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誘いとためらい


 校長室を後にしたアルトは広い校舎内を行くあても無く適当にうろついたり、自分の寮の食堂で食事を取ったり、図書室で本を読んだりなどして暇な時間を潰した後、ようやく自分の部屋へと戻ったのだが――――。

 「……アルト。今、いったい何時だと思っているのかしら?」

 正座をさせられている自分の眼前に突きつけられた、機械時計の長針と短針を、アルトは恐る恐る読み上げる。

 「え~~~と……十時過ぎですね」

 「そうね。“十時”過ぎよね。これが九時でも八時でもなければ、“十時”だっていうことが誰にでも分かるわよね」

 十時をやたらと強調しながら、妙に明るい笑みを浮かべているセリナ。

 セリナのファン辺りが見たら、きっと嬉しさで泣きながら大庭園の池に飛び込むだろう。

 しかしその笑顔からは大瀑布にも似た強烈な威圧感が放たれていて、アルトはセリナへの恐怖で身をちぢこませていた。

 「……とりあえずアルト。私に何か言う事があるんじゃないかしら」

 明るく、しかし怒気のはらんだ口調でセリナは尋ねてくる。

 「…………ぼ、僕なんかをずっと待っていなければ、ちゃんと夕食を食べれたと思います」

 「……つまり私が夕食を食べ損ねたのは、あなたの帰りをずっと待っていた私のせいだって、アルトは言いたいわけね……」

 セリナは無言のまま、脇に置いてあった翠玉石の細剣に手を伸ばした。

 「す、すいません! 嘘です! こんな遅くにまで帰ってきた僕が悪かったです!」

 アルトは冷や汗をだらだらと流し、後ずさりをしながらへこへこと謝る。

 「そうよ。私はその言葉が聞きたかったの。……でも許してあげないけどね」

 つれない口調でそう言うと、つんっと澄ました表情でそっぽを向くセリナ。

 アルトは内心で「一食抜いても人間死にはしないのに、ほんと食い意地がはってるよなぁ……」と呟く。

 実はセリナは可憐な容姿とは裏腹にかなりの大食漢で、時に自分の皿のおかずにすらも手を伸ばしてくるのだ。

 しかしそのわりにセリナが太る予兆など微塵も感じられない。

 おかずを死守するこちら側にしてみればはた迷惑な話である。

 「そ、それに、夜遅くまで何も連絡がないままだと、し、心配するじゃない……」

 するとセリナは急に高飛車な態度を変えると、少し恥ずかしそうに目を伏せながら、そんなことを言ってきた。

 アルトは目をしぱしぱと瞬く。

 まさかそんなことを言われるとは露ほどにも思っていなかったのだ。

 (……ほんとに、セリナもシリウスも変わっているよ。こんな奴をいちいち気に留める必要なんてないのに)

 なんとなく今のセリナを見ていると妙にお腹がむず痒くなってきて、アルトはついっとセリナから視線を外す。

 それをアルトが不機嫌になったと勘違いしたセリナは、慌てて言葉を付け足した。

 「ほ、ほらっ! アルトってこの前、選抜組の奴等にフルボッコにされていたでしょ。それでアルトって傍目から見たらけっこう繊細で弱そうだし、何も抵抗しなさそうだから、陰湿ないじめとかにあってるんじゃないかなぁって思って。

 そ、それにアルトって女の子みたいな顔をしているから、そういった趣味の人たちに襲われないかどうか心配で――――」


 ちょっと待て!! 僕はいつもそんな風にセリナから見られているのか!?


 アルトは勢いよく立ち上がった。

 「セリナ! 君はいったい僕で何の妄想をしているんだ! ていうか僕がそういったことに巻き込まれると、君は本気で思っているの?」

 大声でそう主張すると、セリナはガラス細工のように透き通った空色の瞳をきょとんとさせた。

 そんなことを言われるなんて意外。という顔をしている。

 「えっ違うの? だってアルトのその顔、十分女の子で通じるじゃない。それで『白銀の天使』なんてあだ名がついたんでしょ? 性別不詳だから」


 うっ。人が何年も前から気にしている事をずけずけと……。


 「ち、違う! ……いや、白銀の天使の由来はそうらしいから、僕が認めたくなくても否定できないんだけど、少なくともそういった趣味の人たちに襲われたことなんて僕は一度も無いよ!」

 これ以上セリナに変な印象を抱かれて、勝手に卑猥な妄想をされるのは嫌なので、アルトはきっぱりと否定した。


 ……まさか、本当のことなど言えるわけがない。


 酒場で酔っ払ったおっさんにからまれて、服を脱がされそうになったことがこの十七年の人生の中で少なくとも二十回近くはあったこと。

 そのうちのおおよそ三回はこのセントクレアで引き起こされたこと。

 極めつけは魔導剣士をしていた頃に一日だけでもいいから店の手伝いをしてくれと店長らしきおっさんに道端で泣きつかれ、快く快諾してその場所に向かったら、そのお店がお城で働くメイドのような格好をしてお客に飲み物や食べ物を提供する喫茶店で、

 『ぼ、僕は男だから手伝う事は出来ませんっ!!』

 と主張したら、

 『お、男だって!? 本当かい!? 全然そんな風には見えないよ!? ……でも、まあこれはこれでおもしろいからいいや!』

 と店長に開き直られてしまい、最初に了承してしまったということもあって、結局その日は泣く泣くフリフリのミニスカートに、レースのついたブラウスに、ピンク色のエプロンという、男にとってはシュール過ぎる衣裳を着用しながら過ごすハメになったことなど。

 思い出すだけで頭を抱えて悶絶したくなるほどのトラウマが、挙げ出したらきりがない程あるということを。


 (まあでも、一番むかつくのはシリウスがそのことを知っているということなんだけどね。もちろんあのふたりを経由して知ったんだろうけど)

 アルトはあのふたりになら何でも話してきたのである。

 例えそれが自分の汚点であったとしても、人様に言えない恥ずかしいことだったとしても――――。

 とりあえず余計なことを言いふらす前に、あのじいさんの頭を刃引きされた長剣でぶっ叩いてやれば、僕が抹消したい過去のトラウマ達についての記憶も消えるかな? 

 などと物騒な意見を半ば真剣になって検討していると、


 きゅるきゅるきゅる~~~


 そんな可愛らしい音がセリナのお腹から聞こえてきて、セリナは恥ずかしさで顔を真っ赤に染めた。

 この突然の不意討ちに、いつも曖昧な笑みを浮かべているアルトにしては非常に珍しく、くっくっくと肩を揺らしながら笑い始めると、セリナが少しばかり涙で目を潤ませながらアルトを睨みつけてきた。

 「こ、こんなことでそんな風に笑うなんて卑怯よ! アルトを待っていたから私は十時までに食堂に入れなくて、何も食べれなくなっちゃったんだからね! そこの所ちゃんと分かってるの!」

 「ごめんごめん。笑うつもりはなかったんだ。ただみんなの前にいる時とか、僕のパートナーになったばかりの頃のセリナと比べると、ものすごいギャップがあるなぁって思って」

 「わ、悪かったわね。どうせ私は緊張しすぎの、恥ずかしがり屋ですよ」

 セリナはむすっとした顔で赤い頬を膨らませると、またもやそっぽを向いてしまう。

 (まあセリナが食いっぱぐれちゃったのも、本をただせば僕が一言セリナに伝えておかなかったのがいけないんだし、ちょっと他人事みたいに笑いすぎちゃったかな?)

 夕飯を食べれなくなったセリナへの罪悪感をちょっぴり感じつつ、むくれている彼女に声をかける。

 「ごめんセリナ。お願いだから許してよ。僕のせいでセリナが夕飯を食べれなかった事も、僕はちゃんと悪いって思っているんだからさ」

 「……本当に悪いと思っているの?」

 「当然だよ。なんだったら明日の朝食のおかずを少し分けてあげてもいい」

 セリナはくるりと体を反転させると、アルトにずずいと詰め寄ってきた。

  「…………ショートケーキとチョコレートケーキ。それとバニラとストロベリーのダブルアイスクリームとミックスジェラート」

 「…………は?」

 

 なんだろう? 今の呪文みたいな言葉の羅列は?

 

 「実は明後日の正午から商店街通りの奥の方で、今度新しいお菓子屋さんが開店するの。でも開店する前にその店の試食会があってね、試しに行って食べてみたら、これがもの凄く美味しくって! だからさっき私が言った物品を、明後日アルトが奢ってくれたら、今日のことは許してあげる。

 ……あっ、もちろん明日の朝食のおかずも貰うからね」

 

 ああ、つまりこういう事か。

 今度新しく開店することになったお菓子屋のお菓子を、僕が“全額”負担してセリナに奢れと。

 なるほど納得……





 ……できるか!



 「そんな提案を受け入れられるわけがないだろう! 僕がシリウスからの援助を受けてこの学校に通っていることを君は知っているくせに! 第一、学校の講義と選抜組の訓練はどうするんだよ。新しいお菓子屋さんに行く暇なんて、僕等には全くないじゃないか!」

 アルトが猛反発してもなんのその、セリナはしれっとした口調でこう告げた。

 「明後日はセントクレア魔法学校の創立記念日で、訓練どころか学校自体がお休みよ。残念でした」


 ぐっ……そうだった……っ! 

 学校なんて適当に通っているから、明後日が創立記念日だってことをすっかり忘れていたよ……っ!


 「でもっ、今の僕にお菓子を大量に奢れるほどの金銭的余裕なんてまったく無いよ! 学費を全額負担してもらっている分、シリウスから送られてくる生活費は少ないし、毎日ぎりぎりの生活をしているんだから!」

 アルトが尚もしつこく食い下がると、何故かセリナは蔑むような視線をアルトに向けてきた。

 「……まあ確かに、アルトの衣裳部屋は物が机とベットくらいしかないから、あの部屋を見れば生活に余裕が無いんだって誰が見ても思うだろうし、私も一時そう思っていたんだけど、でもあなたがぎりぎりの生活を送っているのは正直、自業自得じゃない」

 

 ……え? 何? このセリナの口ぶりは。 

 まるで、僕の唯一の楽しみをセリナが知っているかのよう…… 

 

 「この際だからはっきりと言っておきますけど、セントクレアでの“飲酒”は二十歳になってからと、街の法律で取り決められています!」


 うわっ! 最悪だ……っ! セリナにだけは見つからないようにしていたのに……っ!


 「だ、だって……っ! 北部地方は飲酒の年齢制限なんてないし、もの凄く寒い地域が多いから、子供も大人もみんなお酒を飲むのが当たり前になっていて……っ!」

 「ここは北部地方じゃないわ。だからお酒を飲んであったまる必要なんてないの。それに私が一番許せないのは……」

 冷たくそう言ってくるりと背中を向けると、窓際のカーテンの辺りをなにやらごそごそし始める。

 そして、セリナがそこから取り出して来た物を見て、アルトは血の気を失った。

 「……このオルシュって言うお酒の瓶。アルトを待っていて暇だった私が、部屋の掃除をしていた時に偶然あなたの衣裳部屋のベットの下で見つけたんだけど、私の記憶が確かならこのお酒ってとっても高かったはずよね? 確か、一本十万クルぐらいが相場じゃなかったかしら?」

 「そ、そのとおりです……。よくご存知ですね……」

 「生徒会の仕事で不正飲酒の取締りをしていた時期もあったから、その時得た知識よ。

 それよりも“こんな物”を買う程の余裕があなたにはあるんだから、お菓子のハつや九つぐらい、私に奢ることができる筈よね?」

 「いやいやセリナ! 君が要求しているお菓子の数が倍近く増えているよ! それにシリウスから貰ったお金をずっと貯め込んで、裏ルートまで使って得た僕の宝物をこんな物って呼ばないで!」

  

 そう。オルシュは三大名酒と言われているほど有名なお酒で、にも関わらずなかなか市場に出回ることはないから、手に入れるのに凄く苦労したんだよ!


 「とりあえず私がアルトに聞きたいのはひとつだけ。明後日、私にお菓子を奢ってくれるの? くれないの?」

 セリナがにっこりと怪しく微笑みながら、アルトに尋ねる。

 「……もし、断ったら?」

 アルトはごくりと喉を鳴らすと、恐る恐るセリナに尋ね返した。

 「今すぐこのお酒を窓の外に放り投げるわ」


 ……やばい。目が本気だ。このままだと、オルシュにほとんど口をつけられないまま瓶ごと捨てられかねない。

 でも……僕は……


 実はアルトがここまでセリナに奢ることを渋る理由は、単純にお金を減らしたくないからだけではなかった。

 アルトは他人と深く関わる事を忌避している。

 それはなにも自分のパートナーであり、なおかつ自分の正体を知っているセリナも例外ではない。

 勿論顔を合わせれば普通に話しかけたりもするし、訓練のときは一緒に力をあわせて戦ったりもするし、時々学校から出された課題を手伝ってもらったりする事もある。

 しかし休日の時間に彼女と二人きりで過ごしたことなど一度も無いし、なにより自分の存在は他人に不幸を招く。

 セリナに深く関わったことで、彼女を不幸にしたくない――――。

 そんな風に考えていたせいだろうか、今まで優位な立場に居た筈のセリナが、形の良い眉を少し下げて顔を俯かせた。

 「そんなに私と一緒に行くのが嫌なの?」

 「いや、嫌って言うかなんと言うか……」


 はあ、まいったな。どうしてセリナは僕の考えている事がすぐに分かるんだろ? 何考えているのか分からない奴。ってよく言われてきたんだけどなぁ。

 それにそんな悲しそうな顔をされると非常に困る。


 アルトは深いため息をひとつついた。

 「はあ。分かったよ。明後日、僕が君にお菓子を奢ればいいんでしょ」

 それを聞いたセリナの表情がぱあっと華やいだ。

 「ほんと!? ほんとにいいの!?」

 「ほんとも何も、君が僕にそれを強要してきたんじゃないか」

 「確かにそうだけど。でも約束してくれるのよね? 一緒にそのお菓子屋さんに行って私にお菓子を奢ってくれること」

 「ああ、するよ。するよ。もうこの際だから何処にでもついて行くよ」

 アルトは半ばやけくそになって答える。

 「やった! それじゃあ約束だからね! もし約束破ったら許さないんだから!」

 喜々とした表情で胸に抱えていた人質(オルシュの瓶)を返してきたセリナは、用は済んだとばかりにくるりと背を向けると、自身の衣裳部屋へと軽い足取りで戻っていく。

 しかし部屋に入る手前で足を止めてぴたっと立ち止まると、こちらをゆっくりと振り返って、

 「……アルト。私はあなたの気持ちをちゃんと理解しているつもりだけど、でも、私はあなたともっと仲良くなりたい。だから……私に気を使ってくれて、本当にありがとう。

い、言いたいことはそれだけだから!」

 そう言って、逃げるように自身の衣裳部屋へと入っていったセリナの背中を、アルトは呆けたように見つめていた。


 ……い、今のは本当に驚いた。ひょっとしてセリナは――――

 ……まさか。そんなことあるわけないだろう。ただの偶然だ。


 頭に浮かんできた馬鹿らしい考えを打ち消して、アルトはふと自分の真下を見る。

 度肝を抜かれて、オルシュの酒瓶を床に落としていたことに気づいたのはその時だった。


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