者に与えている。
体は華奢だが健康的な細さで、純白のシルクのドレスから覗いている足やら二の腕やらは、そこら辺の男を魅了するには十分過ぎるほどだった。
――――この女性こそがすなわち、ウィンディアナの全権力を束ねている聡明な女王でもあり、なおかつ皆からじゃじゃ馬姫の愛称で知られている女性。エリス・ウィンディアナ・ソルティアカその人である。
そのエリスは頭を下げているシリウスに優しく微笑んで、
「お顔をお上げください。シリウス様。遠い所からわざわざこんな所までお越し頂き、真に恐縮でございます」
「いやいや。わしこそ事あるごとに、ここにやっかいになってしまい本当に申し訳ないのう。なかなか物事は思うようにいかなんだ。
……それにしてもエリス様は相変わらずお綺麗じゃ。是非とも二人きりで色々と話をしたいところなんじゃが……だめかのう?」
そう言ってシリウスは、玉座の間に控えている女王の親衛隊やら、氷虎騎士団やら、水竜騎士団やらの顔を伺うように見回した。
「ふふふ。お世辞がとてもお上手なのね」
エリスがくすくすと妖艶な笑みを浮かべる。
「いけませんぞエリス様! こんなエロジジイの――――あ、いや、もしもの場合を考えて、たったふたりで会談をなさるのは流石にどうかと思います!」
しかし女王の親衛隊の制服を身に纏った禿頭の大男が一歩前に出てくると、そんなエリスを大声で諫めた。
それに続いて周囲の人間から「そのとおりです!」とか「そんな奴とふたりきりになってはいけません! 例え女王様が最強でもです!」などという声が上がる。
「エロジジイとは酷い言い草じゃのう。わしはただエリス様と楽しく歓談したいだけなのに」
「だまれこのロクデナシがぁ! あんたいつもここに来る度にエリス様と二人きりになりたいとか抜かすではないか! 魂胆が見え見えなんだよこのボケ!」
禿頭の男は口角泡を飛ばしながら、シリウスを指差す。
「……右に同じ」
すると禿頭の男に続いて、今度は水竜騎士団の制服を身に纏った表情の薄いむっつり顔の男が一歩前に出て訴えた。
そして王の広間がざわざわと喧しくなっていくと、エリスは名案を思いついたわ! といった表情を浮かべて手をぽんと叩く。
「そこまであなた達が言うのなら仕方ないですね。ではジェイルとカイル以外の方は皆全てこの広間からお引取りください。後は別命があるまで自分の部屋で待機。……よろしいですね」
最後の台詞を話し終えるかどうかのところで、エリスはすっと形の整った目を細めた。
「は、はいっ!」
エリスに命令されて、蛇に睨まれたカエルの様に大人しくなってしまった彼らは、その場で回れ右をすると、シリウスが入ってくる時に使った大扉を目指して皆一直線。最後の一人がゆっくりと大扉を閉めると、王の広間はしぃーんと閑静な森の中のように静まり返ってしまった――――。
「あーあ。 今日もみんなの前でいい子キャラを演じんのすっごい疲れたなぁ。女王の仕事ってマジつまんない! 超干乾びてくるんだけど!
それにしても久しぶりねシリウス♪ いったい何日ぶりかしら?」
突然のエリスの豹変ぶりを見て、いつもの様にシリウスは深いため息をひとつつく。
「丁度一ヶ月ぶりじゃ。それに今年で二十三にもなる女性がそんな言葉遣いをしていてはいかん。国を治める者ならなおさらじゃよ」
「いやぁ! わたしの前で歳の話をしないで! 他国“から”持ちかけられた縁談を断られ続けてきて、完全に婚期を逃してしまった事実が頭に思い浮かんでくるじゃない!
勝気でなにがいけないの!?
お転婆でなにがいけないの!?
魔獣をひとりでほいほい倒せる私がそんなにいけないっていうの!? ……ああ、私ったらなんて不幸な女!」
声を殺してさめざめと泣き始めたエリスを見て、またシリウスは深いため息を零した。
「本当にそう思うのなら、魔獣退治はこのお二方とその部下達に任せればよい。そうすればいずれよい男君が……」
シリウスが次の言葉を言いかける前に、エリスはがばっと頭を上げてその言葉を遮る。
「嫌よ! 魔獣を倒した時の快感と至福は格別のものなのよ! それを私抜きで皆で味わおうなんてあんまりじゃない! それに私から魔獣退治を取ったら、後は灰色の毎日しか残らないわ!」
「……いえ、少なくとも外面だけは悪くない顔だけが残るのではないかと……」
とここで、禿頭の男がふたりの話に口を挟む。
「黙りなさいよジェイル! 舐めた事を言ってるとその禿頭を今すぐかっ飛ばすわよ!」
その視線で人を殺せるんじゃないかと思うほど、凶悪な人相でエリスから睨まれた親衛隊隊長のジェイルは、狼に襲われそうな羊のように小さくなって身を震わせた。
「やれやれ。お二方も大変じゃのう。それに付け加えて、ここに何回も訪れているのにいっこうに見張り役の兵士から顔を覚えてもらえないことと、ここに来るたびに変な芝居をさせられているこのわしも大変なのじゃが……」
「はんっ、私が立てた提案になんか文句でもあるわけ? あんたができればこのことは内密にして欲しいって言うから、いっつもこうして芝居をして、自然な流れで話が出来るようにしているんじゃない。感謝されこそ、悪く言われる筋合いなんてないわ。
それにあんたが顔を覚えてもらえないのは、単純にあんたの影がうっっっすいからでしょ。なんでもかんでも私のせいにしないでよね」
エリスはふんっと、鼻息荒く反論する。
「……ご理解下さいシリウス様。お見合いを断られ続けてすっかり傷心の我が君は、せめて芝居の中だけでも男から言い寄られたいと思っているのです」
と、今までずっと傍観者でいた水竜騎士団団長のカイルが、シリウスの傍までやって来ると、むっつり顔のままぼそっと呟いた。
「正解っ! でも的を得ている分とっても腹立たしいわ! あんたも私に逝かせてもらいたいのカイル?」
「……遠慮しておきます」
カイルは女王の方を振り向くと、愛想笑いのひとつも浮かべないで優雅に一礼をする。
そんなクールかつ余裕たっぷりのカイルを見て、エリスは苦虫をそのまま噛み潰したような顔をした。
「全く……っ! どいつもこいつも私をなんだと思っているのかしら! ジェイルはいっこうに毛が生えてこないし、カイルは生真面目すぎて融通が利かないし、ほんとむかつくったらありゃしない!」
「女王様……カイルはともかく、なにゆえ私の頭の毛が生えないことがそんなにむかつくのですか?」
「あんたの頭が光っていてやたらと眩しいし、その頭を見ていると重要な会議中でもなんだか可笑しくなってくるのよ! 頭に墨でも塗りたくりなさい! 髪があるように見えて、まだましになると思うから!」
「ひ、ひど過ぎます……私だって、好きでこの頭になっているわけじゃないのに……」
ジェイルは立ったまま男泣きに泣き始めた。
「男が毛が生えないくらいでなにめそめそしてんのよ、気持ち悪い。まあどうせ生えてきても私が綺麗さっぱり切り落としてやるんだけどね。
……そんなことよりシリウス。今日はいったいどうゆう要件でここに来たのかしら?」
ジェイルへの止めの一言を吐いたエリスは、思い出したようにシリウスに話を振る。
シリウスはきりっと表情を引き締めると、
「遂に“彼等”が動き始める」
その言葉を聞いたエリスと他の二人の動きがぴたりと停止すると、部屋の空気が唐突に重苦しいものへと切り替わった。