番外編 勇気の証明
ローグという国はマルギアナの南西部に位置する小さな国だ。
この国は王政で、その政治の指揮はサイデイル家という王族の家系を筆頭とした、三大王家が執っている。しかし人口はそれほど多くはなく、産業も魔法の技術も他の国より少し遅れをとっている。さらには優秀な魔法剣士不足という、小国ならではの問題にローグはいつも頭を悩ませていた。
そんなローグの首都ロザンヌにある基礎魔法学校――――そこで金髪の少女ミシェルは心底退屈な授業を受けていた。
(あぁ~やだやだ! こんなお偉いさんばっかりのところで勉強しなきゃいけないなんて、頭が腐りそうだよぅ)
周りで熱心に魔法書を熟読している貴族の子供たちを見て、ミシェルは内心頭を抱えて呻きたくなってきた。
ミシェルが欝な気分で授業を受けている基礎魔法学校は任意で入るものである。つまりはお金さえきちんと払えれば魔法学校で行う授業も受けられるし、剣の訓練や魔法の訓練も受けることができるのだ。
といっても魔法が使える大抵の人は基礎魔法学校には通わない。無理に通わずともある程度の魔法ならそこら辺に使える人がゴロゴロいるので、その人に習うか身内から教えてもらうというのが自然の流れである。
ではいったいどうゆう人達が通うところなのか?
ミシェルはちらりと隣の子を一瞥した。その子が座っている小柄の机の脇には鞘に納まった剣が置かれていた。
――――つまりはそういうことである。
この基礎魔法学校は剣と魔法だけで生きていこうとする者。すなわち魔法剣士を目指す子が集まる場所なのだ。
もちろんそういった子ばかりでないことはミシェルも知っている。だがどうしても畑違いだと思わざるをえないのだ。
そんなミシェルがどうしてこんなところにいるかというと、一重に祖父のせいであるとミシェルは言わざるをえない。
ミシェルの祖父はそこそこ腕の通った錬金術師であり、なおかつミシェルの親代わりの人である。
当然ミシェルは小さい頃から祖父の仕事に興味を持ち始め、やがては錬金術に必要な魔法を祖父から教わり始めた。そして一通りそれらを扱えるようになると、ミシェルは工房に篭ってひとりで物を造るようになった。
両親のいなかったミシェルにとって、錬金術は寂しさを紛らわすためのものだったのである。
だが年頃の子と一緒に遊ばず、いつもひとり工房に篭って槌を打っていたミシェルを不憫に思ったのか、祖父が「おいっミシェル! まさかおめぇこのまま槌と結婚するとか言うんじゃあるめぇな? とりあえず金はあるからおめぇを基礎魔法学校に入れさせてやったぜ! そこで友達百人作ってみい!」
……と本人の了解も取らず、半ば強制的に入れさせたのである。
(……でもおじいちゃん全然分かってないよぅ。ここにいる奴らの大半が貴族で、いけ好かなくて、ろくな奴がいないこと)
独立都市か民主制の国でない限り、貴族というものは常に小言を挟んできて、なおかつプライドだけは高いのである。
さらに魔法剣士を目指す者は悪いくせがつきやすい。普通人よりも抜きん出た力を得ることで、だんだんと傲慢になり自分の力をひけらかすようになるのだ。
そんなやつらと友達になるのなんて、例え何度頭を下げられようとも、一万クルやるからと言われてもミシェルはごめんだった。
というわけでミシェルはこの学校にひとりも友達がいない。無駄骨とはまさしくこのことである。
(まあ友達ができなくてもいいもんね。どうせこいつらとは住む世界が違うしぃ)
ほんとはちょっぴり寂しかったりもするのだが、その感情を無理矢理心の奥にしまい込むと、ミシェルは机に広げられた魔法書に目を移し始めた。
「はいっ、それでは今日の授業はここまでです」
やがて先生が授業終了の声を上げると、周囲にいた生徒がわいわいと騒ぎながら教室を出ていく。ミシェルも白い鞄に自分の荷物をまとめて教室を後にする。
家に戻ってまた錬金術を使って何か造ろう! そう思って大理石の廊下に敷かれた赤い絨毯の上を早歩きで歩いていたときだった。
突如ミシェルの前方に位置する石の柱の影から女の子のすすり泣く声と、男の子達の笑い声が聞こえてきた。
ミシェルは少し気になって幾つもある柱の影にささっと隠れると、現場をそおっと覗き込む。
ここからではその女の子の姿は確認できなかったが、どうやらミシェルと同い年ぐらいの男の子達にいじめられているようだった。そしてその男の子達の服装を見て、ミシェルは思わずゲゲッと小さく唸った。
男の子たちは明らかに高価な装飾品がふんだんにあしらわれた服や、いやに目立ちまくる金色の剣を身につけていた。つまりこの男の子達は貴族だったのである。それもここまで悪目立ちする格好をしているからには、それなりの身分に違いない。
できればこいつらと関わりたくはないなぁ。柱の影に隠れながらそんな消極的なことを思っていると、その男の子たちが笑いながら女の子を突き飛ばした。
「おい、こいつ少し魔法が使えるからってローグ騎士団の騎士団長アラン様と仲良くしているんだぜ。
何回も家に呼んだりとかしてさぁ。俺たちよりも泣き虫で弱虫のくせに、随分と生意気だよな」
「そうそう。どうせお前んち金持ちだから、金でアラン様を呼んでんだろ。ほんっとに最低だよな」
「ち、ちがうわ……だってお兄様とアランはお友達どうしだから……」
大理石の床にぺたりと座り込みながら、女の子がか細い声で否定をする。そんな女の子に男の子達は罵声を浴びせた。
「口答えすんなよ! 誰もおまえにそんなこと聞いてねぇよ!」
「そのとうり! おまえはゴミバケツみたいに黙っていればいいんだよ!」
「そうだ。こいつがゴミバケツで汚い事をやってるなら綺麗にしてやらなきゃな」
中の一人がそう言って金色の剣の柄を握ると、一言、二言何か唱える。
すると天井付近の空間に薄く光る魔法陣現れて、そこから大量の水が噴出。そしてそれが大理石の床に座り込んでいる女の子を襲った。
最ッ低!! 女の子にそこまでする普通!!
ミシェルは一瞬で頭に血が上ったのを感じると、隠れていた石の柱の影から飛び出す。
そして先ほどまで消極的なことを考えていたのが嘘のように猛然と男の子達に突進していき、途中でこちらに気づいた男の子にとび蹴りをお見舞いした。
「いてっ!!」
遠慮などまったく考慮していないミシェルの蹴りを顔面で受け、男の子は鼻血を吹きながらごろごろと大理石の床を転がった。付け加えるとその男の子は先ほど女の子に水をかけた子である。
「あんたら、やることがほんとに陰湿で最低!!
しかも女の子を集団でよってたかっていじめて……ほんとに下ついてんのあんたら!」
ミシェルは昂然と顎を上げて、そう言い放った。
この突然の乱入者に貴族の男の子達といじめられていた女の子は皆そろって呆けた。がすぐに男の子達は我に返って文句を言い始める。
「な、なんだよお前は!」
「ていうか、なにすんだよ!邪魔すんじゃねぇよ!」
なにすんだよだぁ~~~~! ……こいつらに道徳心ってないのかな。もしないならもう一変生まれ変われ! この金ぴか猿共!
ミシェルが心の中でそう毒づいていると、ミシェルが蹴り飛ばした男の子が鼻を押さえながらゆらりと立ち上がった。
「……おまえ、よくもやったな。俺らに手ぇ出して、ただですむと思うなよ」
ミシェルと同じまだ声変わりする前の子供にもかかわらず、その声音はぞっとするほど低く、思わずミシェルは身じろぎをしてしまう。
そして大切なことを忘れていたことにようやく気づいた。自分が武術や魔法の腕っぷしには全くといっていいほど縁がないことに。
その事実に気づくとミシェルはいまさらだが急に怖くなり始めた。
さっきは不意討ちだったからよかったものの、その手はもう使えない。しかも相手は魔法剣士志望の人間。おまけに複数である。
ちょっと冷静になって観察してみても、普通人とそう大差ないミシェルを怖がらせる材料がこの男の子達には山のようにあった。
そしてミシェルに蹴られた男の子が腰に提げている剣の柄に手をやり、詠唱を唱えようとした時だった。
「こらぁーーーー!! 廊下で魔法を唱えるのは禁止だと言っているぞ!!」
「や、やべ! 先公が来た!」
幸いにも先生がこの場にやってきて、貴族の男の子達に動揺が走る。
もちろんこの好機をミシェルが逃すはずもなく、床に座り込んだままでいるずぶ濡れの女の子の手を急いで取ると、
「ほら、行くよ!」
「え!? あ――――」
その場から脱兎の如く逃げ出した。
「な……! ま、待ちやがれ!」
待てと言われて待つ奴なんかどこにいるか! このボケェ!
まったく女の子らしからぬ台詞ばかりを思いつくミシェルだが、まさしくそのとうりである。
そしていじめられていた女の子の濡れた手は離さずに、ミシェルはそのまま大理石の廊下を走り続けた。
「よぉ~し、ここまで来ればもう大丈夫っしょ」
基礎魔法学校の建物を出て、誰もいない街外れの小さな空き地までやって来ると、ミシェルはいじめられていた女の子の手を離した。そうして一息つく。
「……あの、いじめられていたところを助けてくれて……どうもありがとう」
すると相手の出方を伺うような気弱な声がかかってきて、ミシェルは息を整えながら振り返る。そして言葉を失った。
件の少女の顔をロクに確認していなかった為、どんな容姿をしているのかまったく認知していなかったのだが、こうして間近で見てみると、この少女はいじめられているのが不思議なくらい可愛くて綺麗だった。
水に濡れた栗色の髪は太陽の光を受けているせいか万華鏡のように光り輝いていて、顔のありとあらゆるパーツが完璧に整っている。
その肌は陶磁器のように白くなめらかで、体全体はほっそりとしているものの、胸や腰のあたりに早くも膨らみが出始めていた。
唯一その碧眼が睨んでいるように見えて、多少きつい印象を他の人に与えてしまうかもしれなかったが、それでもこの少女がとても可愛いくて綺麗なことに変わりはなかった。もし自分が男の子だったら、多分一目見ただけで惚れていたと思う。
「あ……あの? ずっと私のことを見て……どうかしたの?」
少女はいつまでも口を開かずに自分のことばかりを見ているミシェルを不思議に思ったのか、恐る恐る尋ねてくる。その様子を見てミシェルは我に返ると、慌てて喋り始めた。
「あはは! なんでもないんだ! ごめん、ごめん! ワタシの名前はミシェル・ハイドラント。あんたの名前は?」
「…………セリナ・ソル・フィオフュシア」
セリナは躊躇いがちに自分の名前を告げる。
「――――えっ!? ソルっていうミドルネーム……もしかしてあんた、三大王家のひとつソル家の人だったのぉ!?」
ミシェルはびっくりして目を丸くした。てっきりそこら辺の金持ちか貴族だとばかり思っていたからである。
普通なら国や都市の政治を司る者か、金持ちでもない限り名前は個人名だけと決まっている。
勿論ミシェルは後者なのだが、この少女には姓だけでなくミドルネームがある。ということは余程偉い人、つまりは王族ということになるのだ。
だがしかしとミシェルは思う。
ソル家の人間は現国王と深い繋がりを持っているのだ。
そんなソル家の人間をあの男の子達はいじめていた。しかも随分と手馴れた様子であった。それでよくもまあ今まで無事でいられたと思わざるを得ない。
家を焼き討ちにされても文句のひとつも言えないだろう。
というわけでミシェルが目の前にいるセリナに恐れおののいていると、セリナは哀しそうに眉根を下げた。
「……あの、私のことは王族だなんて思わないで。……本当に、違うから」
なにが違うのかは分からないのだが、この時ミシェルの中で電流のようななにかが全身を駆け巡った。
――――この子、可愛いぞ!
ミシェルは貴族なんてクソ喰らえ! と常日頃思っているほどの貴族嫌いなのだが、自分の目の前で哀しそうな顔をして俯いている少女を見ていると、なぜかひどく好感が持てた。
「あ~もう、本当に可愛いいなあ!」
そしてついにたまらなくなって、ずぶ濡れのセリナにむぎゅ~っと抱きつく。
「ふ、ふえ!?」
突然ミシェルに抱きつかれたセリナは困惑の色をあらわにした。
「あ、あのっ。あ、あなたまで濡れちゃうわ」
そうして顔を赤くしながら、身を捩じらせてミシェルから離れようとする。
しかしミシェルを濡れさせまいとするセリナのそのけなげな行動は、ミシェルのセリナに対する好感度を上昇させてしまっただけだった。
ミシェルは着用している白を基調としたブラウスに水が染み込んできても、おかまいなしにセリナを抱きしめつづけた。そうして軽い口調で口を開く。
「ごめんね~。ワタシ可愛い子には抱きつきたくなる性分だから、ちょっとやそっと濡れてても別に構わないんだ。むしろどんな状態でもオッケー」
「え? も……もしかしてあなた、危ない人なの?」
セリナは慌ててミシェルから離れた。もちろん自分の貞操を守るためである。
「ひっど~~い! ワタシは至って普通の女の子よ!」
ミシェルは腰に手を当てて声を荒げる。
「ご……ごめんなさい」
するとどうしたことか。セリナは謝るようなことを何もしていないのにもかかわらず、しゅんとなって謝った。
これにはミシェルも少し困ってしまう。こういった時のミシェルの反応は大半が冗談のつもりでやっているのだが、この子は本当に自分が怒ったと思ったらしい。
ミシェルはこほんと軽く咳払いをすると、できるだけ優しい声音を心掛けてセリナに話しかけた。
「……あのさ、今のはワタシの冗談なんだから、そんな風に謝らなくたっていいんだよ」
セリナは顔を上げた。ミシェルは話を続ける。
「あのね。そんな風に他の人の顔色を伺って、なんでもかんでも謝ればいいなんて思っちゃダメだよ。そういうことをしていると、いずれお客の信用を無くして、足元を見られるぞってワタシのお爺ちゃんが言っていたんだ。だから自分が悪い事をして、本当に謝らなきゃいけないときにだけ謝らなくちゃダメなんだよ」
ミシェルはセリナの透き通るような空色の瞳を覗きこみながら、そう述べた。
「……うん、そうだよね。私にもそれができるかしら」
「できるよ。誰にだってできる」
「ミシェルさんって優しいのね。ありがとう」
セリナはぺこりとお辞儀をした後に、華やかに笑う。
そんなセリナを見てどこかむず痒くなってくると、ミシェルは少しだけ目を逸らしながらぼそっと呟いた。
「ミシェルさん、じゃなくてミシェルでしょ」
セリナは少し吊り目がちな目を大きくする。
「そう呼んでもいいの?」
「うん、いいよ。ほんとはワタシ貴族って嫌いなんだけど、あんたは例外だよ。……ワタシのお友達になってもらえないかなぁ」
「……嬉しい。本当にありがとうミシェル」
セリナはやけに感情の篭った声でそう言うと、ミシェルと共に笑いあった。
「あっ、そういえば服が濡れてたのすっかり忘れてた。工房に戻って暖炉で乾かそっかなぁ~そしてついでにそこでセリナの服も脱がしちゃおっかなぁ~」
「……え、遠慮しとくわ。私魔法で乾かせるし」
こうして基礎魔法学校での初めての友達 (しかも王族) がミシェルにできたのである




