歴史授業 2
「みんな静かに。 えーそれでは、今日は過去に起きたふたつの大戦について学ぶ事とする。それで二十年前の大戦については皆もう既に記憶していると思うから、まずは二千年前の古代大戦から始めよう。参考書の二百ページを開いて」
ケイトは茶色い表紙の分厚い参考書を開く。ついでにペンと羊皮紙も用意した。
年齢で言えば四十代にも関わらず、その名前の通り髪の毛が殆ど無いウスラーは生徒たちが一通り参考書を開いたのを確認すると、えへんとひとつ咳払いをした。
「ではそこに座っている桃色の髪の君。二千年前の古代大戦について説明してもらえるかね」
威厳の篭った目がケイトを捉える。
え、わ、私!?
まさか自分に当てられるとは思っていなかったケイト。間の抜けた返事をウスラーに返すと、少し緊張しながら席を立った。
「えっと……二千年前の古代大戦の始まりはまだ領土の小さかったノーム国を侵略する為に、当時まだ皇帝が治めていたイフリア帝国が軍を出兵したからとされています。けどノームは事前に近隣諸国と同盟を結んでいて侵略は難航します。そうこうしているうちに第三勢力であるシルフェリアと旧セナン公国がそれぞれの国に宣戦布告。それを機会に今まで中立だった他の国も次々に侵略を開始しました。
こうして戦火がマルギアナ全土に広がってゆき、またその時原因不明の魔物、魔獣繁殖期にぶつかってしまったせいで戦争の被害は甚大なものになってゆきます」
「うむ、よろしい。では続きを」
「しかしそれらが引き起こされた事態全てを、あるひとりの修道女が裏で糸を引いていたのです。それがのちに後世にまでその悪名が知られることになった魔女アルセイラでした。
アルセイラには特別な力があったとされ、当時のイフリア皇帝を洗脳し、これを操って戦火を広げていたと文献には記録されています。そしてアルセイラが影で戦争を操り、戦火を広げていた目的はただ一つ。世界を滅亡させることだったそうです。
しかしどうしてアルセイラが世界を滅ぼそうとしたのか、それはいまだに分かっていませんが、アルセイラの野望は途中で潰えてしまう事になります。アルセイラの悪行を全て調べ上げ、それを暴いた人がいたからです。それがジェリウス教の教皇ヴィクトリオ一世でした」
「君は随分と記憶力がいいみたいだね。素晴らしい。ではあとは私が引き継いで説明することにしよう。もう座ってよろしい」
はぁ~みんなの前でいっぱい喋って緊張したぁ。
ケイトは心の中で安堵のため息を吐きながらゆっくりと席についた。
「それではさきほどの子が説明したように、アルセイラの悪行は時のジェリウス教の教皇ヴィクトリオ一世によって暴かれることになる。
アルセイラの秘密を暴いたヴィクトリオは早速信頼できる人物を各国に送って協力を要請した。内容はもちろん戦争の早期停止とその時身を隠していたアルセイラを捕えることである。長引く戦争に疲れていた各国の国王達は教皇の要請を受けいれ、諸悪の根源だったアルセイラの消息を探し始めた。
そして遂にアルセイラを捕まえる事に成功すると、彼女を永久戦犯として裁き処刑した。
こうしてアルセイラの死によってマルギアナ全土を巻き込んだ大戦は徐々に鎮火していったのだ。そしてこの大戦のことを俗に古代大戦と呼ぶ。……よろしいかな」
ウスラーが生徒たちに尋ねると、数少ない生徒達は皆一斉に首を縦に振った。
「では次に二十年前の大戦についてだが……、さっき説明してもらった子の隣に座っている黒い髪の女子。説明してもらえるかね」
「…………分かりました」
ウスラーに説明を求められ、少し不機嫌そうな返事を返したのはアルトだった。そしてそこから一拍間を置いて、必死に笑いを押し殺す声が隣から聞こえてきた。……レイだった。
『レイ君笑っちゃダメだよ。今授業中なんだから先生に怒られるよ』
ケイトがひそひそ声でレイを嗜める。
『だ、だって、女の子って……あいつウスラーから全然男として見られてないぜ。ズボン履いているのに。これはもう笑うしかねぇだろ』
震える声でそう言うとまた笑いの発作が襲ってきたのか、レイは肩を震わせながら机に突っ伏してしまった。
ケイトは隣で笑っているレイのことは放っておく事にして、そっとアルトを横目で見た。
猫のように細くて華奢な体躯。男の子にしては少し白過ぎる肌。中性的な顔立ち。ウスラー先生が女の子と間違えるのも無理は無いんじゃないかなぁとケイトは思う。
試しにケイトはアルトが女装した姿を妄想してみた。
……いけない、本当に似合いそう!
ケイトは顔を茹ダコのように真っ赤にさせてしまうと、レイと同じく机に突っ伏してしまう。
そんなふたりはさておき、女の子に間違えられたアルトは少し不機嫌顔で立ち上がると淡々とした口調で喋り始めた。
「二十年前の大戦は俗に宗教大戦と呼ばれています。理由はもちろん、宗教上の小競り合いから大戦へと発展していったからです。
その始まりはセイト教国だった旧セナン国の国王が突如ジェリウス教の信者になりたいと言い出して、サンサバドル大聖堂で洗礼を受けた事から始まります。
旧セナン国は魔物や魔獣の研究が盛んな国で、建国当時からずっとセイト教信者でした。しかし二十年前のセナン国最後の国王、テオドリスは国民の反対を押し切ってジェリウス教の信者になってしまいます。
当然それに異を唱える存在がいました。マルギアナ一の大国ノームを筆頭とした各セイト教国達です。
ノームを筆頭とした各セイト教国達はジェリウス教に改宗したテオドリスを異端とし、粛正するためにセナン国に出兵します。ところが古代大戦以降、徐々にイフリア帝国内で力を持ち始め、実権を握るようになっていたジェリウス教の教皇がそれを黙って見てはいませんでした。
当時の教皇ヴァレリウス一世は各国と同盟を結び、セナン国を救援するという名目でセナン国に出兵します。
こうしてふたつの強国同士が宗教上の理由でぶつかり合い、他の国も次々に巻き込んでいったことで大戦へと発展していきました」
「よろしい。では後は私が説明しよう。座ってよろしい」
アルトはゆっくりと席についた。
「さっきの子が説明してくれたとおり、おおまかな流れは大体このとうりだ。そして不運というか当然の流れというべきか、宗教大戦最大の激戦地となってしまったセナン国はさらなる不運に見舞われることになる。
戦争で疲弊しきっていたところに、魔物や魔獣の群れが突如王都を襲ったんだ。
セナン国は大国の侵攻を抑えることに精一杯で、魔物や魔獣の侵攻に耐えられるほどの戦力が残ってはいなかった。しかし味方であるはずのイフリア帝国は援軍を送らなかった。
……当たり前だ。イフリア帝国の本当の目的はセナン国の救援ではなく、侵略だったのだから。
結果王都ジェルマンはわずか一夜で人も住めぬ廃墟と化してしまい、国王は死亡。セナン国は滅んでイフリア帝国の統治下に置かれることになる。
ところが大戦の始まった元凶が滅んでも戦争が止まることはなかった。戦争の火種は既にあちこちに飛んでしまい、燃え広がっていたからだ。そんなこんなで収拾がつかなくなった時に登場したのが、みんなもう既にご存知の魔法都市連合だ」
「魔法都市連合は中原の地域にある自治都市ジェルブを拠点に活動をしていた平和運動団体だった。
その魔法都市連合は長引く戦争から平和を求める人々の声を聞き入れ、各国の調停役を努めることになる。
……それからが実に凄かった。
彼らは必死に平和の理念を各国の代表達に伝え、彼らを仲間にし、自分達の味方を徐々に増やしていったんだ。気づいたときには魔法都市連合を支持する国や都市の数は相当なものとなり、イフリア帝国やノームといったそれまでマルギアナで権力や武力を存分に振るっていた強国も彼らを無視することが出来なくなってしまっていた。
結局彼らは魔法都市連合の要求を受け入れ、戦争を停止し、魔法都市連合に加盟した事で宗教大戦は終結した……よろしいかな。では次に……」
ウスラーが次の話に移ろうとした時、ビン底眼鏡をかけた優等生っぽい男の子がすっと手を挙げた。
「先生。授業が始まる前にも言いたかったのですが、六千年前の聖戦については勉強しないんですか?みんな誰でも知ってるのに」
ウスラーの眉間に皺が寄った。
「私の授業はマルギアナの歴史を行う事になっている。伝説――――いわゆる御伽噺は私の専門外だ」
「でも先生、御伽噺も一応は歴史の授業になるじゃないですか。それに実は本当の話だったということもありますし……」
ウスラーは少し思案顔になると、きれいに生えそろった髭を軽く撫でた。
「たしかに君のいうことにも一理ある。……仕方ない。君の深く学びたいという学問への情熱に免じて、かいつまんで私が説明することにしよう」
「ありがとうございます」
生徒の口車に上手く乗せられてしまったウスラーを見て、ケイトは苦笑した。学問への情熱と言うよりも、この場合はただ単純にこの話が好きだからだろう。実をいうとケイトもこの話は大好きである。
「それでは六千年前の聖戦についてだが……いいか? 本当の話ではないのだから鵜呑みにしないように。
まだジェリウスが神となり天へと昇る前、ジェリウスは自分の弟子である四人の魔法剣士達と共に冥王クリューノスと聖書に出てくる悪魔マジェスターとマルギアナの覇権を争って戦ったとされる。その戦いのことを私達の間では聖戦と呼ぶ」
「冥王との戦いは熾烈を極めた。そこでジェリウスの弟子である四人の魔法剣士達は、冥王とマジェスターの侵攻に備える為に、自身の最も得意とする魔法をマルギアナに住まう人々に教えることにしたのだ。
それが現在私達が扱う魔法のルーツだと、ジェリウス教の聖書には記録されている。そして冥王との永きに渡る戦いの末、聖戦はジェリウス達と人間の勝利に終わり、マジェスターは滅んだ。
そして冥王は光の一切届かない地下の世界。いわゆる冥界へと未来永劫閉じ込められ、ジェリウスは聖地を渡り天へと昇ることになる。
そしてその際、弟子達に自分の遺品を六つ授けると、ジェリウスは天界神となり、その弟子の四人の魔法剣士達は巡礼者となって姿を消した――――とこれまでが聖戦の内容とされている。よろしいかな?」
「先生。ジェリウスが四人の魔法剣士達に授けた六つの遺品っていったいどうなったんですか? それに聖地って?」
「だからこれは御伽噺で、限りなく信憑性の低い話だと最初に言っただろう。……一説によるとそれらはマルギアナのどこかに眠っているらしい。そして六つの遺品を全て集め、世界の中心で消えた者への祈りを捧げると――――」
「捧げると?」
この伝説についてちゃんと知っているにもかかわらず、生徒達はウスラーに聞き返した。この話が好きで少し興奮しているせいである。そしてそれはケイトも例外ではなかった。
「聖地への扉が開かれ、聖地を通った者には永遠の加護がその身に宿るとされている」
ウスラーが端的にそう述べると、それとは対照的に数少ない生徒たちは今までせき止められていた水のような勢いで話し始めた。
「す、すげぇ! それってつまり神様になれるってことか!」
「いつ聞いても凄い! やっぱりこういった伝説には夢があって面白いなぁ!」
「静かにしたまえ! だからこの話は御伽噺であって、事実ではないと何回も言っているだろう!」
ウスラーは目を三角にして、がやがやと騒ぎ続ける生徒達に注意を飛ばす。そうこうしているうち講義終了の合図であるベルが鳴った。
「おほんっ。……それでは今日無駄話をして講義が遅れた分を取り戻す為に、天界神ジェリウスよろしく君達に宿題を授ける事にしよう。(ここで一部の生徒達があからさまに嫌そうな素振りを見せると、ウスラーがぎろりと彼らを睨みつけた)次の講義までに二つの大戦についてのレポートを羊皮紙二十枚に記入して提出する事。以上でマルギアナ史の講義を終えることとする」
ウスラーはそれだけを言い残して、この部屋から去っていった。
「しゅ、宿題……、しかも羊皮紙二十枚だと……。これは横暴だ! 職権乱用だ! 校長先生にあのハゲを訴えてやる!」
いきりたって席を立ち、今にも校長室に乗り込まんとするレイをケイトは慌てて引き止めた。
「だ、だめだよレイ君、そんなことしたら。宿題なら後で私が手伝ってあげるから」
「でもよう……ま、ケイトがそう言ってくれるならいっか」
レイはうんうんと頷くと机の上に無造作に置かれていた参考書を鞄にしまい始めた。どうやらすぐに怒りが鎮火したらしい。
ケイトも鞄に参考書を詰めていくと、先に詰め終わったレイが隣に座るアルトを茶化した。
「それにしてもアルトって本っっっ当に女顔だよな。今日なんてウスラーに女と間違えられてるし。……実は僕男の子じゃなくて女の子でした~なんてオチは……」
「あるわけないでしょ。僕はれっきとした男だよ」
アルトはいつもの笑顔を崩し、不機嫌顔で答えた。
いつも笑みを絶やさない(といっても少しぎこちない感じはするが)アルトにしてはとても珍しかった。
――――何か昔嫌なことでもあったのかな?
そう思って尋ねようとしたケイトだったが、結局は聞くことが出来なかった。
「だよな~。でもおまえ女装すればそれなりにいい線行くと思うんだけど……」
レイは真面目顔でアルトの顔を覗き込むと、アルトは冷や汗をかきながら数歩後ずさった。
「ぼ、僕に女装の趣味はないからこの話はもうおしまい。ケイトさん行こう」
「え!? う、うん」
意中の存在であるアルトに促され、ケイトは雷もかくやというほどの速さで返事を返した。そうして立ち上がる。
「お、おい。俺を仲間はずれにするなよ二人共~」
レイは心底情けない声を発するとふたりの後を追いかけ、部屋を後にした。