過去を捨てた天使の戦い
アルトは白銀のブレードを展開したまま、無表情で倉庫内へと入っていく。
そうして唖然としている男達を尻目にぐるりと首を動かして、周囲の状況を一通り観察すると、最後にセリナを見た。
セリナは変わった形の錠で拘束されていて、まさかアルトがここに来るとは思っていなかったのか、目を見開いたまま瞬き一つせず固まった状態でいる。
その服装に目を通すと雨の中を攫われてきたのか、服がその体に貼りついていて、体のラインがくっきりと浮かび上がっている。
そして白い制服の上着がはだけていて、中の白いブラウスも軽く着崩されていた。
どうやらちょうど事に及ぼうとしていたところだったらしい。
正体不明の怒りがアルトの心の中を燃え盛る炎のように取り巻いていく一方で、間に合ってよかったと、内心どこかでほっとしている自分がいることにアルトはとても驚いていた。
その時今まで立ち尽くしていた男達の中で、褐色の肌をしたいかつい顔の男がまず我に返ると、声を荒げた。
「おい! てめぇ一体なんなんだ! ていうかさっきのはてめぇがやったのか?」
――――こいつがネイグトとか言う奴だな。
アルトは直感でそう判断した。
そしてそれには答えないまま一瞬だけ男たちを冷たく睨みつけると、その後すがすがしいまでの至極友好的な笑みを貼り付けて、前へと進んでいく。
「すみません。ここに僕のパートナーがいらっしゃると聞いてやってきたんですけど……申し訳ございませんが彼女を帰してやってもらえませんか?」
アルトのその表情は、まるで旧知の友に出会ったかのようにとても爽やかな表情なのだが、口調は完全に棒読みである。
アルトの「ここに僕のパートナーがいらっしゃる~」の件を聞いて、ネイグトとギルトは顔を見合わせた。
こいつはミシェルから話を聞いてここまでやってきたに違いない。そう思ったからである。
どうやってアルトがここを突き止めたのかは、彼らの知るところではなかったが。
しかしネイグトとギルトは完全に余裕だった。
どこからどう見てもアルトの体格は細く、女顔で、強そうにはまったく思えなかったし、なによりアルトが着ている服は普通組の証である黒い制服。自分達とは挌が違うと思ったのだ」
「帰してもらえないかだぁ? 馬鹿かおまえ。寝言は寝てから言えよ、このボケ」
ネイグトはせせらと笑い飛ばす。
「……ですよね」
そう言ってにっこりと微笑むアルト。
しかしその笑顔から不吉な何かがにじみ出ている事に、ネイグトとギルトを含めた男達はまったく気づいていなかった。
とそこでネイグトに慌てて近づいていく五人の男たちを、アルトは見た。
はたしてそれは昨日、アルトをボコボコにしたあの五人組だった。その五人の男達は一斉に声を上げた。
「ネイグトさん。そういえばこいつセリナさんのパートナーで、昨日俺らがボコッた奴です」
「なんてことねぇただの雑魚ですよ。昨日俺らが怖くて、こいつ一切抵抗しなかったんですぜ」
「なあにネイグトさんやギルトさんの手を煩わす必要はありません。
……おいおまえ! 俺達はこれから、セリナさんと朝まで一緒に遊ぶ予定だからとても忙しいんだよ!」
「そうだそうだ! 女に守られてばかりの、小便臭い餓鬼はさっさと部屋に帰ってお寝んねしてな」
そして五人の男達を皮切りに、倉庫内が一気に笑いで包まれていく。
さすがのアルトももう限界だった。
元からアルトはこういった他人の人生を狂わせることを、歯牙にもかけずに笑いながら行う連中が大の大嫌いなのである。
“あんな事” が起きた後では、なおさら強くそう思うようになっていた。
そしてこんな連中に自分の力を見せつけてもまったく気にならない。
本気でそう思った。
アルトはもう一度セリナを一瞥する。
セリナはずっと黙ったまま、ただただじっと自分のことだけを見つめていた。
これから起きることをひとつも見逃してなるものか。
そんな思いが言葉を用いずとも、ひしひしと伝わってくる。
(……大丈夫かな)
なんとなく、そうなんとなくではあるがセリナは大丈夫だろうとアルトは確信した。
男たちはひとしきり笑った後、金髪の巻き毛の男、もといギルトが侮蔑の混じった声を上げる。
「まあまあ諸君、今日の夜はとても長い。
……どうだい? ネイグトと僕がセリナと遊んでいる間、君達がそいつと遊んでやるのは?
どのみちすんなりと、こいつを帰してやるわけにはいかないしね」
「いいですね。どのみちネイグトさんが終わるまで俺達は何もできないし」
「そうそう、それまでこいつで遊んでやろうぜ」
「おいおい。普通組の奴相手にこの人数じゃ、勝ち目が無さ過ぎて少し可哀相なんじゃねぇの?
……でもまっ、いっか。こいつと遊ぶ分には仲間はずれがいちゃ悪いだろうしなぁ」
下品に笑いながらそう言うと、男達は各々の武器を手に取って魔粒子を流し始めた。
彼らの武器がそれぞれの魔導石に対応する色へと変色していく。
「おらっ俺たちがお前と遊んでやるから、できるだけ長く楽しませてくれよ!」
そうしてネイグトとギルトを除いた、合計十六名もの男たちが、一斉にアルトに襲い掛かってきた。
アルトに一番近い位置にいた男は、薄ら笑いを浮かべながら刃引きされた剣を振り上げる。
対するアルトはというと、光り輝く孔雀石の長剣をだらりと下げたまま、星霜剣の出力を弱めた。
剣身を覆っていた魔粒子の刃が一旦は引っ込む。
しかしそれ以外は何もせず、ただその場でじっとしていた。
「おらぁ、隙だらけだぜぇ!」
男は狂ったように叫びながら勢いよく剣を振り下ろす。そしてそれが見事にアルトの頭に命中して額を割った。
「――――な、なんだこれは!」
しかしそこで突然、頭を割られた筈のアルトがぐにゃりとひん曲がり、その姿がなにもない空間へ溶けこむように消え失せる。
刹那、首に強い衝撃が襲い掛かり、男は何が起きたのかまるで分からぬまま、ばたりと倒れてしまった。
(……い、今のはいったいなんだったんだ?)
男達の余裕に満ちたその表情が一変。まるで信じられないものを見たかのように目を丸くすると、駆け出していた足をぴたりと止めてしまった。
男達の後ろに控えていたネイグトやギルトも、驚きを隠せずに目を丸くする。
唯一驚かなかったのはセリナだけで、セリナはただじっとアルトを食い入るように見つめていた。
アルトは倒れている男の背後で剣を振るった動作のまま、顔はあくまでもいつも通りににっこりと、しかしその口調は凍てつく吹雪のように冷談に言い放った。
「……君達はすこし勘違いをしているよ。
君達が僕で遊ぶんじゃない。 “僕” が君達と遊んであげるんだ」
その瞬間アルトの姿が唐突にゆがみ始め、周りの風景に溶け込むようにして消えうせる。
そして瞬間移動をしているかのような速さで近くにいた男に接近すると、そのまま無造作に長剣を薙ぎ払った。
「がっ!!」
アルトの神速の剣撃にまったく反応が出来ぬまま、男は顔面で光り輝く長剣を受けてしまい、盛大に鼻血を吹いて気絶した。
「――――っの野郎!」
他の男達は我に返ると、再びアルトに襲い掛っていく。
しかし昨晩はともかく、今日はアルトもじっとしていなかった。
そのまま男の一団に突撃していく。
「……っく、速い!」
電光石火のごときアルトの速さに男たちの目の焦点はまったく合わず、滅茶苦茶に剣を振り回すことしか彼らには出来ない。
しかしそんな苦し紛れのものが、まぐれでもアルトに当たるわけが無かった。
アルトは水中を泳ぐ魚のように男達の剣撃をすり抜けていくと、すれ違いざまに孔雀石の長剣を横払いする。
白銀の長剣が虚空に白い軌跡を描くと、男は骨が折れる音と共に吹き飛ばされてしまった。
それを間近で見て慌てた男の背後にアルトは素早く回りこむ。
そして一度孔雀石の長剣を足元に落とすと、そいつの頭を両手でがっしりと捕まえ、背負い投げの要領で頭を支点にブンッと投げ飛ばした。
アルトに投げ飛ばされた男は倉庫内に無秩序に置かれた茶色い木箱に激突。そのままくたっとなって気絶してしまう。
さらにアルトは、すぐ近くにいたもうひとりの男の股間を蹴り上げた。それこそ振り上げた足が霞むほどの速さで。
……うわぁ、あれは痛てぇ……
その瞬間を見て、アルトを除く全員が抱いた感想である。
泡を吹き、力なく倒れていくそいつを見て、思わず男達は叫んだ。
「お、おい! おまえいったいなんなんだよ!
ていうかおまえも男なら、そこがいかに男にとって神聖で繊細な物か分かるだろ!」
アルトは眉をひそめると、男たちをものすごい形相で睨みつけた。
「……神聖? 繊細?
こんな汚い汚物をぶら下げているから、こんな馬鹿なことを考えるんだ。
いっそのこと潰して無くしてしまえば、もうそんなことをする気も起きないだろう」
(や……やばい、こいつ本気だ)
ようやく見せ始めたアルトの剣幕に押されて、男達はだんだんと自分たちに迫る身の危険を感じ始めた。
アルトは地面に転がっていた孔雀石の長剣を、足で引っ掛けてその手に戻す。そして再び自然魔粒子と体内魔粒子を融合させた魔粒子を、その長剣に流した。
孔雀石の長剣は本来の黒を超えて、見事な白銀の光輝を放つ長剣へと変貌する。
そして男たちの顔色が変わり始めていくのを見て、淡々とした口調で話し始めた。
「でも僕は君たちと違って、弱いものいじめがあまり好きじゃないんだ。自分の力を見せつけるのも好きじゃないしね。
だからここでもう一度 “お願い” するよ。
おとなしくセリナを帰せ。そうすればここで起きた事は全部忘れるし、誰にも話さない」
それを聞いて男たちの間に若干の動揺が走る。
しかしアルトの “お願い” に、ネイグトとギルトは怒りで顔を真っ赤にした。
「君達はいったい何をやってるんだい!
相手はたったの一人。それも普通組の人間だよ。
恥ずかしいとは思わないのかい!」
「なにをちんたらしてやがるんだ! さっさとそいつをやっちまえ!
だめなら全員で一斉に魔法を使っちまえばいいだろう!」
怒りの篭もったそのふたりの言葉に、男達は再び息を吹き返したかのように勢いづき始めた。
「そ、そうだ! なんで俺達は今まで魔法を使わなかったんだ!
俺達全員で魔法を使えば、こんな奴イチコロだったのによ!」
「そ、そうだよ! こんな、普通組の奴なんかになめられているようじゃ、俺たち選抜組の名が廃る。
少しぐらい剣ができるからって、なんだって言うんだ」
「おいっ俺は普通組だぞ!」
中にいた黒い制服の男がそう主張すると、他の仲間がそいつの頭を叩いた。
「ばっか! ……とりあえずあいつをさっさとやっちまうぞ!
いつまでもあいつに舐められたままでいられるか!」
「「「お、おう!」」」
男達は普通組の仲間の主張を適当にごまかして、一致団結し始める。
アルトはそれをただただ冷たい眼差しで、静かに見つめていた。
そして男達が再びそれぞれの武器を構え始めると、やれやれと言わんばかりに深くため息をついてみせる。
「はぁ~さっきまでの僕の力を見れば、動物にだってどっちが得か簡単に分かるのに。
……結局君達は動物以下の知能だったね」
一拍間を空けて、普段のアルトならば絶対に吐かない台詞を、その視線に侮蔑を込めて言い放った。
いつもはその曖昧な笑顔で隠れているが、アルトはこういった人種には本当に容赦がないのである。
「……なんだとこら!」
その一言で男達は怒り狂い、その手に術式を灯しながら詠唱を唱え始める。
しかしその間にもアルトが風のごとく駆けてゆき、男たちとの距離を詰める。そうして光り輝く長剣を一閃、二閃。怒涛の勢いで、男たちを次々となぎ倒していった。
そしてわずか十秒も経たないうちに戦える男達の数が五人にまでなってしまうと、アルトはふと足を止めて、何気無い動作で床に転がっていた長剣を拾い上げる。
そしてその手が霞むほどの速さで思いっきりその長剣を投擲した。
投擲された長剣は風切り音を上げながら流星のごとく飛んでいき、詠唱を唱えている男たちの一団の真横をすり抜けると、その後ろで詠唱を唱えようとしていたギルトの頬と、はたまたはさっきの続きと言わんばかりにセリナに手を出そうとしていたネイグトの頭を掠めて、倉庫の壁に深々と突き刺さった。
「焦らなくても、お前たちの相手は後で僕がしてやる。大人しくそこで待ってろ」
アルトが怖い顔でそう言うと、ネイグトとギルトは怒りをあからさまにしながらアルトを睨み返した。
とここで今まで詠唱を唱えていた五人の男達の内、三人の男の詠唱が完成した。最後にそれぞれが唱えた魔法の魔法名を叫ぶ。
『ライジング・ランス!』
『フレイム・ランス!』
『サイクロン!』
そして男たちの前面に薄く光る魔法陣が現れると、それぞれ違った男たちの魔法が指向性を持って、三方向からアルトに襲い掛かってきた。
(……仕方ない)
アルトは一瞬で星霜剣の出力を上げて魔粒子による白銀のブレードを生み出すと、一気にブレード部分に溜まっている魔粒子を活性化させる。
そうして自分のすぐ足元の倉庫の床(というよりも地面)に白銀のブレードを突き刺すと、そこに魔粒子を解放して一気に流し込んだ。
するとアルトが白銀のブレードを突き刺したその場所から少し離れた地面に、円を描くようにして白い光の手が上がる。
そして倉庫内を埋め尽くすほどの強烈な閃光を発っした後、凄まじい爆音が倉庫内を揺らし、光の爆発がその地面から噴き出てきた。
その威力は凄まじく、荒ぶる大地の如く、倉庫内の固い地面を吹き飛ばし、倉庫内に無秩序に並べられた木箱を次から次へと木っ端微塵にしていく。
そのまま男たちの放った魔法と、アルトが放った魔粒子による光の爆発は衝突した。
ところが三人の放った魔法は、アルトの魔粒子剣技の前では一秒も持たなかった。
ぱしゅっと申し訳程度の音を立てただけで、アルトの放った爆発の威力を削ぐことができず、男たちの魔法は消滅してしまったのだ。
よってアルトの放った爆発の余波が、魔法を放った男達三人に及ぶ。
「うわぁぁぁぁぁ!」
爆発の衝撃波で男達は悲鳴を上げながら、ボロ雑巾のようにあっけなく吹き飛ばされる。
そしてそのままごろごろと倉庫内の地面を転がって、男達は気絶してしまった。
動かなくなった三人の男たちをアルトは無表情で見下ろした。
普通なら今の技でとうに消し炭になっている。
だがどれだけ頭の中が腐っていても、彼らは一応はセントクレアの生徒。さすがにこの場で殺すわけにもいかないので、魔粒子の力を制御して上手く威力を抑えてやったのだ。
「……や、やべぇよおい。
こいつ、術式も詠唱も使ってねぇのに、訳わかんない魔法で三人まとめて倒しやがった……。
……化け物だ」
「……な、なんでこんな奴が普通組にいるんだよ」
ついさっきまで十六人もの味方がいたものの、今ではたったのふたりだけ。
その残されたふたりの男が、まさに恐々とした口調でそう話すと、後ろに後ずさって身をよじらせる。
「……」
アルトはビビリまくる男たちふたりを眉間に皺をギッチリと寄せ、凄みをきかせながらおもいっきり睨みつけた。
「ひ、ひい!」
厳つさや怖さとはまったく無縁の顔つきをしているにもかかわらず、余程迫力があったのか、それとも次は自分達がやられると思ったのか、残りの男ふたりは奇声を上げると腰を抜かしてしまった。
(……よし。これで後はふたり)
あきらかに戦意を喪失してしまった男ふたりを、アルトは無視することにする。
そうして光り輝く白銀のブレードを片手にアルトは、こちらを呆然と見つめるだけのネイグトとギルトに向かって、ゆっくりと歩み寄っていった。