苛立つ天使と少女の真意
その頃、アルトはというと――――
(あ~~~~もうっ、どうして僕こんなに鬱になっているんだろう。悪いのは全部セリナなのに)
自室で独り顔をしかめて苛立っていた。
アルトは昨日からずっとこんな感じでイライラしていた。座学もサボったし、選抜組との訓練もサボった。
とても講義をまともに受ける気など起きなかったし、第一勝手に仕組まれてパートナーにされ、嫌なことでしかない訓練を受けていられるほど自分はお人好しではないし、ましてや善人などではない。
アルトは木製の椅子にどかっと乱暴に座る。
苛立ちを消すように。
しかしそこでまたもや、昨日の出来事が思い出された。
ふつふつと言いようのない何かが腹の底からこみ上げてきて、それがもやのように頭を覆って支配する。
アルトはそれを打ち払うべくふるふると頭を振るう。しかしなかなか自分の頭から離れてはくれない。
昨日からアルトを苛立たせているもの。それは昨日セリナがアルトに見せた、あるひとつの表情だった。
アルトがこれ以上付きまとうな、迷惑だと言った時のセリナの凄絶な顔。その目に、顔に浮かんだ深い哀しみ。―――苦悩。―――恐怖。―――痛み。―――そして……絶望。それら全てがごちゃまぜになり、泣きながらアルトに謝ったセリナのその表情が、いつまでも、いつまでもアルトの目の中に、脳の中に、そして心の中に強く焼きついてしまっていた。……そう、それはまるで呪いのように。
(……だからっ、どうして僕がセリナの事を気にしなくちゃいけないんだ。セリナは僕を魔導剣士に戻そうとして、僕に近づいてきたんだぞ。わざわざ自分のパートナーにしてまで。僕はセリナに対してとても怒っているし、絶対に許しちゃいけない。
……でも、どうして僕はこんなに苦しいんだ?)
正体不明の痛みが胸を中心にズキズキと、定期的な間隔でアルトを襲う。
これも全部セリナのせいだと、アルトは今は部屋にいないセリナを罵っていると、いきなり勢いよく部屋の扉が開かれた。
アルトはびっくりして扉のほうに視線をやる。そして勢いよく立ち上がった。
「ミシェルさん!? こんな時間にいきなりどうしたの!?」
「はぁはぁ……よっしゃぁ! アルトここにいたぁぁぁ!」
部屋に入ってきたのはなんとミシェルだった。しかも雨の中をやってきたせいか、随分と酷い格好で、全身ずぶ濡れの状態だった。そしてそのミシェルが部屋に入ってアルトの姿を確認するなり、いきなり歓声を上げる。
「ぼ、僕!? 僕に用があってここに来たの? っていうかなんでそんなに息が上がってるの?」
アルトとしては訳が分からず困惑する一方だった。
そんなアルトを尻目に、ミシェルはなんとか呼吸を整えながら、切れ切れに言葉を発した。
「アルト!はぁ、実は大変なことが起きたの! はぁはぁ、……セリナが、セリナがさらわれたぁ!」
アルトは心底驚いた表情でミシェルを見た。……がすぐに冷めた表情になる。
ミシェルは、アルトのあまりの変わりようにびっくりして、その顔を凝視した。
昨日初めて会ったアルトは、人の良い、人畜無害そうな顔をしていたのに、今は絶対零度の眼差しをミシェルに向けていた。
というかこんな状況じゃなかったら、今頃自分はアルトへの怖さで縮みあがっていただろう。
そしてそのアルトが口を開いた。
「……それで、どうして君は僕の所に来てそれを言うの?
僕は落ちこぼれだよ。そんな僕にこんなことを言って、いったい何になるっていうんだい? 僕にそれを言うぐらいなら他の生徒会の人か、別な人に言えばいいじゃないか。それこそお門違いもいい所だよ」
冷めた表情から不気味な微笑みを浮かべたアルトの声音は、聞く者をぞっとさせるほど低かった。所々に棘のある言い方をしたのは、昨日のことが頭の中を占めているせいである。
ミシェルはそんなアルトを見て、またもや目を見開いた。しかしすぐにまた話し始める。
「……それが、今回セリナをさらっていったのが同じ生徒会のネイグトとギルトって奴なんだよ! ギルトがなんでネイグトと一緒になっていたのかは分かんないけど、ネイグトはずっと前からセリナに気があって、セリナのことを狙っていたんだ! でも他の生徒会のメンバーは、今魔物退治に行っていて誰もいないし、校長は留守だし、ワタシは戦闘が苦手だから戦力になんかならないし……。
……もう分かったでしょ。生徒会のメンバーに敵う奴なんて、このセントクレアには誰もいないんだよ」
ミシェルの口ぶりとここに訪ねたことから、アルトは確信した。
ミシェルが、自分の秘密を知っていると言う事を。そして知っているとしたら、それは間違いなくセリナが話したという事を。
(……セリナ、君はどこまで僕の邪魔をすれば気が済むんだ。本当に恨むよ)
自分の腹の底から、ふつふつとマグマのような怒りが湧き上がってくるのをアルトは感じた。
しかしそんなことは露知らず、ミシェルはなおも切羽詰まった様子で話し続ける。
「でもアルトって昔は『白銀の天使』って呼ばれた魔導剣士だったから、実はとっても強いんでしょ? ……だからお願い! ここはひとつ人助けだと思って、セリナを助けるためにアルトの力を貸してもらえないかなぁ?」
ミシェルは遂に暴露した。そうして手を合わせて頭を下げる。
アルトはミシェルに噛み付くようにして言った。
「……僕の知られたくない事を勝手に他人にぺらぺらと。どうやらセリナは随分と口が軽いみたいだね」
「違うよ! セリナが話したのは私だけだよ! ……ってあれ? アルトはセリナのことを知っているの?」
「知っているよ。昨日の夜に本人から直接聞いた」
「なぁ~んだ。だったら話が早いや。……おねがいアルト! アルトは騙されて怒っているかもしれないけど、セリナとはもうパートナーなんだから、セリナを助けてもらえないかなぁ」
何も知らずに能天気に話すミシェル。アルトは怒りを押さえる事ができぬまま、冷たい言葉をミシェルに吐き捨てた。
「嫌だ。僕はもう魔導剣士なんかじゃない。面倒ごとに巻き込まれるのはごめんだ。それに僕とセリナはもうパートナーなんかじゃない。だから今の僕は、セリナとはなんの関係もないね。おまけに、僕とセリナがパートナーを組んだのは、彼女が勝手に不正をしたからでしょ。……自業自得だよ」
そう言った所から、ズキズキと胸が痛んだ。
――――いったい、どうしてなんだ?
一方必死の申し出をあっさり断られてしまったミシェルは、しばらくの間呆けたように立ち尽くしていた。そしてその後、目を怒らせながらアルトを怒鳴りつけてきた。
「自業自得って……それ、本気で言ってんの?
……セリナの気持ちも知らないくせに、偉そうなことを言うな!!」
ミシェルは怒りを隠そうともせずにアルトを捲くし立てる。
「一体セリナがどれだけ苦悩したと思ってんの? どれだけ苦しくて哀しい思いをしたと思ってんの? 悪いことだって十分分かっていて、それでもそれをしたのは全部アルトの為を思ってやったんだよ!
……なのにアルト、あんたって奴は! なんでそんなことが分からないかな! これじゃセリナが全く報われないよ!!」
どうして僕が悪いことになっているんだ。セリナは勝手に僕をパートナーにして、普通の生活を送ろうとしていた僕のことを妨害しようとしていたんだぞ。それなのに、理不尽にもほどがある。
アルトはさっきほど感じた胸の痛みなど早くも忘れてしまい、代わりに怒りがとぐろを巻き、蛇のようにアルトの心に噛み付いてきた。そして遂にアルトの怒りが爆発する。
「僕のため、僕のためとセリナや君は言うけれど、そんなのは僕のためでもなんでもない!! 君達のしていることは、本人の意志にそぐわないことを自分達の都合で強要させている、ただの洗脳だ!!」
そう吼えると、今まで心の奥底にしまい込んでいた本音が、徐々に漏れ始めた。
「僕は、昔の魔導剣士だった頃の自分がとても憎いんだ! あの時のことを思い出すと、恥ずかしくて、苦しくて、そして死にたくなってくる。誰だって知られたくない過去のひとつやふたつぐらいあるし、もう二度とその頃の自分に戻りたくない人だっているんだ!
それなのにセリナは、魔道剣士時代の僕に戻ってほしかったと言う。
一体今の僕のなにが悪いんだ! 何処が悪いんだ! 昔の僕なんて、ただいつも能天気にへらへら笑っていただけじゃないか!
……セリナが僕にどれほど酷な事を強要させようとしていたのか、君はそれが分かるのか!!」
ひととおりミシェルに思いをぶつけたアルト。ミシェルは無言のままつかつかと、テーブルの近くにいるアルトに向かってくる。そうしてきっとアルトを睨みつけると、右手を振り上げた。
パァァァァン!
乾いた音が部屋中に広がっていく。アルトが頬を叩かれたと気づいたのは、その後だった。
もちろんアルトなら避けようと思えばいくらでも避ける事ができたし、ミシェルが手を振り上げたのもちゃんと見えていた。だがアルトはミシェルの有無を言わせない迫力に呑まれてしまい、反応するというその行動が頭の中からすっぽりと抜け落ちてしまっていたのだ。
そしてそのミシェルが琥珀色の瞳に涙を浮かべながら、再びアルトを怒鳴りつける。
「アルトの馬鹿! このにぶちん! セリナは、アルトに魔導剣士に戻って欲しくてそんなことを言ったんじゃない!
セリナは……アルトをとても心配していたんだよ! ……アルトが哀しそうに愛想笑いを浮かべながら、周囲の人を拒絶していたことをね!!」
それを聞いてアルトの中に激震が走った。
……僕のことを心配していた? セリナが?
……こんな、誰かから心配してもらう価値すらない、僕なんかを?
それに、彼女はそこまで僕のことを見抜いていたのか?
いままで猛っていた怒りが一気に鎮火していく。
「セリナはねぇ、アルトのことをとっっっても尊敬していたんだよ! 嫌な自分を変えてくれた人だからって、とても強くて明るくて、優しい人だからって、あんたのようになりたいってずっと口癖のように言ってた。
……ワタシは昔のアルトに会った事がないから、セリナから聞いたことだけしか分からないけど、
……でも、あんたの言葉を聞いて自分を変える事ができたセリナが、今のアルトを見て心配するに決まってんじゃん!
……また昔のようにアルトに明るく笑ってほしくて、自分にだけは本当の気持ちを言ってもらいたくて……。セリナは多少アルトに嫌われてもいいからって言って、無理してアルトにきつく当たってたんだよ!」
次々と明かされていくセリナのいままでの行動や言動の真意に、アルトはただただ愕然としていた。
「セリナはこうも言ってた! 『私は、アルトにまた元の魔導剣士に戻ってほしいわけじゃないのよ。……そりゃアルトが魔導剣士をやめちゃった理由は気になるけど、やめる理由なんて人それぞれだし。それに私は今さんざん自分勝手なことをアルトにしているから、私はアルトの意思をちゃんと尊重してあげたい。アルトがこの学校を卒業するまで力を隠していたいのなら、私は喜んでアルトの嘘に付き合うわ』……これがどれだけのことを言っているのかアルトは分かる?
セリナはアルトと組むことで成績を下げて、自分の将来を危うくしてでもアルトを助けたかったんだよ! それほどまでにあんたの力になりたかったんだよ! 一途に思っていたんだよ!
それなのに、アルトはセリナだけを責めて……セリナの純粋で真っ直ぐな気持ちを、アルトは踏みにじったんだ!!」
ミシェルが突きつけるように、アルトに言い放つ。
どうしてっ、どうして僕なんかのためにそこまでするんだよセリナ。
僕が君を助けたのなんて三年も昔のことだし、僕は君から話を聞かされるまでは君のことをまったく思い出せなかったんだぞ。
そんな奴を心配する必要なんてないのに、お人好しにもほどがあるだろ。
幾つもの感情や思いがぐるぐると渦を巻き、絡まった糸のように複雑になっていく。
アルトはいつしか俯いていた。
そうして先程までの威勢をすっかり無くして、切れ切れに言葉を発する。
「……悪いけど、もう帰ってくれ。僕はもう……面倒ごとはごめんなんだ」
するとミシェルは突き刺すような視線をアルトに送ってきた。
「もういい!! なにが『白銀の天使』だよ!! なにが魔導剣士だよ!!
あんたなんかには、臆病者の豚の名前のほうがずっとお似合いだよ!! アルトに頼ろうとした、ワタシが馬鹿だった!!」
そうして烈火のごとく怒りながら、バタン!! と乱暴に部屋のドアを閉めて、ミシェルは出て行った――――
ひとりになったアルトは、くしゃっと顔を歪める。
「……僕はもう、誰のためにも戦わない。
僕が戦っても、誰に何の救いももたらさないことは、もう十分思い知らされたことじゃないか。
そうだ――――僕が戦う必要なんてないんだ」
アルトは自分に言い聞かせるようにして呟く。しかしなんの気休めにも慰めにもならなかった。
そして、またセリナの哀しそうにしている顔が思い出された。
どくどくと、体中の血液という血液がまるで自分の物ではない別の生き物のように脈を打ちはじめ、体の奥底が熱に満たされ激しく疼きはじめる。
気がついたら、アルトは部屋を飛び出していた――――