セリナの憂鬱と戦い
昨晩の出来事から半日以上が経過した。
セリナは朝まで散々泣きはらした後、自身の衣裳部屋の化粧台に立って、自分の顔を鏡でそっと覗き込んでみた。そしてとても人前に顔を出せるような状態ではなかったので、この学校に来てから初めて訓練を全てさぼってしまっていた。
今のこの時間帯は夕暮れ時。セリナの衣裳部屋の窓からは茜色の光が差し込んでいる。
セリナは膝を抱えて座っているベットから、ふと窓の外を覗いてみた。澄み渡る茜色の空の向こう側には暗灰色の雨雲が一面に鎮座している。どうやらこれから雨が降ってきそうだ。
そこまで考えてまた顔を自分の膝にうずめる。セリナは夕方のこの時間帯まで自分の衣裳部屋に引きこもり、ベットの上で膝を抱えて意気消沈していたのだが、それでもアルトが帰ってくる様子は一向に無かった。
どうやらアルトは徹底的に自分とは顔を会わせたくないらしい。
(……アルトに嫌われることばっかりやっていたんだもん。自業自得……よね)
またずきずきと胸が痛み始め、涙が滲んでくる中、セリナはある大事な事を忘れていたことに気づいた。
「あっしまった!! 今日は魔物の群れを退治するためにマリア達がソルト平原に向かっているから、
何が起きてもいいように生徒会室で待機してなくちゃいけないんだった。こうしちゃいられない。すぐに行かなきゃ!」
本当は行きたくないのだが、ネイグトとギルトが待機しているあの部屋に、ミシェルただ一人を残すのは可哀想だった。
セリナはベットから飛び起き、クローゼットの中から替えの制服を取り出すと、今着ている普段着から白い制服に慌てて着替え始める。そうして幾つかの身支度を整えた後、急いで部屋を後にした。
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セリナが寮を飛び出すと、いつのまにか澄み渡る茜色の空は黒い雲で覆われていた。擬音をつけるならまさにどよ~んといった感じである。
そしてセリナが魔法学校の校舎に向かう途中で、遂に雨がぱらぱらと降り始めた。
「もうっ本当に最悪! 私って昨日から本当についていないわ!」
だけど昨日の出来事は完全に私のせいなんだけどね……
そんなふうに暗灰色の空から振ってくる水の雫に愚痴りながら、学校への見慣れた道を走っていると、見知った影がセリナのゆくてを塞いだ。
セリナは足を止めると、その人物を思いっきり警戒した。
「ようセリナ、随分と探したぜぇ。他の奴から聞いた話によるとおまえが訓練休んだって言うから、
てっきり今日はもう現われないかと思って内心少し冷や冷やしていたぜ。……まあでも、生真面目なおまえならどんなことがあっても生徒会の集まりには必ず来ると俺は思っていた。そしておまえが学校に来る時にいつも使うこの道を張っていたわけだが、見事に勘が当たったなぁ」
「あら私が訓練を休んじゃいけないのかしら。それにあなたは本来なら生徒会室に待機していなくちゃいけないはずでしょ。どうしてわたしが来るまでこの道を張っていたのかしら “ネイグト”」
ネイグトはセリナを舐めるように視線を這わせながら、にやっと不気味に笑う。
「いやいや、“俺達” は今回本当に運がよかったなぁ。ここまで綺麗にタイミングが合っちまうと、さすがの俺もびっくりしてきちまうぜ」
「私の質問にちゃんと答えなさい! 私は今すごく不機嫌なの。ちゃんと言わないと不審人物とみなして今すぐここで叩きのめすわよ」
厳しい口調でそう言うと、腰に下げてある翠玉石の細剣に手を伸ばした。
しかしネイグトは相変わらず気持ち悪い笑みを絶やさず、余裕綽々といった感じで喋り続ける。
「おお、こわいねぇ~副生徒会長さんは。街中での魔法の使用が禁止されていても、俺に攻撃する気かよ?」
セリナは黙ったまま、伸ばしていた手を少し緩めた。ネイグトの言い分にも一理あったからである。しかしネイグトの次の言葉で、セリナは一気にネイグトへの敵対心を強くした。
「まあいいや。俺もいつまでもじらすつもりはねぇしな。……単刀直入に言う。セリナ俺の女になれ。そうすれば今日これから起きることは特別に見逃してやってもいいぜ」
呆れてものが言えないとはまさしくこのことである。
どこの世界に自分の女になれと急に言われて、はいそうですかと言う女性がいるだろう? ましてネイグトならなおさらお断りだ。
セリナは不快感を露にしながらネイグトを睨みつけた。
「何を言い出すのかと思いきや……笑えない冗談は他所でやってくれる? あまりに笑えなさ過ぎて吐き気がしてくるわ」
「まあおまえならそう言うと俺は思った。でもおまえは後で俺の親切な申し出を断った事を絶対に後悔する。それに気づいて、後で泣き叫んで謝ってももう遅いんだぜ」
ネイグトは意味深な台詞を吐き、意地汚く笑うと、自身の背に提げていた朱色の魔導石、紅玉石が鍔に組み込まれた広刃剣に手を伸ばして、それを引き抜いた。
紅玉石は魔粒子の属性変化技の中でも、炎属性の技の威力や技効率を上げる魔導石である。ネイグトは炎の属性変化技の使い手なので、この選択は至極当然だった。
ネイグトが剣を抜いたことにつられて、セリナも翠玉石の細剣を抜き払う。
街中での魔法の使用が禁止されているとはいえ、正当防衛が成り立つのならその限りではない。なんだかんだいってネイグトがやる気なら、こっちも黙ってはいないのだ。
「ネイグト、あなた本当に私と勝負する気? いつだったか私にこてんぱんにされたのもう忘れた?」
セリナは話しながら、手の内にある細剣に魔粒子を流す。
翠玉石の細剣はセリナの意志を受け、白色から見事なエメラルドグリーンに変色していった。
「ああ、忘れたなあ~」
「……まあいいわ。それなら、私が無理矢理にでも思い出させてあげる!そしてその口から二度とでまかせが出ないようにしてあげるんだから!」
厳しい口調でそう述べると、細剣を正眼の位置に構える。
「へっ、でまかせかどうか、後で俺がちゃんと証明してやるよ!」
ネイグトも広刃剣を構える。
――――ふたりの間に暫しの沈黙が流れる。
やがてふたりの影が一斉に動き始め、それが交錯したのを合図に雨足が一気に強くなっていった――――
先手を取ったのはやはりセリナだった。
初撃は防がれたものの、それは単なる小手調べ。すぐに身を翻してネイグトの胴にキレのある斬撃を叩き込む。少し遅れてネイグトも反応し、紅玉石の広刃剣を持ち上げた。
――――ギギィィィン!
金属同士がぶつかり合って火花を撒き散らす。
セリナはネイグトの反撃を避けるために、ここで早くも一度身を引いた。
スピードや敏捷力といった分野ではセリナに軍配が上がるが、筋力といった分野ではネイグトにどうしても遅れをとってしまう。
もちろん魔法で筋力を補強することもできるのだが、それを使うと体内の備蓄魔粒子を大量に消耗してしまうため非常に疲れやすくなってしまう。それにまだその手を使うほど追い詰められてはいなかった。
ネイグトは後ろに身を引くセリナに追いすがる。そうして袈裟懸けに広刃剣を振るった。
紅玉石の広刃剣が空から降ってくる雫を蹴散らし、朱色の残光を残してセリナへと迫る。
セリナは素早く体勢を横にずらすことでその剣から逃れた。そしてすぐさま反撃に転じようと突きの予備動作をネイグトに見せる。
ネイグトはセリナのスピードや敏捷力に富んだ剣をかなり警戒しているらしく、すぐに防御を固めてしまう。
(よしっ、狙いどうり)
だがそれはセリナのフェイントだった。
セリナはネイグトが防御を固めてその足を止めたのを見計らって、早口で詠唱を唱えながらもう一度後ろに跳び退る。
その両手を紫色の魔法陣が覆い、体内の魔粒子を魔法エネルギーへと変換していく。
しかしネイグトも黙ってはいなかった。
セリナのフェイントに引っ掛かって魔法を仕掛ける隙を与えてしまったものの、すぐに自分の広刃剣に向かって小声で一言、二言呟く。
するとネイグトの両刃剣の剣身から、突如橙色に燃え盛る炎が出現。それが剣身を覆っていく。
魔粒子の属性変化。
魔粒子を術式で自身の対応する属性エネルギーへと転換させ、その属性エネルギーを様々な意図で使用するというものだ。
一見すると魔粒子の魔法変化とそう大差がないように思われるこの属性変化だが、その大きな違いは自分の武器に属性エネルギーを定着させることと、少ない詠唱を一度唱えてしまえば、大本のエネルギー源である魔粒子が尽きない限りは武器に定着させた属性エネルギーを利用し続けることができること、そして自身の対応する属性でなければ他の属性を使用することができないことにある。
よって近距離戦が得意な魔法剣士にとっては是非とも覚えたい技なのが、この魔粒子の属性変化という魔法だ。
ネイグトが炎剣を完成させたのとほぼ同時にセリナの詠唱も完成した。ネイグトへさっと手を向け、術名を唱える。
『アストラル・シャイン!』
その手に灯る魔法陣が一層強い光を発すると、そこから太い帯状の光のエネルギーを放射する。
しかもそれは三週間ほど前に気が動転してアルトに撃ってしまった術よりも、さらに難易度が高く、また威力の高いものだった。
その光が周囲の建物の石壁を明るく照らし出し、天から降る雨を弾く。羽虫が羽を動かすかのような高い音を上げながら、ネイグトへと襲い掛かっていく。
それはさしずめ無法者を正す厳罰の光のよう。
「おらぁぁぁぁぁ! いくぜぇぇぇぇぇ!」
ネイグトは雄叫びを上げると、剣身が燃え盛る炎に包まれた広刃剣を両手に持つ。そうして属性エネルギーの炎を纏った広刃剣を石畳の地面に思いっきり打ち付けた。
するとネイグトの剣から橙の炎が大量に噴出。ざあざあと降りしきる雨をものともせずに宙を駆け抜け、セリナの放った光の帯に勢いよくぶつかっていった。
セリナの魔法エネルギーとネイグトの属性エネルギー。
二つのエネルギーが火花を散らしてぶつかり合い、お互いを潰しあおうと激しくせめぎあう。
やがて拮抗状態にあった二人の魔法は強い光を発した後、蛍火のような淡い光を宙に残して消滅してしまった。
「へっへぇ、どうだセリナ! 俺は以前おまえと戦った時よりも随分と強くなったんだぜぇ! あまり俺をなめんじゃねぇよ!」
ネイグトは不敵な笑みを浮かべる。
「いいえ、なめているのはあなただわ」
「――――っ!!」
頭上から声がして、ネイグトは笑うのをやめると、ばっと頭上を仰いだ。
そこにはさきほどまで自分のすぐ目の前で魔法を撃っていたはずのセリナが、ネイグトの頭上。すなわち通りの建物の屋根にいるではないか。
属性変化技は詠唱によるタイムロスが少ない分、威力が低くなりがちで属性エネルギーのコントロールが難しい。よってネイグトは属性エネルギーのコントロールに集中し過ぎていたせいで、セリナが術を撃つのをやめ、ネイグトの頭上にある建物の屋根に飛び乗っていたことに気づかなかったのだ。
セリナは雨で濡れるその栗色の髪をなびかせながら、翠玉石の魔導石が組み込まれた細剣を片手に勢いよく民家の屋根から飛び降りた。
「はぁぁぁぁぁぁ!」
そうして気合一閃、細剣を縦に振り下ろす。
「――――くっ!!」
ネイグトは橙色の炎を纏った、紅玉石の広刃剣を持ち上げようとした。しかし一歩遅く、セリナは宙を舞ったその状態からネイグトの手首を強く打ちつけた。
当然刃引きされているため斬ることはできない。しかしネイグトにダメージを負わせることは出来る。
ネイグトは痺れる痛みを感じて手首を押さえた。ネイグトの持っていた紅玉石の広刃剣が、音を立てて石畳の地面に落ちる。そして剣身を覆っていた属性エネルギーの炎が、主の手から離れたことによってあっけなく消失してしまった。
ネイグトは慌てて落とした自身の広刃剣を拾おうとする。しかしそれをセリナが許すはずがなく、ネイグトの首筋に細剣を突きつけた。




