歴史授業
――――よぅし、今日こそは積極的にアルト君に声をかけるぞ!
中立地域最大の都市セントクレア。
椅子に座ってふんぞり返るだけの国王もいなければ、税金を食い物にする貴族もいない、まさに自由の象徴であるこの都市のとある学生寮の一室で、ケイトは一人意気込んでいた。
実の所この少女の外見的特徴はなかなかのものである。
桃色のすっきりとしたショートへアーに、ぱっちりと開いた鶯色の瞳。顔はやや丸みを帯びていて若干幼い印象を周囲に与えがちではあったが、それでも可愛いという敬称がよく似合う女の子である。
しかしなかなかよくある話ではあるのだが、ケイトにはその自覚がまったくといっていいほどなかった。
いやむしろわたしは内気で話の内容もいまいちだし、顔も至って普通だから他の子のほうが何倍も綺麗で可愛いなぁ。
といった感じで自分を過小評価して、この学校の綺麗どころと言われている人達を憧れと羨望の眼差しで眺めているのだった。
そんな彼女が最も憧れてやまない存在なのが、言わずもがなセントクレア魔法学校の生徒副会長、セリナ・ソル・フィオフュシアその人である。
外見を見ても、剣の腕を見ても、魔法の腕を見ても、全てがオールパーフェクト。しかも生徒会にも入っていて、魔物にも果敢に挑んで行くんだから、本当にわたしとは別世界の人間です! 凄すぎます!
もちろんケイトはセリナと直接的には面識が無いし、魔法剣士を目指しているわけでもないのだが、セリナのその類まれなる容姿と並々ならぬ強さに、地べたに頭ごとつけて低頭してもいいぐらいセリナを尊敬しているのだ。
しかしそんなケイトにとって雲の上の、そのまた上の人物であるセリナに対して、どうしても密かに対抗心を燃やしてしまうことがある。
ケイトが想いを寄せているアルトを取られたくないということだ。
――――ケイトが二年生になったばかりの頃。
編入という形でこの学校に入ってきた漆黒の髪の少年アルトに、ケイトは生まれて初めての恋をした。
ケイトは内気で人見知りをする性格のため、当然のことながら男の子への免疫がほとんどと言っていいほど無く、あるとすれば気さくで明るい性格でもあり、なおかつケイトの親戚にあたる人物が養子にしたことで仲良くなったレイだけである。
そんなケイトにとって男の人は恐怖の対象でしかなかった。当然と言えば当然である。
しかし不思議なことに、アルトだけはその限りではなかったのだ。
アルトと一緒にいてもケイトはまったく苦ではなかったし、自分でも驚くほど早く打ち解けていった。そして話をしているうちに、もっとアルトのことを知りたいと思い始め、やがてアルトに恋をしているのだと自覚するようになっていったのだ。
ところが一月程前のパートナー公開の際に普通組のアルトは選抜組の、それも生徒副会長であるセリナのパートナーになったのだ。
その時ケイトはアルト君と一緒じゃなくて残念だけど、レイ君と一緒でよかったぁぐらいにしか思っていなかったのだが、アルトからパートナーの名前を聞かされたときにはあまりにもびっくりし過ぎて、思わずその場でしりもちをついてしまったぐらいである。
そして荷物をまとめる為に部屋へと戻ると、ケイトは少しの間葛藤に苛まれた。
どどど、どうしよう。わたしとセリナ様じゃあ、正直比べ物にならないし勝ち目もないよ。
……で、でもアルト君が必ずしもセリナ様を好きになるとは限らないし、弱気は駄目だよね。わたしの悪い癖だよ。
……だ、だけど、もしものことだってあるし。セリナ様がアルト君のことを好きになることだってありえるかもしれないし。でもセリナ様とアルト君がパートナーになったっていうことはセリナ様と知り合ういい機会で、あわよくば仲良くなりたいなぁなんて思うし。……ああ、どうしよう。
とまあそんなこんなでケイトはいろいろなことに頭を悩ませながら一月以上が経過したわけだが、いまだにアルトのほうでもセリナのほうでも進展はなかった。
ケイトは自身の衣裳部屋に備えられている机から魔法書や参考書を引っ張り出して、茶色い皮製の鞄に入れていく。あらかた入れ終わると、今度は着ている黒い制服の上着や紅色のネクタイを軽く整える。そして最後に西の方角を向いて天界神ジェリウスへの祈りを捧げた。
(ジェリウス様。地上に住まう迷える私達に大いなる天の御加護を)
「おお~い、ケイト。早くしないとマルギアナ史の講義に遅れちまうぞ」
「あっ待って! すぐに行くから!」
衣裳部屋の外から一緒に住んでいるレイの声が聞こえてきて、ケイトは組んでいた手をぱっと離すと、大慌てで衣裳部屋のドアを開いた――――。
~~~~~☆~~~~~☆~~~~~☆~~~~~
セントクレア魔法学校で学べる科目の分野はとても豊富である。
魔法学、マルギアナ史、魔法薬学、魔装具学、戦闘学、魔法戦闘学などなど、主要なものを挙げるだけでもざっと百種類以上はあるのだ。もちろんそれはあくまでも主要な科目であり、それに細かいものを加えると三百はくだらない。
だがそれだけの量の科目を真面目に受けるとなるといつ卒業できるのか知れたものではないので、生徒達は学校側から取り決められた単位をきちんと満たせばよいのだ。
つまりケイト達は膨大な数の科目の中から自分の学びたい科目を選ぶわけである。
当然そういったことになると、どの講義が人気があってどの講義は全く人気がないというのが出てくるわけだが、これからケイトたちが向かうマルギアナ史の講義は後者である。
というのもせっかく魔法学校に入ったんだから、辛気臭い歴史の講義なんか受けずにもっと魔法をじゃんじゃん扱えるような講義に入りたいぜ! と思うのが人情であり、またマルギアナ史は魔法学校に入る前から他の大人達に聞かされるので、よほどこの科目が好きでもない限り習う必要がないのである。
そんなわけでマルギアナ史の講義を受ける部屋はとても狭いうえに、ケイト達の周囲の机は皆閑古鳥が鳴っていた。
「あ~あ。マルギアナ史なんか俺は取りたくなかったんだけどなぁ」
周囲の酷い有様? を見てレイが愚痴る。
「仕方ないよレイ君。私たちそれぞれ人気講義の抽選に落っこちたんだもの」
「そうは言ってもよう。この講義を受けてる奴等、みんな変わり者ばかりだぜ」
「そんなこと言っちゃいけないよレイ君。みんな好きでこの科目を選んだんだから。
……そういえばレイ君はどうしてマルギアナ史を受けようと思ったの? 私は受けたいと思っていた人気講義に落ちちゃったっていうのもあるけど、単純に歴史が好きだったからこの科目を選んだんだ。でも、レイ君は確か座学が苦手だったよね?」
「え!? そ、それは……」
ケイトが小首を傾げて尋ねると、レイは言葉に詰まって急にあたふたし始める。
そんなレイを見て不思議に思っていると、唐突に部屋の扉が音を立てて開いた。
ケイトとレイはそちらのほうに目をやる。そして中に入ってきた人物に気づくと、ふたりは明るく笑いながら手招きをした。
「ようアルト!」
「おはようアルト君」
部屋に入ってきた漆黒の髪の少年アルトは声を上げたふたりに気づくと、少しぎこちない微笑を浮かべた。
「おはようケイトさん。レイ君」
そうしてふたりの座っている席の近くまでやって来ると、鞄を脇に置いてその席に腰を下ろした。
よしっアルト君も来たし、何か面白い話をしなくちゃ。
アルトに少しでも振り向いて欲しくてそう意気込むケイトだったのだが、こういう時に限って人は思ったようには喋れないものである。そしてそれはケイトも例外ではなく、何か喋ろうとしても緊張のし過ぎでまったく言葉が出なかった。
そんなケイトを尻目にレイは至極簡単にアルトに話しかけた。
「そういえばようアルト。この前ちょっとした騒ぎがあったよな。週刊セント新聞にも載ったやつ。・……覚えているか?」
「あ……うん。覚えているけど……それがどうかしたの?」
「すげぇじゃねぇか! お前のパートナーもといセリナさん!」
「あーうん」
興奮した面持ちでぐいっと顔を近づけたレイに、アルトは感情の篭っていない生返事を返す。
「おまえいまいち反応が悪いなぁ。魔法剣士志望じゃない奴はみんなこうなのか?
……だがよく考えてもみろ! 十人以上の男達をたったひとりで倒しちまったんだぞ。しかもその大半が選抜組。おまけにその中には生徒会のメンバーがふたりもいたんだぜ。もうすげぇとしか言いようがねぇだろうが!」
レイは息もつかぬ勢いでそう喋ると、最後にビシィッ!とアルトを指差した。
あっ! その話題だったら私もちゃんと喋れる。
何か話をすることに執心だったケイトは、指を指されて苦笑しているアルトには気づかず、レイに合いの手を入れた。
「そうだよねレイ君! 魔法剣士志望じゃない私でもセリナ様には憧れちゃうもん!
……えっとなんだっけ、セント新聞に載っていたセリナ様の台詞。たしか『あなた達は少し勘違いをしているわ。貴方達が私と遊ぶんじゃなくて、私が貴方達と遊んであげるのよ』って自分をさらった男の人達に言ったのよね? すっっっごいかっこいいと思わない!」
「だろ! やっぱり分かる奴は違うなぁ」
「ふ、二人とも! その話はもうやめよう!」
ケイトとレイがだんだんその話で盛り上がってくると、アルトは関心の薄かったその表情が一変。何故か顔を真っ赤にしながらふたりの話に割って入ってきた。
あれ? アルト君この話題があまり好きじゃないのかな? 今でも結構話している人多いんだけど……。
あっそうか! アルト君ってセリナ様のパートナーだからその話題はもう聞き飽きているんだ。
ケイトは一人納得する。そこでマルギアナ史を担当している副校長のウスラーが部屋に入ってきた。