白銀の天使
昔、ある所にひとりの戦争孤児の少年がいました。
その少年に親は無く、少年は息がつまりそうなゴミだめの中で毎日を過ごしていました。
しかしそんなある日。少年はひとりの男の人に拾われることになったのです。
その男の人には若い妻がいて、子供こそいなかったものの、ふたりは毎日をとても楽しそうに暮らしていました。
少年はとても嬉しかった。
少年にまともに声をかけてきてくれたのは、そのふたりが始めてで、しかも身寄りの無い自分を引き取ってくれて、自分をその楽しい日々の中に混ぜてくれたから――――
そう、少年にとってこのふたりはまさしく、幸せを運ぶ“天使”だったのです。
やがてそのふたりと暮らすうちに少年はある決意を固めます。
――――僕を暗い闇の底から引っ張りあげ、幸せを運んでくれたこのふたりの天使に、なにか恩返しがしたいと。
いつしか少年は、この二人のような天使になりたいと思い始めるようになっていたのです。
それからしばらく経って、少年の願いは見事に叶い、少年は人々から『白銀の天使』と呼ばれるようになりました。
……ただこの時、少年は何も知らなかったのです。
自分が幸せを運ぶ天使などでは決してなく、人々を恐怖へと誘い破滅へと導く、血塗られた堕天使だということに……
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「アルトは昔、魔導剣士だった!! ……どう! 違う!」
セリナに問い詰められるようにそう言われて、アルトはみるみる血の気を失い始めていった。
……どうしてっ……いったいどうして、セリナさんは僕が魔導剣士をしていたことを知っているんだ? 僕が魔導剣士をしていたことは、一部の人しか知らない筈なのに……
「……いったい、君はいつどこでそれを知ったんだ?」
声が震えて掠れ気味になり、口調もぞんざいなものに切り替わる。
セリナはためらうような気弱な眼差しを自分の足元に落とした後、なにかを決意したようにすくっと頭を上げた。
「アルトがこの学校に初めて来たときからよ」
初めてアルトがここに来たとき。それは入学の手続きのためにシリウスの部屋を訪れたときだった。
となるとセリナは自分とパートナーを組む前から知っていたのである。
自分の切り離したい過去を。
「……といっても、私がそれを知ることができたのは単なる偶然だったんだけどね。とりあえずそのことについてあなたとゆっくり話がしたいから、ひとまず私たちの部屋に戻るわよ」
セリナはその瞳から溢れてくる涙をごしごしと拭って鼻を軽くすすると、アルトを促して歩き始める。
どうして自分の過去について知っているのか、どうしていままで黙っていたのか、そんないろんな疑問が頭の中をぐるぐると渦巻く中、アルトはのろのろと重い足取りでセリナの後をついて行く。
ふと、頭を上げてセリナの背中を見た――――
いつも強気で、勝気で、偉そうなことや、自分への嫌味を散々言ってきたせリナだったのだが、今自分の目の前を歩く彼女の背中はとても小さくて、儚くて、触れるだけで壊れてしまいそうだった――――
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アルトとセリナは自分達の部屋へと戻ると、近くに誰もいないことを確認して扉の鍵をきちんと締める。そうして部屋の中に入ると、部屋の中央に備えてある木製の小さなテーブルへと向かい、アルトと向き合うようにして、セリナは木製の簡素な椅子に腰掛けた。
いつもよりも木製のその椅子が固く感じられ、ひんやりとした冷気がお尻から伝わってくる。
――――ついに言っちゃった。
セリナの中で後悔が流れる滝の大瀑布のように押し寄せてくるなか、セリナはずっと黙ったままでいるアルトに視線を向けた。
アルトは死人のように血の気を失った顔をして、自分の膝下に視線を向けている。その暗い表情からは癒えることの無い深い哀しみが伺えた。
そんなアルトを見て胸が締め付けられるような痛みを感じていると、アルトがしゃがれた声で喋り始めた。
「……本当に驚いたよ。僕が魔導剣士をしていたことを君が知っていたなんて」
言わなきゃ。アルトに言わなきゃいけない。私がどうしてアルトのことを知っているのかを。そしてどうしてアルトが私とパートナーを組むことになったのかを。
セリナはぎゅっと唇を噛みしめた。
「私がアルトに会ったのは、今から三年程前の話よ」
アルトは頭を上げた。少し私のことを思い出したのかもしれない。
「私はちょうどその頃、この中立地域から北に少し離れたところにある小国ローグに住んでいたの。そして王都ロザンヌにある基礎魔法学校に通っていたわ。
その時の私はとても内気で臆病者でね。いつもびくびくして他人の顔色を伺いながら毎日を過ごしていたわ。……でもそんな私でも魔法剣士としての才能はあったのよ。そのことでいろいろといじめられたこともあったけど、ある日、私の実力が正式にローグで認められて、国が編成する魔物討伐隊に加わって魔物と戦うことが特別に許可されたの」
「私はとても嬉しかった。これで魔物討伐隊に加わり続ける事でいつか魔法剣士になることができたら、きっと私の両親は喜んでくれる。そして皆から認められればきっといじめられることもなくなる。そう思うと胸が高鳴ったし心も躍ったわ。……でも私の考えはとても甘かった」
「初めての魔物との戦闘は散々だったわ。
その時かなりの数の魔物の群れがローグの首都ロザンヌ付近まで接近してきたんだけど、次々と襲い掛かってくる魔物の群れと生まれて始めての命のやりとりがとても怖くて、私は足がすくんでしまっていたの。そして最後には隊の後ろのほうで震えながらうずくまっていたわ。
今思えばほんとに笑えちゃう。いったい何しに来たのよってね。
……だけど人って運が悪いときにはほんとに悪いのよねぇ。
その時ローグを襲ってきた魔物の群れの中に魔獣がいたことを誰も知らなかったのよ。さらに悪い事にローグもセントクレアと同じで、魔獣を倒せるほどの優秀な魔法剣士が全くといっていいほどいなかったから、魔物討伐隊の前衛を務めていた人達はその魔獣にどんどんやられていってしまった。そして私のいた後衛にまで魔獣が迫ってきた時だったわ――――」
セリナは瞳を徐々に閉じていき、今でも鮮明に覚えているその光景を頭の中で思い浮かべながら話し続けた――――
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三年前。
ローグから西に少し離れた場所に位置するヘルミア平原。広大と呼ぶことすら陳腐な表現になるこの平原は北はマルギアナ第一の大国ノーム。西はジェリウス教の教皇が治める国イフリア帝国。そして西南には先の大戦時にイフリア帝国の領土になってしまった旧セナン公国と、ローグの友好国である水の国ウィンディアナ。主にその四つの国に繋がる道が交わる交通の要所となっている。
とうぜんそういった場所には人の手がきちんと加えられているため、人が通る街道は綺麗に舗装され、馬車や竜車が一時の休息のために立てた宿舎が随所に見受けられる。
そんな極めて大きな土地の一角でローグの魔物討伐隊と魔物の群れは激突していた。
春になれば美しい花が一面に咲き乱れ夏には草の絨毯が広がるこの平原は、今や魔物との戦いで放った魔法で焦土と化し、灰色の戦塵がもうもうとたちこめ、魔物の死骸やその魔物にやられた討伐隊の死骸がごろごろと転がり、そんな幽玄な光景とは切って離された無縁の世界になっていた。
――――私はこんな世界を今まで知らなかった。魔法剣士の世界がこれほど怖いものだなんて。
魔物討伐隊で最年少。齢十四になるかならないかの少女セリナは、隊の後衛で恐怖に身を震わせていた。
セリナは震える肩を抱きながら、前方に視線を投げる。
魔物の群れの大半は他の魔物討伐隊の人達が片付けてくれた。しかしそれでもなお戦いはやまずにいる。その理由はセリナの前方。前衛をあっさりと突破し、前衛の支援が主な活動内容である後衛にまで歩を進めてきた死を撒き散らす存在。すなわち魔獣がいるせいだ。
魔獣は魔物が進化した生命体と言われている。その差は天と地ほどの違いがあり、魔物は魔法を使う事ができないのだが、魔獣は魔法を使うことができる固体が存在するのだ。
さらにはそのほとんどの個体がなんらかしらのの特殊な力を備えている場合が多い。例えばどんな怪我でも瞬時で治ってしまう圧倒的な再生能力だったり、自分の気配を消す力がそれに当たる。
そしてさらに不思議な事に、魔獣はある段階を踏むと瞳の色が変わり始め、やがてはより強力な魔獣へと進化していくのだ。
もちろんセリナを含めた多くの人は魔獣について詳しくは知らない。屈強の魔法剣士達を大勢集めて、ようやく相手になるかどうかの存在なのだから当然といえば当然だ。
ゆえに彼らについては分かっていないことのほうが多いのである。
(……こ、怖い)
セリナは前方でその力を存分に振るい続ける魔獣を見て、早くも足がすくんでしまっていた。
全長八メートルはあろうかという黒い筋肉質の巨体に、大木のように太くて長い腕。顔は生理的嫌悪感を抱かずにはいられないほどのゲテモノ顔で、第一形態の証と言われているその黄色い目がぐるぐるとあらぬ方向に動きつづける。脂っぽいべたべたとした黒くて長い髪は腰の長さほどにまで達し、魔獣が動くだけでその髪が右に左に揺れている。
人型の魔獣ギガンテス―――――
それがこの魔獣の名前である。
この第一形態の魔獣は知能が吹けば飛ぶほどのものでしかないのだが、生き物への殺戮衝動が半端ではなく生き物を殺す事に執着し続ける。
現に今まで戦っていた魔物たちも、この魔獣から逃れるためにローグを襲ったのだ。
ギガンテスはセリナ達の目の前で黒い巨体を震わせると、大木のような黒い腕を勢いよく振り払う。
「ぐ……ぎゃぁぁぁぁぁぁ!」
一気に五、六人の人間が紙切れのように宙を飛び、絶命していく。
そしてギガンテスの周囲を覆うように囲っていた討伐隊の包囲網が、死への恐怖でさざなみのように崩れていった。
「……くっ! ひるむな! いくら魔獣とはいえ、たった一匹ではないか。皆で囲んでたたみかけろ!」
セリナを是非にとローグ国王に推薦してくれた魔物討伐隊の総隊長でもあり、ローグ国の騎士団長でもあるアランが味方を叱咤する。魔獣に対する恐怖はその顔に微塵も表れていなかった。
「ぐぅぉぉぉぉおおおお!!」
しかしギガンテスが突如咆哮を上げた。空気がびりびりと振動し、濃密な殺気が津波のごとく押し寄せる。
セリナを含めた周囲の人間は魔獣への恐怖が再び喚起され、その結果アランの激励は意味を成さないものになってしまった。
「ちっ、化け物め!!」
唯一ギガンテスの殺気を払いのけたアランが苛立ちのこもった舌打ちをする。そして長剣を手に、雄叫びを上げながらギガンテスに突っ込んでいった。
ギガンテスは自分に接近してくるアランに狙いを絞ると、両腕を勢いよく振り下ろす。その力の強さに、地面がまるでビスケットのように割れた。
しかしアランもなかなかさるもの。ギガンテスの殺人的な攻撃を大きく横に跳んで避けてみせた。
「はぁ!」
そしてギガンテスの背後に回って大きく跳躍すると、掛け声と共に長剣をその背中へと突き立てる。
ずぐり。
「な、なんだと……!」
アランが驚愕して目を見開いた。
それもそのはず、アランの長剣は哀しいことに切っ先の部分しか入らなかったのだ。
つまりギガンテスの皮膚が異常に硬く、またアランの剣撃の威力も足りなかったので、ギガンテスにさしたるダメージを与える事ができなかったのである。
おまけに魔獣のほとんどが再生能力を備えているため、アランの攻撃はギガンテスにとって蚊がつけた傷程度のものでしかなかった。
アランが地上に着地するや否や、ギガンテスの黄色い目が不気味に光る。
身の危険を感じて、とっさにアランが身を翻すや否や、ギガンテスの腕が真横にブンッと振り払われた。
「ぐあぁぁぁ!」
アランはなんとか殺人的な攻撃の直撃は避けたものの、その巨木のような腕に引っ掛かってしまい大きく吹き飛ばされてしまった。
(―――――ア、アランが! ……何しているの私、はやくこの足動いて!
いつまでも怖くて震えているばあいじゃないわ!)
セリナは飛ばされたアランの元に向かうため、自分を叱咤してなんとか恐怖で固まった体を動かそうとする。
するとギガンテスがいきなり体の向きを変えた。そしてその黄色い視線とセリナの視線が交錯する。
ギガンテスは奇声を上げると、ずしずしと足を踏み鳴らしながらセリナに迫ってきた。
(……ひっ! こ、こっちに来る!)
セリナはまたもや恐怖で足がすくんでしまう。
他の討伐隊の人達は、恐怖で震える体に鞭を打ちながら、セリナに歩み寄りつつあるギガンテスに攻撃を仕掛けるが、そのたびに人が宙を飛んだ。
そして遂にギガンテスがセリナの目の前にまでやってきた。
「に、逃げろセリナぁぁぁ!」
アランが頭から血を流し、地面に這いつくばった状態で叫ぶ。しかし恐怖で震えるセリナの耳に、その叫びは届かない。
ギガンテスはその大きな片足を上げた。そしてセリナをゴミ虫の様に踏み潰そうとする。
(もうダメッ!! 神様!!)
だんだんとセリナを覆う影が濃くなっていき、セリナは神に祈って目を固くつぶった。
その時だった――――
ふわり。
セリナの頭上で一陣の風が駆け抜け、自分の髪を少し持ち上げたような気がした。
刹那――――
ドンッ!!
グギャァァァァァァ!!
突如、凄まじい轟音と爆音が自分のすぐ近くで鳴り響き、ギガンテスが醜い悲鳴を発したのをセリナは目をつむりながら耳にした。
えっ!? 今のは何!?
セリナは恐る恐る目を開いてみる。
するとそこには、今まで自分をゴミ虫のように踏み潰そうとしたギガンテスが、その黒い体のあちこちから黒煙を上げ仰向けになって呻いていた。
(……嘘、あれほど大きな魔獣が倒れてる。いったい誰がこれを―――――?)
セリナが呆然としながら、起き上がろうとするギガンテスを眺めていたときだった。
「ふぅ、危なかったね。君大丈夫だった?」
突如、場に似合わない明るい声が自分の背後からかかってセリナは振り向く。そしてその透き通る碧眼を大きく見開いた。
そこには自分とほぼ同い年くらいの、虫一匹殺せなさそうな優しい顔立ちの少年が微笑んでいた。
つやつやとした黒い短髪の髪に、無邪気な光を宿した漆黒の瞳。ふっくらとしたその頬は、男の子のように骨が出てはなく中性的な顔立ちをしていて、しかも体のほうも随分と細くて華奢なので、見る人が見れば女の子と見間違えてもおかしくはないだろう。
着ている服のほうに目を向けると、使い古してよれよれの朽ち葉色の外套を肩から羽織り、ズボンは簡素な造りの黒いズボン、足には茶色い皮製のブーツを履いている。
そしてセリナが一番気になっているのは少年の右手に握られている剣。まるで光に当てたダイヤモンドのような白銀の光輝を、その長剣が放っているのだ。
(……すごい。いったいなにかしらこの魔法は? こんな魔法、私見たことない。
光属性変化術? ううん違う、そんな感じじゃない。……それにしてもほんとに綺麗)
セリナは自分を助けてくれた少年と、眩い限りの光を放っている長剣に目を奪われながら小声で呟く。
「……天使?」
「……うん、僕は認めたくないんだけど、僕のことをそう呼ぶ人たちもいるね」
少年は明るい笑みを崩して、苦笑する。
やだっ!! 恥ずかしい!!
セリナは一気に自分の体温が上がっていくのを感じた。どうやらきちんと聞こえていたらしい。
とここでギガンテスにやられて全身ボロボロの状態のアランが、その両肩を自分の部下に支えられながらセリナの元にやってきた。そうして朽ち葉色の外套を羽織った少年を上から下までじっくりと眺める。
「信じられん。あれだけの巨体のギガンテスをあっさりひっくり返してしまうなんて。それも君みたいなまだ幼い子供が……
……とりあえず、セリナを助けてくれた礼だけは言っておこう。もしセリナを死なせたなんてあの人たちに言った暁には、私はどうしていいか分からなかったからな。しかし君はいったい何者なんだ?」
少年は少しためらいがちに口を開こうとする。
すると今まで起き上がろうとしていたギガンテスが、ようやく起き上がった。そして空気が裂けんばかりの怒りの咆哮を上げる。
「ま、まずい怒り狂ってる。はやく行かないと――――ッ!!」
「だめですよ隊長! 隊長はあのギガンテスの攻撃を受けたんですよ。しばらく動くのは無理です! 今すぐ隊長を救護班のところまで運びますから大人しくじっとしていてください」
無理に動こうとしたせいか、ギガンテスから受けた傷の痛みで呻くアランをふたりの部下が支えて、アランは救護班のもとへ無理矢理連れていかれてしまった。
ギガンテスは奇声を上げると、セリナと少年めがけて勢いよく突進してきた。そのままセリナと少年を一緒くたにぶっ飛ばそうとする。
――――く、来る!
セリナが物凄い勢いで迫り来るギガンテスに怯えた時だった。
「大丈夫。僕がいれば何も心配はいらないよ」
ふんわりと少年がセリナに笑いかける。
するとその手に握られている長剣の放つ光が広がり、その長剣を覆うような形で白銀の光のブレードが具現化された。少年はそれを無造作に振るう。
一瞬だけ、白銀のブレードがちかっと光ったその次の瞬間。なんとそのブレード部分から三日月形の光が飛び出したではないか。
そしてその光は風の如く宙を駆け抜け、凄まじい勢いで突進してくるギガンテスにぶつかっていく。
バギャァァァァァ!!
ギガンテスにぶつかった三日月型の光は、アランが攻撃してもびくともしなかったその体をいとも簡単に切り裂いてみせた。そして突如白銀の閃光が弾け、その音で大気が震えるほどの光の爆発が巻き起こる。
ギガンテスはまたしても少年の手によって吹き飛ばされてしまった。
それを見ていた魔物討伐隊の人たちの間から、驚きとざわめきの声が広がっていく。
(……すごい。この子詠唱はおろか術式すら使っていない。ほんとうにどんな魔法を使っているんだろう?)
「あいつ、頭が悪いことは君も知ってるでしょ。だから馬鹿みたいに突っ込むことしかできないんだよ。残念な事に」
煩くなる周りをよそに、少年は空いているほうの手で倒れているギガンテスをゆび指して、面白おかしく言う。
どうやら魔獣にビビって怖がりまくっている自分のことを励ましてくれているみたいだった。
あんな奴怖くもなんともないよ。だから、そこまで怖がらなくても大丈夫だよ。
言葉の裏に、そんな自分への気遣いが見え隠れしていた。そしてそのことに気づいたら、突如セリナの心の中に温かい何かが溢れてきた。
「それじゃ、僕はそろそろ行くね」
少年は震えの収まったセリナを見て柔らかく微笑むと、セリナに背を向けて、まだ倒れているギガンテスにむけて走り出そうとする。
「待って!!」
セリナは慌てて少年の腕を掴んで引き止めた。
不思議そうな顔をする少年。
セリナは自分の心から次々と湧き上がってくる言の葉を、まとめもせずに矢継ぎ早に話していった。
「私怖がりで、みんなからいつもいじめられてばかりで、言いたいことも言えなくて、そんな自分が嫌で。……あなたがそんな私と違って、とても勇敢で強いってことは今ので十分分かったんだけど……でも、でも、あなたはあんなのと戦って少しも怖くないの? あなた程強くなれば、なにも怖く感じなくなるの?」
わ、私いったいなにを言っているんだろ。この子とはまだ初対面なのに。
すると少年は繋がれた腕はそのままに明るく笑って言った。
「僕は魔獣とは戦い慣れているからね。他の人よりは恐怖を感じないな」
屈託の無い笑顔で返された言葉に、セリナは落胆する。
……ああ、やっぱりこの子と私とは心の造りからして全然違うんだ。私みたいな臆病者とはきっと住む世界が違うんだろうなぁ。
……それにしても魔獣と戦い慣れているって、この子ひょっとしてまさか!?
しかし少年の話はここで終わりではなかった。
「……でもここだけの話。僕は昔魔物が怖くて怖くて、戦うことも忘れてその場で泣き出してしまったこともある。それにこうして魔獣と戦っているときも、心のどこかではちゃんと怖いって感じているよ」
はっとなって、少年の漆黒の瞳をまじまじと見つめる。
少年はなおも続けた。
「……同じだよ。君も僕も。
感じている怖さの違いはあるけれど、どんなに強い魔法剣士だって怖いと思うことを忘れてはいない。
みんな、君と同じなんだ。
でも君はいじめられていたり、臆病でいる自分が嫌だって言ったよね? だったらまず、そんな自分を変えてみることから始めるんだ。自分自身を変えることには、強い精神力も、魔獣を倒せるほどの強力な魔法も強さもいらない。
ほんの、少しだけの勇気があればいいんだ。
僕もそうやって嫌な自分を変えてきた。だから君も、ほんの少しの勇気を出していけば、今の嫌な自分をきっと変える事ができる。そしていつか魔物や魔獣を見ても、あまり怖いとは思わなくなってくる日がくるんじゃないかな」
少年は最後にそう締めくくると、ひだまりのようなとびっきりの明るい笑顔をセリナに向けてきた。
うわっ。なにこの優しくて甘い笑顔!
やっぱりこの子。本当に天使なんじゃ――――
「それじゃ僕はこれからあいつを倒しに行くけど、そろそろ離してもらってもいいかな?」
少年の笑顔に見惚れていたセリナに、少年は起き上がろうとしているギガンテスを顎で指す。
やだっ。私まだ掴んだままだった。
セリナはまるで火の中に直接手を入れたかのようにして、少年の腕を掴んでいたその手をパッと離した。体中の血という血が熱を持ち、ぐわーーっと一気に体温を上げる。そして少年の腕を掴んでいたその手がじんじんと熱く疼き始め、心臓がバクバクとうるさく自分の胸を叩いた。
一体私はどうしちゃったんだろう。
そんなセリナに少年はもう一度柔らかく微笑んだ。そしてそれとほぼ同時にその小さい体がぶれ始める。
少年は風のように駆けていった――――